サイレント・ノイズ 第八話
――左目ノ行方――
01
カイがいなくなったことにジェイクが気付いたのは、カイを狙っていた男の死を告げたあの日から、一週間以上経ってからのことだった。通信が一切届かず、密かに調べ上げていたねぐらに思い切って行くと、そこにあったはずの廃屋は、焼けて跡形もなくなっていた。
ひどい胸騒ぎに、ジェイクは急いで組織に戻ると、ウォンを呼び出した。
「カイと?あの通信以来会ってないけど……何かあった?」
「いないんだ」
「え?」
「通信は一切できないし、家は焼けてた」
ウォンは声を失って、じっと縋るようにジェイクを見た。無意識に、その腕に手を伸ばす。
「大丈夫だ。あいつはそう簡単にやられる奴じゃない。今回のことも、自分で痕跡を消した可能性もある」
ジェイクはそう言ってみたが、それならそれで一言も自分に言わないカイを、内心罵った。情報屋同士、そんな甘いことを言っているのがおかしいが、匂わせるぐらいのことはしろ、と言いたかった。
「いつから?」
「わからない。俺もあれが最後の接触だからな」
ウォンの不安を受け止めると言うより、自分が落ち着くために、ジェイクはウォンを抱き寄せた。その温もりに、ほっと息をつく。
「あのとき、様子がおかしかったからな。もっと突っ込んでおくべきだった」
「でも、そんなに簡単にカイは弱みを見せないよ」
ウォンの言葉に、ジェイクはその肩口に頭を乗せながら、確かにな、と呟いた。
「探す?」
「ああ。探して欲しくないなら、そう言えばいい。それを言わなかったんだから、後で文句は言わせないさ」
随分勝手ないい分だが、その通りだ、とウォンも思って、ジェイクの背を撫でながら頷いた。
「うわっ」
と上がった声が、静かな部屋に響いた。ジェイクとウォンは、目の前に現れた人物を縛り上げた力はそのままに、その声に顔を見合わせた。
「ジル、何してるの?こんなところで」
ウォンが目を眇めながら言うと、ジルの額からつっと冷や汗が流れ落ちた。それを見ていたジェイクが、手を離そうとしたウォンを止める。
「なに?え?ジェイク?」
そのまま、ジルに猿轡をさせ、腕と足を縛り上げ、まるで人質のような扱いをしたジェイクに、ウォンが困惑した表情を見せた。
「おまえ、誰に頼まれてここに来た?クリストフも一緒か?」
ジェイクの低い声に、ジルはごくりと唾を飲みながらも何も答えなかった。猿轡をされていても、頷くか首を振って否定するかはできるはずだ。そのジルの様子に、ウォンも眉根を寄せた。
リュウが書庫か何かにしていたのか、あまり大きくない部屋だった。ジェイクとウォンは、カイを探しに最地下まで降り、同じ階にあるリュウの元診療所に来て見ることにしたのだ。リュウと親しくしていたカイの痕跡が見つかるかもしれない、と思って。
「どいうこと?」
「答えろ、ジル。そうしたら離してやる。それで、何もなかった振りをしろ。俺たちには会わなかった、いいな?」
ジルは迷って、頷いた。だが、解放されるには質問に答えなければならない。
「イエスかノーか、それだけでいい。カイの居場所を探すように言ったのは、メイだな?」
「メイ……が?」
ウォンは姉の名前が出て、不安そうにジェイクを見た。
メイがカイのことを探しているということより、それをジルたちに頼んだ、ということの方がウォンには不思議だった。その上、カイがいなくなったことを自分達に知らせてくれてもいない。
でも、そのことをジェイクは半ば予測していたのだろうか、とウォンは思った。カイが行方不明になったとわかったとき、メイに報告しようとしたウォンを、ジェイクは止めたのだ。
「ジル、答えろ。おまえが答えないなら――クリストフに聞く。安心しろ。あいつは傷つけないさ。でも、おまえには痛い思いをしてもらう」
それなら耐えてみせる、とでも言いたそうな瞳に、ジェイクは冷たく笑った。
「それを見て、あいつがどうするか……ちょうどいいだろう?おまえも、あいつの気持ちを知りたいんだろうから」
ジェイクの言葉に目を見開いたのは、ウォンだった。その残酷な口調も、冷たい笑みも、信じられなかった。
