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あふれ出る言葉など何の役にも立たない
05
食事は冷めても美味しいように作られているらしく、新入生達はこれからの食事も期待できるな、と安心した。でも、ある程度お腹を満足させた頃になると、先輩達が新入生の品定めを始めた。
「お、もてるねー」
片付けられて脇に寄せられた椅子を出して座っていた芳明に声を掛けたのは基一だった。その視線の先には、何人かの先輩に囲まれた右がいた。
「お前もずいぶん構われてたじゃないか」
芳明がそう笑うと、誰かさんのおかげでね、と自分も椅子出してきながら、基一が言う。先刻の宝捜しですっかり有名人になった基一は、上級生のみならず、同級生にも声を掛けられ続けていた。
「でも俺は別に何もしてないからな。からくりを見破ったのも、取り引きを考えたのもおまえだし」
「それは言わないでくれよ。俺、陰でひっそりって言うのが一番良いんだ」
芳明の言葉に、基一は小さく笑った。背が高く体格もいい、落ち着き払った雰囲気を持つ端正な顔のこの男を、周りが放っておくとは思えなかった。特に、授業から生活までずっと同じ環境の中で過ごさなくてはいけないこの学校では、自然とリーダーなるものは求められる。現に今だって、これだけいる生徒の中に、芳明は埋もれてなどいなかった。少し視線を泳がせば、すぐに見つけることが出来る。
「水野、もしかしていいもん飲んでる?」
ふいに鼻先を掠めた匂いに、芳明が声を潜めた。それに基一が、鼻が良いな、と笑う。
「先輩達がさ、こっそり持ってきてるらしいんだ。本当は一年には出さないらしいけど、特別に」
そう笑う基一に、芳明は呆れたように苦笑した。目を上げて周りを見ても、酔った輩は見えないから、こんなことでもわりときちんと管理されているのかもしれない。基一にしても、小さなコップ一杯のウーロンハイで酔うようには見えないから、先輩達も仕方なしに注いだのだろう。芳明は自分のコップにその半分を貰って飲みながら、小さくため息をついた。昼からこの方、ずっとこうして人ごみの中にいる。それがひどく気詰まりで、早く一人になりたかった。
「お、執行部だ」
基一の声と共に、食堂が雰囲気を変えて、芳明はゆっくりと戸口を見やった。昼間ずっと式を仕切っていた生徒たちの中に海田を見つけて、芳明は荷物のことを思い出した。部屋は開かないが、このまま置いておいて貰うわけにもいかない、と思って、とりあえず引き上げることを告げようと椅子から立ち上がると、基一がどうした、という風に見上げてきた。その視線が、ふいに流れる。
「よお、鍵、見つかってないんだって?」
海田は、一直線に芳明の方に向かって歩いてきた。にこやかな顔に「良くご存知ですね」と言うと、「あいつがいるからな」と宮古を指差した。
「荷物はいつでも良いぜ。必要なもんは取りに来ても良いし」
「ありがとうございます。先輩の都合がよろしければ、明日にでも取りに行きますから」
そう言うと、本当にいつでもいいから、と言って、海田はまた人ごみに入っていった。
「何?荷物って」
「ああ、俺、一人でバスで来たからさ。結構ある荷物持って体育館まで行くのかってため息ついてたところに、海田先輩が部屋に置いてくれるって言ってくれて」
そう言って座る芳明を見ながら、基一はそうか、と呟いて、やはり、陰で大人しくなんて、芳明には無理だろう、と気の毒そうにその横顔を眺めた。実際、海田が声を掛けた一年生として、さっきも注目を浴びていた。その上、右が近づいてきて、さらに視線を集める。
「何二人して寛いでんの?ずるいなあ」
右の声には明らかに疲れがにじみ出ていて、基一と芳明は苦笑した。先輩方の必死のアプローチも、上手くいかないらしい。そこに圭一もやってきて、四人で椅子に座り込む。
「これってマジで朝まで続くのか?」
芳明のうんざりした声に、部屋さえあればなあ、と右が答える。
「何言ってんだよ。杉本は色々なとこからベッドを提供されてただろ」
圭一がからかうようにそう言うと、右が剣呑な目をして見せた。圭一の言葉の意味するところを、右自身も、他の二人もすぐさま理解した。
「良かったら、紹介してやろうか」
かなりうんざりしていたらしく、右の声が冷たい。笑みを引き込めた顔もまたひどく冷たくて、三人は苦笑した。
「俺は紹介して欲しいね……」
芳明がそう呟くと、右が驚いたように顔を向けた。
「何、木田ってそう言う趣味?」
「どう言う趣味だよ。俺には間違ってもそんな申し出はないだろうから言ってるんだろ」
