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満ちてゆく月欠けてゆく月

04
 急使だ、と言う手紙を読みながら、レオーネは小さく舌打ちをした。上質な紙に流れるようなインクで書かれた優美な手紙は、その外見とは裏腹に、あまりいいことは書いていなかった。少なくとも、レオーネにとっては。
 二階のレオーネの部屋からは中庭が見える。今日の昼食は外で食べようと誰かが言い出したのか、ルカやジョルジョたちがテーブルを並べているのが見えた。あの工房での一件以来、ルカは瞬く間に仲間に溶け込んでいっていた。表情がなかったのが嘘みたいに、よく笑っている。
 特に食事の支度を一緒にするジョルジョやエドアルドと仲が良いのはともかく、なぜかあの喧嘩相手のウーゴまで、ルカを可愛がっている。今も、当番ではないはずなのに、ウーゴが出てきてルカとテーブルを一緒に持っていた。
「よく笑うようになったね、おちびちゃんは」
 後ろから突然声が聞こえて、レオーネはびくりとしそうになった肩をどうにか抑えた。
「人の部屋に、ノックもなしに入ってこないで下さいって、何度も言ってるでしょう?」
 ゆっくりと振り向くと、にやりと人の悪い笑みを浮かべたフェルディナンドが立っていた。
「別に見られて困るものはないだろ?夜はさすがに遠慮しているんだ」
「あなたと違って、ここではそんな相手を作る気はありませんから」
 レオーネがそう言うと、ふん、とフェルディナンドが鼻で笑った。レオーネは、昔から工房内で情人は作らないと言っている。一度だけ面倒が起きて、それ以来、決めていたことだった。
「なんです?」
「ジェレミアを誘ってる奴がよく言うよ」
「おや、嫉妬ですか?」
 珍しい、と笑うと、別にそんなんじゃない、と苦虫を潰したような声が返ってきた。それに反撃をするべく、フェルディナンドは窓の外を見る。
「ジェレミアだけじゃない。あのおちびちゃんだって、狙ってるんじゃないのか?」
「私が?どうしてです?」
 ルカは今はフェルディナンドのものではないか、とレオーネは笑った。
「おちびちゃんが笑うようになったのは、おまえのおかげだろう?この間、慰めていただろうが」
「覗きですか。趣味の悪い」
「たまたま通り掛ったのさ。まったく、あの紳士的なところに騙されるんだろうな、みんな」
「紳士的なのではなく、紳士なんです、私は。少なくとも、彼に手を出そうなんて考えてませんよ。私の好みはふくよかな女性です。さもなくば……理知的で中性的な青年か」
 例えば、ジェレミアのような、とは言わなかったが、レオーネはちくりとフェルディナンドを苛めてみた。苛められた方は、やれやれと肩を竦めた。
「おまえにはなかなか敵わないよ。ところで、使いが来ていただろう?」
 本命はそっちか、とレオーネは溜息を吐いた。父には使いが目立たぬようにと頼んであるのに、まったく目ざとい。
「ええ、別に隠すことでもない、と言うより、すぐにでも広まるでしょうけど……」
 ふとそこでレオーネはフィレンチェの街並みを遠く眺めた。これから、大きくその街が変わっていく、その予感を抱えて。
「メディチの当主が亡くなったそうです。後には、ロレンツォが継ぐでしょう」
 窓辺に街を眺めながら言ったレオーネは、フェルディナンドが息を呑んだのがわかった。
 メディチの二代目当主、ピエールはその政治手腕のなさでフィレンチェ住民に厭われていた。もちろん、住民達はそんなことはおくびにも出さなかったが、度重なる無駄な戦いで、住民が疲労していたのもまた確かだった。その父ピエールとは反対に、その政治手腕を期待されたのが、ロレンツォだった。しかし、フェルディナンドにとってもっと重要なことは、ロレンツォは芸術家のパトロンとしても名高いことだった。その「宮廷」に召し上げられれば、当分のこと生活を心配しなくてもいい。
