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遠景涙恋
第五章 残光


04
 シェンの村の師団兵たちは、じりじりと押されていた。今回は、最初から海での戦いが決戦のはずで、それに大敗を喫したカハラム師団は、戦う気力がまず残っていなかった。だが、後方に逃げることもまた、許されなかった。この先のルクの首都だった街には、国王軍がいる。なんとしてもここで食い止めなければ、師団の面目が丸つぶれなのだ。
 だが、そのことに囚われているのは総師団長以下、各師団の長や副師団長たち貴族階級の人間であって、下級の兵たちはヤーミンの絶え間ない攻撃と、勝ち目の見えない状況に疲れ果てていた。一層のこと、道を明渡してしまえば、後は国王軍がどうにかしてくれるかもしれない、とため息がもれ聞こえるほどだった。
 忍耐を強いられている点では、ルクの民たちも同じだった。まだ戦闘の声が聞こえてこない中、宮殿に閉じ込めれているのだ。その上体力も力もある男達は、宮殿周りの防護壁作りに借り出されていた。未だ敵だと認識されているカハラム軍に指示されている時点で、不満は大いに出ていた。自分たちも宮殿内にいるのだから、協力の一つだと言えばそうなのだが、宮殿周りの景色を変えられてしまうことと、現場の監督はカハラム軍の兵であることから、我慢ならない、と壁作りにいくたびに男達は荒れて帰ってくるのだった。
 それら全ての不満を聞きながら緩和していくのは、リーフィウの役目だった。自分も一平民のつもりだからと手伝おうとまでして、慌てて引き止められていた位で、そうされれば男たちも意地を張りつづけられなかった。
「壁は、必要がなくなったときに壊せばいいのです。その壁でここにいる皆を守れるというのなら、喜んでお手伝いします」
 そう言ったリーフィウに、男たちは自分たちが頑張るから、と約束したのだ。
 カハラムとルクの繋ぎをしているのもリーフィウであり、第二部隊長のシャリスは、心底助かっていた。
「リーフィウ様のおかげで随分落ち着いた雰囲気になりました。このままでは兵たちにまで影響が出るかもしれないと心配していたんですよ」
 そう微笑むシャリスに、リーフィウは僅かに微笑んで、首を振った。
「私は何もしていませんし、何も出来ない……」
「そんなことはないでしょう?気持ちというものは伝染します。不満や恐怖、怒りなどの負の感情は、特に増幅されやすい。ですが、そう言ったものは戦いの場ではとても不利なのです。兵たちの士気の問題にも関わります」
 シャリスはそう言ったが、リーフィウは「そうですね」と微笑んだだけだった。
 戦闘の足音がはっきりと聞こえてきたのは、リーフィウが宮殿に入って五日が経った頃だった。師団にしては保ったほうだというのが国王軍のなかの評価だ。それとほぼ同時に、南北の部隊から戦闘が始まった合図があった。
 その日、ルクの民たちは、宮殿内に完全に閉じ込められた。締め切った室内に、緊張感だけが漂い、だが遠い外の音では何が起こっているのか少しもわからなかった。
 すっと隣に誰かが来て、リーフィウは顔を上げた。腕には怖いと泣いている子供を抱いていて、落ち着かせていたところだった。
 ざわりと周りの空気が揺れた。それをちらりと見て、ザッハはリーフィウの傍に腰掛けた。
「ザッハはここに?」
「ええ。身代わりが近くにいなかったら意味がないでしょう?わざわざ捕まるつもりもありませんし。それに、護衛にもなる」
「護衛……」
「頼りないかもしれませんが」
 それに、リーフィウはふるふると首を横に振った。それから、そっと子供を近くの大人に預けて、声を潜めた。
「今、どの辺りに?」
「南北での戦闘はこちらより早かったようで、かなり激しい戦いになっているようです。とにかく、ヤーミンにしてみればここまで辿り着かないと意味がないですから」
