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蜜と毒


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葉が色づき始めると、学校も慌しくなった。と言っても忙しく動かなくてはならないのは、大学受験を控えた三年生に関係しているものだけだった。
日が経つごとに、気持ちの余裕が無くなっていくのがわかる。
京梧はそれが、受験だけの所為ではないとわかっていた。ただ、すりかえるのは簡単で、受験の所為にできることは、かえって京梧を救っていた。
月日が経つことを諦めるのは、容易い。でも、それに伴う苦痛を和らげる方法を見出せなかった。
あのとき以来、京梧は何度か裕貴を学校で抱いた。それは裕貴が自分のものだと言う愚かな思いの確認で、裕貴はそれを冷たく笑った。
不必要なほど、「紺先生」と、何度も囁く。学校であることを意識させるその幼い声を、京梧は堪らなく嫌だと思いながら、それでも発せずにはいられなかった。
二人のしている行為は、先生と呼ばれながらするものではない。
でもだからこそ、自分にしか許されていない行為のように、錯覚できたのだ。
遠く聞こえるグラウンドの生徒の声も、時々聞こえる廊下を歩く音も、二人の行為が危険であることを思わせた。
でも、そうすることで、京梧の気持ちとは反対の方向へ二人の関係は進んで行った。
恋人と呼ぶには、違和感がある関係。
京梧は裕貴がどうして抱かれるのか知らない。初めに犯したのは確かに裕貴で、でも、それがどんな欲望の果てだったのか知らないのだ。
セックスの快楽の清らかさなど、京梧は信じることが出来なかった。
裕貴をカッコイイと陰で憧れ、夢見る女生徒たちとは、同じになれなかった。気持ちの伴わないセックスもあると、知っていたから。
男の方が多分、そういうことに残酷になれる。
「気持ち良いからするんだよ」
そう嘯いても、それが真実に成り得る。
この時期の授業は、生徒にとっても教師にとっても、あまり楽しいものではなかった。本来の学習の意味を無視して、受験に向けて一直線だからだ。
「紺先生、つまらない授業はやめません?」
日が落ちるのがだいぶ早くなったことを感じながら、京梧は資料室の窓を開けた。幾分本気と嘲笑が混じったその声は、風に乗ってはっきりと裕貴の耳に届く。
「言ってくれるなぁ。でも、お前は何のために高校に入ってきたんだ?」
「大学に行くため、って言って欲しい?」
「そう言ってくれれば、つまらない授業も我慢しろって言えるな」
「おおもとが腐ってるのか」
「そういうこと」
裕貴がそう悔しそうに笑うと、京梧は裕貴もまだ若いと、妙な安心を感じた。教師と言う特別な環境に、すれていない。二人を隔てる壁が、薄いような錯覚を起こさせてくれる。
「最初が駄目なら、直すのは大変だな」
「そうだ」
大切なことはたくさんあって、一つ一つを確かにしていくことは、ひどい努力と根気が要る。それを分かっているから、最初は肝心なのだ。はじめに間違えば、その後の全ては無駄になる。
それは、二人の関係にも言えることだった。今あがいているのは、最初に間違ったからだ。でも、そうするしかなかったこともまた事実だ。
だから今、二人は無駄な努力を重ねている。気持ちをどう誤魔化すか、必死になっている。最初から、こうなることはわかっていたはずだ。誤魔化せないから、苦しむことに。
「世の中無駄だらけ」
「そんなもんさ。それがなきゃ、大切なものは大切にならない」
京梧はほんの少し遠くを見た後、裕貴を手招きした。裕貴は苦笑して、近づく。
「高校三年生にする話じゃないな」
悪かった、裕貴はそう言って、京梧に口付けた。
京梧が将来に不安を抱いていることを、裕貴までもすりかえた。京梧が最後まで結果の出ない大学を受験することを、裕貴は知っているのだろうか。二人が縋り続けるものがあることを、知っているのだろうか。
このごまかしは、いつまで耐えられ、続くのだろう。


高校時代は、気の迷いと中途半端な憧れで出来ている。
裕貴は、京梧にそう言ったことがあった。10代後半のこの時期は、大人になりきれずに、大人になる前の最後の足掻きを楽しむのだと。
自分を抱きたがる京梧を、裕貴はそう言って笑った。
興味でしかないのだと。
「じゃぁ、ユーキはなんでこんなことするんだよ」
「壊したかったんだろう。自分を罪に陥れたかったんだよ」
「……罪だって」
京梧が呆れたようにため息をつく。
「そうだろう?」
「なんで」
「人は背徳な行為に惹かれるんだよ」
「……」
「わかるだろ?」
「――あぁ」
禁忌といわれるからこそ、それは甘く誘う。たった一人で犯せるものではないから。分かっていて、二人で犯す禁忌だから。
共通の秘密。
それはどんなものでも、甘い。
「甘いも苦いも紙一重なんだよ」
裕貴が、京梧の首筋を甘噛みした。京梧は背筋がぞくりとしたのを感じる。
それは確かに甘く、危険な匂いを孕ませて、その行為の魅力を一層引き立てていた。







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