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モドル 13-04 01 02 03 * 05
遠景涙恋
第十四章 薄明
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「……よって、ルク議会は第二王位継承権を持つシャリーア姫を新王と認証したことを、ここに宣言いたします。同時に、カハラム王におきましては、シャリーア女王より、戴冠の挨拶を申し上げます」
重々しい口調で書簡を読み上げながら、膝を付いて手を組み、使者は頭を垂れた。ルク式の最上の挨拶だ。
ルクの使者が面会を求めている、とキーファが聞いたのは、その日の朝のことだった。シャリスがまだいるルクから、その部隊長を通さずに使者が来ることはない。何かあったのだ、とすぐに思い至ったキーファは、朝の執務を放り出して、その使者の面会を認めた。
それが、新王の戴冠だとは。
議会の承認が得られないリーフィウは王の座を追われ、シャリーアがその座に取って代わった。使者が読み上げた書簡では、細かいことは一切わからない。一体リーフィウはどうなったのか――キーファが最も知りたいことには、触れられていない。
キーファは頭を下げたままの使者を、睨むように見つめていた。一体、シャリーアは何をしたのだ。
あの日、怒った顔で現れたシャリーアは、キーファに頼みごとをした。と言うより、ほぼ命令に近い口調で、迫ったのだ。
――ルクまでの船をお出しくださいますよう、お願い申し上げます。
シャリーアに、人質として留まるよう頭を下げたキーファに、である。ラシッドも後ろで、驚いた顔をしていた。
――シャリーア殿。それは……。
――人質の件は、了承いたします。どんな形であれ、ルクの人質をカハラムが所有するのは、残念なことですが、今後のためにも必要なことでしょう。
だが、その前に、ルクに一度行かせて欲しい。シャリーアはそう、キーファに懇願した。いや、ほとんど、脅していた。叶わぬのなら、この命を捨ててもいい、と。
そのシャリーアの、新王戴冠――これでは、二国間の関係は、悪くなる。ルクはカハラムの意向を無視したことになるのだ。その上、シャリーアはキーファを騙したことになる。
キーファはぎりっと唇を噛んだ。シャリーアを、そしてラシッドを信用して、キーファは内密に彼らがルクに渡る手助けをした。そのことを知る者は少ない。だが、今や捕虜として連れてきたルク王家の姫と王子はいないのだ。シャリーアの身柄をラシッドに任せたときでさえ、反対の声が上がり、ラシッドのキーファ王への生涯の忠誠を文書で出さなければならなかった。表面上、ラシッドはシャリーアの監視役になっている。
その二人が裏切ったことになれば、キーファの立場がない。
「つきましては、カハラム、ルク、両国の良好な国交を願いまして、シャリーア女王から贈り物がございます」
一体どうなっているのか、とファノークを始め、大臣達も顔を見合わせている中、使者が合図をして、様々な品物が運ばれてきた。煌びやかな装飾品から、珍しい果物や動物、さらにはコクスタッドの布までが並べられる。それは、ラシッドもこの戴冠を支持しているのだと、密かに知らせていた。
「……最後に、女王から、カハラム王へのお約束の品をお贈りいたします」
その言葉に、キーファは眉根を寄せた。思い当たるものが、なかった。
使者の合図で、扉が開く。そこに現れたものに、謁見の広間がざわついた。キーファも、思わず立ち上がる。
「我々、ルクが差し上げることの出来る最上のものにて、どうぞ、カハラム王においては、新たな条約に於いてご憂慮願いますよう……」
なぜ、とキーファは目の前の人物を信じられない思いで見つめた。
もう、二度と会えないだろうと、思っていた。
真っ白な、ルクの正装に身を包んだリーフィウは、深々と頭を垂れた。伏せられた顔からは、どんな表情も伺えなかった。
