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サイレント・ノイズ 第八話
――左目ノ行方――

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「隣空いてる?」と聞かれて、うんざりしたため息を吐きそうになっても、瞬時にそれをしなかったのは、その声が知った声だったからだ。誘うような声色は、からかうそれだったのかもしれない。ジェイクが答えるより先に、人の悪い笑みを浮かべたカイは腰をおろして、寄ってきたバーテンにウオッカを頼んだ。
「偶然、のはずがないな。探してくれたんだ?」
 ジェイクがわざと嬉しそうにそう言うと、相変わらずだ、とカイが笑った。暗い店内の、隣同士の顔がようやくわかるほどの灯りの下で、その笑顔が妖艶に見える。
「俺なんかより、余程必死に探してる奴がいるよ?」
 暗にウォンのことを言うカイに、ジェイクは目を伏せて苦笑した。視界の隅で、ウイスキーの中で泳ぐ氷が見えた。
 ジェイクだってカイを探していたのに、あろうことか自分の方が見つけられて、その上身辺情報まで調べ上げられているというのは、情報屋として情けない。組織を利用しているつもりが、結局守られていたのだと一人になってわかる。
「おまえが俺を探すっていうのが珍しいんだ。つれないカイは、こっちから声をかけないと遊んでくれないだろう?」
「人のものに手を出すほど、遊び相手に不自由してないよ」
「そのおまえが、わざわざ俺を探したわけは?そもそも、俺に用があるのか、それとも、もと組織員に用があるのか……」
 最後は独り言のように言ったジェイクに、カイはふっと笑いを漏らした。まったく、駆け引きのしにくい相手だ。
「手伝ってやってもいいけどな。メリットは?」
 からりと氷の音をさせながら、ジェイクはウイスキーを舐めた。笑った顔の中で、目だけが異様に冷めている。
「取り引きをしよう」
「餌は?」
「そっちはメイ個人のデータバンク。こっちは、研究所のデータ、かな」
 カイの言葉に、冷たく光っていたジェイクの目が、一瞬燃えるような視線を放った。カイはそれを知らぬ振りをして、ウォッカを飲んだ。果実の味付けがしてあるウォッカは、カイのお気に入りの一つだった。
「曖昧で不透明な取り引きはしないのがカイの信条だと思ってたけど?」
 遠まわしで、詳細のない取り引き内容に、ジェイクはそう言って抗議した。冷めた目は、再び酔いに潤んでいた。
「ジェイクが今一番欲しいものだよ。そのために、俺を探していたんだろう?」
「抱かせてくれるとでも?」
 にやりと笑うジェイクに、カイはふっと小さく笑った。
「そんな安いもんじゃないだろう、メイのデータは。だいたい、俺じゃあ代役は勤まらない」
「それを言うなら、俺だって役不足だろう?おまえのことだ。梅花のメインコンピュータに侵入ぐらいはしただろ。それでも駄目だった。おまえに出来なかったのに、俺にできるはずがない」
「そうかな。ウォンに頼んでも?」
 ふっと、風が凪いだように時が止まった。でもそれも一瞬で、ジェイクはくつくつと声を立てて笑った。
「おまえもきついことを言うよな。無理だ。おまえは、ウォンを傷つけたくないんだろ?」
「それはジェイクだろ。でもね、突然目の前から消えること以上に、傷つけることじゃないよ。だいたい、利用するのは俺であってジェイクじゃない。ジェイクは頼むだけだ」
「取り引きって言ったのはカイだろ?」
「じゃあ、ウォンのことは、純粋に頼もうかな」
「ウォンに、メイを裏切れと?」
 搾り出すようなジェイクの声に、優しいな、とカイが笑った。
「いつまでも純粋培養ができるような環境じゃないだろう?どうせ誰かがやるなら、俺がウォンに洗礼を受けさせてやるよ」
 そう言ったカイに、仲間などいらない、というカイの言葉をジェイクは思い出していた。それは、確かに梅花と言う組織の中でも同じだ。パートナーというのは、仲間であると同時に、監視役でもある。組織員の誰もが知っているそのことをウォンに教えなかったのは、メイとジェイクだった。
「洗礼、ね……」
 ジェイクはそう呟いたきり、黙って煙草を吸い始めた。くゆる煙を、追うとはなしに目が追っている。カイはジェイクが結論を出すのを、じっと待った。
「そっちの餌は、もう用意できてるのか?」
 たっぷり一本煙草を吸ってから、ジェイクが独り言のように言った。カイはそれに、苦笑する。
「痛いところをつかれたなあ。実はあんまり、上等なものじゃない」
「今後の成果も含めてってことか。それなら、いいぜ」
「え?」
「ただし、中に入るときは、俺にも同行させろ」
 探り合うように、二人の視線が絡まった。それからすぐに、カイがふっと笑った。
「中に入るとは、限らないだろう?ジェイクも俺には甘いってことか?それとも、」
 何か隠し持ってるのか。
 そう呟いたカイに、今度はジェイクが小さく笑った。
「ウォルター教授は、自分の研究を全て持ち出して処分してしまいたかったらしい。ところが、どういうわけか、その研究は続けられている。それどころか、実際に使われてもいる。研究は、完成していたのか、それとも完成させたのか」
「それで、殺された……」
「さあな。そこまでは俺も知らない。ただ、彼の願いは達せられていない、ってことさ」
 からり、と音をさせながらジェイクがウィスキーを飲んだ。カイは握った右手を唇に当てて、苦笑を隠した。ちらりと向けられた視線に、それを放っておくカイじゃないだろう、と言われていた。その目に、付き合いが長いって言うのはやだね、とカイはため息を吐いた。


