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たった一つ欠けたパズルの破片を持っているのは君だろう?



05
 ちょっと遠いが我慢しろ、と言って、広は南寮の自分の部屋に俺を連れて行った。途中で鞄を図書室に置いてきたと気付いたが、そんなのは誰かが持っていってくれる、と広が言うので放っておくことにした。それよりも、はやく落ち着きたかったというのが本音だ。
 南寮にはあまり来たことがない。何度か広の部屋に来たことはあるが、本当に数えるほどだ。でも、何度来たってこの豪華さと広さに自分達の部屋との格差を思い知る。ただし、それなりの仕事と責任を持たされていると、九重生なら誰でも知っていた。
「身体冷えてるな。風呂入れるから入れ」
 広の部屋は、突然来たのにも関わらず、思ったより片付いていた。九重の四神の一人である運動部統括の広は、南寮でも最も設備が整っていて広い部屋に住んでいる。普通はシャワーしかないのにバスがついているのは、南寮でもここを含む四部屋だけだ。
 俺は安心したのと、どっと疲れが出たのとで、腰掛けたソファーにごろりと横になった。まだ数回しか来ていないのに、広の部屋は落ち着ける。温かいナチュラル系の素材で部屋作りがされている所為か、広の部屋だからか。そんなことを考えていたら、俺は眠ってしまったらしい。何か首筋にくすぐったい感触があって、避けようと思ったら今度はちくりと痛んだ。それで俺はこじ開けるように目を開くと、広の顔が目の前にあって、一気に目がさめた。
「あれっ?」
「ああ、やっと起きたな。このまま目が覚めなかったらどうしようかと思った」
 広はそう苦笑しながら立ち上がって、腹減らないか?それとも先に風呂はいるか?と聞いてきた。
「何時……?」
「もう八時になるかな」
 ということは、あれから二時間は寝ていたってことか。俺はまだすっきりしない頭を振って、食堂閉まるな、と立ち上がった。
「お前もこっちで食ってけよ。今日は特別サービスで部屋食だ」
「部屋食?」
「俺ね、食堂のお姉さんと仲良いのよ。だから我侭聞いてもらって、一人分増やして貰った上に部屋まで持ってくるの許可してもらった」
 広が俺のためにそうしてくれたのはわかったのに、お姉さんと仲が良い、に俺はむっとして、そんな自分にため息をついた。それを広は誤解して。
「やっぱりまだ顔色悪いな。ちょっと待ってろよ。今持ってくるから」
 そう言って、部屋を出て行ってしまった。
 ぽつん、と一人残されて、俺は大きくため息をついた。
 春姫になる、と決めても、広への気持ちは変わらない。襲われたさっきも、心の中で呼んでいたのは紛れもなく広の名前だった。まさか本当に助けに来てくれるとは思わなかったけど。
 ああ、まだ誰にもちゃんとお礼言ってないな……
 俺がそう思って、顔もほとんど覚えていない、きっと運動部なんだろう助けてくれた奴らの名前を聞かなくては、と考えていたら、広が戻ってきた。開けてくれ、と声がするので開けに行ったら、温かな、美味しそうな食事がトレイの上で湯気をたてていた。
「特別サービスだから、メニューに文句言うなよ。お前うるさいからな」
 広がそう言いながらテーブルにトレイをおく。それからふむ、と言って、トレイから食器を全部おろした。確かにそのほうがちゃんと食事らしくておいしそうだ。
 食べようぜ、と広が言って、俺は慌てて広の名を呼んだ。
「ん?」
 既にお箸を持って行儀よく、いただきます、と言おうとしていた広が、顔を上げる。
「いや、あのさ。今日は、ありがとな。ごめん、すぐにお礼いえなかった」
 改まるとなんだか恥ずかしくて、俺は俯いてしまった。
「ああ……。いいよそんなこと。それより、もう一人であんな暗いとこ行くなよ。これで少しは懲りてくれたら、俺はそのほうが安心する」
 広はそう苦笑した。俺はこくりと頷いて、促されるまま食事を始めた。
