ゲーム
04
「何を企んでる?」
キースが部屋に入ると、クリスがそう言って、読みかけの本から顔を上げた。部屋の鍵は、掛かっていなかったのだ。それなのに、キースはわざと鍵を出し、時間を稼いだ。クリスには、それがわかっている。
「別に」
「お節介」
クリスがそう言うと、キースが肩を軽く挙げた。
「次の任務、誰だったんだよ」
「あれ、知ってるのかと思った」
キースが無造作に着替えはじめるのを、クリスは無意識に視線を逸らす。そういうことに、なんだってキースは気づかないのだろう。
「知らないよ。まぁ、察しはつくけど」
「そのとおりだよ」
言ってもいないのに、キースはそう言って笑った。
「お前、何を知ってるんだ?」
クリスがそう言うと、キースは笑ったまま答えない。キース自身も、半ば推測で、あまりわかっていないのだ。
サキの長袖。
ヨシュアの親派の噂。
ヨシュアによって統率されたその噂は、つい最近までキースの耳にも入ってこなかった。親派だけが知っていて、さらにそれは口に出すことも許されていなかったのだ。
そこから、普通に考えれば、ヨシュアとサキの関係は上手く言ったのかもしれない、と思える。でも、それにしては二人はあまりに緊張感があった。
そして、サキの倦怠感と、ときどき虚ろになる目。それを、ヨシュアが持て余すのがわかるほど、深く、濃い闇の世界。
同じような目を、ヨシュアがするようになったのはいつからだっただろう。
春先か、もっと後か。
キースはヨシュアのそんな目を知らなかった。だから少し、恐ろしかった。
二人は何か、とんでもない闇に引きずられている。
そんな気がして、仕方がなかった。
先刻の、サキの眼を思い出す。笑っていたのに、空虚で、何も見ていないような、眼。その眼に見られて、一瞬恐怖感が襲ったのは、錯覚ではない。
「なぁ、サキを、ちょっと見てて」
「は?」
「なんか、危ない気がする」
キースの説明になっていないその言葉に、クリスはため息をつきながら、頷いた。
――仕留めろよ、必ず。
そう言ったキースの声が、サキの頭の中で反響している。それに、何度も答える。大丈夫。必ずヨシュアを暗殺するから。
ヨシュアを仕留めるのは、サキには容易な気がした。
同じ部屋で、学校にいるときもいつも一緒だ。相手にさえ気付かれなければ、すぐにでも仕留めることはできるだろう、と思う。
サキはヨシュアの長い指を思い出す。
とても柔らかく、滑らかに動くその指が、どれだけ自分を泣かせるかを、サキはよく知っている。それが、とても美しいものに見えて、サキは思い浮かんだその手を、頭を振って思考から追い出した。
なぜ、自分は徹底的に抵抗しなかったのだろうか。
そう言うことを考えることも、今はあまりない。ただ流されるように、サキは毎日を過ごしている。汚い言葉でヨシュアに罵られても、サキはもう、何も言わない。
それが、本当なのだろうと思ったりする。
淫乱と言われれば、それが、自分なのだろうと。
犯されているときのことを考えると、何故か胸が痛む。とても淋しくて、哀しくなる。
そう、憤怒や悔しさや屈辱感があるわけではない。
そこには、哀しさがある。
「おかえり」
部屋に入ると、ヨシュアはもう帰ってきていた。机に座って、電気もつけずに本を読んでいる。夕暮れの光だけでは、目に悪いだろう。
「電気ぐらいつけたら」
サキがそう言うと、ヨシュアが小さく笑った。本を読んでいたわけではないのだ。文字を追いかけるうちに、思考は流れ、違うことを考えていたのだ。
サキがいない。
そのことを、ずっと思っていた。
凶暴なほど、その細い身体を痛めつけたくなるのはなぜだろうと、ヨシュアは思う。
泣かせたいわけではない。
本当は、求められたいのだ。――抱きつかれたいのだ。
薄闇の中に立つ頼りない輪郭のサキは、でも、決して手を伸ばしてくれることはない。
ふいっと視線を逸らして、自分のベッドに鞄を放り投げて、そのままシャワールームへと消えた。
その律されたように美しい後姿に、欲望は、留まることを知らない。
どうして、美しいと、ただそれだけを伝えることが出来ないのか。ヨシュアはゆっくりと立ち上がった。
誰かがいる気配に、サキはシャワーの湯を浴びながら、ふと手を止めた。
ヨシュアがいる。
ガラス越し、水の跳ねたドアの向こうに、滲んだ影がある。
こちらを見ているかなど、分かるわけがないのに、見つめられているとサキは確信した。水の跳ねる音だけが、いやにはっきりと響いている。
サキはもう、諦めていた。もう既に、犯され始めたのだと、知っているのだ。
最初から、サキは諦めていたのだ。こんな風に。
がらりと躊躇いなくドアが開いて、白いシャツのヨシュアが入ってくる。その服が濡れることなど気にせずに、噛み付くようにサキに口付けた。
シャワーの水は容赦なく二人に注がれる。それでも、ヨシュアはやめようとしない。狭いシャワールームに、行き場がなくなったように、二人は重なり合う。
ヨシュアがボディーソープを手に垂らし、指を無理やり二本、サキの後ろにあてがった。壁に手をつく形で、後ろからヨシュアに抱きつかれているサキは、その感触に背筋を震わせる。慣れすぎた身体を教えるように、ヨシュアは容赦なく指を動かした。
素肌ではなく、濡れた布の感触が艶かしい。こんな風に抱かれても、快楽がないわけではない。ヨシュアは容赦なく責めたてるが、優しい。
―――優しい?
