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君を愛する理由(わけ)などいらない。

04
 藤川は今、バイトに明け暮れていた。胡椒挽きで割った窓の修理代と、折ったゴルフドライバーの弁償金を稼ぐためだ。
「コメディだよな」
 そう真崎が笑うと、智耶子も苦笑した。
「笑い事じゃないでしょ?どっちも智耶子サンの所為なんだから」
 正確には智耶子には責任はないが、藤川がそのどちらの行為もまったく後悔していない辺りに、真崎は腹が立つ。
「だから、実はお金持ちな真崎クンは援助の手を差し伸べなかったんだ?」
「それもあるし、どうせ藤川は嫌がる」
 藤川は変なところで男気がある。それでいてあの情けなくて馬鹿なところを見せられるたびに、真崎は勘弁してくれ、と思う。自分の手の中に落ちてくる気など一切ないくせに、そうやって真崎の中で藤川の占める位置を大きくしていくのはずるい。
 大学のカフェテリアで二人でお茶をしていると、真崎に手を振りながら女が近づいてきた。智耶子をちらりと見る目は敵対心が丸出しで、なんだかなあ、と智耶子は思う。
「真崎、今晩は何が食べたいの?」
 真崎の肩に腕などのせて、これ見よがしに囁く女に、智耶子は苦笑を隠せなかった。確かに、自分は抱かれもしない。誘っても、真崎は絶対にのってこないのだ。理由は簡単で、「藤川を悲しませたくないから」と言う。
 結局、自分もこの女も、藤川には勝てない。真崎にとっては、藤川が今の一番なのだ。
「今日は帰らないの?」
 女を適当に追い払った真崎に、智耶子はにっこりと笑いかけた。悲しいのに、藤川に相手にされない真崎を、苛めたいとも思う。実際、真崎は自嘲気味に笑った。
「藤川はさ、平気で裸で風呂から出てきたりするんだ。俺を何だと思ってるんだろうね」
「同居人、でしょ?私のときも、夏なんて暑いからって裸でお風呂上りのビールとか飲んでた。どうせすぐ脱ぐし、とか言って」
 これはきっと復讐なのだ。遊びの一環としてさえも、自分を抱こうとしない真崎に対する、ささやかな復讐。
「それは、同居人だからじゃないでしょ。智耶子サン、意地悪だな」
「どっちが?だいたい、どうして変わりが女なの?」
 男なら、智耶子だって諦めがつくと言うものだ。どうしたって、自分は男にはなれないのだから。それなのに、藤川に抱かれたい真崎は、女を抱く。
「操を立ててるんです」
 ちゃかすように言ったが、真崎は自分がそろそろ限界に近いような気もしていた。
 真崎は自分が、少しセックス依存気味なことをわかっていた。そうやって触れ合う相手がいないと、不安でたまらなくなるのだ。相手が自分にみんなさらけ出してくれるという安心感とともに、自分も全てをさらけ出せる相手がいる、ということへの安心感を、真崎は常に求めている。その点で、自分は男にも抱かれるのだろう、と真崎は思っていた。なぜバイセクシャルなのかと聞かれるたびに、博愛主義なのだと嘯くが、実際は自分のためなのだと真崎もわかっていた。
「操ねえ……藤川はどうしてるのかしら?」
「智耶子サン、そんなこと考えるんだ」
 あらだって、と智耶子は言ってから、これは意地悪すぎるかしら、と思った。でも、自分の前で女と今夜の約束をして、それでいながら他の人のことを思って切なそうな顔などしてみせる真崎が悪いのだ。
「だって、藤川は私しか知らないのよ」
 にっこりと笑った智耶子は、悪魔のようだと真崎は思う。
「智耶子サン、俺を好きだなんてやっぱり嘘でしょう」
「本当よ?」
 好きだから意地悪をしたくなるなんて、小学生のようだわ、と思いながら、それでもやはり、そうせずにはいられなくて、智耶子は精一杯微笑んで見せたのだった。


