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遠景涙恋
第十一章 密約


05
 はあはあ、と荒い息遣いが部屋に満ちていた。キーファは最初の頃が信じられないほど優しくリーフィウを抱いていて、リーフィウは快楽の中で意識をふらつかせていた。
 柔らかく辿る唇が、何度も腕の傷を舐める。すっかり放っておいてあった傷に気付いたキーファがシャリスに見せようと言ったのだが、リーフィウはふるふると首を横に振った。傷はそれほど深くない。でも、赤い筋はすぐには消えなかった。
「大……丈夫」
 もう何度目かわからない言葉を口にする。傷のことも、抱かれることも、リーフィウが何度そう言ってもキーファは心配でならないようだった。
 傷のことを言うなら、キーファのほうが余程いろいろな傷を負っている。鍛えられた身体はうっとりするほどだが、改めて見たその傷の多さに、リーフィウは眉根を寄せたくらいだった。それを誤解したキーファは、再び麻の下着を着ようとして、リーフィウは押し留めなければならなかった。
 ただ、どれだけ痛かっただろうと、思ったのだ。
「ん……ぁ」
 ゆっくりと、撫でるように中を揺らされて、リーフィウはキーファにしがみついた。もう、何度達したかわからない。でも、キーファは何度も求めてきて、リーフィウもキーファを離したがらなかった。
「あ、あぁ……やぁ――」
 強烈に襲う快感に、リーフィウはキーファの背に知らず爪を立てていた。それさえ甘やかな痛みとして受けたキーファは、何度も腰を揺らして追い立てる。
 もし、嫌だと泣き叫ばれたら、もう二度と触れないと覚悟をしていた。どれだけリーフィウが言葉で求めてくれても、その傷は深いはずだとキーファはわかっていた。だからこそ、傷つけないように、ただただ丁寧に抱こうと思った。それでも、身体は竦むはずなのだ。
 でも、リーフィウは、それで離れようとしたキーファをぎゅっと握って離さなかった。大丈夫だと、何度も言った。
 大丈夫だから、どうか教えて欲しい。
 あなたが本当に、私を求めてくれるのか、教えて欲しい。
 すっと頬に唇を滑らせると、それを求めてリーフィウの唇が開く。
 それが、どれだけの喜びを齎すか、きっと本人は知らないに違いない。
 一際甲高い声が上がって、ふっと腕の中の身体が重くなった。キーファはゆっくりと動きを止めて顔を覗き込んだ。リーフィウが意識を失ったのだ。
 その身体を、キーファはもう一度、ぎゅっと抱き締めた。


 ふっとひどく心地良い温かさが離れていって、リーフィウは重たい瞼をなんとか上げようと数度瞬きをした。これほど気持ちのいいものを離してしまったら、とてももったいない。
 まだ完全に起きていないのだろうリーフィウは、焦点の合わない目で何度か瞬きをしていて、キーファは起き上がりかけていた身体の動きを止めた。まだ起きなくていいと、そっとその頬や瞼を指で撫でると、うっとりと目を閉じる。それで起き上がろうと上半身を浮かせたら、今度こそぱっちりと、リーフィウの目が開いた。
「おはよう」
 仕方なしにそうそっと髪を撫でると、リーフィウはその茶色い瞳でじっとキーファを見た。だが、意識がはっきりしているようには思えなかった。
「もう少し、寝ていたら良い」
 ようやくキーファは起き上がろうとしたが、ふっとリーフィウの手がその胸に伸びてきて、またしても動きを止めることになった。
「本当に、ここにいらっしゃるのですね」
 すっと、傷だらけの肌に細く白い指が滑る。それに片眉を上げて見せると、リーフィウがふわりと笑った。
「今までキーファ王が朝に隣にいらしたこと、なかったですから」
 本当に嬉しそうなリーフィウに、キーファの顔も僅かに綻んだ。
「そうだったか?」
「そうです。ですから、私も起きます」
 いや、と押し留める前に、リーフィウが元気よく起き上がった。だが、それと同じ位の勢いで、再び布団に沈んだ。
「あ……」
