椿古道具屋 第三話
枕の神さま 04
なんとなく、凪から不機嫌な空気を感じる。もともと無口だし、学校などでは近寄りがたい空気しか出していない凪だが、椿屋ではくつろいでいることが多
い。だから、最近は便利水の瓶の神さまたちも遊びたそうにしながら近づいていたが、今日は出てこない。遠くから、史朗に向かって「おやつー」と小さく叫ぶ
だけだ。しかし、そこは子供の頃から凪を知っている史朗だ。不穏な空気にも肩を竦めただけだった。
「結局、香枕様は会いたいわけ? 会いたくないわけ?」
本日のおやつは最中にコーヒー。最中は近所の和菓子屋のもので、最中の皮が好きな史朗は、小さめなところが気に入っている。
凪はコーヒーを一口飲んだあと、最中を食べながら軽く首をかしげた。
「わからないんだよな。そのことより、なんかじいさんが死んだってことにショック受けてたみたいだけどな」
「それって、草加のおじいさんを知ってたってことかなー?」
「知ってるのか、って聞いたら何も言わなかったけど」
悲しそうではあったな、という呟きが冷えた空気にしんみりと響いた。寒いな、と思わず言うと、ストーブがぼっと点いた。
「明日、出かけるぞ」
そのストーブを見ながら、凪が急に言った。史朗の予定など聞かない。それは、命令のようなものだった。
翌日の土曜日、授業が終わった後に待ち合わせたのは、県立図書館だった。史朗の家からはバスで30分。行ったことなどなかった史朗は、場所も行き
方も調べなければならなかった。
「俺、初めて来た」
そう言うと、凪が微かに笑った。大きな館内と、広いにも関わらず静寂が保たれている空間に気後れしている史朗を感じたのかもしれない。そんな緊張しなく
ても大丈夫、と言われた気がした。何となく気恥ずかしい。
凪が向かったのは、新聞のコーナーだった。パソコンの前に座って、凪が打ち込んだのは「火事、さくら市」というキーワードだった。さくら市は、水穂町の
隣の市だ。
「なんで火事のことなんか探してんの?」
周りが静かなため、自然声は囁き声になってしまう。史朗は近くの椅子を持ってきて、隣に座った。
画面には、多くの検索結果が出ている。火事って多いんだな、と少しばかりぞっとした。
その中でも、凪がクリックして内容を見ているのは、約50年前を中心とした記事だった。大きな記事は少ない。ほとんどは、いつ、どこで火事が起こり、何
時に沈静化したか、またはしていないか、事実を淡々と記すものがほとんどだ。時折、写真がついた大きなものがあるが、そう言ったときは、たいがい誰か亡く
なっているときだった。
そうした、一枚だった。燃え盛る炎と、そこに向けて水を放出している消防士たちが写る写真が添えられた記事で、凪の手が止まった。
『さくら市南町、和菓子屋「鶴屋」の店舗兼住宅から昨夜未明火の手があがり、全焼した。焼け跡からは、そこに住む富山鈴子(28)の死体が発見された。逃
げ後れ、煙に巻かれたものと見られている』
「和菓子屋「鶴屋」って……」
「今はお菓子メーカーになってる「鶴屋製菓」だよ」
鶴屋製菓は、今ではおかきなどの米菓で有名なお菓子メーカーだ。全国展開もしていて、今ではこの辺りでは有名なお金持ち、だ。
「あれ? そう言えば、草加の実家が確かこの家じゃなかったっけ?」
草加は昔から「お坊ちゃま」と揶揄られることがあった。実家が金持ちだと有名で、本人もそのことを隠していなかった。凪にも高価なものを良くプレゼント
していたと噂があった。
「思い出した……ってわけ? それとも実は忘れてなかった?」
凪がプレゼントを受け取っていたとは思えない。そういうことを嫌がるのが凪だ。しかし、そんな相手を忘れる凪でもないだろう。
「顔見たら思い出した」
「昨日、覚えてないって本人に言ったのに」
「覚えてるなんて言ったら面倒だろ」
ふいに凪が横を向いて、にやりと笑った。顔が近い。そうした大人っぽい顔がやけに似合うのが悔しいが、どきっとしたのも事実で、史朗は口を尖らせて視線
を逸らした。耳の先が熱い。囁き合っているのも親密な雰囲気になって良くない、と思う。
凪は新聞の日付をメモして、ついでとばかりに今度は「富山喜三郎」と打ち込んだ。草加の祖父の名前だ。今回は、最近の記事ばかりを見て、やっぱりな、と
呟いただけだった。出てきていた記事は、経済面がほとんどだった。
「あ、この人」
「富山将一、現社長だそうだ」
鶴屋製菓、社長交代、の記事に出ていたのは、最初に香枕様を売ってほしいとしつこく食い下がった人物だった。なるほどね、と言うのが史朗の感想だ。だか
らあんなに横柄な態度だったのだ。
