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サイレント・ノイズ 第九話
――消エタ記憶――

04―最終話ー
 ゆっくりと目を開けたら、真っ白の天井が見えて、カイはまだ自分は夢の中なのだと思った。
 どこが始まりとも、終わりともわからない、何もない空間の中を彷徨っていた。周り中が白いのか、何もないのか、それさえもわからなかった。
 怖いとも、不安だとも思わなかった。逆に、安堵していた。
 それは多分、わかっていたからだ。
 これから、ここは何かに埋め尽くされると。だから、何もないことを、恐れなくてもいいと。
「起きたのか……?」
 静かな、柔らかい声が聞こえて、カイはぼんやりと視線を動かした。
「蘇……芳……」
 呟きは、声になったのかわからなかった。それでも、蘇芳は笑って、カイの頭を撫でた。
「随分眠っていたから、まだぼんやりしてるな。起きられるか?」
 どこか不思議なものを見るような目で、カイは蘇芳を見つめていた。
 どうして、蘇芳がいるのだ。そして、ここは一体どこなのだ。
 カイは視線を、もう一度白い天井に戻した。
 ゆっくりと、思い出す。丁寧に、全てを零さないように。
「不思議だね、瞳にも記憶があるんだ」
 ずいぶんと長い間、瞬きも忘れたかのように天井を見つめていたカイが、独り言のように言った。起き上がろうとしたそのカイに、蘇芳がそっと手を貸す。上半身だけ起こして、カイは息をつきながらベッドヘッドに身を預けた。
「俺、イアンの狂ったような顔しか見てないはずなのに、優しく笑った顔を知ってる」
 カイはそう言って、遠くを見た。サラの、わずかな記憶。声や手や感触はわからなくても、その笑顔だけをカイは覚えていた。
「どうして、忘れようとしたんだろう。こんなに、覚えているのに」
 イアンと出会ったことを、カイは忘れていた。自分が狙われたのに、どうしてその顔を忘れていくのか不思議だった。
 蘇芳がそれに返答しかけて、思い直したように口を閉じた。視界の隅でそれを見ていたカイは、小さく笑った。
「俺ね、全部思い出したよ。アキのことも、研究所に居たときのことも、ウォルターのことも、蘇芳のことも」
 たぶん、全てのことを。
 そのカイを見て、蘇芳は傍らの椅子に座って、ゆっくりと口を開いた。
「イアンのことは、思い出さないように、プログラムされていたんだろう。もちろん、俺のことも。イアンはそれを無理に思い出させようとしたから、拒否反応がひどかったんだろうと思う」
 それはカイのみではなく、アキも同じだろうと蘇芳は思っていた。そうして、自分を守っていたのだ。
「蘇芳には、拒否反応は起きなかったね」
 くすくすとカイが笑う。
 それは、アキと蘇芳が幼いときしか会ったことがなく、その上アキは目が見えなかったことに関連しているのだろう。だから、朱理の言う「記憶の呼応」が起こりずらかった。
 蘇芳は、もうすっかり遠い記憶でもあるかのように、細く綺麗な自分のパートナーを思い浮かべようと目を瞑った。
――朱理、一体おまえは何をしたい?
――わからない?俺は記憶の呼応を見たいんだ。
 あの薄暗く緊迫した室内で、朱理はゆったりと笑った。崩れ落ちたカイを腕に、蘇芳は半ば呆然としていた。
――おまえ……
――言っただろう?おまえをこの職につけるのに、興味深いと言った研究者がいた、と。
――それが、おまえか……
 朱理は薄く笑ったまま頷いた。お互いに、騙し、騙されていたのだ。蘇芳もまた、笑いたい衝動にかられた。
――ま、お互い様だ。それより、早くここから抜け出ないと、本当の担当が来る。
――本当の……?本部長、か。
――当たりだ。
 にやり、と笑った朱理は、自分も危ない橋を渡っていることを気にしていないようだった。
「蘇芳?」
 カイの心配そうな声に、蘇芳は目を開いた。それから、なんでもない、という風に微笑んだ。
 朱理に怒りが湧かなかったわけではない。散々研究者達のおもちゃのように扱われた人間を思うと、朱理の行動を許せなかった。
 でも。
 朱理は、別れ際に自嘲しながら言ったのだ。俺もやはり、ウォルターの弟子なんだな、と。
――放っておいても、彼はそのうち錯乱する。それなら、無理やり思い出させたらどうかと賭けたんだ。自分の意志で、思い出したら。
 その賭けは、どうやら成功らしい、と蘇芳は今はどこにいるのかわからない朱理に感謝した。少なくとも、今目の前にいるカイは、錯乱していない。全てを思い出したといって、穏やかな顔をしている。
「みんなは、どうした?」
「ばらばらだ。あの後、本部長が来たからな。それぞれ逃げているはずだ」
 捕まったかどうか、今の蘇芳には知る術はない。でも、葵は朱理が一緒に、ウォンはジェイクが一緒に連れ去ったから、大丈夫だろう、と蘇芳は思っていた。
「で、俺たちはどこにいるの?」
「街の外だ。ずっと南に下って、今は山陰にいる」
「良く出られたね」
「他人事のように言ってくれるな。ったく。人がIDカードを作れるように渡したデータをそのままにしやがって」
「あ、あれ一応歯の中入れたんだっけ」
「寝てる間に、探させていただきました」
 そう言いながら蘇芳がカイの唇をなぞると、カイが儚く笑った。
「カイ……」
 消え入りそうな様子に、蘇芳が思わず呟くと、やっと呼んだ、とカイが言った。
「え?」
「名前、やっと呼んだね。でも、IDカード作ったってことは、また違う名前か」
 どうでもいいことかもしれない、とカイは諦めて笑った。名前など、もう。
「いや、同じだよ。俺はさすがに偽名だけどな」
「同じ……?」
「ああ。カイなんて珍しくないだろう?だからそのままにした」
 笑う蘇芳を、カイが呼んだ。
 一度だけでいい、確かめたいとカイは思った。
 全ては、自分の中だとしても。
「俺って……誰?」
 みっともなくも声が震えた。でも、聞かずにはいられなかった。
 蘇芳は、ゆっくりと、泣きたくなるほど優しく笑った。
「カイは、カイだろう?」





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