「昨晩、手加減しなかったからな……辛いだろう」
 リーフィウはわずかに顔を赤くしながら、布団の中からちらりとキーファを見上げた。視線に、少しだけ、恨みが篭っている。
「せっかく、キーファ王がいらっしゃるのに」
 ただ、どうやらそれが気に入らないらしいとわかって、キーファはふっと笑った。それから、それならばと今度こそ起き上がって、リーフィウを抱き上げた。
「え、キーファ王?」
 リーフィウが慌ててキーファの首に腕を回して、その顔を見上げる。キーファは仕方ないだろう、という風な、少し面白がっているような表情をしていた。
 扉の前に来て足でそれを開けるという行儀の悪いことをして、キーファは続きの間に入った。そこではいつも朝の早い主のために、既に用意が整っていた。いつもなら顔を洗ったり手水を貰ったりするのは寝室なのだが、今日は二人とも居間に来たために、そこで全ての準備をすることになった。
 リーフィウには、いつものようにイーザがつく。もともと王付きの侍女だったイーザは、リーフィウがここで夜を過ごすと知って、朝にここまで出向いてきたのだ。
「おはようございます、キーファ王、リーフィウ様」
 イーザの挨拶に、キーファは鷹揚に頷き、リーフィウは顔を赤くして小さく挨拶を返した。抱きかかえられているのだ、恥かしい。
 キーファはゆっくりと丁寧な仕草でリーフィウを座布団に下ろすと、支度を始めた。リーフィウは起き上がれなかったのだが、イーザは心得ていて、そのまま顔を洗ったり髪を梳いたりした。なんだか何もかも知られているようで、リーフィウにしてみれば少しばかり居たたまれない。
 本当は、知られているも何も、その首筋やゆったりとした寝着の首周りから覗く肌に、いくつもの赤い痕がついていて、何があったかなど一目瞭然だった。もちろん、イーザは微笑みつつもそれを言うことはない。
 どうやら、お二人はようやく想いを通じ合わせたらしい。それだけで、イーザには喜ばしいことだった。昨日、あれほど悲しいことがあったから、その喜びはひとしおだ。
 だが、二人の朝食は、それほど和やかなものとはならなかった。次々と色々な報告が入ってきて、キーファはその対応に追われていたからだ。
 リーフィウは、なるべく無関心を装ってみたが、キーファの母親の死や、昨晩のザッハのことが気にならないはずがなかった。あれからキーファが荒れて、それどころではなかったが、今になれば、ザッハも十分心配な状態だった。若いのに、どこか一歩下がった印象のあるザッハが、あれほど声を荒げ、泣きそうな顔をしたのをリーフィウは見たことがなかった。
 それに、その言葉も不可解だった。イル・ハムーンが本当にやった、とはどう言う意味なのだろう。
 そんなことを考えている最中に、ザッハはどうしますか、と言ったラシッドの声が聞こえてきて、リーフィウは思わず顔を上げた。キーファはかなり厳しい顔をして、今回は外したほうがいいかもしれない、と言った。
「ですが、それではザッハは納得しないでしょう」
「……審議に出ても、納得はしないだろう」
「それは、どう言う意味です?」
 ラシッドの眉根が寄った。だが、キーファはそれ以上は語る気がないらしく、「やはりザッハの出席は認めない」と言った。
 その横顔が、ひどく苦悩に満ちていて、リーフィウはそれをじっと見つめた。


 じじじっと油が燃える音が聞こえていた。膝をつき頭を下げ、その赤い絨毯の敷かれた床を見ながら、イル・ハムーンはその音を聞くとはなしに聞いていた。沈黙は痛くもあり、そして可笑しくもある。はやく始めてくれなければ、今にも笑ってしまいそうだった。
 そもそも、こんな立派な審議の間で、裁きを受ける必要をイル・ハムーンは感じていなかった。全て、語ったつもりだった。――語らなければ、ならないことは。
 両手両足に枷をつけたままのイル・ハムーンの傍らに、国王軍の兵が立っている。異様に緊張に満ちている部屋で、それは揺らぎもせず、さすがファノークの部下だと思った。