芳明はただ一人でゆっくりしたいだけだ。目の前の賑やかな世界は、どこか遠く、自分には関係のない世界だと思えてならなかった。
芳明や基一たちが部屋の鍵を手にしたのは翌日のことで、ほとんど寝ていないにもかかわらず、朝からプレート探しをした成果だった。毎年最終プレートが出るまでは三日ほどかかる位で、一週間かかることはほとんどないのだと言う。今回も三日目には最後のプレートが見つかって、宝捜しは終結した。
寮の部屋はかなり広く、芳明はほっとしていた。これなら、二人でも十分プライベートなスペースが取れそうだった。造り付けのミニキッチンや洗面所、シャワー室以外の家具類は移動自由と言うことで、芳明は本棚とクローゼットをパーテーション代わりに個人スペースを作った。しかし、入室初日から右の元に訪れる客が多く、芳明は少々辟易していた。いくら自分のスペースにいても、空間は一つだ。見学といって急に覗かれることもあったし、騒ぐ声が絶えない。一人ゆっくりしたいと言う自分の願いが、どうして叶えられないんだろうと、大きなため息をついた。
それは学校が始まってからも変わらず、それどころか知り合いがどんどん増えていく右に、訪問者が絶えることはなかった。同じクラスだから、右がどれだけ人を惹きつけているのかわかっていた。これからも多分、これは止みそうもない。そう思っていたところに、一人部屋の先輩が「二人部屋もいいなあ」と呟いて、思わずそれに答えた。
「いいですよ。変わりますか?」
原則同学年が同じ部屋だが、同じ寮内の場合は他学年間のトレードはありだと言っていたことを芳明は覚えていた。相手はもちろん、何より驚いたのは右のようで、切れ長の目を目一杯開いてじっと芳明を見つめていた。
「なにそれ。俺じゃ不満?」
怒りを抑えたような声に、横にいた先輩がびくりと顔を引き攣らせた。整いすぎるほどの右の顔は、無表情になると本当に恐ろしかった。芳明はそれでも怯まず、そうじゃない、と吐き捨てるように言った。
「でも、俺は出来れば一人でいたい。こうも頻繁に訪問者が来るのには悪いがうんざりなんだ。別に杉本が悪いなんて言ってないよ。俺の我侭だ」
誰彼構わず愛想を振り撒く右のことを、芳明は少々呆れてみていた。それも、同室じゃなかったら呆れるだけですんだのだ。でも、不幸なことに二人は同室で、芳明は訪問者だけではなく、右自身にもうんざりしてきていた。
「だから、もし先輩さえよろしければ」
そこまで芳明が言ったところで、右の駄目だ、という声がそれを遮った。
「わかった。もう訪問者は来ないようにする。だから、部屋替えはなし」
右の断固とした口調に、芳明は何も言えずに、肩を竦めた。
それからずっと、右の機嫌が悪かった。と言っても、それは芳明しか気付かなかったらしく、周りはいまだ右を放っておかずに構っている。実際右も、部屋の中ほど機嫌は悪くないし、作り物めいた笑顔を崩すことはなかった。
――作り物めいた笑顔。
その自分の言葉に、芳明はようやく右が愛想を振り撒くことに対する小さな苛つきの原因がわかった気がした。そんな作り物の笑顔を振り撒くことに、どんな意味があるのか。それに騙されて自分を慕っているように見える仲間が、それほど大事なのか。芳明には、それがわからなかった。
その芳明は芳明で、もう一つ問題を抱えていた。何度も海田に誘われている、バスケ部に入るかどうかだ。仮入部期間も過ぎて、もう本格的な練習に入る頃だった。ここで出遅れれば、後で自分が痛い思いをすることはわかっていた。それでも、どうしても迷わずにはいられなかった。
「芳明(ほうめい)、お客さん」
古文担当の中野と言う教師が、生徒の名前をわざと読み違えて呼ぶために、芳明はすっかりクラスメートにはその呼び名で呼ばれるようになってしまった。それでも右は「ゆう」、基一は「きいち」ときちんと呼ばれているのだから、迷惑この上ない。
「海田先輩」
芳明が頭を軽く下げると、ちょっといいか、と海田がついて来るように促した。昼休みはまだ二十分ほど残っている。芳明は頷くと、大人しくその後をついていった。
着いたのは生徒会室向かいの会議室で、海田は持っていた鍵でドアを開けると、ちょっと待ってろ、と言って一旦出て行った。戻ってきたその手には、コーヒーカップが二つほど掴まれていた。
「生徒会室のコーヒーは結構上手いんだ」
海田はそう言って、一つを芳明に手渡す。芳明は礼を言うと、促されるまま椅子に座った。四階のその部屋からは、西側の木々とそこに埋まるように広がるラグビー場が見えた。
