サイレント・ノイズ 第八話
――左目ノ行方――
03
ウォンの答えを待たずに、ジェイクは密かに行動を始めていた。ウォンが悩んでいる間に、できればある程度のところまで事を進めたかった。
コンビを解消したら、メイにその理由を問われる。または、問われる前に全てがわかってしまうだろう。だから、ウォンとのコンビは解消できなかった。ウォンが迷うようなことを言ったのも、ジェイクの中ではある程度計算されたことだった。
でも、とジェイクはため息をついて、掌で少しやつれた顔を撫でた。ウォンとのことがなくても、もう梅花には戻れないかもしれない。
いくつか隠し持っていた部屋に、人の気配が残っていた。特に荒らされた様子もなく、クリストフ辺りが自分を探しているのかもしれない、とジェイクはにらんでいた。
――ジェイク、連絡が欲しい。
簡易コンピュータの画面に、いくつも同じメッセージが映っている。それに、ジェイクは答えていない。そのメッセージも、二日前のものだ。それからは、ジェイクが通信を切っていた。
メイがカイのことを知っていて、キースがその研究内容を調べていたことはわかった。それが国立第八研究所のこととわかったのは、皮肉にも、カイ自身から聞いてわかったことだ。
それから、カイ担当を探した。エリカにエリカ担当の山吹がついているように、カイ担当がいてもおかしくないと思ったのだ。慎重に、でも鼻歌などを歌いながら、ジェイクは目の前のキーを叩いていた。
『……梅花のトップ情報屋が、何の用だ?』
『へえ、高級官僚殿が俺のことなんて知ってるの?』
『少なくとも、政府組織のコンピュータに違法アクセスができるような輩は押さえてある』
ようやく捕まえたカイ担当は、ジェイクの予想を反して、その違法アクセスを無視することなく、答えた。
『それで?何の目的だ?』
『わかってるんじゃないの?五年前、梅花、キース、カイ……』
キーワードを並べ立てると、沈黙が降りた。あまり良くない回線が、かすかな音を立てている。
『欲張るな。その中で知りたいのは何だ?』
『どれも別個のことじゃないだろ?知ってることはなんなりと』
『おまえはキースと組んでいた奴だったな。生憎だが、俺は五年前のことは知らないよ』
『知らない?』
『ああ。俺が担当になったのは最近だ』
『前の担当は?』
『いない』
『いない?』
そんなはずはない、とジェイクは思った。エリカは、研究所から連れ出されてずっと、山吹が追っていた。それをリュウとメイで守っていたのだ。
『どういうことだ』
『だから、俺は五年前のことは知らない。それだけだ。おまえもいい加減諦めな。キースみたいになりたくないなら』
『知らないって言ったのに、その名前は出てくるのか……キースは、やっぱりおまえ達に殺されたんだな』
『さてね』
『おい?』
『彼は本来、両目とも青かったんだって?綺麗だったろうね。見られなくて残念だ』
『どう言う意味だ』
ジェイクが思わず叫ぶと、男のくすくすと笑う声が聞こえて、通信は勝手に切れた。それからすぐにまたアクセスをしたが、もうその回線は使えなくなっていた。
五年前のことを、男は知らないと言った。
それなのに、何故キースのことを知っているのだ。
聞いたのならわかる。でも、男が「本来」という言葉を使ったことが、ジェイクには気になっていた。
キースはやはり生きているのかもしれない。
今更キースが全てを忘れていると言っても、驚いたりはしないとジェイクは思った。
あの研究所なら、それも出来る。
例えばカイが、全てを忘れているように。
それから、ジェイクは今まで使っていた通信回線を全て凍結して、新しい回線を開いた。その時点で、もう梅花には戻れないと思った。
メイは、キースのことも知っているのかもしれない。だから、ジェイクにもう二度と関わるなと言ったのだろう。
それなら、梅花と言う足枷はいらない。
ジェイクはそう思ってから、ウォンの哀しげな瞳を思い出して、唇を噛み締めた。