 面を上げよ、というその兵の言葉に、イル・ハムーンはようやく始まるのかと安堵しながら、すっと顔を上げた。目の前には、ゆったりと椅子に坐ったキーファ、そしてそれを囲むようにラシッド、シャリス、ファノークがいた。思わず視線だけ動かして見える範囲にザッハを探したイル・ハムーンは、その姿がないことに小さな苦笑を洩らした。
 王は、どこまでも優しいらしい。
 正直、これ以上ザッハを傷つけなければいけないかと思うと、腹にずしりと重みを感じていたのは確かだった。
 これならば、きっと戸惑いなく、上手くできる。
 そもそも、事実を語ればいいのだ――ある、一点を除いて。
 少し軽薄にさえ見えるそのイル・ハムーンの顔を、キーファはじっと見ていた。周りの隊長たちも、冷たい目で見下ろしている。
 それでいい、とイル・ハムーンは思う。
 蔑み、罵り、そうしてくれた方が、余程いいと。実際は、冷静沈着が売りの元同僚達は、冷ややかな態度しか見せないとしても。
「審議を始める。ここでの証人は国王軍第三部隊ファノーク隊長、第二部隊シャリス隊長。そして今回は、第三の証人として第四部隊副隊長、ルーカの参席を認める。宣誓を」
 ラシッドの声に、三人が、ここで見たこと聞いたことの証人になる誓いを述べる。ルーカがいるのは、部隊が混乱に陥っているからだろうとイル・ハムーンはその証人を見た。
 ずっと、自分を慕ってくれた部下たちだった。それをこんな形で裏切るのは、正直辛い。だが、キーファがいる。何より核となってきたのは、カハラム王なのだから。見上げたその表情には、どこか覚悟を決めたようなところがあって、ひどくほっとした。
 もし全てわかっているのなら、このことで一番傷つくのは、この王なのだ。だが、もう後戻りは出来ないし、この自分が作った好機を逃して欲しくなかった。
 死んだ皇太后の、ためにも。
「当人は、正直に答えるように。沈黙は、肯定とみなす」
 昔からの取り決めと、イル・ハムーンの名や所属をラシッドが確認して、ようやくキーファが口を開いた。
 所属について、イル・ハムーンは「ない」と答えた。
「イル・ハムーンに聞く。皇太后を殺めたのはおまえか」
「はい」
「どのように」
「ナイフで、胸を突きました」
 それは心臓を見事に狙っていて――イル・ハムーンでさえ恐れ入った。ためらいのない、その一突き。
「なぜ」
「命を実行したのみです」
「誰の、なんと言う命だ」
「タシュラル宰相殿の、皇太后の命を奪うようにとの」
 淀みなく進む尋問に、周りの兵たちはかなり緊迫した様子で立っていた。だが、イル・ハムーンはそれが進むにつれ、安堵をしていた。
 大丈夫だ。キーファ王は、自分の芝居にのっている。
 キーファが真実に勘付いていることもまた確信に近くなったが、それでなお自分の芝居に付き合ってくれる気ならば、とことん最後までやり遂げるだろう。イル・ハムーンはそう思って、心底安堵したのだった。
「証拠は、あるのか」
「はい。この腕の焼印が、宰相殿の持ち物だと言う証拠に。そして、この印が」
 そう言って、イル・ハムーンは自分の剣の柄を外すように言った。所持品の中にもう一つの証拠があることを伝えてあったために、剣は慎重に運びこまれていた。
 外した柄の中から、ころりと、小さな円筒の印が出てきた。
「契約の証でございます。命は、その中に」
 言われて、キーファは印を取り上げた。真ん中で分かれているのが見て取れて、それをぱかりと開ける。そこに、くるりと巻かれた紙が入っていた。
 これは、イル・ハムーンたち焼印を持つものたちの保身のための道具だった。命は、それを遂行し報酬を受け取った時点で、焼き捨てることになっている。
 その紙を広げたキーファは、一瞬眉根を寄せた。それを素早く見て取ったイル・ハムーンは、すっと息を吸って、
「それが、本来の任務でした」
 と言った。


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