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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た 第二話
04
 高居は和高に何も言わなかったのか、部屋に行った樹を、和高はひどく驚いて迎え入れた。そこを無理やりのように承知させて、樹は食堂に夕食を取りに行く。東の寮長が西寮の食堂に食事を貰いに来る、という光景に事情を知らない生徒たちはひどく驚いていたが、樹は機嫌よくにこにこと「ちょっとね」と言っていた。
「なにが、ちょっと、だ。おまえも大概、自覚がないよな」
 それにため息をついたのは、西の寮長の大庭だった。今晩は質問攻めに遭うだろうことは目に見えている。
「自覚?なんの」
「寮長の自覚。人気者の自覚」
 寮長はともかく、人気者と言うのはなんだ、と樹は目を眇めた。
「ほら、ないだろ」
 大庭はそうもう一度ため息をついて、やれやれと席についた。
「まあ、おまえがいる間は、あそこに関係ない人間は近寄らせないから。高居からも絶対安静を言いつけられてるしな」
 大庭はそう言って、食事を始めた。樹は、自分とは正反対ながら、スポーツマンに相応しく、頼りがいのある爽やかなこの男を、嫌ってはいなかった。こういう包容力を、自分も欲しいと思ってさえいた。
「悪いね、いつも」
 同じ寮長として、きっと大庭の方がずっとずっと向いている。樹はだから、寮長という仕事については、いつも大庭に助けられている気がしていた。
「ま、お互い様ってことで。何かあったときには、こっちも頼むから」
 そう軽く手を挙げた大庭に、樹は両手に持ったトレイのために手を挙げ返せなかったけれど、にっこりと笑った。


 和高との共同生活は、樹にはとても楽しいものだった。最初は気を使わせたら悪い、と思っていたが、それを嫌だと思う樹の気持ちを察したのか、和高も寛いで過ごしていた。その間、樹は和高に名前で呼ぶように何とか約束させ、ついでに敬語も止めさせようと思ったが、それだけはどうしても和高が折れなかった。
 思ったより楽しかったのは、怪我をした本人には申し訳ないが、その足の湿布を張り替える、という作業だった。高居にやり方を教えてもらい、最初は少しぎこちなかったが、綺麗に筋肉がついたその足に触っているのが嬉しかった。自分の知らない一面を見た気がする、と樹は陰でこっそり笑った。
「ただいま」
 植物園の世話をしていたら、遅くなってしまった樹は、急いで部屋に帰った。鍵が開いていて、明かりもついていたから、もう筋トレが終わった和高が帰ってきているのはわかっていた。筋トレだけだから、いつもそれほど部活に時間をかけないのだ。
「坂城?」
 何の返答もなくて、樹は首を傾げながら部屋の奥を見ると、ソファーに坐っている和高の頭が見えた。本でも読んでいるのだろう、と近寄ると、眠っている顔が見えた。
「あーあ。こんなところが見つかったら高居に怒られるぞ」
 くすくす笑いながら、目の前に回りこむ。常に身体を鍛えている和高は、顔にも無駄な筋肉は全くない。自分より年下なのに、ずっと精悍な顔立ちをした和高の顔を、樹はじっと見た。
 それから、そっとその髪に手を伸ばす。短く切りそろえられたまっすぐな髪は、見た目より柔らかかった。
「はやく、俺のものになりな。それから早く、俺をおまえのものにしな」
 小さく呟いたその顔は柔らかく笑っていたけれど、内情は切実なものだった。
 隣にいることが、どれだけ心地がいいか。
 笑いかけてくれて、名前を呼んでくれることが、どれだけ嬉しいか。
 はやく、同じ気持ちになって欲しい。
 そうしたら、もう絶対に手離さない。
 樹はもうずっと、そんな覚悟をしているのに。
 鈍い和高は少しもそんなことに気付いていない。その鈍さが愛しくもあり、辛くもある。
 振り向いてもらえなかったら、なんて考えたことはない。そうならないように、努力をするつもりだった。誰にも、この男を渡すつもりなど、樹には更々なかった。