「それで?おまえに何と?」
 レオーネは、フェルディナンドの問いに答えずに、窓を閉めた。階下のざわめきが急に遠くなる。
「どうやら、昼食の支度が整ったようですよ。遅れると煩いのが大勢居ますから、行きましょう」
 何か言いたそうなフェルディナンドを横目に、レオーネはにこやかに笑った。


 メディチ当主の死は、いささかの安堵を持ってフィレンチェ住民には迎えられた。そして、代わりに当主となったロレンツォは、任命式にそれこそ大騒ぎとなるくらい、歓迎でもって迎えられた。
 街のお祭り騒ぎを遠くに聞きながら、ルカは工房の椅子にぼんやりと腰掛けていた。満月の明かりはドアを開け放した工房内を煌々と照らし、聖書に主題を取った様々な絵を幻想的に浮かび上がらせていた。
 きれいだな……
 中の一つ、美しく繊細な聖母をルカは飽きずに眺めていた。微かに湛える微笑は慈悲深く、そして不思議なことに妖艶さを潜ませている。一本一本が見えるような繊細な髪も、流れるように優美な線も、自分が目指すものとは程遠いが、それでも美しいと思う。
 ルカはこの絵を描いた人物を思い描いて、彼もまた、美しい人だと思った。そして、優しく、優雅で……。描かれる絵は、やはり描く人間に似るのだろうか、とまで思う。
 ルカは無意識に、自分の額をすっと撫でた。
 ふわりと触れた、あの唇。
 子供にする、眠る前のただの挨拶だ。そんなことはわかっていたが、ルカの頬はほんのり熱くなる。そして、そんなことだとわかっているから、胸の奥がぎゅっと掴まれたように痛かった。
 ぎっと音がして、ルカが驚いて振り向くと、誰かが扉に寄りかかっていた。思わず立ち上がると、おちびちゃんか、と声が聞こえた。
「どうした?今日は皆と出かけたんじゃないのか?」
 少し揶揄するような声は、以前仲間はずれにされて泣いていたことを言っているのだろう。ルカは少し頬を膨らませてむくれてみたが、相手は気にせずふらふらと近寄ってきた。きついアルコール臭に、だいぶ飲んだのだとわかる。
「人ごみに酔ってしまって、早めに帰ってきたんです」
 すらりと立つルカは、仄暗い部屋の中で、どこか儚さを思わせた。思わず手を伸ばそうとして、レオーネはくすりと笑った。
 どうかしている。
「レオーネこそ、どうしたんです?」
 レオーネは、今日はロレンツォ本人に呼ばれていたはずだ。それと一緒に、フェルディナンドも当主就任記念にとダヴィデ像を持っていったはずだった。
「俺も、逃げてきた」
 どさり、とだるそうに坐ったレオーネに溜息を吐いて、ルカは水を汲みに厨房へ向かった。こんな風に酔ったレオーネを見たのは初めてだった。酒には強く、酔ったようでも酔っていないのが、レオーネだった。
「お水です」
 渡そうとして、手が触れる。あっと思ったときには、コップを落としていた。がちゃんっ、と派手な音が静かだった室内にこだました。
「あ、ごめんなさい」
「なんだ、おちびちゃんの方が酔ってるのか?」
 くすくすと笑う声に首を振っては見るものの、それならそれと思われたほうがいいのかもしれない、とルカは思っていた。
 少し、ほんの少しだ。たったそれだけで、自分がこれほど震えるとは。
 ―――これほど、触れたいと思うとは。
 秘めなければいけない思いだと言うことは、ルカにはわかっていた。信心深いわけではないが、キリスト教の蔓延するこの世界で、同性愛がどれほど罪深いことかは知っているつもりだった。
 でも、とルカは思う。今、この闇の中で、罪を隠すことは出来ないだろうか、と。
 今を逃したら、きっともう、レオーネに触れられない。
 祭りのような騒がしい町の中で、ジョルジョたちが幾分残念そうに、でも憧憬の眼差しでしていた噂を思い出す。それを聞いて、ルカは帰ってきてしまったのだ。
 ―――レオーネ、近いうちに独立するみたいだ。
