椿古道具屋 第三話
枕の神さま 06
「なあ、さっきの本当?」
今年はなかなか暖かくならない。もうすぐ2月も終わるというのに、春の気配が薄い。コートではなくて、厚手のパーカーで出て来てしまった史朗は、寒さに肩を縮めて歩いていた。
「さっきのって?」
「うちの母親が聞いた奴だよ」
「彼女の話?」
うんうん、と頷くと、こちらはしっかりとコートを着た凪は、ふと笑った。
「なんで? 気になる?」
「なんでって……なんかさ、良く聞かれるから」
「史朗が?」
「そ。この間鶴屋に行ったときもさ、見られてたらしいよ。学校で、知り合いかって聞かれた」
「で? なんて答えたんだ?」
「なんてって……。中学の同級生」
ふーん、と凪は少し不機嫌な顔だ。気持ちは分からないでもない。いつも見られているなんて、疲れるだろうな、と史朗は思う。
「彼女がいるか、いないかって話なら、いないよ」
凪はそう言うと、バスが来た、と言って走り出した。史朗は凪の答えにほっとしたような、もやもやするような気持ちを抱えたまま、その後を追いかけた。
気になっていた「彼女」の正体は、すぐに知れたのだった。鶴屋に行くと、店の奥からあの写真の女子高生が出て来たのだ。
「来てくれたのね」
写真で見た通り、美人だったが気が強そうだった。にっこりと笑うと、駆け下りて来て、凪の腕をとる。まるで腕を絡めようとしている様子で、態度もなんだか馴れ馴れしい。凪はその腕を振り払ったが、彼女は全く気にしていないようだ。
凪は振り返って、史朗についてくるように目配せした。
店の奥には、外に出られる戸があった。中庭らしきところを通ると、母屋だろう、大きな屋敷があった。彼女はその玄関に二人を招き入れた。玄関も広く大きかったが、その先に続く廊下が長い。
「誰?」
史朗は、前を行く凪に小さく聞いた。
「鶴屋製菓の現社長の社長令嬢」
凪の声には、多少の揶揄があった。彼女の態度が、あまりにそれらしいからだろう。前を歩く姿は、客を招き入れているような態度ではない。史朗たちを付き従えている、という感じだ。そもそも、史朗のことは眼中にない。凪のお付きのもの、ぐらいの認識なのかもしれない。
「この間は楽しかったわ。次の日、学校に行ったらクラスメートがうるさいったらなかった」
楽しげな声だった。この間とは、二人でお茶をしたときのことだろう。写真では、それほど面白そうではなかったが……。
凪は何も答えない。話す気がないのかもしれないが、顔が見えないのでどんな気分なのかわからない。
連れて行かれたのは、かなり奥の部屋だった。眩しいくらいに白い障子の前で、彼女は立ち止まった。
「失礼します」
すっと開かれた障子の先には、10畳ほどの部屋があった。その真ん中に、やはり白い布団が敷かれている。そこに溶け込むかのように、横たわる人物がいた。それほど、髪も肌も白かった。
「先ほどお医者様が来ていたから、今は眠っているみたい」
その人物が誰であるのか、さすがに史朗にもわかった。草加の祖父、喜三郎だろう。やはり亡くなってなどいなかったのだ。だが、元気と言う訳でもないらしい。
「状態は?」
「あまりよくないわ。最近はほとんど起き上がらないし」
凪は頷いて、中に入らず頭をさげると、「行くぞ」と史朗に言って、戻り始めた。
「神鳥さん、せっかくいらしたんですもの、お茶はいかが?」
社長令嬢が少し慌てたようにそう言うが、凪は「結構です」とそっけない。結局、お礼は言ったものの、社長令嬢とはほとんど話もせず、史朗と凪は鶴屋を辞した。
「あの社長令嬢、えーと、名前なんていうの?」
「富山涼子。富山将一の娘ってことだな」
「あの男の……」
母親が美人なのだろうか? あの父親と涼子がどうも結びつかない。
「さっき布団に臥していたのは、鶴屋の創業者、喜三郎氏だ。その息子が富山将一。その娘が涼子。草加は、富山将一の甥になる」
つまりは、叔父、甥の二人があの香枕を欲しいと言っていることになる。
「なんか良くわからないんだけど……。二人は、なんで香枕様を欲しいわけ?」
「財産問題だよ」
わからない。財産問題と香枕様がどう関係するのだろう?
「喜三郎氏は、残念ながらあの様子ではそう長くない。会社は将一が社長だから、問題になることはない。でも、あの広大な家屋に土地、様々な美術品、あそこ以外にある土地が誰に渡るのか、わからないらしい」
「わからないって……」
「遺書がある、という噂があるそうだ」
「遺書?」
そう、と凪が頷く。二人は話しながら駅まで来ると、電車の切符を買った。
「遺書にすべてが書かれているーーーそう言う話らしい」
「それで、香枕様はどう関係してくるんだよ」
「火事のときに焼け残った、香枕を探してこい、そう喜三郎氏が言ったそうだ」
「そこに遺書があるってこと?」
「話し振りからすればそう言うことだろうが……。あの香枕を虎之介じいさんが買ったのはいつだった?」
「メモは、確か10年位前の日付があったと思うけど」
もし、10年前に手放したのであれば、遺書が入っていてもおかしくはない。だが、なぜ手放すことになったのだろう?
「15年ほど前、会社が一時期危なくなったことがあるらしい。それで、多くの美術品を手放した」
「あの香枕様もそのときに?」
「だろうな。でも、そのときには既に火事で焼け焦げた跡があっただろうし、そんなに大金になったとは思えないけどな」
それほど、逼迫していたのだろうか。
「ともかくも、喜三郎氏はこの香枕を探すように言った。それで、叔父と甥が必死で手に入れようとしている、というわけだ」
草加が、かなり乱暴に香枕様の引き出しを開けようとしていたことを思い出した。あの中に、遺書があると言うのだろうか。
「あの引き出し、開かなかったよな」
「開かないのか、開けさせないのか……」
どういうことだと凪を見ると、悪戯小僧のような顔をして、笑って言った。
「枕様に聞いてみたらいいんじゃないのか?」
香枕様は、その日に寝たのが史朗であったことに、あからさまにがっかりしていた。神さまなのに、まったく不平等だと史朗は思う。せっかくの夢の中、なんだか楽しくない。
「すみませんね、凪じゃなくて」
「本当ですわ。史朗様なら、別に眠らなくても良いものを」
「え? そうなんですか?」
「史朗様は普段もほかの神様たちとお話なさっていますでしょう? 同じことでございます。まあ、私の気が乗れば、の話ではございますが」
全くもって扱い辛い神さまである。きっちりと正座をして、少し小首を傾げるように笑う姿はお嬢様然としていて、つい「お願いします」と頭をさげたくなる。史朗は夢の中だと思いつつ、自分も布団の上に正座をした。
「香枕様にとっては、良いニュースを持って来たと思うんだけど」
「良いニュース?」
「喜三郎さん、亡くなってなかったよ」
まあ、と香枕様は両手を合わせ、口を覆った。澄ました顔が、急に人間味を帯びた表情になり、目も潤んだようになった。「よかった……」と呟いたその声は、しみじみとしていた。
「喜三郎様は、お元気でいらっしゃるのかしら?」
「それが……」
昼間に見た光景をなるべく脚色なく話す。香枕様の顔が、だんだんに曇っていく。
「まあ、床に臥せったまま……」
「あんまり、長くないらしい」
香枕様は肩を落とし、小さくなっていく。
「史朗様。私、喜三郎様にお会いしとうございます」