「新たな、条約だと……?ルクは一体……」
大臣たちから、疑問と困惑の声が上がる。その中、リーフィウはぴくりとも動かずに礼をしていた。
まるで、あの最初の夜、リヤムシャレンを踊ったときのように。
「一体、どういうことだ?ルクは我々に逆らうと言うのか。それならば、独立の話はなかったことに……」
勢い込んで使者に掴みかかろうとした大臣の一人が、すっと上げられたリーフィウの顔に動きを止めた。
とても、静かな瞳だった。
「ここに」
すっと差し出された書簡を、キーファに促された侍従が受け取る。それを読んだキーファは、どさりと座りなおした。
「キーファ王?何が……」
ひらりと、侍従の前に紙が垂らされる。恐る恐る受け取った侍従は、それを緊張に声を震わせながら読み上げた。
「我が兄、リーフィウの身を、貴国にお預かり頂きたい。これにて、わが国が、貴国に不利となる行いはなさないものと、ご承知頂けるものと願う。ついては、新たな条約を締結されたし。
一つ、カハラム軍に於いては、その尽力に感謝を示す。その優秀なる能力により、ルク軍の進歩は目覚しいものがある。ついては、カハラム軍駐屯の任期を、二年とされたし。それ以上の借用は、心苦しいものにて。
一つ、先の戦にて失われた港の機能の多くを早期に復興させるため、貴国の支援を願いたい。ついては、貴国の酒類、香料類の輸入税額を、現状の二割、引き下げていただけるよう、お願い申し上げる。
貴国の了承を得次第、これらを条約として、正式に締結されたし。我らの偉大なる友好国、カハラム国、並びにその偉大なる王の、ご理解とご協力を……心から、願う」
広い空間に、震えた侍従の声がこだました。キーファは、深いため息を吐き――そして、笑い出した。
この書簡で、シャリーアは、リーフィウを人質として差し出すと言ってきたのだ。その上、先だっての条約で、カハラム軍駐屯は、復興支援の元だと記したことを逆手にとリ、長くの手助けは不要だと遠慮した。そして、カハラムがルクに対して、輸入関税を下げたものを、上げろと言うのではなく、同じように下げるよう、願い出た。これなら、先の条約を反故にしたことにはならない。その上、先の戦の被害の復興だと言う辺り、カハラムの弱い点を見事についたと言える。
偽善者ぶった条約を、見事逆手に取られた。これは、受け入れるしかないのではないか。キーファがその思いで広間を見渡すと、大臣達も、反論をできないようだった。
そして、第一王位継承権を持つはずのリーフィウが人質ならば、確かにルクはカハラムに、滅多なことは出来ない。カハラム側にとっても、満足のいく人選だ。
だが、とキーファは再び頭を垂れているリーフィウを見た。
これでは、リーフィウの立場は、変わらない。また、鳥篭の中――。
「シャリーアに、言われたのです。私は、王には向いていない、と」
人払いをして、キーファはリーフィウを傍らに呼んだ。自分自身も玉座を降りて、二人で窓の外を眺める。だが、戸惑いと迷いが、二人をそれ以上近寄らせなかった。
そしてしばらくの沈黙の後、リーフィウが、静かに今回の経緯を話し出した。
「それならば、自分が王になる、と」
ルク王家は、男系ではない。歴史を紐解いてみても、女王と王の割合は半々だ。王位継承権は、性別に関係なく、年齢順で生じるのだ。
「二代前、つまり私たちの祖母は女王として君臨していたのですが、シャリーアはその祖母をとても尊敬していました。思い起こせば、確かに、シャリーアは祖母の話を聞くのが大好きな子供で……政治の話には関心がないように見えたのですが、それも争い事が起きないようにという配慮だったようです」
特に、リーフィウが国政にあまり興味を示さなかったことを考えれば、シャリーアの関心は、野心とも取られかねない。