「ジェイク……?」
漏れた呟きとともに、微かな物音がした。ジェイクはそれを聞き逃さず、ジルの耳に口を寄せた。
「どうする?ここで頷くか、首を横に振るか、それだけで良いんだ。メイに頼まれたんだな?」
ジルはきっとジェイクを睨んだが、揺るがない冷たい目に、すぐに視線を泳がせた。
自分が尊敬してやまない相棒のクリストフが、恐れる男。
その意味を、今まさに体感していた。
仲間だからとか、同僚だとか、関係ない。この男は、やると言ったらやるだろう、とジルは思った。この、冷たい瞳で、容赦なく、冷酷に。
「ジル?」
クリストフの自分を呼ぶ声がした。もしかしたら、彼ならなんとかしてくれるかもしれない、という思いとともに、迷惑をかけたくない、という思いもまた強く、ジルは思わずウォンを見上げた。だが、そこにジェイクが割り込んで、薄く笑った。
「もうすぐあいつが来るな。泣き叫ぶおまえを助けるために俺に答えるか、それともおまえなど見捨てるか。どっちにしろ、あいつは悔しがるだろう。見物だな」
ジェイクは心底おかしいとでも言うように、にやりと笑った。ジルがまたごくりと唾を飲み込んだ。
「メイに、頼まれたんだな?」
ジェイクが先刻から繰り返す言葉は同じで、確信に満ちた声に、ジルは眩暈を感じた。
極秘だと言われていた。
でも、ジェイクはメイの信頼も厚い、組織のナンバー2だと言ってもいい人物だ。きっと、そんなことは知っていたに違いない。
言い訳をするように、ジルはそう胸のうちで呟いた。
「メイに頼まれたんだな?」
静かなその声に、ジルはとうとう、頷いた。
ジェイクはそれを確認すると、素早く手足を解き、猿轡を外した。それから、ジルの耳元で、俺たちとは会わなかった、いいな、と呟いた。
言えるわけがなかった。
クリストフに認められたくて、ジルは必死だった。だから、こんなことは言えるわけがなかった。ジェイクはきっと、その辺りのことはよく分っているのだろう。
素早く外の様子を探ったジェイクは、微かに足音がする部屋とは別方向のドアから身を滑らせるように出て行った。その後を追うように出て行ったウォンの目が、不安そうに自分を見たのを、ジルはどこか呆然としながら見送った。
「どういうこと?」
そっと外に出て、すぐに上階まで駆け上がった二人が落ち着いたのは、ウォンの知らない、レベル15区域の街角だった。辺りを憚るようにちらりと見て、ジェイクはウォンに答えないまま薄汚れたアパートの階段を上がっていく。その角の部屋の前まで来て、鍵を取り出したジェイクに、ウォンはまた同じ質問を浴びせた。
「隠れ家、見たいなもんだ。俺たちはこういうところを数箇所は持ってる」
ジェイクはそれだけ言って、ウォンに入るように促した。
室内はがらんとしていたが、戸棚からビールが出てきて、ウォンは思わず苦笑した。
「冷えてないけど我慢しろよ。ここは滅多に使わないから、電気もひいてないんだ」
そう言って床に座ったジェイクにならって、ウォンもぺたりと床に座った。埃が積もっていたが、気にしなかった。
それより気になることが、たくさんありすぎた。
「ここはって、まだ色々なところに隠れ家があるってこと?」
「まあな」
「知らなかった……」
呟いたウォンに、教えたら隠れ家にならないだろ、とジェイクは言ったが、ウォンは少しだけ淋しかった。その中の一箇所として、自分は知らなかったのだ。
仕方がないのだとはわかるから、淋しいとは決して口には出さなかったが。
「おそらくカイはもっと持ってるだろう。厄介だな」
ぬるいビールは炭酸がきつく、それに顔を歪めながらジェイクが言った。ウォンの陰のある表情に、唇を噛む。
悲しませたくないと、いつでも思う。
それなのに、自分のその願いを壊すのは、いつでも自分だった。
「さっきの、ジルのことは、どいうこと?」
ウォンはあまり飲む気がないらしく、瓶を手の中で弄んでいた。それをちらりと横目で見て、ジェイクは出そうになったため息をビールで流し込んだ。
「おまえが聞いた通りだ」
