home モドル 01 02 03 04 *

遠景涙恋
夕月

05
 その後すぐ、キーファはリーフィウにも同じ説明をした。そして、シャラシュアとシンハークを紹介した。
「あなたが、リーフィウ様なのですね……。お顔を触らせて頂いても、よろしいでしょうか」
 シャラシュアは、とても美しい人だった。見えないというその目は、薄い栗色をしており、それが優しそうに細められると、キーファの姉だと言うのが良くわかった。似ているのだ。
 リーフィウが「はい」と答えると、細く白い手が伸びてきた。ゆっくりと、頬を手が包む。それから、その滑らかな指先が目や鼻、口を辿った。
「可愛らしいと言っては、失礼になるかしら。とても、芯の強い方……それがちょっと、気の強さに繋がるときがあるかしら」
 リーフィウが目を見開くと、キーファがくすりと笑った。
「勘弁してやってくれませんか、姉上」
「まあ、ごめんなさい」
 キーファから簡単に聞いた説明では、シャラシュアは決して明るい生活をしてきたわけではなかったはずだ。だが、目の前の女性はとても美しく笑う。
「シンハーク、ご挨拶をして?」
「いえ、わたくしから。ご挨拶が遅れ、失礼致しました。リーフィウと申します。この度は、おめでとうございます」
 リーフィウがそう片膝をついて頭を下げると、シンハークは困惑したように母親を見上げた。正式な挨拶をまだ習っていないのだ。
 キーファが手を伸べて、リーフィウに立つように促す。すっと立ち上がったリーフィウに、シャラシュアが優しく笑いかけた。
「これから、よろしくお願い致します」
 その言葉に、リーフィウは再び、深く頭を下げたのだった。


 夜風に吹かれながら街の灯りを見ていたリーフィウは、後ろから抱き締められて、口元を綻ばせた。首筋に、柔らかい唇が押し付けられる。
「驚いたか?」
「え?」
「昼間のことだ」
 ああ、とリーフィウが顔だけ後ろに向けた。だが、キーファはその首筋に顔を埋めたまま、上げようとしない。
「ええ。驚きました。色々と」
 姉がいると言われたときも、子供は出来ないと宣言したと聞いたときも。
「でも……」
 ふいにリーフィウが言葉を詰まらせて、キーファはようやく顔を上げた。何が言いたいのかわかる気がして、もう一度、首に口付けた。
「これで、いいと思わないか。俺が考え得る最善の方法だ。もし、子供が出来るとしても、それは本当に世継ぎのためだけに作ることになる。それなら、学習意欲も旺盛で、俺より余程愛想のいいシンハークが世継ぎになるほうがいいと思わないか。幸い、本人も興味があるようだし、良い意味での野心もある。あれは賢い子だ」
 囁くような声がリーフィウの耳に吹き込まれた。リーフィウは言葉を失って、無理やり振り返ると、キーファの首に抱きついた。そのまま、口付けを交わす。
 本当は、とても不安で堪らなかった。いつか、自分はキーファから離れなければならないと思うと、胸の奥をぎゅっと掴まれたような気持ちになる。そして、知らずに泣きそうになった。それを、ずっと誤魔化してきたのだ。
 問題は、まだあるだろう。シンハークが継承者として大臣たちだけではなく、カハラム国民にも認められるようになるまでは、まだまだ長い道のりがある。だが、それでも。
 キーファは、自分と歩む道を探し出してきてくれたのだ。手を、差し伸べてくれたのだ。
 口付けを繰り返しながら、二人は縺れ合って寝台に倒れこんだ。息が苦しくなるほどの深い口付けを交わしながら、キーファの手は間違えずに動く。そのキーファは、まだ着替えていない。リーフィウと少し話をして、また仕事に戻るはずだったのだろう。
「キーファ、様……?まだ、お仕事が……?」
「あなたはまた、そんなことを言う。昼間は少し、妬いてくれたかと思ったのに……」
 苦笑しながら、キーファは乱暴に服を脱いだ。リーフィウはぼんやりと、その様子を眺めている。
「妬いた……?」
「どうやら俺の勘違いだったようだが?」
 くすりと笑われて、リーフィウはぼうっとした頭で、昼間、と考えた。途端、思い出した。
 確かに、「あれだけ節操なく女を抱いていたのに」とキーファが言ったときに、思わずぎゅっと唇を噛んだ。馬鹿なことだと思ったが、あれは嫉妬だった。
 思い出したら、その気分が蘇ってきて、リーフィウは急に表情を硬くした。それから、くるりとキーファに背を向けた。
「リーフィウ?」
 キーファが、手を顔の両脇に置いてリーフィウを覗き込む。リーフィウはぽすりと柔らかく目の前に置かれた手を睨んで、思わず噛み付いた。
「こらっ。リーフィウ!」
 驚きと焦りが混じった、キーファの声がする。それほど強く噛んだつもりはないが、目の前の手首には薄っすらと自分の歯形がついていて、リーフィウはそれをぺろりと舐めた。
 キーファは、長く息を吐いてから、苦笑を零した。少しずつ、リーフィウがリーフィウらしくなってきている。怒ったり、甘えてみたり、こんな風に悪戯をしてきたり。いつでも「何も求めない」リーフィウに苛立っていたキーファにしてみれば、それは嬉しいことだった。
「こんなことをしておいて、まだ仕事に行けと言うのか?」
 笑いながら、背中に口付ける。すっと背骨をその唇で辿ると、リーフィウの口から吐息が洩れた。同時に、肩から腕をなぞり、手を絡ませる。お返しにと腰に歯を立てたら、思わぬところで驚いたのか、ぴくりと身体が跳ねた。それに気を良くして、キーファは色々なところで歯を立てた。足の付け根を柔らかく噛んだときは、リーフィウの声が漏れた。
 ここまできては、さすがのリーフィウも快楽を追うことに集中する。実際は、仕事のことを言ったのは癖のようなものだ。
 香油の匂いが漂ってきて、リーフィウは目を開けた。そうして後ろを探るまでの間に、キーファはじっくりと時間をかける。時にはそれは拷問かと思うほどで、リーフィウはその腕を掴んで、必死に訴える。どうしても、言葉にできない。だが、キーファはきちんとわかってくれる。
 そんなだから、後ろを解されている間に、リーフィウは朦朧としてくることが多い。そうしてようやくキーファが入ってくるときに、意識はゆるりと立ち上がる。だが、それはしばらくするとまた揺さぶられて、リーフィウは身体も意識も快楽に委ねることになる。
 その中で見えるキーファは、とても綺麗だ。しなやかな肉体が、しなやかに動く。リーフィウはだから、後ろから貫かれるのはあまり好きではなかった。
 キーファの腰の動きが速くなる。わざと抉るようにされて、リーフィウは悲鳴を上げた。翻弄され、自分で自分の身体の制御が出来なくなる。
 リーフィウはひゅっと息を飲むと、全身を細かく震わせた。キーファが、中で果てるのがわかる。意識は朦朧としていても、その瞬間は逃がしたくないといつも思う。
 たとえこの行為が、何の命も、産まないとしても。