 二人きりの食事はなんだか気恥ずかしく、でも昔を思い出したようで、楽しかった。食後にはコーヒーまで淹れてくれて、俺はすっかりくつろいでいた。
「そう言えば、一緒に助けてくれた子達のクラスと名前教えてくれない?後でお礼行きたい」
「ああ、いいよ。紙に書いてやる。くくっ、あいつら驚いて、喜ぶぞ」
 広がおかしそうに笑うから、俺は首を傾げた。
「ほら、今年は西に姫がいないだろ?西にいる血気盛んな運動部員には、それが残念で堪らないんだよ。で、今回お前を助けられたってだけで、あいつら絶対舞い上がってる」
 広はおかしくてたまらない、という感じに笑ったが、俺はそんなもんか?と首を捻るだけだった。それからふと、思い出した。
「そうだ、俺、春姫引き受けようと思って」
 俺がそう言うと、笑っていた広がきょとん、とした顔をした。それがおかしくて、今度は俺が笑う。
「……そうか。うん、これからもあんなことがあったらこっちの身が持たないからな。そうしてくれると助かる」
 広の変な物言いに、俺は余計おかしくなって笑いが止まらなかった。
「心配、してくれたんだ」
「……っ。当たり前だろうっ」
 笑いながら言った俺に、広が思いのほか真剣に叫んだから、俺は驚いて笑いを止めた。
「藤原先輩達が来てるって言うから、練習抜けて校舎に戻ったら、おまえが図書棟に鞄置いたまま戻ってないって言うし、中庭突っ切ろうとしたらテニス部の連中が3Bが暗いのに人影があったって走ってくるしで、俺は心臓が止まるかと思った」
 なるほど、それで広が現れたってわけか、と俺は納得しつつ、最後の言葉に泣きそうになった。
 なんで好きになってしまったのだろう、とまた思う。
 友情と愛情は、人を思う気持ちに変わりはなくて、でも俺は、友情じゃなくて愛情が欲しいと思っている。どうして、この友情じゃ駄目なのか、自分でもわからない。
「いつも言ってるけど、少し自覚しろって。まあ、嫌だろうけど、おまえはその、そういう対象になるっていうかさ」
 広が言いにくそうに呟いて、俺は思わず、お前は?と聞いてしまうところだった。俺を、そう言う対象として見られるのか。聞けやしないけど。
「うん、ちょっとわかった」
 落ち着いたけれど、思い出すとやっぱり怖い。それを忘れちゃいけないんだろう。全く、なんで山奥にあるんだろう、この学校は。
「まあ、これからは公式春姫ってことで、そんなに危なくないと思うけどな」
 広がそう言って、俺はふと思い出した。
「そう言えば、摂先輩に会ったよ。……相変わらず、綺麗でかっこよかった」
 俺は何でもないようにそう言いながらも、広のほうを見ることは出来なかった。どんな顔をしているのか、知りたくなくて。でも、そんな俺の葛藤には気付かずに、広は「そうか」と呟いただけだった。
 その夜は、泊まっていけと言う広の言葉に甘えて、俺は広の部屋に泊まった。先輩の置き土産と言う、キングサイズのベッドに二人で並んで眠って、小さい頃を思い出していた。
 昔から広は寝つきがいい。だから、短い睡眠時間でいいんだろうけど、俺はなんとなく広が気になって、なかなか眠れなかった。すやすやと眠る広の顔を、ずっとじっと眺めていた。


 俺は寝つきも悪ければ寝起きも悪い。普段は当り散らしたりはしないで、ずっとむっとしているんだけど、今朝は起きたら広がいなくて、なんだか気分はむしゃくしゃしていた。
 朝練のある広に付き合って起きる気などさらさらなかったのに、それでも置いていかれたようで淋しかった。
 でも、いない人間に当り散らしても仕方がないし、広にそんな義務があるわけでもない。俺はむしゃくしゃしながらも着替えと食事を取りに、自分の寮に戻った。
 着替えて食堂に行くと、深山に手で呼ばれた。みんなが俺を見ていて、きっと昨日のことなんて知れ渡っているんだろう、と思った。あまり誇張されずに伝わってればいいんだけど。
 俺は食欲がなくて、コーヒーだけを持って深山の席に近寄った。それで、深山が「おやおや」と言ったのを、食欲のなさに対する言葉だと思ったのに、どうやら違ったらしい。深山は鞄をごそごそと探ると、絆創膏を差し出した。俺が訳がわからずにいると、ここ、と首筋を指しながら、鏡見て来い、と言った。
