web electro index 01 02 03 *
□ibuki 04:http://recipe.electro.xx
ここいいかな、と柔らかな声が聞こえて、イブキはぼんやりと顔を上げた。広いガラス張りの担当控え室には、暖かな日の光が差し込んでいた。
「ああ、ユーゴ。どうぞ」
生気のない顔と声で答えたイブキに、ユーゴが眉根を寄せたが、イブキは気付かなかった。最近は、何か考えるのが億劫でたまらない。
ユーゴは手にしていたトレイからお茶のカップをイブキの前に置いて、隣の椅子に坐った。
どうぞ、と言われて、イブキはありがたくお茶をもらった。あまり癖のない、優しい味のハーブティーだった。
「顔色悪いね。食べてる?」
「はは。そんな心配されるなんて、料理担当失格だな。……食べてるよ、大丈夫」
そう答えたものの、全く説得力がないことはイブキにもわかっていた。ここのところは眠りも浅くて、その所為もある。
ユーゴは「そうか」と呟きながら微かに笑った。
「俺もちょっと前まで人のこと言えなかったから」
料理担当の中で、最も心配されていたのは、このユーゴだった。繊細なくせにそれを隠して頑張ってしまうのがユーゴで、イブキもついこの間まで、ユーゴは心配でならなかった。それが今は、恋人のおかげでずい分強くなった。
「ユーゴさ、幸せ?」
「何? 突然」
「いや、訊いてみたくて」
というか、言って欲しくて。自分の代わりに、幸せだと、断言して欲しかった。
それを悟ったのかそれともただ率直に言ったのか、ユーゴは「幸せだよ」と微笑んだ。
「あー、でも最近、俺の料理じゃ駄目だって言われて、ちょっと落ち込んだ」
ふいに思い出したようにユーゴがそう言って、イブキはびっくりした。
「誰だそれ? ユーゴの料理で駄目って、そいつの方がおかしいって」
味つけの趣味などもあるだろうが、ユーゴは人の機微には敏い。たまたま合わなかったということはあっても、駄目ってことはないだろう、とイブキは自分のことのように憤慨した。
「いや、落ち着いてよ、イブキ。別に不味いとか言われたわけじゃないから」
「当たり前だ。シギ直伝だぞ? 不味いなんてありえないって」
ユーゴは微笑んだままだった。落ち込んだと言う割には、なんだかあまり傷ついている様子でもない。
「あのね、その人、ある人の料理と同じ味を探してるらしい。で、俺もハマナさんも、他の料理担当も駄目だったわけ。違う、これじゃないって言われた」
「なんだそれ。どんなすごい料理人を探してるんだよ」
「うん、すごい料理人なんだよね」
「知ってるのか?」
イブキが興味に駆られて訊いてみると、ユーゴがいっそう深い笑みを零した。
「知ってる」
「誰?」
それには、ユーゴは首を傾げて「さあ?」と言う。イブキはからかわれたのかとため息をついて、ソファーの背凭れに身体を預けた。
「ユーゴにからかわれるなんてなあ……」
「え? からかってないよ。そんな呑気な話でもないし」
なんだそれ、と半ば興味が失せた様子でイブキが訊くと、ユーゴは今度はとても慈悲深い表情をした。ユーゴには、そう言う表情が良く似合う。
「その人ね、その味が見つからなくて、まともな食事が出来てないみたいなんだよね。ハマナさんも言っていたけど、ちょっと危ない気がする」
「危ないって……」
「そのうち、倒れちゃうんじゃないかな」
ユーゴの顔が俄かに曇った。イブキはそんな大げさな、と思ったが、深刻そうなその様子に、軽口が叩けなくなってしまった。
「それさ、俺の他の料理担当はみんな行ってるってこと? 後は俺だけ? 行ってないの」
「ううん。イブキも行ったことあると思うよ」
「でも、そんな客いなかったと思うけど」
言いながら、イブキはまさか、と思った。
「うん。イブキが行ってたときは、探さなくて良かったからね」
ユーゴの顔が、切なそうに歪んだ。
「その人が探してるのは、イブキの料理の味だよ」
馬鹿だ、と思った。
何を馬鹿なことをしているのだ。イブキの料理と同じ味を探して、倒れそうになるなんて、あの男はなんて馬鹿なんだ。
