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微かな旋律

05



 瀬名が殺されたと瞳香が連絡してきたのは、それからすぐのことだった。嫌な予感は、当たるものだ。
「……こっちにも、嫌な情報がある」
 伊織がブラインドから外を覗くと、雨が降り始めていた。どうりで少し、寒気を感じたわけだ。
『……なに?』
「要を探している奴がいる。たぶん、瀬名を探していたのと同じ人物だ」
 昼間に雨が降り始めると、外が嫌に暗く見える。夜の雨の方が好きだと、伊織は思った。その伊織の耳に、瞳香の短いため息が聞こえた。
『こっちも必死に探してるわ。要くんのことは、お願いね』
「わかってる。瀬名の脅しネタのことは何かわかったか?」
『それがねぇ、どうやら殺された絢子が持ってきたらしいのよ、そのネタ』
「絢子が?」
『そう。絢子は昼間OLをしていたでしょう?どうやらその会社関係らしいのよね。今調べてるところだけど、横領でしょうね』
「金ね……」
 伊織は隠さずに、盛大なため息をついた。まったくこの世の中、金に狂っている。
 伊織は職業柄、その狂気に必要以上に晒されているのだろうが、そうやって何人もの人が殺されていくのを見ていると、ため息の一つもつきたくなるのだ。
「俺はしばらく動かないで要を見てるから、あとはよろしくな」
『……いつも悪いわね』
「ご褒美、考えておくから」
 伊織はそうくすりと笑って、電話を切った。
 雨は次第に強くなって、風もあるのか、窓を叩き始めた。伊織は少し悩んでから、和音のいる部屋へ向かった。部屋の戸は、開いている。柱に寄りかかって軽く壁を叩くと、楽譜を見ていた和音が顔を上げた。隣で点字の本を読んでいた要が、それに少しだけ反応する。
「邪魔してごめん」
「ううん。ちょっと根を詰めすぎた。要くんも休ませないと」
 和音はそう言うと、要の頭を柔らかく撫でて、何か飲もうか、と言いながら立ち上がるように促す。
「どうしたの?」
「ん……ちょっと話したい」
 伊織のその思い詰めたような口調に気づかないとでも言うように、和音はにっこりと笑った。
「リビング行く?ここで話す?」
「リビングに行こう。美味しいコーヒーが飲みたい」
「賛成」
 和音がそう言って要の腕を軽く握ると、ゆっくりと歩くように促した。要はすっかり、和音になれている。根本的なところで強く穏やかな和音は、安心できるのだろう。伊織と違って。
 でも―――
 リビングで三人、コーヒーを飲む。要には、甘いカフェ・オレ、伊織はブラックで、和音は気分でミルクを入れたり、入れなかったりするが、今日はほんの少し、垂らしている。
「雨、降り出したんだね」
 和音がそう顔を窓に向けると、要が顔を上げる。視線は相変わらず宙を浮いているが、他人の動きに過敏ではない反応を示すようになったのは、最近のことだ。どちらかと言うと、好奇心的な気持ちで、動いている。
「要……ごめんな」
 伊織が思わず呟くと、和音が窓に向けていた顔を伊織に向けた。
「話って?」
「部屋に、帰って欲しい」
「どうして?」
 和音は言われることが大体想像ついたのか、落ち着いている。最初の問題を、今になって蒸し返していると言うのに。
「理由も、知ることは出来ないの?」
 答えない伊織を、和音がじっと見つめる。
 言えないとわかっているのに、和音は聞くのだ。そんな自分を、ずるいと思いながら、和音は言わずにいられない。
「僕がここにいられない理由も、聞いてはいけないの」
 重なる問いかけに、伊織が顔を逸らす。今まで甘えていたのは自分で、最初に和音を部屋に入れてしまったのは自分だと、よく分かっている。
「ごめん。困らせるつもりはなかったんだ」
 和音が下を向いて呟くのを聞いて、伊織はやっと口を開いた。
「和音を、危険な目に合わせたくないんだ」
 少しだけ、後悔を滲ませた声に、和音は泣きそうになって、苦笑する。後悔は、してほしくないのだ。
 出会ったことを、後悔した、あのときのように。
「わかってるよ」
 和音の声は、優しい。何も知らないのに、何もかも知っているかのように、優しい。
「伊織と一緒にいようと思ったときから、それは知ってる。わかって、いるんだよ」
 それなのに、君を助けることはできないのだろうか。
 僕は、邪魔にしかならないのだろうか。
 ずっと燻っていた疑問を、和音は穏やかな口調で問い掛ける。
 大切な、ことだった。今の和音にとって、とても。
「そんなことはないよ。邪魔とかじゃないんだ」
「でも、現実はそうでしょう?僕は、何も出来ない」
 伊織の憔悴した顔を見ても、要の空ろな目を見ても。
「さっき、俺が要に謝ったの、聞いてたよな?」
 伊織が、要にゆっくり手を伸ばして、その頭を撫でる。要は一瞬身体を緊張させるが、知ったその温かい手の感触に、やがて、緊張を解いて大人しくされるままになる。
「……うん」
 突然の話の展開についていけなくて、和音が思案顔で頷いた。
「あれは、和音を取り上げるよ、ごめんって、言いたかったんだ」
「……?」
「要が今、一番安心して傍にいられるのは、和音だろう」
 和音がバイオリンを弾いていると、眠ってしまうこともあった。そんな風な無防備さは、最初の頃にはなかったものだ。
 要にとって、そういう存在以上に必要なものなど、ない。伊織や瞳香が必至になって要を守ることは、要の範疇外のことだ。そんなことより、切実に欲しいものが、あるはずだ。
「それでも、だめなんだ」
 和音はそう呟くだけで、伊織にとっては?とは聞けなかった。
「……わかった。明日、帰るよ」
 和音はそう、ため息をつきながら言った。










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