05
雅道と智の間は、表面的には何の変化も見えなかった。それでも智は悩んでいる、と稜にはわかっていたし、雅道がそれを無視していることも感じていた。互いが互いに、友達としての距離を取ろうと必死なのは、どこか見ていて痛々しい。イライラする、とも言う。それでも稜はぐっと堪えて口出しをしなかった。これ以上は、本人達の問題だからだ。
六月中旬になって、修学旅行があった。稜は三人とは違うクラスだが、同じグループの菅野 柾史(すがの まさふみ)も雅道や一穂と仲がいいために、何かと一緒に行動をしていた。
「あー、イライラするっ」
稜がホテルの部屋でそう叫んで、柾史が苦笑した。大体の事情は、見ていればわかるし、雅道に智のことを聞いたこともある。二年総代の柾史は何かと忙しく、それがどうなったのかは知らなかったが、今回の旅行である程度察しがついた。
雅道が、智を見ないのだ。そして、智はそれを流しながら、その実とても不安そうな顔をしている。途方にくれた、子供みたいな。さらに、多分そのあたりをわかっていながら、圭が智にちょっかいを出している。圭の真意は柾史にはわからなかったが、意地の悪いのは知っていて、稜がそれをはらはらしながら見ているのもわかっていた。
「面白いよな、あいつら」
思わず呟くと、他人事だと思って、と稜に睨まれた。夕食までの自由時間、今は部屋には二人しかいなかった。
「他人事だろう?おまえにだって」
意地悪くそう言うと、そうだけど、と不貞腐れたように稜が言う。
わかっている。稜は優しいのだ。だから気になって仕方がない。でも、それでも決してやり方を間違わないのが稜のすごいところだ。気になっても、口を出すべきではないところは、口を出さない。
「あ、時間だ」
柾史が突然そう言って、稜も時計を見た。それから、ああ、と出掛ける支度をする柾史と一緒に、ジャケットを羽織る。
「おまえも行くの?」
「ちょっと頭冷やしに散歩する」
そう言って、二人で部屋を出る。それから、雅道たちの部屋へと向かった。柾史は、一穂が家の用事で出かけるのに途中まで一緒に行くことになっていた。原則二人以上で行動しなければならないのだ。帰りは柾史は一人になってしまうが、二年総代ということで先生も生徒も自然と認めてしまっている。
稜は雅道を誘って散歩に行こうと思っていた。一穂がいなくなったら、居たたまれないだろう、という配慮もあった。
断る隙も与えずに、稜は雅道を連れ出し、一穂と柾史とはホテルの前で別れた。少し不機嫌な雅道に、稜は苦笑をするだけだ。
車の通りが多い通りを、ただふらふらと歩く。梅雨のうっとうしい湿り気がない分、初夏の気持ちのいい夕方だった。
「気になる?」
黙ったままの雅道に、稜が苦笑する。それに、やはり何も言わずに目だけで、何が、と雅道は問い返した。
「圭と智」
信号が点滅して、稜は足を止めた。
「わかってるなら、無理に引っ張り出すなよ」
雅道はズボンのポケットに手を突っ込んで、その隣に並びながらそう言った。
「大丈夫だろ。智はそんなに弱くない」
そこで、圭はそれほど馬鹿じゃない、と言わないあたりが稜だ。雅道はふっと息を吐いた。
「作らなくていい傷を作る必要はないと思うけどね」
「だからさ、傷にならないかもしれないじゃないか」
信号が変わって、歩き出す。でも、雅道が動かないのを不審に思って、横断歩道の真ん中で立ち止まった。
「何してんだよ」
雅道はそんな稜をじっと見ていたが、諦めたように歩き出した。今回は、稜はお節介が過ぎる、と雅道は思う。
「やばいのは、どっちかって言うと圭だと思うけどね。まあ、おまえも今はあいつの辛さもわかるんじゃないか」
「突っかかるな。どうした?」
「いい加減俺も嫌になっただけだ。それを放っておくほど、薄情でもないんだよ」
「薄情とは思わないけどな」