スケジュール担当の元に向かいながら、イブキはずっと心の中で男を罵っていた。
ユーゴの言っていることは大げさかもしれない。でも、ユーゴは嘘をつく人間ではないし、あの顔は本気で心配していた。だから、それなりに危ないのかもしれない、とイブキは思った。
ばたん、とスケジュール担当の部屋のドアを開けると、イブキはずかずかと中に入っていった。機械だらけの部屋なのに、いつ来ても甘い匂いが漂っているのはさすが料理担当たちのスケジュール管理をしているからなのか。
「なんだイブキ、珍しいな、ここに来るなんて」
「あのさ、次のお客様番号の人から呼び出しかかったら、とにかく俺に繋いで欲しいんだけど。オフでも何でも」
イブキはそう言って、八桁の番号を空で唱えた。とりあえずメモをした担当は、面白そうにイブキを見た。
「これ、おまえがずっと拒否してた番号だろ」
「そうなんだけど。なんか危ないらしいから」
イブキのかなり端折った説明に、スケジュール担当はそれでもうんうんと頷いていた。もしかしたら、他の担当から話を聞いているのかもしれない。
「とにかく、よろしく」
強引な頼みごとだったが、スケジュール担当は「はいはい」と軽く頷いて、任せておけとばかりに手を振ってきた。
それからは、イブキはずっといらいらと男からの呼び出しを待った。携帯電話が鳴る度に、はっとする。幸い、他の客はそれほど時間が掛かるような依頼をしてこなかったが、それでもその間、イブキは落ち着かなかった。
ようやく待っていた番号が画面に表示されたのは、もうすぐ就業時間が終わろうとしていた頃だった。イブキは一言「出ます」とだけ言って、ブースに駆け込んだ。
客の下に飛んでいく瞬間を、長いと思ったのは初めてだった。それはいつも一瞬のことだったのに、気持ちの方がずっと、急いていた。
男の部屋に着いたとき、イブキは一瞬、また違う場所からアクセスしているのかと思った。あまりにも、部屋が汚かったのだ。
散乱していたのはカップラーメンを食べた残りと、酒の瓶や缶だった。いつ来ても物がなくて綺麗だった部屋が、まるで別なものに見えた。
男もまた、別人のようだった。ひどく頬がこけて、目が落ち窪んでいた。しっかりとした体格だったのに、今はひょろりとしている感じだ。イブキはその姿に、唖然とした。唖然として、その後、何故か怒りが湧いてきた。
「あんた、馬鹿じゃないの? 何やってんだよ。なんでそんなにやつれてんの。なんで……」
後は、声が詰まって言葉にならなかった。ユーゴが言っていたのは、大げさでも何でもなかった。本当に、これでは今にも倒れそうだ。
「飯、食べたい」
男はイブキの怒りも無視して、そう呟いた。イブキは怒鳴りたいのを我慢して、とにかくキッチンに向かった。
胃に負担になるものは当分無理だろうと考えて、おかゆを作った。男がそれを食べている間、イブキはさらにおかゆを作った。とにかく、次にイブキが来るまでの食料を用意しなければならない。男は無言で、塩と梅干だけのおかゆを食べていた。
「これ、どうしたんだ」
おかゆを煮ながら、その間に片付けを始めたイブキは、そこら中に転がるカップラーメンの残骸を拾いながら、男に訊いた。毎日、ほぼこれだけで生きていた、という感じだ。
「人が作った料理が食べられなかった」
「だからって、カップラーメンだけってのはないだろ? 弁当とか惣菜とか……そういうもんだってあっただろが」
「だから、人が作った料理は駄目だったんだ」
イブキはゴミを拾う手を休めずに、男の言葉を反芻した。つまり、例えコンビニエンスストアの弁当でも、人の手が入ったようなものは駄目だったということか……。軽く頭を横に振ったところでパンの袋も見つけて、パンは平気だったのか、となんとなく納得する。スーパーなどのパンなら、機械で作っているように感じるからいいのだろう。
だが男は、イブキの作ったおかゆをばくばくと食べていた。綺麗に平らげて、まだ足りなさそうなので、作り置きようのおかゆを少しだけ盛ってやる。それも綺麗に食べた。
「人の作った料理が駄目って言いながら、俺の作ったのは食べてるじゃん」
