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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た 第二話
05
 結局、騒ぎは千速自身が収めると言う、予想外の展開で幕を閉じた。それと同時に、春姫を引き受ける宣言がされて、樹はようやく、本当に安堵のため息をついた。どうやら広と千速もくっついたらしい。何から何までこれで安泰、とみんなが思ったことだろう。
 樹はどうにも疲れて、和高を道ずれに授業をサボることにした。今だけでも、傍にいて欲しいと思った。
 今だけ。
 そんなことで、満足できるのだろうか、と樹は考える。和高が、誰かの手を取ることを、黙って見ていられるのだろうか。
 樹は植物館に着くと、まずは深呼吸をした。少し青臭い空気が、むっとするようでいて、ほっとさせてもくれる。
「日が出てるから暑いな」
 樹は閉じていた目を開けてそう言うと、窓を開け始めた。反対側で、和高が同じように窓を開けてくれているのがわかる。樹は奥まで行くと、冷蔵庫からパックのウーロン茶とコーヒーを取り出した。
「どっちがいい?」
「先輩は?」
「俺はどっちでもいい」
 樹の答えに、和高はそれならとコーヒーを手にした。二人でベンチに腰掛けてストローを刺す。樹はふうっと大きく息を吐いて、重力に引かれるように和高の肩に頭をこてりとのせた。
「樹先輩……?」
「やっと終わった……」
 呟くと、最初は驚いた和高も、大人しく肩を貸してくれた。近い体温が、ひどく心地よかった。
「疲れました?」
「んー?ちょっとね」
「終わる前に言ってくださいよ。そしたら、少しは力になれたかも知れないのに。俺ばっかじゃ悪いです」
 和高がそんなことを言って、樹は閉じていた目をぱちぱちと瞬いた。
「おまえばかりって?」
「俺ばっかりでしょ?俺ばっかり先輩にお世話になって……」
「だから、世話してない」
「でも、先輩には色々助けてもらってる」
「そんなことないだろ」
 樹はゆっくりと姿勢を戻した。足の一件で、和高は樹にひどく迷惑をかけたと思っている。そんなことはないのに、少しも譲らない妙に頑固な和高を樹は舌打ちしたい気持ちで見た。
「俺は陸上のこととか何も知らないし。高居に比べたら何の役にも立たない」
 どうしても、そこでは勝てないのだ。そう思うと悔しくて、樹はふっと視線を外した。
「そんなの、当たり前でしょう?樹先輩と高居先輩は違う。でも、樹先輩のおかげで、俺は色々復活できたし、安心できた」
 樹は、ゆっくりと顔を上げた。それから、今度は正面からその肩に頭を預けた。
 本当に?
 少しでも、助けることが出来ている?
「ほんとに?」
「本当ですよ。じゃなかったら、こんな恥ずかしいセリフ、わざわざ言いません」
 変なセリフに、樹は微かに笑った。言葉だけでも、これほど嬉しい。この際、それが慰めでもなんでも、良かった。
 額に触れる肩から伝わる熱が、とても愛しかった。