自分の中で蠢く二本の指に翻弄されながら、サキはそう思って愕然とした。
「ヨ……シュア」
シャワーの水に促されるように、サキは泣いていた。声を押し殺しているから、後ろから抱きついているヨシュアは、気づかない。
だから、だから自分は拒めなかったのだろうか。
「んっ……」
「もう立ってられない?」
掻き回すように動く二本の指は、分かっていて的確にポイントをつく。余っている片手は、サキ自身をきつく握って、動かされない。首筋は絶えず舐められ、吸い上げられ、サキは自分が何に泣いているのか分からなくなっていった。
「どこに行っていた?」
「う……はぁっ、あっ」
膝ががくがくと震えているのがわかる。耐え切れなくなって、壁に手を滑らせて、サキはずるずると崩れた。そのサキに覆い被さるように、ヨシュアも膝をつく。
「駄目だよ、まだ」
ヨシュアの低く笑う声がシャワールームに響く。そして、水の流れる音。目を閉じると、ヨシュアの指の形に感覚が集中しそうで、サキはその目を閉じては開けていた。
「欲しい?」
耳たぶを噛まれながら囁かれて、サキは何度も頷くが、そうしても望むものはすぐには手に入らないと知っている。いや、かえって遠のくことは分かっているのだ。それでも、苦しくなったら息を吸わないわけにはいかない。
「どこにいた?」
自分のその声色に、どうやっても嫉妬が滲むことをヨシュアは認めないわけにはいかない。独占欲を出せるほど、サキは自分のものなどではないというのに。
―――この瞬間だけ、繋がっていると信じている。
サキが無意識で自分を求めているとわかっているのに、ヨシュアはそれを手放せなかった。
サキの手が壁からずるりと落ちて、我慢が出来ないのか、ヨシュアが握る股間の中心に手を伸ばす。でも、ヨシュアはそれを許さない。ゆっくりと後ろから指を抜き、前を撫でるようにして離すと、その手首を掴んで、再び壁に押し付ける。その同時の刺激に、サキが悲鳴をあげたのに、薄く笑った。
「いや、だ」
「何が?」
ヨシュアは片手でサキの両手を押さえ、もう片方の手でサキの腰を抱え挙げて、自分に密着させる。ズボンの前は開けられていたが、それだけで、薄い布越しにはちきれそうになっているヨシュアを感じて、サキは思わず腰を揺すった。
「何も言わないから悪いんだ。どこにいた?」
サキは首を振る。こんな状況でなかったら、関係ないという冷たい一言で済まされるところだ。その言葉を聞かずに済むから、ヨシュアはこんなときにしか質問できないのだろうと思う。
「はや、く……」
「サキ、どこにいた?」
ゆっくりと腰を動かすと、自分自身も危なくなりながら、ヨシュアはそれでも気を逸らしながら、低く囁く。
「サキ」
「キースに、用がっ……あっ、あって……」
温かなシャワーに、身体がいつもより火照って赤い。それが自分の下で艶かしくうねる様子に、ヨシュアは唇を噛んだ。
ときどき、わからなくなる。
サキの苦しげな様子を、自分が楽しんでいるのではないかと。
求め合いたいと思っているのに、こうして虐めることを、喜んでもいる。
「キース?」
「はやくっ」
「そんなに揺らすなよ。それじゃぁ……どうせ満足できないだろ?」
ヨシュアはそう言いながら、ようやく自分のものを取り出す。それをそっとあてがうと、サキが泣いた。見なくても分かる。先をあてがうだけで、それを飲み込もうとするのが。
「狭いな……立ちなよ」
ヨシュアはそう言って、無理やりサキを立たせる。それから、ゆっくりとサキの腰を落とした。サキの長く細い悲鳴があがる。
抱くたびに思う。
なぜ、サキなのだろう。
サキは、この瞬間、きっと誰でもいいに違いない。自分の欲求を満たしてくれる相手ならば、きっとヨシュアじゃなくても。
何度も激しく突き上げると、背筋が震えた。力の入らないサキは、自分の力では立てなくて、余計に深くヨシュアを受け入れている。顔を見たくなったヨシュアは、繋がったまま力任せにサキをまわした。まったくサキは協力しない、できないために、自然に滑らかな動きではなくなる。それが、サキを刺激する。すでにぐったりと寄りかかられたまま、ヨシュアはサキを責めたてた。シャワーの音に混じって、卑猥な音が響く。
サキは、ヨシュアを決して見ていない。宙を彷徨う視線は、どこも、見ていない。
その視線を捕らえることは、敵わないのだろうか。
ヨシュアはサキの首筋に噛み付きながら、自分が泣きたいのだと自覚した。