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君を愛する理由(わけ)などいらない。 第二話
04
とてもじゃないが、藤川とまともに対峙する気が起きなかった真崎はその日、結局久しぶりに女のところに泊まった。甘えるならやはり、女の子のほうが断然いいことを真崎はわかっている。
それでも、そのまますぐに部屋を出ることには戸惑って、荷物を最小限しか持たなかった真崎は、三日も経つと、藤川が大学にいっているはずの時間を狙って、家に帰った。
白い玄関扉を開けようと鍵を差し込みながら、そこでの日々が既に懐かしい過去の思い出になっていることに、真崎は少しだけ愕然とした。そこに居場所はないのだと、改めて思い知らされた感じだった。
がちゃりと音がして鍵が開くと、真崎は軽く頭を振って中に入っていった。やはり、早いうちにここから出てしまったほうがいいに違いない、と思った。
ふと人の気配を感じて顔を上げると、リビングに藤川が坐っていた。あぐらを掻いて、じっと真崎を見つめている。真崎は脱ぎかけた靴もそのままに、中腰のまま呆然とその藤川を見た。
どうして、藤川がいるのだ。休講の連絡もなかったのだから、絶対に藤川は大学にいると思っていた。
「どこ行ってたんだよ」
先に口を開いたのは藤川だった。怒っているのか、かなり抑えたような声だった。
「どこだっていいだろ」
真崎はようやく固まっていた身体を動かし、脱ぎかけていた靴をぽいっと放り出して部屋に上がった。
「心配するだろ?」
そんなことを、藤川が言う。それが残酷だと言うのに、わからないのだろうか、と真崎は長いため息を吐いた。
「別に子供じゃあるまいし。大体、外泊なんて今までだってしてただろ」
「三日もいなかったなんてない」
だからどうだというのだ、と真崎はそれには答えずに、自分の部屋に向かった。後ろから視線が追いかけてくるのがわかったが、それを無視する。
「出て行くのか」
ごそごそと荷物を詰めていると、開け放したままだったドアの前で、藤川が突っ立っていた。怒ったような顔をしているのに、どこか所在なさそうな、頼りない影だった。
「その方がいいだろ。俺は好きなだけセックスが出来て、おまえは嫌な思いをしない」
「するよ」
「は?」
「おまえが自分を安売りしてるのを見るのは嫌なんだ」
藤川のその呟きに、真崎はまたため息を吐いた。勝手なことを言ってくれるな、と思う。
「おまえは俺のことなんか気にせずに、杏ちゃんとでも仲良くしてればいいだろ?」
「彼女とは付き合ってないし、好きでもないと思う」
「わけわかんないこと言ってんな。それでセックスできるおまえじゃないだろ」
「そうだけど。でも、わかったんだ」
「何が」
「杏ちゃんには、申し訳ないことをしたって」
それで、だからといって自分にどうしろと言うのだ、と真崎は思った。変わらないのだ。真崎は藤川が好きで、藤川は真崎を友達だと思っている。そうである限り、何も変わらない。
「合意だったら別に申し訳なく思うこともないんじゃないの?ともかく、俺はもう出て行くことに決めたから」
「どうしてっ?」
まるで信じられない、と言うように叫んだ藤川を、真崎は呆れたように見つめた。
「どうしてって、さっき言った通り。俺は好きなだけセックスできるとこに行く」
「なんでそんなにセックスセックス言うんだよ?好きだから抱き合うんであって、セックスは手段だろ?目的じゃない」
その優等生な答えを、真崎は笑った。そうだろう。それが正しいのかもしれない。でも、真崎はそうではないから、辛いのだ。
「俺はね、気持ちだけじゃ駄目なんだ。そんな、いつどうなるかわからないものより、一瞬でも触れ合える方を選ぶ」
不安なんだよ、と呟いた声は自棄気味で、真崎は酔ってもいないのにこんなことを言うなど、どうかしてるな、と頭の片隅で思っていた。
だからこそ、藤川の盲目的なまでの智耶子への気持ちに惹かれたのだ。そして、そんな風に愛されたら、と馬鹿みたいな望みを持ったのだ。
「どうしたら出て行かない?」
しばらくの沈黙の後、藤川が坐ったまま、真崎を見上げた。
「藤川……」
「なあ、どうしたら出て行くなんて言わない?」
真崎はすっかり呆れて、もう何度目かわからないため息を吐いた。
どうしたら。
そんなことはわかりきっている。でも、気持ちなど交換条件にならないのだ。
一瞬、それなら自分を抱けと言おうと思ったが、あまりの空しさに真崎は頭を振った。
「じゃあさ」
真剣な目をしている藤川に、しかたなく、真崎は指差す。
「そのバットを折ったら、考えてやる」
いつか、智耶子に出て行くなと言って、ゴルフのドライバーを折ったのを思い出したのだ。
藤川はその木製のバットに視線を移すと、ぐっと唇を噛み締めた。木製なら、折れないこともないかもしれない、と真崎は考えたが、そんな激情を期待しない方がいいだろう、とも思った。あのドライバーは、ただ智耶子を行かせたくない一心で、藤川が折ったのだから。