「知らないっ。俺は、何も知らないっ」
悲痛な叫び声が、豪奢な部屋の中に響いた。メイは目の前の今にも泣きそうなウォンを、やはり苦しげな表情で見つめていた。
「ウォン」
「知らないんだ。本当に、何も。メイ……」
ジェイクの居所を知りたいのは、ウォンの方だった。一人になりたいと部屋に篭った翌日、ジェイクは姿を消した。答えを待ってくれると思ったのに、その後いくら連絡を取ろうと思っても、答えてくれなかった。あげく、今までの通信回線は使えなくなっている。
梅花を――メイを――切り捨てられるか、とジェイクは言った。それなら、ジェイクは自分を切り捨てたのだ、とウォンは思った。
いつだってそうだった、と今更思う。追いかけるのはいつも自分で、ジェイクはきっと、いつでもそれを振り切る用意をしていたのだ。コンビなど組んでいても知らないことはたくさんあって、目の前から消えた途端、ウォンにはジェイクを見つけ出す手段さえわからなかった。
「メイ……何もかもが欲しいのは、俺が我侭だから?」
ぽたり、と落ちた涙が、柔らかい絨毯に吸い込まれた。メイはそれに耐えられず、自分と同じ位の背丈の弟をそっと抱き寄せた。
「違うわよ。当たり前のことだわ」
メイも、梅花も、仲間も、ジェイクも――何も持っていなかったウォンが手に入れたものを、手離したくないと言うのは、我侭でも傲慢でもない、とメイは思った。でも、だからジェイクはその中の一つだった自分を、切ったのだろう。梅花を失えば、メイも仲間も失うからだ。
いつか、こんな日が来るだろうと思っていた。ジェイクが「諦めろ」と言われて簡単に言うことを聞くような男ではないことはメイにもわかっていた。だから、カイのこともエリカのことも、肝心のことは言わなかった。
我侭なのは、自分なのだろう、とメイは思う。自分のその我侭に、みんなが振り回されているのだ。キースも、ジェイクも、このウォンも。でも、諦めきれなかった。
あの男を失って、唯一残されたものが欲しいと思った自分の願いはささやかだと思う。それなのに、どうしてそれが叶えられないのか、メイにはずっとわからなかった。ウォンの願いも、同じようなものだと思う。
「ウォン」
抱き締めたまま、ゆっくりとメイは言葉を紡いだ。
「あなたが、やりたいようにやりなさい。それで例えあなたが梅花を失うことになっても、私は、あなたの姉で居続けるから。それは、変わらないから。だから」
ジェイクの元に行きなさい、とはメイには言えなかった。それがとても危険だということもわかっていたから。
「メイ……」
「でも、お願い。全部終わったら、会いに来て。待ってるから、会いに来て」
ゆっくり顔を上げたウォンの目に、微笑むメイが見えたが、それはひどく淋しそうで、この人もとても孤独なのだ、と思った。少しも似ていない姉弟だと思っていたけれど、こんなところだけ似ているなんて、とウォンは自分達に苦笑した。
「メイ、我侭を言っていい?」
ウォンの言葉に、メイが首を傾げながら先を促した。
「俺は、梅花に残る。そして、梅花でジェイクを探す。それでは、駄目?」
一人で何かできるほど、ウォンは力を持っていない。ジェイクを探し出したいなら、梅花の設備と情報が必要だった。ずるいことを言っている、とわかっていたが、ウォンは必死だった。もう、何も失いたくないのだ。
メイは一瞬驚いて目を見開いたが、すぐにくすりと笑った。
「去るものは追わず、が私のモットーのようなものだけど、挨拶もなしに組織を抜けるなんて非常識男は一度締め上げないといけない、か。言ったでしょう?あなたの好きなようにしなさいって。でも、梅花に居続けるなら、情報は共有よ?それでいいのね?」
「わかってる。きちんと、報告する」
ウォンが頷くと、メイが仕方ないわねえ、と言う風に小さなため息をついた。全く、あんな男のどこがいいのだろう、とメイは内心毒づいた。メイにとっては所詮、可愛い弟に手を出す男など、誰にしろ気に食わないのだろうけれども。