サイレント・ノイズ 第一話
――眸ノ記憶――
04
数日して、カイは背後に誰かの視線を感じるようになった。見つかったかな、などと呑気に思うが、最初から隠れようとしていたわけでもない。このペースの捜索なら、プロでもなさそうだ。
それにしても、どうして探されているのかわからない。
そんなに姑息なまねをして情報を手に入れたことはないし(少なくとも、プロ集団より頭脳戦を展開しているつもりだ)今までだって誰かに狙われたりしたことはない。
――そう思ってもなぁ
青白い地下回廊を歩きながら、カイは頭を巡らせる。この中には、チップにも入っていない貴重な情報が入っているのだ。どこそこのビルにはどうやって忍び込むのか、とか、誰がどこのお姉さんを囲っているのか、なんてことまで入っているのだ。
――サバイバル……
メイの仲間も、誰かに殺されたといっていたことがある。迷路のようなこの地下のどこかで、眠っているのだと。全体を見ることの叶わない、何層もになったメトロポリス。隠し場所は、困らない。それはカイたち情報屋が、一番知っている。
ここは地上でさえ、混沌としているのだ。
――しばらく大人しくするか
カイはもともと、負けず嫌いな性格だ。だからそんなことを思っても、みすみす逃げるようなことをしたくはないと、同時に思う。困ったことに。第一、どこの誰ともわからないというのが気に食わない。カイは少し考えると、スケーターを滑走モードにして、走り出した。視線も、しっかりついて来ていることを確認する。普段より、ぐっと遅いペースだ。それでも普通より早いのは、相手に疑われないようにするためだった。
――ついてこいよ、しっかり
振り切っては意味がない。
二人は今、レベル24区域にいた。ここは繁華街が多く、小道が不必要なほどある。それはすぐに行き止まりになるのだが、人目につかないところを探すには、比較的便利な場所だった。
ぎりぎり見えるか見えないかというところまで離して、カイは小さなレストランの脇道に入る。まだ昼間三時ごろで、周辺に人は少なかった。
じっと息を詰めていると、さっきまで走っていた通りを駆け抜ける男を確認する。スケーターの音からしても、この男に間違いないだろう。
「何か御用ですか、お兄さん」
脇道から出て声を掛けると、立ち止まってカイの行方を探していた男が、びくりと肩を震わせて振り向いた。
間違いない。あの男だ。
「気付いて……」
「いたさ。あんたみたいに下手な尾行じゃすぐばれる」
カイがそう言うと、男が瞳をきつくした。暗い顔に、剣が浮き出る。
危ないかもしれないな。
と、その目を見てカイは思った。尋常じゃない光をこの男は目に潜ませている。こういう相手は、厄介だ。
男が剣のある顔をしたのは一瞬で、カイを見てにやりと笑った。無気味な笑いだ。それからおもむろに、嬉しそうに口を開いた。
「見えるかい、俺が」
「え?」
「俺を見てるんだろう?」
じっと、下から覗き込まれる。狂気に近い目で見つめられて、カイの背筋がぞくりと震える。
「俺を覚えているだろう?覚えているさ、なぁ」
「知らないよ」
男はカイのそっけない答えも意に介せずといったように、笑う顔を崩さない。そうして、じっと舐めるようにカイの顔を見る。
ふと、その瞳の色が自分と同じ瞳の色だと気付く。少し灰色がかった、瞳。今日はコンタクトをつけていないから、カイの瞳も灰色だ。ただ、男の瞳には鈍い光が宿っている。ガラスのようなカイの瞳とは違う。
「……やっとみつけた」
男が満足そうに笑った。が、一瞬で無表情になると、そのまますたすたと歩き出した。まるで、何事もなかったように。
残されたカイは、呆気にとられてしばらくそこに、立ち尽くしていた。
「接触した?!」
「んー……」
情報屋の溜まり場であるバーでジェイクに会ったカイは、先刻の出来事を話した。
「で?覚えがあるのか?」
「それがさぁ。わかんないんだよな」
カイは、グラスに満たされた琥珀色の液体を揺らす。本物の果実を使わない、科学反応物質だ。それでも、ないよりはましだ。ジェイクはやはり香料でフルーツの香りのついた、深い紫の液体を飲んでいる。
