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微かな旋律

04



「見つけたよ、瀬名響一」
 和音が気を利かせたのか、要を連れて自分の部屋に連れて行くと、伊織は大きくため息をつきながらソファーに身を沈めた。要といるときは、あまり大きな動作をしないようにしている。手足の長い伊織の動きを敏感に感じて、要がびくりとするのが分かるのだ。
「さすがね。いいお土産だわ」
 瞳香はそう言いながら、窓を開けて煙草に火をつける。要の前では絶対に吸わないのだが、どうにも他に、心を落ち着ける術がないのだ。
「そっちは?まさか手ぶらで来たんじゃないよな」
 伊織がその煙草をせがむ。瞳香が渡すわけがないと、わかっているのに、だ。
「あらだって、要くんに会いに来たんだもの」
 伊織は、瞳香の手から煙草の箱を取って、そこから一本引き抜く。それを瞳香が奪おうとして、伊織はその手をふいと挙げた。
「いらないの、瀬名の情報?」
 にやりと笑って、伊織がその煙草を口に咥える。それから手を出して、今度はライターをせがんだ。瞳香は大きくため息をついて、ライターを渡す。
「可愛くないわね」
「昔からでしょ?」
「……真藤さん、騙されてるわ」
 瞳香のその言葉に、伊織は小さく笑った。その笑みがあまりに柔らかくて、瞳香は一瞬呆気に取られる。
「なに?」
「え?あぁ、なんでもないわ」
 口ではそう言いながら、瞳香は零れる笑みを隠さなかった。その瞳香を、伊織が訝しげに眺める。
「さ、瀬名の情報とやらをお聞かせ願いましょうか」
 伊織が、こんな顔をするようになるなんて。瞳香は嬉しくて、伊織の顔を盗み見た。今はすっかり、仕事用の厳しい顔に戻っている。
 瀬名響一は、要の母親と関係があった男だ。母親が殺される数日前に、姿を消している。
「どうやら大阪に向かったらしいな。一人、知り合いがいる。瀬名の弟だ」
 伊織はそこで、大きく煙を吐き出した。でも、その赤く光る先端を、見ることが出来ない。
「なんでも瀬名は、どこからか金を脅し取ろうとしてたそうだ。それが上手くいかなくて、母親が殺された後行方がわからなくなった要を探していた」
「要くんを?」
 要を探して、そうしようと言うのだろう。そんな疑問をありありと声に現わして、瞳香が呟いた。
「そう、要を。結構必至だったみたいだぜ。どんな目的があったのかは、わからない」
 それに、と言ってから、伊織は煙草を吸った。
「気になることが一つある」
 伊織が外に向かって煙を吐き出しながら、ぽつりと呟いた。瞳香が、先を促す。
「誰か、瀬名を探している男が俺以外にもう一人いるんだ」
「もう一人?」
「警察じゃない。俺と同業か、瀬名の共犯者か……」
「見たの?」
「いや、なじみの男が知っていてね」
 どうしたって瞳香が伊織に負けてしまうのは、この情報網の広さだった。街中の誰もかもが知り合いなのではないかと思うほど、伊織の情報網は広い。
 今回の事件も、その情報網の広さを当てにして、瞳香が持ってきたものだった。もちろん、要をどこか安全な場所に預けたかったと言うのもある。
 要の母親、絢子が殺されたのは、三週間ほど前のことだった。それはひどく悲惨な状況で、部屋中がその血で真っ赤に染まっていた。要は、そんな中、声も立てずに押入れにうずくまっていた。殺害現場を見たのか、だいたい、その頃は目が見えていたのか、話せたのか、聞こえていたのか、それはわからない。要はほとんど、外に出されなかったのだ。
 絢子が殺された理由は、わかっていない。わかっているのは、絢子と関係があった、瀬名と言う男の存在。それだけだ。警察は瀬名を重要参考人として探していたが、その行方はようとして知れなかった。
「なんだか嫌ね……すぐ大阪に手配をかけるわ」
 瞳香はそう言うと、煙草を消して和音と要のいる部屋に向かった。
「またお会いしましょうね、真藤さん」
 瞳香は戸口でそうにっこりと笑って、手を振った。


 瞳香が帰ってから、伊織がソファーに身を沈めたまま大きなため息をつくと、和音がリビングに入ってきた。
「要君、眠っちゃった」
 そう柔らかく笑って、要にしているのがくせになったのか、伊織の頭をぽんぽんっと軽く叩く。それからキッチンに行くと、紅茶を淹れ始めた。
「疲れてるね」
 キッチンでお湯が沸くのを待っていると、突然伊織に背中から抱きつかれて、和音はそう笑った。預けられる重みが、心地良い。
「ねぇ、要君、僕のところで寝かせようか」
 数日間見ていて、和音は伊織があまり寝ていないことに気が付いた。夜寝られなくて、昼間時間があるときにときどきうとうとしている。要が夜中に起きていることは知っている。それが気になって、伊織は眠れないのだろう。
「なに?」
 伊織がそれに答えずに大きくため息をついて、和音は眉根を寄せた。
「なんで俺誘わないで要なのかなぁ……」
 小さく笑いを堪えた声でそう囁かれて、和音も苦笑する。今触れられているのだって、本当は少し危うい。
「しよう」
 伊織が、熱く囁く。
「要、眠ってるんだろう?」
 この時間なら、眠りは深いよ。伊織はそう言いながら、後ろから抱きしめたまま、和音の首筋に口付けをする。久しぶりのその感触に、和音は思わず喘いだ。
「駄目……だって」
 思考が、溶けてしまいそうになる。そうやって翻弄される心地よさを、和音は知っている。
「ご飯の支度もしないと……」
「何かとればいいよ」
「あのねぇ、伊織くん」
 和音のため息に、伊織の手が止まる。それから、困ったような顔をして、和音が伊織を見上げた。
「我慢してるのは、僕も一緒。お願いだから、誘わないで」
 強気の言葉とは反対に、耳がほんのりと赤く染まっている。伊織は脱力したように、頭を和音の肩に乗せて、盛大なため息を吐いた。
「……伊織くん?」
「伊織」
「え?」
「約束、しただろ。呼び捨てにするって」
 伊織がそう言って、和音をくるりと自分のほうに向かせる。和音はあぁ、とまるで忘れていたかのような顔をして、苦笑した。
「ええと……はい、じゃぁ伊織?」
 改めて言うのは、結構恥ずかしい。和音はそう思いながら、それでも子供っぽい伊織の言葉に、笑顔は隠せない。
「和音……あまり説得力のないこと言わないように。余計、したくなる」
 伊織が切実さを含ませた声で、そう囁いた。和音は眩暈がしそうになって、伊織に抱きついた。切実なのは、和音も同じだと言うのに。
「要くんの事件が解決したら、ご褒美上げるから」
 囁く和音を、伊織は、いつからこんなに小悪魔になったのだろうと、泣きそうな顔で見た。









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