社長の交代は2年前。そのときに草加の祖父、喜三郎が亡くなったのかと思ったが、そう言うことではないらしい。創業社長が息子に会社を譲った形となって
いた。
凪はパソコンを元の画面に戻すと、立ち上がった。
「顔を見て思い出したついでに、ばあさんが昔火事で亡くなった、って話も思い出したんだ。あの香枕にも焦げ後があるし」
図書館を出ると、冷たい風が二人に吹き付けてきた。史朗は思わず、マフラーに顔を埋める。
「そっか、あの焦げ後は火事だったのか」
こっち、と呼ばれたのは帰り道になるバス停ではなく、駅に向かうバスだった。
「つまり、香枕様はそのときにあの家にあった、ってことか」
「多分な。全焼だったにも関わらず、あれだけちゃんと形が残ったということは、持ち出したと考える方が自然だが……。なんでそれを手放したんだろう?」
土曜日のバスはそれほど混んでいなかった。そもそもが通学や通勤バスとして使われているバスがほとんどだから、土曜日の昼間はのんびりとしている。駅
は、県立図書館からは3つの停留所で着いてしまう。暖かさもあって眠気が襲ったが、寝ている暇はなかった。
「じいさんのメモじゃあ、あの香枕様はどこかの古道具屋から買ったらしいからなあ。自分が直接買ったものなんかだと、由来みたいなものが書かれてることが多いけど、香枕様は買った古道具屋の名前しかなかった」
凪は頷いて、何かを考えるように遠くを見た。
さくら市駅で降りたが、向かったのは駅ではなく、商店街だった。一時はシャッター街とも呼ばれていたが、最近になって綺麗に整備され、さくらアーケード
と名をかえた。高い天井はガラス張りで明るく、ドーム型の丸天井もあり、少しヨーロッパを思わせる。今や「商店街」というのもふさわしくない。薬局やパン
屋、コンビニにファーストフード、大型電気店もある。その町の個性が出る「商店街」という名にふさわしくないのは、こうしたどこにでもある、いわゆる
チェーン店が立ち並んでいるという点でも言えることだった。しかし、新しさもあってか、人出は多かった。
「ああ、あった」
そう凪が立ち止まったところには、その明るく新しい場所では異色の存在感を持つ、鶴屋だった。和菓子屋にふさわしく、黒光りのする木造の店舗だ。しか
し、中は明るい。奥には喫茶店もあるようで、かなり広い。
「鶴屋って、まだあるんだ……」
「創業社長の強い要望で、ここだけはやめないらしい」
史朗にとっては、鶴屋製菓と言えばせんべい菓子の印象が強い。しかし、店舗内では干菓子や生菓子も売っていた。凪が好きな羊羹もあったが、化粧箱入りの
高価なものだった。凪は、どら焼きを二つ、買い求めた。
「あの、ここって鶴屋製菓のお店なんですよね?」
会計時に、凪はふいに店員に話しかけた。店員は若い女性だ。凪がにっこりと笑えば、顔が赤くなる。
「ええ、そうです」
「でも、おせんべいじゃないんですね」
「ええ、あの、ここの創業社長が始めたお店で、もともと和菓子屋さんだったんですよ」
「創業社長さんって、喜三郎さんですよね? 今は社長は引退されたとか。会長さんになったんでしたっけ?」
「ええ、こちらにもときどき来てくださるんですよ。最近は体調が良くないとかで、なかなか来られないようですが……」
史朗は思わず、声を出しそうになった。草加の祖父は、亡くなっていない?
「そうなんですね」
どうも、とどら焼きを受け取って、凪は史朗を促して外に出た。
「どういうこと? 草加のおじいさんは生きてるわけ?」
「みたいだな」
ほら、とどら焼きを渡される。
「あ、ありがと」
二人で、近くのベンチに座った。どら焼きは奢ってもらったので、史朗がお茶を買った。
土曜日で、さくらアーケードはそこそこの人出だ。萩桜学園の生徒もいれば、水穂高校の制服を着た人物もちらほら見える。そういうときに凪といるのは、な
んとなく居心地が悪い。実際、ちらりと見てははしゃいで通り過ぎる女子高校生がいる。幸運なことに、冬の今はコートを着ているから、同じ高校の生徒にも、
史朗が水穂高校の生徒だとは気づかれていない。もちろん、知り合いが通ればすぐにわかるから、ひやひやものだ。
「さっきの、どういうこと? 草加のおじいさんは生きてるってこと?」
「ああ。そもそも、この店は、息子はやめたがっているが創業社長がそれを許さないから、看板が上がったままって話だからな」
亡くなればすぐにでも閉店なのだろうか。ぱくりと食べたどら焼きは、ふっくらとしながら中はしっとりとした生地に、甘過ぎない餡が美味しい。
「草加はなんで亡くなったなんて嘘を言ったんだろう?」
質の悪い嘘だ。身内のことを生きているのに亡くなったなんて。
「あいつのことは信用するな」
凪はそう言うと、「帰るぞ」と立ち上がった。