「メイが、ジルたちに頼んだ……?でも、どうして?」
カイなら、ジェイクが一番親しいし、ジルより自分の方が良く知っている。ウォンはひどく不安そうに瞳を揺らした。
「俺も、良くはわかっていない」
「でも、予想はしていたんでしょう?」
「気になることはあった……なあ、ウォン」
ウォンを見つめたジェイクの目が、迷っていた。何か嫌な予感に、ウォンは一層不安を濃くした。聞きたくない言葉を、言われる気がする。
「コンビ解消は、なしだよ」
だから、言われる前に先手を打った。
ジェイクは今度はため息を隠さずに、長く息を吐いた。それから、残りのビールを煽る。
「おまえ、その意味をわからないで言ってるだろ」
「意味?ジェイクと離れるってこと意外に、どんな意味があるって言うの?」
ウォンの言葉に、ジェイクは「だからさ」と悲しそうな目をした。そのまま迷うように、視線が彷徨った。
「このまま、この件から手を引け、って言っても無駄だよな」
独り言のような言葉に、あたりまえだろう、とウォンが返す。強気になっていないと、崩れてしまいそうだった。縋り付いて、離れないでと叫びそうだった。
「このままこの件を追うことがどう言うことなのか、わかってるか?」
「だから、さっきから何?」
ウォンはある意味純粋培養なのだ、とジェイクは思っていた。あの毎晩男を取らされていた日々から一転、仲間のいる生活となり、綺麗なはずの心は修復された。
でも、ジェイクたちはそんな綺麗な心を持っていない。
本音を出さず、いつ裏切られても、または裏切ってもおかしくない社会にいるのだとわかっていた。たとえ、同じ組織の中の人間でも。
そんな例は腐るほど見てきたのだ。
だから、梅花の中でも上級クラスの情報屋たちは、その組織にさえも隠している隠れ家があるのだ。あのクリストフも然り、キースも然り、だ。
「ねえ、どうしてジルたちだったの?」
「それは……わからない。なあウォン」
「だから、コンビは解消しない」
ウォンの頑なさはジェイクも良く知っている。でも、傷つけたくないのだ。ただそう言うだけでは、ウォンが納得しないとしても。
「ジェイクは何を心配して、何を迷ってるの?――何を、知ってるの?」
「おまえのことを心配しているんだよ。おまえのこれからのことと、メイとのこと……」
「メイとの?」
「メイのこと、大事だろう?」
「うん。たった一人の家族だから。でも、ジェイクも、カイも大事だよ」
そう素直に言い切るウォンが眩しい、とジェイクは思った。そのままにしておきたいと言う自分の願いは、我侭だろうか。
「じゃあ、答えは決まりだ。みんなを大事にして――おまえはもう関わるな」
「どうしてそうなるんだよっ」
「コンビは、解消しない。悪いが……」
利用する、と言うことは出来ずにジェイクは唇を噛み締めた。
分っていたはずだった。
ウォンを受け入れたときから、いつかはこうなるのだと覚悟をしたはずだった。それなのに、未だ迷うような自分がおかしくて、ジェイクは苦笑した。
「ジェイク、話がわからない。わからないまま、頷けない。言っただろう?ジェイクも、カイも、大事なんだ」
「メイも、だろう?このままこの件に関わりつづけると言うことは、メイを裏切る、ということだ。おまえに――メイを切り捨てられるか?」
すっと顔を上げたジェイクは、ウォンをじっと見つめた。その顔は無表情と言って良く、ウォンはそこに、縋るべき何かを見つけることができなかった。どうするのか、自分で決めろとジェイクは言うのだ。
先刻から、容赦のないジェイクに、ウォンは忽ち孤独に襲われていった。今までのジェイクはみんな嘘で、半身のように思っていたのに、ふっと気付いたらその半身はなかった。そんな感じだった。
「メイを、切り捨てる……?」
「ああ。梅花を、メイを、敵に回すかもしれない」
「なんで……?わからないよ」
「わからなくて、いい。だから、わからないままにしておけ」
ジェイクの顔が初めて歪んだ。ウォンはどうしたらいいのかわからずに、ただ呆然と、その顔を見詰めていた。