 嫌な予感がした。昨日の今日だ。俺は急いでトイレに行って鏡で首筋を見ると、そこはくっきり、内出血をしていた。少し捻らないと自分ではわからない位置だ。抵抗して顔だけは動かしていたから、こんなところにされたんだろう。
 あいつら、冗談じゃないっ。
 俺は貰った絆創膏をそこにばしっと貼ると、トイレのドアを乱暴に開けて深山の席に戻った。寮長の深山なら、奴らのことを知ってるはずだ。
「何怖い顔してんの」
 その深山は、にやにやと笑いながら、そう言う。でも俺はもう沸点に近くて、音がするほど勢い良くテーブルに手をついた。
「あいつらのクラスと名前は」
 食堂中が静まり返ったのを背後に感じつつ、それでも俺はそんなことに構っていられなかった。自分で一発ぶん殴らないと気がすまない。
「おいおい。ちょっと落ち着けよ。あいつらの処分はもう瓜生がしてる。大体、最初に見つけた西の奴らが結構派手にやったらしくて、俺達だって何も出来なかったんだぜ?」
「俺は当事者で被害者だ。加害者の名前くらい知りたいんだよ」
 もう手が出せないことはわかっていたが、それで引き下がれるかって。俺のこの非力な腕で一発殴ったくらいじゃ大して変わらないだろう。
「まあ、そうだけど。……海田に聞かなかったのか?」
 深山の言うのも最もで、きっと広は知っていただろう。俺は顔すらまともに見ていないんだ。でも、昨日の時点ではそれでも良かった。どうやらぼこぼこにされたらしいとわかったし、瓜生が来たのも見ていたから。でも。
「昨日はそれどこじゃなかったんだよ。いいから教えろ」
「穏やかじゃないな。何だよ突然」
「お前が教えたんだろうが。くそっ。あいつらこんな跡つけやがって」
 俺がそう吐き捨てると、深山が微かに眉を潜めた。
「つけたの、海田じゃないのか?」
「はあ?なんで広なんだよ。どう考えたって昨日の奴らだろっ」
 深山が少しも俺の質問に答えようとしないのにイライラした。それに、どうして広がこんな跡をつけるって言うんだ。
 俺が呆れた声を出したとき、隣の席の奴ががたんっと立ち上がって、駆け出していった。それを合図のようにして、他の連中もざわざわと騒ぎ出した。それをちらりと見て、深山がまずいな、と呟いた。
「やっぱりこっちの代表者に殴らせとくんだった。このままじゃ、こっちの気が収まらない」
 深山のその呟きに、俺は奴らが西なんだと気付いた。つまり、手討ちになったようなものだろう。深山はそのまま立ち上がると、何やらちょっと怖い顔をして考えながら、出口に向かっていった。俺はまだ答えを貰っていない。
「おいっ、深山っ」
「ああ、それは海田か瓜生に聞け」
 深山はそう言って、慌てたように出て行ってしまった。俺の怒りは収まらず、くそっと悪態をつくと、乱暴に椅子に座って、もう冷めてしまったコーヒーをがぶりと飲んだ。
 結局上手く逃げられたんだ。広も瓜生も俺が反撃をすることなんてきっと見抜いて、教えてはくれないだろう。なんだか、ひどく理不尽だと思った。自分のことを襲った相手も知らないなんて。
 その上―――
 俺は首筋に手を伸ばすと、消えるはずがないとわかっていながら、ごしごしと絆創膏の上から忌々しい跡をこすった。誰のかもわからない、こんな跡を付けてるなんて。これが深山の言う通り、広のだったらどれだけ―――。
 そこまで考えて、ふと昨日の転寝から目覚めたときのことを思い出した。広の部屋のソファーで眠って起きるときにあった感触。あれは確かに首筋で、体の右を下に眠っていた俺は、この跡の付いている左側の首筋を宙に晒して眠っていた。
 俺は今度は、ばっとその跡を隠すように手で覆った。
 そんなわけがない。
 そう思いながら、でも俺は思わず駆け出していた。





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