「シャリーアが女王となり、ラシッド様に婿に入っていただければ、ルクは離れているとは言え、西の大国、コクスタッドとも縁を持つこととなる。ラシッド様がかの国で、遠いと言えども王家の血縁だと言うことは、キーファ王はご存知でしたか」
それに、キーファは頷いた。シャリーアの身柄を預け、キーファに忠誠を誓ったとき、ラシッドに打ち明けられていたのだ。低いながらも、コクスタッド王位継承権を持つのだ、と。
「ルクを丁重に扱っていただければ、カハラムもまた、コクスタッドと良い縁を持つことが出来る……。ラシッド様は、キーファ王への忠誠は、変わらないとおしゃっていましたから」
確かに、ラシッドがその出自を明らかにすれば、カハラムは迂闊に手を出せなくなる。中心部は遠いと言えども、コクスタッドは重要な隣国だった。
「おそらく、近日中に、コクスタッドからの使者がカハラムとルクを訪れることになると思います」
「新女王の戴冠祝い、か」
キーファの呟きに、リーフィウは頷いた。そして、ルクに行くにはカハラムを通らないわけには行かない。その折に、必ず挨拶がある。その時、ラシッドのことが出されるのは必至だった。
あの姫君は、いつからそんなことを考えていたのだろう。少なくとも、コクスタッドへ旅立つ前は、こんな結末を考えていたとは思えない。もちろん、ラシッドの入れ知恵もあったに違いなかった。そう考えれば、船を出して欲しいと懇願してきたあのとき、あの時点でこの結末を思い描いていたのだろうと思う。つまり。
「見事に、あの二人にやられたのか……」
キーファは、小さく吐息を吐いた。
「ルク議会も、それを認めたのだな」
「はい……表向き、シャリーアが反勢力として、王の座を狙い、奪った、と言うことになっています。あの子にも、辛い思いをさせる」
真実を知るのは、ごく一部の人間だけだ。そしてたぶん、歴史の上でも、真実は記されぬままになるだろう。シャリーアは兄を他国に渡した、豪傑で無慈悲な女王と言われるだろう。そしてリーフィウは、結局議会に承認を得られず、その座を妹に追われた、愚王として名を残すだろう。
自分は、どんな名を冠せられようが構わない。だが、シャリーアは不憫だと思う。それさえも、あの自分より余程王の器がある妹は、仕方がないと笑い飛ばした。豪傑という形容なら、喜んで受けると。
開け放った窓から風が入って、ひらりとリーフィウの衣装を揺らした。それを視界に捉えたキーファは、無意識に頭を動かし――リーフィウと目が合った。
静かで、だが、澄んだ目だ。
「辛い思いは、あなたも同じだろう。あなたは……あなたは、これで、いいのか」
また、戻ってしまう。また、鳥篭の中に。その羽ばたけるはずの羽を、仕舞いこんで。
ああやはり、とリーフィウは胸を詰まらせた。カハラムにいた頃、何も出来ずに、生きる意味を見失ったリーフィウをわかっていたのだ。だからこそ、キーファはリーフィウをルクへと帰した。その結果が辛い思いだったとしても、あのままではいられなかったリーフィウを助けようとしたのだ。
――王としても、人としても、立派な方だわ。
二人の決断に、散々に文句を言っていたシャリーアだったが、最後に、ぼそりとそう言った。だから、安心して、兄さまを預けられるわ、と。
急に風が出てきたのか、キーファの不揃いの髪を、ばさばさと揺らす。相変わらずなのだと、それを見たリーフィウは嬉しくなった。
変わらぬものが、ある。そして、変わるものが、ある。だが、変えなければ、何も変わらない。
――兄さまには悪いけれど、わたくしは女王と言う座に一度坐ってみたかったの。国を動かしてみたかった。たった一度の我侭が許されるとしたら、その願いを叶えて貰うつもりだった。ねえ、兄さまも一度くらい、我がままを言ったらいいのよ。願いを、叶えたらいいのよ。
シャリーアの、明るい声がした。
そう言えば、願いなんてものは、随分前に、忘れてしまっていた。
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