 どこか見知ったコードからの回線に、ウォンはほとんど直感で答えた。八方手を尽くして、ジェイクのことを探しているのに、少しも手がかりが見つからず、疲労していた頃のことだった。
「カ……イ?」
『ハーイ、ウォン。久しぶりだね。しばらく見ないうちに、随分痩せたんじゃない?』
 もともと細いのに、駄目だよ、などと言っているカイは、あまり変わっていなかった。にっこりと笑う顔も、同じだ。
「カイッ。どうしたんだよ。急にいなくなって、どれだけ心配したか」
『ごめんごめん。ありがと。でも、ウォンのその憔悴しきった顔の原因は、俺、じゃないよね?』
「カイ?」
『知りたい?ジェイクが、どこにいるか』
 ウォンはカイのその言葉に、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がって、画面を覗き込んだ。カイはどこにいるのか、背景は剥き出しのコンクリートが見えている。
「知ってるの?」
『うん……知ってる、というか、ね』
「どこっ?」
 勢い込んで聞いたウォンの耳に、くすくすと笑うカイの声が聞こえた。その声に、どこか不気味さを感じて、ウォンは画面から少し離れた。じっとカイを見ると、笑ったままだ。でも、その目がどこか獲物を狙う獣のように、鈍く光っていた。
 ぞくり、と背筋を冷たいものが走る。これは、自分の知っているカイじゃない、とウォンは思った。それは、以前にジルを追い詰めたジェイクを見たときに感じたものと同じだった。
『仮にも情報屋が、ただで情報を教えると思う?』
 それも、こんなに高い情報を。カイは笑ったまま、そう言った。
「何が、欲しいの」
 ごくりと唾を飲み込みながら、ウォンは聞いた。目の前のカイを良く知っているはずなのに、未知のものに対するような恐怖があった。
『メイの個人データバンクの中の、俺の情報』
 口だけにやりと笑ったカイが言った言葉に、ウォンは息を呑んだ。それから、唇が震えたのがわかった。
『ウォンならできるだろう?』
「それを、やれって言うの」
『ジェイクの居場所、知りたくない?』
 それは知りたい。でも、それでメイを裏切ることは出来ないと思った。ぎゅっと唇を噛み締めたままのウォンに、カイのため息が聞こえた。
『簡単には落ちないと思ったけど、やっぱりだめか。仕方ない』
 口ではそんなことをいいながら、カイは面白そうに笑っていた。
 どうして、とウォンは思う。
 確かに、カイは組織の仲間じゃない。でも、友達だと思っていたのは間違いだろうか、と思う。自分とジェイクのことも、応援してくれたのに。
 それを問い詰めようとしたウォンの目に、信じられない光景が映った。くるりとカイの方の画面が動いて、部屋の片隅が写される。そこに、椅子に縛られてぐったりしているジェイクがいたのだ。
『これでも、駄目?』
「ジェイク!」
『本当は、キースみたいに目だけ送ってあげようかとも思ったんだけど』
「なん、で……」
『なんで?』
 くすくすとまた笑い出したカイを、ウォンは信じられないものでも見るような目で見つめた。それから、ゆっくり視界が霞み始めたのがわかった。
『これが、情報屋世界だよ。ウォンは、よっぽど大切にされてたんだね』
「カイ……」
『俺も別にジェイクは嫌いじゃないしね。本当はあんまり痛みつけたくないんだ』
 だから、ね?と首を傾げるカイを、ウォンはぐっと睨みつけた。甘いと言われればそれまでだが、でも、許せないと思った。それでも今は、ジェイクを守りたかった。何よりも大切なものが、傷つくのは嫌だった。
「……わかった」
 だから、搾り出すような声でそう答えた。
 悔しくて、でも、ひどく哀しかった。


「ったく。契約違反だろーが」
 ウォンとの通信を終わらせ、コーヒーを入れていたカイの後ろで、ジェイクがうめきながら起き上がった。椅子からはとっくに解き放たれて横にされていたのを起き上がって、薄いが柔らかいラグの上にあぐらをかいて坐る。
「何が?」
 コーヒーをもう一杯注いで、カイはそのジェイクにカップを差し出した。
「何がって、突然訳のわかんないもん嗅がせやがって……」
 当初の計画では、ジェイクがウォンと交渉をするはずだった。例えウォンを傷つけることになっても、それですっぱりと完全に別れるつもりだった。
「油断してる方が悪いんだよ」
 カイはそう言って、笑う。
 それが少し淋しそうなのは、気のせいではないだろうとジェイクは小さくため息をついた。結局、優しいのだ。自分が一番、傷つくような方法をとって。
「それで?」
「もちろん、成功したよ」
 笑ったカイの顔は、いっそ爽やかで、それが返って哀しみを思わせた。


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