 四月も後半になると、樹は夏野菜を植えるのに忙しくなった。学校には植木専門の庭師がいて、その庭師が、いつも樹に花や野菜の苗を下の街から運んできてくれる。
 五月の連休には、和高も菜園を手伝った。いつもなら有志を募るのだが、今回は和高がいるからとのんびりやることにしたのだ。それに、坂城ってすごいな、と言ったのは千速だ。樹が無条件で菜園を任せようとするあたり、千速にはきっと驚くことだったのだろう。
「へえ……トマトの苗ってトマトの匂いがする」
 一つ一つ苗を説明すると、和高は素直に驚いたり感心したりする。それが子供のように嬉しくて、樹もつい、色々と話していた。ぎざぎざの葉の、綺麗な緑色をしたトマトの苗の中心に、和高が鼻を寄せている。樹は思わず微笑んだ。
「にんじんの種はにんじんの匂いがするぞ」
 ちょうど蒔こうと思っていたにんじんの種を掌に乗せて差し出すと、初めて見た、といいながら、それもくんくんと匂いをかいでいる。
 それから、茶色いほうれん草の種が入った紙袋を覗いて、これは?と聞いてくる。それに少しだけ悪戯心が湧いて、樹は何だと思う?と問いかけた。
「当たったら賞品をあげるよ」
 本当は、そんなことは関係なく、一緒に採れたての野菜を使った料理を食べようと思っていた。ハウスの中で、いくつか苗を育てているのだ。
 しばらく和高は悩んで、ふいに聞いた。
「賞品って、なんです?」
 メニューは考えていなかったが、ナスとオクラのトマトソースのパスタにしよう、とふいに決めて、樹がそれを言おうとしたとき、遠くから和高を呼ぶ声がした。和高のことを、カズ、と親しげに呼ぶ友人は数少ない。樹が首を回してグラウンドの方を見ると、西嶋哲平が走ってきていた。
「今日の飯どーするんだ?」
 二人を邪魔する気は毛頭ない、とばかりに遠くで叫ぶ。和高本人が少しも樹の気持ちを汲み取っていないのに、周りはしっかりわかっているのだ。
「予定ないけど。何?岡崎?」
「ああ。タイカレーだって」
 哲平の言葉に、久しぶりだ、と和高が笑った。それがあまりに嬉しそうで、樹はふっとその横顔を見つめた。それに気付かずに、和高は「もちろん参加」と叫んだ。
「岡崎って……料理研究会の?」
 少し冷たい印象を受ける、綺麗な顔立ちをした後輩を、樹は思い浮かべた。成績は優秀だが、性格に癖がある、と執行部で話題になったことがある。それでも、時期生徒会長と目されている生徒だ。
「ええ。ときどき大量に飯を作るときは世話になってるんです」
 ときどき、世話に、ね。と樹は内心面白くなかった。和高はそう言う厄介な性格の人物に好かれる傾向にある。もちろん、樹も含めて。
「やっぱり美味しいんだ?坂城、すごい嬉しそうな顔してたね」
 自分がこんなに嫉妬めいた言葉を、あからさまに声を硬くして言う日が来るとは、と樹はそのことにも不機嫌になった。
「さすがに料理研究会なんてやってるだけありますよ。それに、タイカレー、好物なんですよ」
「辛いもの好き?」
「特に、ってわけでもないんですけど。でもこの間初めて食べて、嵌ったって言うか」
 嵌った、ね。と、どうにもいちいち言葉が引っかかる。樹は不機嫌そのままに、和高から視線を逸らして遠くを睨んだ。
「樹先輩も食べたいですか?岡崎に聞いてみましょうか?」
 和高は、全くわからないのかそんなことを言う。
「そうだね、また今度」
 だから樹も、そうにっこり笑って見せた。


 その後しばらく、和高は陸上部の練習に掛かりきりになっていた。インターハイ予選となる競技会が近いのは樹も知っていて、あえて手伝わせようとはしなかった。それでもときどき、トラックを眺めていたのだが。
「少し坂城と会わないでいてくれないか」
 そう高居に言われた時、樹は優しいとばかり形容される顔を、ひどく歪めた。
「どういうこと?」
「しばらく、でいいんだ。あいつがタイムが伸びないのがなぜか、わかるまで」
 高居は和高に甘えてはいるが、あくまでも陸上部の先輩としてだ、と樹は知っていた。だから、こんなことを言うときは、走りに関することだとわかってもいた。それでも、遠慮して眺めているだけの日々を送っている自分に、それはないんじゃないか、と樹は思った。
「高居の陸上バカは知ってるけど。こういう指示のされ方は気に入らない」
 ひどく冷たい顔で、樹が言う。高居はその表情に思わず小さく笑った。
「すごい好かれようだな、坂城は」
 でも、自分も甘えている自覚がある高居は、それ以上は言わなかった。それからふっと息をついて、この間の借り、と呟いた。
「この間の借り、返してもらおうかな」
 その言葉に、あのとき、和高の世話を自分がすると言ったとき、高居が何を考えていたのか、樹はわかった。
「俺はあんまり関係ないだろう?あれはあいつの性格みたいなものじゃないか」
 優しすぎる和高は、貪欲さが足りない。
「だから、難しいんだ。なかなか本人も気付かない。あれでも中学のときはもっと闘争心剥き出し、って感じに走ってたのに」
「中学から知ってるのか?」
「一つ下だからな。競技会で会ったりするだろ?」
 そうだが、他校の生徒を覚えていたと言うなら、それなりにマークをしていた、ということだろう。
「何があったか知らないが、高校になってずいぶん大人しくなった印象がある」
 やはり、高居にはなかなか勝てないらしい。樹は隠さずため息をついた。
「あいつが安寧を求めているのはわかる。それで、精神的には深山に助けられてるのもな。だから、今あいつから深山を取り上げるのはきついと思うが……時間がないからな。荒療治だ」
「効果は?」
「さあな。まあ、悪い方には転ばないだろ」
 いい加減な、と樹は思ったが、この間貸しを作ったのは確かだ。仕方なしに頷いた。
「コンマ85だ。それが切れたら、会ってもいい、と条件を出した」
 それは自己記録更新だ、と高居は付け足す。
「何が嫌って」
 樹は少し不貞腐れたように視線を床に落とした。
「あいつがそれを大人しく守るだろうってことだな」
 会う、会わない、ということより、それが一番樹には気に入らないことだった。



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