「わからない?」
「うーん……知ってるような、知らないような」
「……ボケるには早いぜ。キャパが足りなくなったか?」
詰め込みすぎなんじゃねーの?というジェイクの言葉は無視して、カイはなおも考える。
見たことはある。その、確信だけがある。
――覚えてるだろ
男は、そう言った。まるで会ったことがあるかのように。
「あー、わかんねー。もう一回会ったらぜったい吐かせてやる」
「おいおい、危ないんだろう?そいつ。やめとけよ。ほとぼり冷めるまで身ー隠してろよ。ベッドならいつでも提供するよ?」
「いらないよ」
行く当てならいっぱいあるんでね。カイがそう言うと、ジェイクがふてくされたように口を尖らせた。全く、本気なのかそうではないのかわからない。
「あいつのこと調べても全く情報出てこないしな。このままじゃ情報屋の名が廃る」
カイはそう言って、グラスを一気に空けた。その隣で、やれやれという風に、ジェイクがため息をついた。
男の棲家がわかったのは、翌日のことだった。実は昨日の段階で、カイは男に発信機をつけておいたのだ。それが示したのは、レベル19区域。一晩そこに大人しくいて、朝から下がりはじめた。昨日二人が会った、レベル24区域をまたうろつくらしい。確かにあそこは、カイのよく行くバーやレストランがあった。縦横無尽に地下を走り回るカイには、6区域の差はたいしたことはない。普通なら、車を使っても一レベル上がるのに五分はかかるのに、カイは秘密ルートを使うこともあって、一分足らずで上がることが多い。車はくねくねと上がって行かなければならないが、秘密ルートならば一直線に上がれるのだ。その場所は、祖父から徹底的に覚えこまされた。秘密といっても、情報屋や裏家業の人間は大概知っているし、人一人が通れるほどの入り口と出口で、車は通れない。第一、一直線に上がるため、脚力が必要だった。
男の様子では、車を使っているらしい。カイはすぐに家を出て、レベル19区域に向かった。カイがレベル19に行ってからも男が24にいれば、25分は稼げる。
「ここか……?」
レベル19区域の北区、ビルが林立する中の、天井まで届かない屋上を持つ、小さなアパートだった。ビルといっても、普通ならば五階くらいまでが限度だ。一番高いのがレベル6区域の会社ビルで、それが例外的に七階ある。基本的に四角い箱が並んでいるような物だが、レベル19区域北区のでこぼこ感は少し不思議な雰囲気を醸し出していた。
中に入ると、人気のなさに背筋が寒くなる。これはたぶん、廃墟ビルだろう。壁もぼろぼろで、あちこちのごみの山に埃が溜まっている。
カイはそっとそのごみの山を避けながら男の部屋に行く。電子キー解読装置を取り出したが、ドアは簡単に開いた。
――無用心だな……
自分のしていることを棚にあげて、カイはそんなことを思う。でも、部屋の中もあまり人気がなかった。生活感がない、と言おうか。
部屋の中は埃臭いことを除けば、きれいだった。主をなくしてそのままに保存された部屋という感じの。そのなかで一際目立っていたのが、壁に取り付けられたキャビネだった。シンプルで、そして、きれいだった。そのキャビネの上、古ぼけた写真立てがあった。
映っているのは、少女だった。
デジタル化の進んだ昨今では珍しい、紙媒体の写真。ところどころ破けていたが、金色の髪をした、美しい少女がいた。
――誰だ
カイは思わずそれを手にとった。男を見たときと同じ。――どこかで彼女を知っていた。おぼろげながらとか、思い出とか言うようなものではなく、もっと生々しい感触。
カイはその写真立てをそっと元に戻すと、キャビネの中をあけたが、その中にはめぼしい物は何もなかった。ほんの少しの水と、カプセル食。それらはその場所に不釣合いなほど新しく、誰かが住んでいることを証明している。
床の一箇所だけ楕円形に埃がないところがあった。男はここに寝ているのだろうか。
カイは何故か、哀しくなった。
もう一度、写真を見る。
よく見るとそれは、男に少しだけ似ていた。