どちらかと言えばお節介だ、と雅道は思ったが、それとはまた違う違和感が稜にはあって、結局そのことは言わなかった。何が違うのか、雅道は稜をじっと見てみたが、わからなかった。
「俺もね、いい加減博愛主義って言うか偽善者って言うか……みんなが幸せであって欲しいんだよ」
「無理な理想論だな。おまえらしくない」
「そう?俺はいっつも世界平和に心砕いてるじゃん」
公園に入って、稜が立ち止まって笑った。辺りは薄っすらと暗くなってきている。
「どうにもならないことだってあるだろ」
「なーんかさ、そのガキなのに大人ぶってるのが嫌なんだよな」
珍しく毒舌の稜に、雅道は非難の目を向けた。
「同じ年の奴に言われたくないな」
「俺はガキだって自覚あるもん。おまえも、圭も……変に大人ぶるからおかしくなるんだ」
稜の目は真っ直ぐで、その真剣さに雅道は一瞬言葉を失った。それから、目を眇める。
「おまえ……どこまで知ってる?」
稜がふっと笑った。でも、その目は決して笑っていなかった。遠く、街の喧騒が聞こえる。
「おまえと圭がセックスフレンドだったってことだけ」
それだけ知っていたら十分だ、と雅道は思った。それは、雅道と圭しか知らないことのはずなのだから。
「よく聞き出したな」
「ガキにはね、大人ぶってるガキなんかちょろいもんです」
それは自分のことも言っているのだろう、と雅道はむっとした。でも、稜の言っていることはきっと正しいのだろう、とも思う。色々な感情を見ない振りをして、大人ぶってセックスに溺れた振りをした、愚かな自分達を、雅道は知っている。無邪気で純粋な部分を、そのとき自分達は手放したのだと、雅道は思っていた。
「まあ、おまえは本当にガキで……圭にいいように振り回されたんだろうけどな」
圭と雅道がそういう関係を持ったのは、中学二年のときだった。どうしてそうなったのか、雅道もあまり覚えていない。ただ、圭に誘われたのだと、今はわかる。それは、雅道が智と出会うまで、続けられた。
「知ってたんだろ?圭の気持ちは」
稜の静かな声に、雅道は頷いた。
「馬鹿なことに、半年ぐらいは騙されてたよ。俺のほうが、気持ちがわからなくなったりしてな」
「どうして、気付いてすぐに止めなかったんだ」
雅道はすっと遠いどこかを見た。見慣れないネオンに、奇妙な気持ちになる。どこか、異世界にいるような。
「おまえの言う通り、ガキだからだろう。罪悪感と、後悔と……同情と」
それは、圭には決して言えないことだ。
「あいつが気付かれたくない、と思ってることもわかってた。だから、せめてそれに応えたかった。智とのことは、いいきっかけだった。それが、一番あいつを傷つけずに、別れられる理由だと思った」
雅道の淡々とした声を、稜はじっと聞いていた。遠い目は辛そうで―――痛々しかった。
雅道も、どうしたらいいのかわからなかったのかもしれない、と稜は思った。遊びは終わりだと言うこと。確かにそれが、圭のプライドを最も傷つけない理由だろう。その気持ちに、応えられないのなら。
「ほんっと、おまえたちって馬鹿……」
それに振り回される自分は、たぶんもっと愚かだろう、と思いながらも、稜はそう言って疲れたようにこてりと雅道の肩に頭をのせた。
「同感だ」
雅道はそういって、ふっと息を吐いた。それから、ぼそりと呟く。
「それにしてもおまえ、怖いな。あの海田先輩の後継者なだけあるよ」
本人は面倒がっているが、次期運動部長は西沢稜に、という声はまだ一学期だと言うのに揺るがない。
「俺はあんなに強くもなければ、度量もない」
「少なくとも、弱いことを認められる強さがあるだろ」
いい加減重たい、と雅道は身体を後ろに引いた。
「なんかおまえに誉められても素直に喜べないなあ」
稜はそう言いながら、腹が減った、ともと来た道を歩き始めた。その背中を眺めながら、一体稜は何をしたかったのだろう、と雅道は思っていた。
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