「では、ヤーミンにしてみれば不意打ちだったのでしょうか」
「そうでもないと思いますよ。攻撃開始のタイミングはばっちりだったし」
 リーフィウが親しそうに話していることで、ザッハはとりあえずルクの民たちにこの場にいることを許されたようだった。鋭い視線はいくつも感じるが、先刻一瞬襲い掛かってきたような殺気じみた視線は、なりを潜めていた。
「正面からは、何とか師団がまだ相手をしています。ただ、それももうすぐ破られそうだとの話です。たぶん、二、三日中には」
 だからこそ、ザッハはここにやってきたのだ。
「二、三日……」
「壁がある程度出来ていて良かったですよ。このままでは、籠城戦になりかねない」
「長期戦になると?」
「それはまだわかりません。ただ、その可能性が高いというだけです」
「それで食料も一緒に持ってくるように言ったんですね」
 避難勧告の際、ルクの民たちは出来うる限りの食料を一緒に持ってくるように、と言われていた。それは他の土地のものたちも一緒で、食糧確保は必ずして置くように、と命が出ていた。
 それは一つに、ヤーミンに対する兵糧作戦でもあった。船で三週間はかかる距離で、多くの兵を食べさせるには、現地で調達するのが最も早い。その食料調達の道を断てば、ルクを味方につけたカハラムの方が有利になる。それを考慮して、第三部隊はリーア港閉鎖に向かったのだった。
 それが功を奏したとわかったのは、ヤーミンが上陸してから一ヶ月が経った頃だった。もともとヤーミンは上陸後の戦闘は、長期戦を考えてはいなかった。そのため、一ヶ月が経つ頃にはあらかた食料を食べ尽くしたヤーミン軍は戦闘能力が落ち、病人も続出した。このまま行けば、ヤーミンは程なく撤退するだろうと思われた。
 ただ一つ、その一ヶ月が終わろうという頃に起きた、事件さえなければ。
 その事件が起こったのは、三日ほど前のことだった。ルクの代表として、戦闘の状況をカハラム軍に聞くのは、リーフィウの役割だった。その頃には最後の戦いとばかりに戦闘が激しくなっており、シャリス達もルクの民の元に来ることはほとんどなくなっていた。
 首都ルクの民たちは、表の城壁から離れた、北側の部屋に集められていた。そこはもともと倉庫のようなところで、窓は東側の高い場所に小さいものがあるだけだった。つまり、激しい戦闘の音は聞こえるが見えないという、悪戯に恐怖を煽るような場所でもあった。もちろん、そこがそれなりに人数が収容でき、城壁から遠い分、少しは安全だという理由で選ばれたのだろう、というのはリーフィウにはわかっていた。
 だからこそ、リーフィウは戦闘の状況をなるべく知るようにし、それを民たちに伝えていた。どんな状況であろうと、何もわからないより、ずっといい。
 その日も、そんな戦況を知ろうと国王軍の司令部に向かった。部屋の外に出るときは必ずザッハも一緒で、彼もまた、戦況を気にしていた一人だった。そのザッハと、ルクの民からも二人、護衛が付く。その意味では、リーフィウも護衛の一人として行動していた。あくまでも、ザッハが身代わりだからだ。
 窓の並ぶ廊下を足早に通り過ぎながら、つい最近見た、キーファの戦い振りがリーフィウの頭の中には蘇っていた。わっと沸くような歓声が上がって、ルクの民たちがひどく落ち着かなくなったときがあった。リーフィウはザッハと共に部屋の外に出て、南の宮殿の表玄関とも言える城壁が見える場所に行った。
「キーファ王だ」
 ザッハが掠れた声で呟いて、リーフィウも遠い城壁を見つめた。ザッハは持ってきた双眼鏡を手にして、それを覗き込んだ。だが、遠くからでもキーファは区別がついた。黒い布が、ひらひらと舞っている。
