サイレント・ノイズ 第一話
――眸ノ記憶――
03
「なんで全部切るんだ、お前は」
街は今日もまた、うららかな春の日差しだ。……いいかげん、鬱陶しいくらいに。
「非番だから。俺にはその権利がある」
しれっとした顔で、一瞬立ち止まった蘇芳が言う。少し伸びすぎた感のある髪をかきあげる仕草に、それなら髪ぐらい切って来い、と朱理は内心毒づいた。その中途半端な髪を、セクシーだとか騒いでいる女がいるのを思い出しながら。
「あいにく、俺にも相棒を呼ぶ権利はある。宣誓証ぐらい読んでくれ」
カツカツ、と靴音がかなりの速さで響いている。大柄な二人がそのスピードで歩いていると、かなりの迫力があることを、二人は気付いていない。ただでさえ、異例の若手幹部である二人が並んでいるだけでみんな怖がって近づこうとしないのだ。
「俺はお前を信用してるんだよ」
だからといって、通信機能全部を切っていいはずがない。部下になら喜ばれるそんな言葉も、相棒の朱理には通じはしない。皮肉さを口にだけのせて、笑われた。
「どうせお楽しみだったんだろう?万年発情期が」
一年中春の街に、発情期も何もない。第一、人にはそんな期間はないはずだ。それに、お互い様だろう、と言いたいところを、蘇芳はようやく飲み込んだ。なんと言っても、昨日のことは失態だ。朱理に話すわけにはいかない。後々まで馬鹿にされることなど、分かりきっている。
――薬を飲まされて、逃げられるなんて。
蘇芳は昨晩の青年を思い浮かべながら、苦笑を隠した。筋肉質ではあったが、細く、白くてすべすべの肌だった。
それに、あの目。
あの目にやられて油断したと、自分に言い訳をしてみる。
「で、何の話だって?」
蘇芳はこれ以上昨日の話題を続けたくなくて、話を変える。朱理がちらりと視線をよこしてため息をついたが、そんなことは無視だ。
「例のこと絡みの事件だ。探してるのがいるらしい」
「ブツを?」
「と言うより、一部を、らしいが」
「一部?」
「あぁ」
「ひさしぶりねぇ」
まったく、梅(メイ)はいつ見ても年齢不詳だとカイは思う。すらりとした体に、長く豊富な黒髪。惜しみなくさらけ出している肌は、輝かんばかりだ。
一体、いくらかかっているんだろう。
組織のお金の大半がその肌や髪や身体に変わっているのではないかと思うと、カイは怖くて直視できない。
「噂は聞いてるわよ。相変わらず腕がいいのね」
そうにっこりと笑う目に、カイは苦笑した。
「どんな噂?ジェイクが失敗したときのとか?」
カイがそう言うと、傍らのジェイクが聞き捨てならんと言う風に顔を上げる。その隣、闇市から手に入れた花咲くお茶をサービスしているのが、例の新人君だろうか。東洋系の、可愛い顔をしている。これはジェイクをからかう種ができたと、カイは内心ほくそ笑んだ。
「勝手なこと言ってるよ。あれは失敗じゃないさ。任務は果たしたんだからな」
要は、チップを依頼人に持っていければよかったのだ。だから、ジェイクはカイから情報を買ったO社から、再びチップを奪っただけのこと。そのチップが、どこを通過したかなど、問題ではなかった。
「でもねぇ……あまり、人のことは言えないんじゃなくて、カイ?聞いたわよ」
梅が、そう微笑む。嫌な顔だ。
たぶん、その後狙われて、見事やられたことを知っているのだろう。
まったく、情報屋って言うのは嫌な商売だと、自分のことを棚に上げてカイは思う。
「で、それを言われにわざわざ呼ばれたの、俺」
梅花まで来るのは、結構容易じゃない。色々なところでセキュリティーチェックやら認証やらをクリアしなくてはいけないのだ。特に組織に入っていないカイには、わりと面倒くさいことが多い。だいたい、途中から目隠しをされて運ばれてくるのだが、どこに自分がいるのか分からない状況は、カイにはいささか居心地が悪かった。
「何、その早く帰りたいって素振りは」
だから、その目が怖いのだとはカイも言えない。そのやり取りを黙って楽しそうに見ていたジェイクが、新人君を部屋から追い出した。出ていく間際、ちらりと目が合った。なにやらひどく敵対心を感じたのは、どうやらカイの気のせいではないらしい。しっかりと、睨まれた。
「かわいいじゃん」
カイがそう言うと、ジェイクが冗談じゃないと言う風にため息をつく。
「お前の好みは、もっと怖いお兄さんなのかと思ったよ」
「は?」
「ラブ・コールが来てるぜ」
ジェイクがそう言って、携帯端末を投げて寄越す。ぱかりとあけると、画面にひどく暗い顔の男が映し出された。何か、薬をやっているような顔色の悪さだ。
「その男が、どうやらカイって言う情報屋を探しているらしい」
ジェイクの言葉に、しばらくじっと画面を見る。
「知り合いか?」
いや、知らない顔だ。仕事柄、人の顔は覚えている方だ。でも、この顔は見たことがない。見たことがないのに――何か、知っている気がする。
「カイってば、どこで恨み買っているかわからないものね」
梅がにっこりとそう言うが、梅花でそれ以上の情報を持っていないと言うのは、どう言うことだろう。よほどのプロか、それとももっと個人的なものか。
それにしても、どこかで知っている。自分と言うより――むしろ、身体のどこかが、この男を知っている。
「わからないな。いや、ありがとう。気をつけるよ」
確かに、情報屋なんてやっていると、どこで誰に恨みを買っているか分からない。結局、たくさんの人が一つの情報に関わっていることが多いのだから。管理者から、技術者、保管者、はたまた入力者まで。だから、情報漏れを防ぐことは容易ではない。そして、だから、誰から恨みを買うかも分からないのだ。
責任を問われる者も、今までの努力がすべて泡と化す者も。情報屋を、忌み嫌っているにきまっている。そういうことは、カイは幼い頃から言い聞かされていた。全てを教えてくれた、祖父から。
『生きていくことは、サバイバルだよ』
祖父はそう言っていた。その言葉を、カイは忘れることはなかった。
自分の携帯端末に移した、男の顔をもう一度眺める。骨ばった顔。暗い目。
どこかで、知っている。
頭の中で、その顔を何度反芻して思い出しても、それが誰なのかはわからなかった。