思えばあれが悪かったのだ、と真崎は苦笑する。あんなのを見てしまったから、自分は藤川に囚われてしまったのだ。
藤川が必死でバットと格闘しているのを、真崎はじっと見詰めていた。どうして、藤川は自分を引き止めるのだろう、と思う。そう言う残酷なことを、そんなに簡単にできるのだろう。
バットはなかなか折れず、藤川は顔を真っ赤にしていた。額に汗が浮かんでいるのが、窓からの光に反射して見えた。何をそんなに、必死になるのだろう、と真崎はそれをとても不思議な光景として見た。
ふいに藤川が力を緩めて、とうとう諦めたかと真崎が少しだけ残念に思った瞬間、藤川がバットを振りかざした。
「わっ、ばかっ」
止める間もなかった。
振り落とされたバットは、ドアの蝶番にぶつかって、ものすごい音を立てた。ごとんっと音がして、そのドアが傾く。
「よし、折れたぞ」
にかっと笑った藤川の顔には、割れて飛んだバットの破片で傷ついて出た血が、つっと滴っていた。
くすくすと笑う智耶子に、真崎は「笑い事じゃないんだけど」と非難の眼差しを向けたが、だって、と智耶子は笑いを止めようとしなかった。そのあまりの藤川らしい行動に、笑うなと言う方が酷だ。
「で?結局真崎もそこに残って、さらには来年の契約更新も決定したのね?」
「あのドアはさすがに大家に見せられないだろ」
まだ笑いを止めない智耶子に少々腹が立ちながら、真崎はぶすりと言う。それなのに、当の藤川本人は、バットが折れたことを無邪気に喜んでいたのだ。さらには、頬から流れる血に真崎が慌てふためいたと言うのに、「名誉の負傷だ」などとのたまった。幸いにも傷はかすり傷程度で、それでも、藤川は大きなガーゼを頬に貼り付けている。
「しかたないじゃない。惚れた弱み、っていうの?」
そう、智耶子の言うとおりだ。傷の手当てをしながら、痛い痛いと煩い藤川を、それでも乱暴に扱ったのは、半分八つ当たりのようなものだった。
実際、もう勘弁してくれ、という感じだった。もういい加減、諦めさせて欲しい。こんな風に、だから藤川が好きなのだと、再確認させるようなことをしないで欲しい、と。
「それで?結局丸く収まったのかしら」
「丸く、ね」
「え?何?それだけなの?あとは何もなかったって言うの?」
呆れた智耶子の声は無視して、真崎は遠くでその頬の傷を冷やかされている藤川を見ていた。
そう、何もなかったのだ。あんなことまでしておいて、藤川は何も言わず、何もせず、傷の手当てが済むと、とても満足したように、まだ間に合う講義に出ようと、大学に行ってしまったのだ。一人残された真崎は、途方にくれてしまった。
一体、なんだったんだろう。そういくら考えても、わからなかった。ただ、また元に戻ってしまっただけなのではないか、と思った。
そして仕方なく、真崎も大学に来て、ここで智耶子相手にことの顛末を報告させられているのだ。
「なんだかねえ……もう、押し倒しちゃえば?」
智耶子は何度も無意識にため息を吐く真崎に、そんなことを言う。
「それが出来てたら、今までこんなに悩まないでしょ」
「そうなのよねえ。それが不思議だったのよ。なんで?」
誰彼構わずセックスをする、というのが真崎だったのだ。それでも相手は選んでいるのだと智耶子は知っていたが、その過去の所業を考えれば、藤川を押し倒すことぐらいはやりかねない、と思っていた。
真崎はそんなことは智耶子もわかっているだろうに、と思いながら、「嫌われたくなかったから」と答えた。
「一回きりでいいならとっくにしてたよ。でも、それじゃ嫌だったから」
智耶子は呆れた、というように頭をゆるゆると振った。セックスの数だけはこなしていても、恋愛となると途端不器用になってしまうのだ、真崎は。
藤川なら、と智耶子は変な母性本能を刺激されたように考えた。
藤川なら、真崎に本当に気持ちのいいセックスを教えられるかもしれない。触れ合う、ということの温かさや幸福感を、それこそ蕩けるようなセックスの中で、教えられるかもしれない。
「もったいないな」
智耶子がふいに呟いて、真崎が何が?と聞いた。
「藤川とのセックス、本当にいいのよ。テクニックとかじゃなくて、愛されてるって実感としてのセックスが、ね」
二人で過ごした夜でも思い出しているのか、智耶子が優しい顔でそう言うのを、真崎は切なく見ていた。
それを、自分は一生知ることが出来ないかもしれないのだ。
「智耶子サンって、相変わらず意地悪だね」
「あら、どうして?」
無邪気な声に、真崎は肩を竦めただけで答えなかった。
欲望と言うより、もう夢のようになってしまったと思う。
藤川に、抱かれる自分と言うのが。
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