 いまはまだ珍しい双眼鏡を、ザッハはリーフィウに渡してくれた。覗くと急に近くに戦場が見えて、リーフィウは一度、驚いて目からそれを離した。
「初めてですか?」
「はい。話には聞いていましたが、本当に近くにいるみたいで……」
 国王軍はキーファがこう言った新しい技術にすぐに興味を示すから、色々持っているのだ、とザッハは言った。
 もう一度、リーフィウは双眼鏡を目に当てた。ガラスを同一の厚さに、その上透明に作る技術はまだかなり高度で、その双眼鏡も少し歪んでいた。だが、リーフィウはそれも気にならないほど、目の前で繰り広げられる光景に吸い寄せられていた。
 舞っている、というのが一番似合うほど、キーファの戦う姿は優雅だった。
 無駄な動きがなく、少し先に曲がったあまり長くない刀を両手に持って、ひらひらと踊っているようだった。
 彼が使うのは、両手の刀だけではない。しなやかな足もまた、宙に舞っている。敵はまるで、いっしょに踊っているようだった。
「誘われるんです」
 ザッハが言った。
「誘われる?」
 リーフィウが呟き返すと、ザッハが視界の片隅で頷いた。
「敵は、空いた隙を狙っているつもりで、誘われているんです。だから、キーファ王はそれを交わして、相手の、本当の隙をつけばいい。その上、また甲冑を着けていませんね」
 言われて、キーファがかなりの軽装で戦っていことに今更ながら気付いた。
「邪魔だからというんです。確かに、甲冑などないほうが素早く動ける。でも、ぎりぎりで剣を交わす王は、おかげで傷が絶えない」
 ひらひらと舞っている布は、切られたものでもあるのだ。
 その戦う姿を美しいと評した、ザッハの言葉の意味が、少しながらリーフィウはわかった気がした。
 ――凄惨なはずなのに、神々しいまでに美しい。
「何か」
 鋭い声と共にさっと当たりに緊張が走って、リーフィウははっと物思いから現実に返った。足は動いていたが、気持ちはまったく過去に飛んでいた。
「リーフィウ様にございますか」
 目の前に、三人のカハラム軍の衣装を着た兵が立っていた。師団の兵だ。
「何か御用でしょうか」
「イーシュ総督が緊急でお話したいことがあると」
 嫌な感じだった。だが、カハラム軍は国王軍よりずっとルクの民に冷たく、蔑みに近い視線を送ってくるために、また同じ感覚だろうとリーフィウは思った。数ではこちらの方が上だ。だが、実際に戦えるのは同じ人数で、リーフィウが足を引っ張る分、こちらの方が分が悪いかもしれなかった。それに、ルクの二人は護衛であるが今は兵ではない。カハラム国王軍の護衛はいらないと、もとルクの兵たちが突っぱねた結果だった。
「話があるのならば、キーファ王を通して頂きたい」
「カハラム王は前線にいらっしゃいます。緊急だと、申し上げました」
「だが……」
 ザッハが何か言おうとしたところで、目の前の師団兵が「何も、お一人でとは言いません」と遮った。
「そちらの護衛の方もいっしょで構いません」
 それに、「いや」とすぐに答えたのはザッハだった。ルクの護衛の一人がすっと動いて、私が一緒に、とザッハの後ろで囁いた。
 ザッハの身が、一瞬たじろいだように見えた。だが、それはほんの一瞬のことで、ザッハは「わかった」と静かな声で頷いた。
 リーフィウが一緒に行くわけにはいかない。それでは、何のための身代わりかわからなくなってしまう。この師団兵たちは知らないのかわからないか、ザッハが国王軍の第一部隊長だとは気づいていない。だが、イーシュならば、さすがにザッハの顔はわかるだろう。
 そのときは、どうするのか。
 リーフィウはそう思ったが、もちろん口には出さなかった。ただ遠ざかるザッハとルクの護衛の後姿を、見つめるしかなかった。


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