サイレント・ノイズ 第九話
――消エタ記憶――
02
画面に映るその少女の名を、サラと言った。隣には簡単なプロフィールがついていて、イアンと言う兄のことも書いてあった。
そう言えば、サラ、と呼ばれた記憶があった。
でも、それは一体いつのことだったのだろう。
カイはぼんやりとそんなことを考えていた。
ジェイクがキースの瞳の識別コードを使っているのを見て、自分の目も試してみようと思った。そして出てきたのが、このサラという少女だった。その関連が掴みきれないまま、付随していたデータを見ているうちに、カイは自分の名を見つけたのだ。
No.717、名称、カイ。
エリカのことやこの研究所のことを調べているうちに、この百番台の番号が、何かしらの研究番号なのだとわかった。No.330のエリカは例えば、プログラムナンバー300の、30人目の被験者と言うように。その中で、ウォルターの研究プログラムは、ナンバー500を当てられていた。その被験者だと思っていたカイは、眉根を寄せた。では、プログラムナンバー700は、一体何の研究だと言うのか。
そのカイのデータには、サラのほかに、二人の人物が載せられていた。
アキ、と呼ばれた少女。
シリル、と呼ばれた少年。
その二人を、カイは全く知らない。知らないはずなのに、またあの、どこか皮膚感覚とでも言うような、生々しい感覚が知っていると訴えるのだ。
背筋がぞくぞくとして、吐き気が襲ってきた。それを堪えて、画面を下げていく。それから、「報告書」と書かれたところをクリックした。
忍び込んだことも忘れて、音を立てて立ち上がった。手が、無意識にその画面を閉じていた。
見てはいけないものを、見たと思った。
「カイ、どうした?」
ジェイクの、不審な声がした。でも、答えることは出来なかった。
混乱して、言葉にすることが出来なかった。
ジェイクが画面を覗いた。サラと、アキと、シリルと。三人のデータが、並んだ画面を。
「カイ……これは……?」
良く知った、ジェイクの声が遠かった。一体、誰を呼んでいるのだろう、と思った。
カイと言うのは、一体、誰だ、と。
「俺、誰だよ」
知らず、呟いた。身体が震えて、止まらなかった。
「俺、一体誰なんだよ」
画面を開いた先には、「移植報告書」と書かれていた。
「カイだ」
静かな室内に、ふいに良く通った声が響いた。カイとジェイクが、びくりと身体を震わせて振り向くと、蘇芳が立っていた。その手に、ウォンを捕らえて。
「ウォンが、なんで……」
蘇芳がいることより、ウォンがいることの方が、カイには不思議だった。何しろ、ここの扉を開けたあの指紋は、蘇芳の指紋だったのだから。
「なんで……って、カイが呼んだんだろう?」
困惑した声を出したのは、ウォンではなく葵だった。蘇芳の後ろから、そっと室内を覗いていた。
「葵まで……俺が呼んだ?」
「データの引渡し場所として、ここを指定したのは、カイだろう?」
眉根を寄せていくカイに、葵が言い募る。しかし、カイは首を振った。
「それは、俺だよ」
その横で、ジェイクが静かに告げると、蘇芳の腕の中のウォンが身じろいだ。
「カイの名でウォンを呼んだのは、俺だ」
「なぜ?」
「なぜ?俺の周りをうろちょろされたら、困るからだ。ここで、はっきりと始末をつけようと思っただけだ」
ジェイクの声は冷たく、葵はウォンが気の毒になったほどだった。カイが横で、ため息を吐いた。
「葵は……」
どうして、と聞くまでもなく、プログラムナンバー500のことを知るために、ウォンを脅しでもして一緒に来たのだろう、とカイは問うことをやめた。そして、幹部候補生の葵と蘇芳が顔見知りでも、おかしくない。
「それで?梅花のデータは?」
もう、それも大した価値がなくなったな、とカイは思っていた。全ての答えが、ここにあるのだから。
蘇芳の腕の中で、ウォンが蒼白の顔のまま頷いた。それに、ジェイクは馬鹿だ、とカイは思う。
「で、蘇芳、あんたはどうしてここにいる?」
カイは、机に寄りかかって、それでも気丈に笑って見せた。そうしていないと、崩れてしまいそうだった。
「おまえに、会いに来た、と言ったら?」
「誰に」
「カイ、おまえだよ」
「誰だよっ」
ぐっと手を握って、カイは思わず叫んでいた。その名を、呼んで欲しくない。頭が、混乱するばかりだから、その名を言うな、とカイは思った。その上、蘇芳になど――
カイではなく、カイの中の誰かが、蘇芳を知っていた。
だから、最初から警戒心もなく、のめり込んだのだ。
「誰だ。俺は、誰なんだ?」
蘇芳にとって。
ウォルターにとって。
全ての、人にとって。
瞳はサラのものを。
脳はアキのものを。
そして身体は、シリルのものを。
それら全てを合わせたのが、カイだった。
そして、刷り返られた、記憶。
「カイ、だ」
それなのに、蘇芳はそんなことを言う。カイは、何度も首を横に振った。
人は、そんな風には生まれない。
生まれるべきでは、ないのだ。
「違う。俺は、おまえを覚えてる。俺の知らないところで、おまえを覚えてるっ」
「でも、おまえはカイだ」
「どうして……どうして、こんな」
カイは耐え切れずに、どさりと椅子に座り込んだ。
「何の意味がある?こんなことに、何の意味があるって言うんだ」
そんな、張り合わせの人間を作ることに、どんな意味が。
蘇芳が、小さく息を吐いた。
だから、逃げろと言ったのだ。逃げて、どこかで、賑やかに、穏やかな生活を送れば――。
そう思って、でも、それさえも叶わないのかもしれないと、蘇芳はカイの運命を呪った。
そう、こんなことに、どんな意味があるというのだ。
孤児だと言う理由だけで、アキは被験者になった。
一人の、命を救うために。
国を、救うために――。
国を?この、病んで腐った国を?
蘇芳は、微かに笑った。違う、と思う。
救うためではない。
病みきった国を、崩すためだ。
そう思わなければ、ここで消えた、いくつもの命があまりに惨めだった。
そして、生まれた命も――。
「プログラムナンバー700は、たった一人のための特別な実験だった」
蘇芳は、静かに口を開いた。
知るべきなのだ。
自分が、どうして作られたか。
カイはそれを、知らなければならないのだ。