ぼそりとイブキが言うと、男はすっとイブキを見つめてきた。
その目に、どきりとする。絶望を知っているかのような、その暗い目が、イブキを貫く。
「おまえの料理しか、食べられないんだ。――食べたくない」
イブキは息を呑んだ。
なんて殺し文句だろう。自分は料理人で、それも惚れた相手にそんなことを言われたら、どうしたらいいのか。
イブキの手から、空のカップラーメンが落ちた。男とイブキの視線が絡む。ひどく胸が苦しいのに、イブキは目を逸らせなかった。
「そんなに、特別なもんを作ったつもりないけど」
冷静さを装って言ってみたものの、イブキの声は掠れていた。男はただじっと、イブキを見詰めている。しばらく沈黙が流れた後、男の荒れた唇がふいに開いた。
「……でも、温かかった」
イブキはその言葉に、長いため息を吐いて目を閉じた。それからゆっくり目を開けると、男の前に膝をついて、そっと痩せた顔に触れる。イブキから男に触れたのは、これが初めてだった。
かさかさとした肌の感触を指先に感じた。それから、荒れた唇を感じる。
そっとその唇に、自分の唇を重ねた。
この感情はなんだろう。
イブキは男と口付けを交わしながら、泣きたいような気持ちになっていた。男を可哀想だと思ったわけではない。だが、不器用なほどに温かさを求めた男を哀しいと思った。そして、そんな男が愛しかった。
キスを繰り返しながら、二人は縺れるようにソファーに倒れこんだ。男が着ているものを脱ぐと、筋肉が落ちた上半身が現われた。イブキがそれにそっと指を這わせると、男はそれを避けるように覆い被さってきた。
「あんた、やつれすぎ」
キスの合間に喘ぐようにイブキが言うと、男は目を眇めて「おまえのせいだ」とのたまった。
「あの日は勝手に帰るし、その後いくら呼んでも出てこないから」
男の声が耳のすぐ近くで聞こえる。そのまま耳を柔らかく噛まれて、イブキは熱い息を吐いた。男の手が、イブキの身体の存在を確かめるように全身を撫でる。その手が僅か、震えているような気がして、イブキはその腕をゆっくりと撫で返した。
「もう、逃げないから」
そう言って、イブキも男の背中に腕を回して、ゆっくりと痩せた身体を抱き締めた。
「俺が、あんたの食事を作るから」
「これから、ずっとだ」
男がいつもと変わらぬ不遜な口調で訊いた。イブキは思わず微笑んで、返事の代わりに、口付けた。
了
■イブキが作ったチョコレートケーキのレシピはこちら■
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ガトー・ショコラ
フランス人の友達からあまりの美味しさに教えてもらったレシピ。
どちらかというと、本当はガトー・ショコラなのかなと思います。(彼女はガトー・オ・ショコラと書いてましたが)
問題は、材料のアーモンドパウダーをいつ入れるのか、書き忘れられてしまったらしいこと……。ここかな?と思ったところに書いてますので、お菓子作りをする方、違ったら教えていただけるとありがたいです。
<材料>
バター 250g
チョコレート 250g
卵 4つ
アーモンドパウダー 65g
砂糖 150g
小麦粉 大さじ1
<作り方>
1.オーブンは190℃に熱しておきます。
2.チョコレートとバターを一緒に湯煎で溶かします。
3.砂糖、卵の黄身、小麦粉、アーモンドパウダーを混ぜ合わせます。(友達のレシピはここで全部砂糖を入れましたが、砂糖はメレンゲを作るのに、半分取っておいたほうがいいかも?)
4.(3)に、(2)を混ぜます。
5.卵の白身を泡立てます。
6.(4)と(5)を混ぜます。
7.190℃のオーブンで、25分から30分焼きます。
竹串でさしたとき、真ん中についてくるだけになったら出来上がりです。
*友達はパウンドケーキ型で作っていたので、焼く時間はそれが基本になっていると思います。
*完全なスポンジケーキではなく、真ん中辺りは半生な感じのケーキです。
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