 一週間などあっという間で、樹は名残惜しいと思いつつも、また自分の部屋に戻った。それまで、二人部屋より一人部屋のほうが絶対にいい、と思っていた自分が嘘みたいだと思った。
 足の治った和高は、順調に調整をしているようだった。相変わらずの高居への懐きぶりに、もうそろそろどうにかしたい、と樹が思っていたところに、今度は二年の生徒が千速を襲う、という事件が起きた。樹は寮長である前に、千速の友人だ。ひどく心が痛んで、無理にでもさっさと千速を春姫にしなかった自分を責めた。
 公認の春姫にさえなっていれば、全校生徒から守られるのと同じだ。それでも馬鹿なことをしでかす連中がいないとは言わないが、手を出しずらくなるのは事実だった。
「おまえは何も悪くない」
 総代の瓜生がそう言ってくれたが、樹は厳しい顔を崩せなかった。不幸中の幸いは、未遂で終わったことだ。でも、千速はとても怖かっただろう。辛かっただろう。
 千速の傍にいたい、と思ったが、広が連れて帰ったと聞いてほっとした。樹にとっての和高のような存在が、千速にとっての広だと樹は思っている。
「深山が自分を責めるなら、俺も自分の力の及ばなさを責めるよ」
 瓜生が優しい声で言う。普段はひどく威圧感があるのに、この男は柔らかささえ持っている気がして、樹は思わず縋りつくようにその腕を掴んだ。
「そして海田も、自分を責めるだろう。それをもし重藤が知れば、あいつもまた、自分を責めるだろうよ」
 だから自分を責めるな、とは瓜生は言わない。そんなことはわかっていても、思ってしまうのだから仕方がないのだ。
「二度と、こんなことがないように、俺たちで守っていこうな」
 そう言った瓜生に、樹はただ頷いた。
 その瓜生の采配で、事件は一応終着を見せたはずだった。それが、翌日の朝の樹の不用意な一言で、また収まったはずの騒ぎが再発してしまった。
 思ったより元気そうで、普段どおりの千速にその朝、樹はとてもほっとした。そして、首筋に赤い痕を見つけて、思わず「おやおや」と言ってしまったのだ。
 二年の襲った奴らが、そこまで馬鹿なことをしたとは、樹は思わなかった。だから、それは広がつけた痕なのだろうと、勝手に思ってしまったのだ。第一、そんなものを見た広が、大人しくしているわけがないと思った。
 渡した絆創膏を掴んでトイレに鏡を見に行った千速が、怖い顔をして帰ってきたときも、それを疑っていなかった。
「何怖い顔してんの」
 にやにやと笑った樹に、千速はばしんっと乱暴にテーブルに手をついた。
「あいつらのクラスと名前は」
 食堂が静まり返って、樹はようやく自分が何か間違いを犯したことを悟った。
「おいおい。ちょっと落ち着けよ。あいつらの処分はもう瓜生がしてる。大体、最初に見つけた西の奴らが結構派手にやったらしくて、俺達だって何も出来なかったんだぜ?」
「俺は当事者で被害者だ。加害者の名前くらい知りたいんだよ」
「まあ、そうだけど。……海田に聞かなかったのか?」
 誤魔化そうと思ってみても、食堂中がもうみんな聞き耳を立てている。
「昨日はそれどこじゃなかったんだよ。いいから教えろ」
「穏やかじゃないな。何だよ突然」
「お前が教えたんだろうが。くそっ。あいつらこんな跡つけやがって」
 千速が吐き捨てるように言って、樹はやはり自分はいらぬことを言ったのだ、と眉を潜めた。
「つけたの、海田じゃないのか?」
「はあ?なんで広なんだよ。どう考えたって昨日の奴らだろっ」
 千速の言葉と同時に、隣の席の生徒ががたんっと立ち上がって駆け出していった。重藤親衛隊の一人だろう、と樹はちらりとその生徒の後姿を見た。それから、思わず、まずいな、と呟いた。
 せっかく収まった騒ぎが、再燃する。それはもう、確信に近かった。その一端を自分が和高に構うことで担っていると、自覚もしていた。千速のことは、確かに大きな原因だ。でも、燻っていた火に油をさしたようなもので、もともとの火種はできていた。
 全く、自分はなんて情けないんだろう、と樹は思いながら、武道館に向かっていた。まずは瓜生に話さなければならない。それから、佐々野、海田にも協力を願うしかないだろう。
 他人の力を借りてばかりだ。でも、自分の力の及ばなさを冷静に知ることもまた、必要だと樹は知っていた。一人で足掻いて、一人で傷つくなら構わない。でも、その所為で大勢が傷つくのは耐えられないのだ。
 結局、一限目の休憩時間に食堂に集まることになって、樹は一端教室に戻った。そこには千速の姿がなく、すっと背中が冷えるような感覚がしたが、後ろから隣のクラスの報道部長の宮古に肩を叩かれ、海田と一緒だ、と聞かされてほっと肩を落とした。
「悪いな。おまえにも迷惑かける」
 報道部長であると共に、宮古は文化部長で、執行部のメンバーだ。つまり、一限目の休憩時間が潰される一人なのだ。
「いや、俺も同じような誤解してたし」
「え?」
「あれは絶対、海田だと思ったんだ。じゃなかったら、どうして大人しいんだ、あいつが」
 宮古と樹の意見は、ある意味合っていたことが、その後の休憩時間にわかった。どうやらオリジナルはあの生徒たちがつけたものらしいが、広が上書きをしたのだ。
 その真相を聞きながら、では今後の対策は、と食堂で話し合っているところに、中庭で騒ぎが勃発したと生徒が知らせに来た。
「何か、俺すごく責任感じてきた」
 ふと走りながら樹が呟くと、隣の宮古がなんで?と聞いてきた。
「今回の東西対決の火種はさ、俺だろ」
 そう言うと、ああ、と宮古が笑った。
「まあでも、樹ちゃんの面白い、人間らしい一面が見られて俺はいいと思ってんだけど」
 宮古のふざけた口調に、樹は救われつつ、呆れる。
「俺は前から人間だよ。なんだと思ってんだ」
「植物?」
「なんだそれは」
「だってさあ。一番意思の疎通が図れてんのが彼らだろ?」
 そんなことは、と樹は思って、苦笑した。確かに、誰よりも、何よりも、信頼していたのは植物達だったからだ。和高を、知る前は。
 ふとそんなことを思いながら中庭に入っていくと、その隅で和高が友達とふざけあっているのが見えた。あれは、報道部の長柄だ。和高の首に腕を回して、ぶら下がるような形になっている。
 樹は思わずそれをじっと見つめた。その視線に気付いたのか、こちらを向いた和高と一瞬目が合ったが、樹はそれを逸らしてしまった。
 馬鹿馬鹿しい、と思う。
 友人とのあんなおふざけにまで嫉妬するのは、馬鹿馬鹿しい。
 でも、見ていたくないと、心底思ったのも確かだった。



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