海田の用件は、聞かなくてもわかっていた。学期が始まってすぐ、入部の勧誘は受けていたが、考えたいと言う芳明に海田は頷いて、それからはときどき、ばったりと出会ったときなどに「練習を見たいときは来いよ」と声を掛けてくるに留まっていた。
「さっきの「ほうめい」って、古文の中野先生か」
海田が笑いながらそう聞いてくるのに、芳明は苦笑して頷いた。昔から、あの先生はそうなのだろうか。まだ若い、中野の食えない顔を思い出す。
「あの先生、自分が気に入った読み方で呼ぶからなあ」
海田が穏やかに笑う。その顔からは、あの試合中の恐ろしいほどの重圧感は感じられなかった。ギャラリーから見てもわかる、激しいプレッシャーを海田はその存在でかける。
「何を悩んでいるか、聞いていいか?」
あくまでも穏やかな海田がひどく大きく感じられて、芳明は何故この男が運動部統括を任されているのかわかったと思った。こんな雄大さは、素直に身を任せてしまいたくなる。
「バスケをしたくない、わけじゃないよな」
海田は何も言わない芳明に、あくまでも緩やかな口調で話し掛けた。芳明がときどき練習を覗いていたことを、きっと知っているのだろう。
「俺、おまえの全中の準決の試合見たことあるんだ」
何も言わない芳明に、海田はゆっくりと話し出した。陽が、会議用の長テーブルに規則的に伸びている。芳明は海田の言葉に、ふいに顔を上げた。
「慎重で計算高く試合を組み立てているかと思えば、急にめちゃくちゃなことやったりしてさ。面白いなって思ったんだ。そこにチームメートを上手く巻き込んで動かしてるし。それで、おまえと一緒にバスケが出来たら楽しいだろうって思った」
様々な大学や実業団から誘いがかかり、大会MVPにも何度も選ばれた男の素直な言葉を、芳明も素直に喜んだ。そう言ってくれる海田と一緒にプレーできることは、幸せなことだろうとも思った。
「何がおまえを迷わせるのか、言ってみろよ。俺達ができることは、するからさ」
海田の言葉に芳明は少し躊躇した後、ようやく頷いて、木田の家のことを簡単に話した。両親のこと、祖父のこと、今の自分の置かれている立場について。
「そう言えば、中学時代も騒がれた割にはおまえ表には一切出てなかったな」
聞き終わって、海田が思い出したように呟いた。
一度だけ答えたインタビュー記事が小さいながら新聞に載って、木田の家に次にそんなことがあったらバスケをやめるように言われていたのだ。当時のキャプテンと顧問にそれを話して、その後は一切写真さえ撮られないように気をつけていた。それでもプレー中はどうしようもなく、写真が載るたびに、顧問が木田の祖父に頭を下げていた。
そこまでして貰う価値が、自分にあるとは思えなかった。だから、芳明は何度もバスケ部をやめようと思ったが、顧問もチームメートも、その度に必死に引き止めてくれた。
それに、甘えたのだと芳明はわかっている。バスケをやりたいと言う気持ちももちろんあったが、それよりもそんな風に必要とされることがなにより、嬉しかった。
でも、もうそんな甘えはやめようと思ったのだ。自分で責任が取れないことは、もうしない。そう、決めたのだ。
「それで、そのためにバスケをやめるのか?」
「ここの実力は知ってます。それに、やるからにはレギュラーを狙いたい。でもそうしたら、どうしたって表に出てしまうでしょう?現に俺も、先輩を何度もテレビや雑誌で見ている」
その割に芳明は海田をすぐにわからなかったが、コートの上と今と、ギャップが激しいからだろうと思う。
「事情はわかったよ。俺達じゃどうにもできないな。それは、おまえにしか解決できない問題だ」
海田がそう言って立ち上がる。芳明も、それに続いて立ち上がった。海田の言葉は、予想を裏切っていて、芳明には不思議で、少しだけがっかりした。甘えないと決めたのに、助けの言葉を待っているなんて矛盾している。そうわかっていたが、どこかで自分は甘い言葉を期待していたと知る。中学時代のように、祖父に掛合ってやると言われたら、どう断ろうかなどと考えて。
「なあ木田」
部屋を出て、生徒会室に寄っていくと行った海田と別れて、木田は階段に向かって歩き出していた。その背に、海田の穏やかな声が聞こえる。芳明は立ち止まって、ゆっくりと振り向いた。
「おまえは何のために、誰のために、バスケをやってるんだ?」
呼びかけた声とは違って、ひどく怒ったような海田の声が、廊下に響いた。
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