 落としたコップを拾うために屈んでいたルカは、ふいっと顔を上げた。笑っているかと思ったのに、レオーネの目は、じっとルカを見つめていた。
 どこかで風が吹いて、流れた雲が月を不意に隠した。まるで、それが合図だとでも言うように、二人の唇が重なった。


「ふあ、あっ……」
 滑らかな白い肌は、月明かりに艶かしく輝いた。ぴたりと吸い付くようなその感触を楽しみながら、レオーネは「どうかしてる」とまた頭の中で呟いた。工房の仲間には手を出さない、と決めていた。ましてや、フェルディナンドの情人など。
 深いキスにも、肌を滑らす手にも、ルカは信じられないほど初々しい反応を返した。慣れていない筈がないのに、自分相手に騙そうとでもしているのかと思うと、少々腹が立った。でも、それもまたいいと思い直して、レオーネはその中心に手を伸ばした。
 極上の肌を楽しんだレオーネの手によって、そこはもうすっかり濡れそぼっていた。身体までは誤魔化せない、とそれを嘲笑う。ゆっくり包み込むと、微かな悲鳴のような声が聞こえた。
 ルカはもう、なんだかわからなくなっていた。レオーネの触れる全てが熱く、さざ波のような快感が間断なく襲う。息が出来ないほど苦しくて、早く解放して欲しいのに、欲しいものは与えられないのだ。
「ひっ……」
 信じられないところに触れられて、ルカは思わず息を詰めた。先ほどまでの快感が嘘のように、痛みが広がる。
「狭いな……ずいぶん構ってもらってないみたいだな。それで、我慢できなくなったか」
 レオーネが嘲笑うかのようにそう言ったが、ルカには何を言っているか理解できず、ただ頭を振るだけだった。息を吐けとか、緩めろとか、レオーネが何やら言っていたが、ルカにはそれどころではなかった。やがてレオーネの舌打ちが響いたと思うと、すっかり萎えた中心を再び撫で上げられて、ルカはわけもわからず涙を流した。
 キスまでは知っていても、その先を男同士でどうするのかは知らなかった。ただ、レオーネに抱いてもらいたいと、それだけで。
 前への快感に気が逸れたのを確認して、レオーネは慎重に指を抜き差しした。いくら間が空いているとは言え、まるで初めてのような締まり具合に、フェルディナンドがこの逸材に何故飽きたのかわからなかった。それとも、ジェレミア辺りに何か言われたのだろうか。
 くすくすと笑うと、ルカの身体が跳ねた。どうやら偶然にも良いところを見つけたらしい。レオーネはもう一度、慎重にその場所を探す。そして、指を増やしながら何度もそこを攻め立てると、ルカの中心が震えた。一度解放しておいた方がいいか、とレオーネは思い、そこを扱くと、ルカはあっけなく白濁した液を吐き出した。
 呆然と、どこか彷徨うような瞳をしたルカに、レオーネが囁く。
「君を傷つけたら先生に怒られる。だから協力して」
 その意味を理解できないまま、ルカはただ頷いた。今のは、何だったのだろう、と思う。あの、怖いほどの快楽と落ちていく感覚。最後には頭がスパークして、真っ白になってしまった。
 ルカがそんなことを考えていると、先ほどからレオーネの指が出入りしていた場所に、指とは比べ物にならないほどの熱い塊が押し当てられた。本能的な恐怖に身を縮ませると、「ほら、力を抜いて」とレオーネに言われる。それがレオーネの言葉だ、と言うだけで従ったルカは、次には痛みに悲鳴をあげた。
「ルカ、ルカ。大丈夫。ほら力を抜いて」
 レオーネがそう言っても、痛くて痛くて、とても自分をコントロール出来なかった。ぽろぽろと流れた涙を、レオーネが優しく唇で拭ってくれても、痛みは治まらなかった。それでも、「ごめんね、動くよ」と囁かれた後に比べれば、ましだったのかもしれない。
 内臓全てを引き出されるような感覚と、あまりの痛みに、これはやはり罰なのだ、とルカは思った。
 この罪深き自分への、罰なのだと。


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