 藤川が悪い。
 あんなに無防備で、智耶子しか見ていない藤川が悪いのだ、と真崎は頭の中でずっとその言葉を呟いていた。女の身体に身を沈めているのは真崎なのに、まるでそうやって喘いでいるのが自分自身の気がしてならない。目を閉じれば藤川のものなど簡単に浮かんできて、真崎は思わず舌なめずりをした。
 あれが欲しい、と切実に思う。
 甲高く響く嬌声は女のものなのに、まるで自分が突き上げられているようだった。でも、その容量を感じるはずがなく、真崎はそのもどかしさに焦れた。
 智耶子には操を立てる、などと言ったが、そろそろそれも限界に近いと真崎は思っていた。藤川を襲いたくなければ、誰か他の男を代わりにするしかない。女では、満足感が足りなくなってきている。
 ふいに眼下の女の顔が智耶子の顔と重なって、真崎は一層激しく腰を打ちつけた。智耶子を抱く気はない。そんなことをしたら、二度と藤川は話をしてくれないかもしれない。欲しいのは、あくまで藤川なのだ。
 藤川は自分しか知らない、と言っていた智耶子の言葉が思い浮かんで、真崎は昇り詰める自分を感じた。まるで自分が、藤川になったような感覚だった。奇妙な幻覚だった。女を組み敷いているのは自分なのに藤川のようで、そうして抱かれている女に重なる智耶子が自分なのだ。
 おかしくなるな、と真崎は思った。
「帰ってたのか」
 ひどく疲れて眠ってしまった真崎が起きると、女はいなく、リビングには藤川がいた。
「おう、夕飯どうする?俺腹減って待てないからさ、なんかとろうか」
 給料も入ったことだし、と言った藤川は寝起きのだらしない真崎の格好など気にもしていないようだった。大き目のシャツを羽織っただけで、下着もつけていない。
「なあ、俺ってそんなに魅力ない?」
 疲れている、と真崎は思った。馬鹿なことを口走るくらいには、疲れている。
 案の定、藤川は奇妙な顔をした。
「女を引っ張り込んでさんざんやったような奴が、そう言うこと言うか」
 まったく、と藤川は電話の隣に置いてあった出前をしてくれる店のメニューを目の前に広げて、呆れたようにため息をついた。
「会ったの?」
「彼女?ああ、ちょうど俺が帰って来た頃シャワー浴びてて、一緒にご飯でもって言ったんだけど、おまえ寝てるから帰るって」
 平気な顔して言ってくれる、と真崎は理不尽にもその藤川を殴りたくなった。その藤川は、鮨も良いがピザも捨てがたい、と食欲に気を持っていかれている。
「藤川はさ、どうしてるわけ?やっぱり一人でやってんの?」
「何を?なあ、おまえピザ頼めよ」
 そうしたら自分は鮨を頼む、と真剣に悩んでいる藤川の隣に、真崎はぺたりとあぐらをかいて坐った。
「な、ピザ、具は好きなので良いからさ」
「うん、なんでもいいよ。それより、これ、どうしてるんだよ」
 そう言って、徐に藤川の股間に手を伸ばした真崎に、藤川はぎょっとしてその手を払いのけた。
「なんだよ、さっきやったばっかりなんだろ?」
「あんなのはやったって言わない。俺が欲しいのはこれだからな」
 ずっ、と近寄った真崎の顔面に、藤川がべたりとメニューを押し付けた。
「そういう相手に失礼なこと言うなよ」
「智耶子サンしか知らないってほんと?」
「はあ?」
「あんたのここ、智耶子サンしか知らないって」
 ずるり、とメニューが落ちた。真崎の目の前で、藤川の眉が寄っているのが見えた。
「誰からそんなこと聞いたんだよ」
「智耶子サン」
 言った途端、頭突きを食わされた。容赦のなさに思わず真崎は頭を抱えた。
「おまえっ、チャコと会ってるのか?それで、そんな話」
 自分も痛いだろうに、藤川は真っ赤になって叫んでいた。それはずるい、と真崎は頭を抱えながら思った。頭突きをするなんて、そしてそんな真っ赤になるなんて、どうしてこんなに可愛いのだこの男は。そう思った途端、ずきり、と腰が疼いた。
「藤川」
 視線が、釘付けになる。ズボンに隠れているはずのそれが、欲しくて堪らなかった。
「ずるいっ。おまえばっかりチャコと会うなんてずるい」
「なあ、これどうしてんの。まさか一人で抜くなんてもったいないことしてないよね?」
「何がもったいないんだよ。俺はおまえみたいにもてないし、誰でもいいわけじゃない。おい、話聞け」
 じっと布越しの藤川の股間を注視しながら、真崎は無意識に唇を舐めていた。
「もったいないだろ。それなら俺にやらせろ」
「おまえっ、襲わないって」
「襲ってないだろ」
「だいたい、俺は腹が減ってんの。そんなにやりたいなら他に見つけて来い」
 どうして藤川は、こんなに容赦がないのだろう、と真崎はため息を吐いた。仮にも自分を好きだと言う相手に、そう言う事をいうのか。
「そうだね、智耶子サンあたり、呼べばすぐ来てくれるかもね」
 だから、思わずそんなことを口走った。言った途端、後悔したが、遅かった。
「二度とそんなこと言ってみろ。俺はおまえを許さないからな。その口、きけなくしてやる」
 シャツの襟を掴まれて、凄まれた真崎は、ふつふつと怒りが湧いてくるのが分った。自分が責められる理由なんてない。実際智耶子は自分をよく誘うし、今だって本当に呼べば来るだろう。それなのに、藤川はそんな智耶子のことばかり庇うのだ。
 真崎は怒りとともに可笑しくなって、思わず笑い声を上げた。
「あんたにはもう関係ないだろ?あんたのその純潔な智耶子サンが他の男に抱かれるのは想像できないか?それなら、今すぐにでも呼んで見せようか」
 疲れていた、と真崎は思う。そして、とても怒っていたのだと。
 それでも、すごい勢いの平手が飛んできて、大きな音がしたときには、ただただ哀しくて、真崎は笑うことしか出来なかった。



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