 はあはあと荒い息を吐きながら、リーフィウは一筋、涙を流した。キーファが顔に張り付いた髪を撫で上げながら、どうしたのかと目で問い掛ける。リーフィウは微笑んで、涙の跡を拭った。
「お世継ぎが生まれないことが悲しい……でも」
 リーフィウはキーファから顔を背けて、目の前の白い布をすうっと撫でた。
「でも、それでキーファ様が他の方を抱かないのは、嬉しい」
 小さな、声だった。キーファはふっと笑って、振り向くようにと肩に口付けた。
「確かに、喜ぶべきことではないだろう。だが、俺はこれは天からの贈り物だと思っている」
「贈り物……?」
 リーフィウが、濡れた目でキーファを見上げた。キーファは目を細めて頷いた。
「ずっと、俺は何も信じてこなかった。家族とか、俺が傍にいたいと願う人間は、いつも俺から離されていった。だから、いつまでも、俺は一人なんだと思っていた」
 リーフィウが、そっとキーファの顔を撫でた。その指が顎で止まって、それからそっと、頬を包み込んだ。
「わかってる。一人だったわけじゃない。それに、俺が気付いていなかっただけだ。だが、ずっと、そう思っていた」
 思わされていた、とも言えるだろう。リーフィウは何度も、キーファの頬を撫でた。
「子供が出来ないと気付いたのは、ずいぶん前なんだ。特に女遊びを覚え始めたときは、少しも子供のことは考えていなかったからな。第一俺自身が子供だった。タシュラルは俺の子供が出来れば、さっさとそっちを王にしようと思っていただろうし、女の中にはタシュラルからそう言う命を受けた者もいたと思う。だが、出来なかった。それが、今回は俺の願いを叶える助けとなった」
 引き寄せられて、キーファはゆっくり顔を下げた。唇を重ねたあと軽く舌を噛まれて、キーファが笑う。
「何が気に入らない?」
「……おいくつのときですか」
 リーフィウは、恨めしそうな顔をしてキーファを見た。キーファは軽く首を傾げている。
「女遊び、始めたのは、おいくつのときなのです?」
 少しむすっとした顔をして、リーフィウが言う。その様子に、くくっと、キーファが笑った。懸命に笑いを堪えているようだったが、肩が小刻みに震えている。そのうち、リーフィウも堪えられなくなったように、破顔した。
「いいです。聞かないでおきます」
 再び、唇が重なった。それでも、しばらく、二人の口からはくすくすとした笑いが零れていた。



home モドル 01 02 03 04 *