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コレガ僕ラノ進ム道

09
 部屋を探しているなら、いいところを紹介するぞ、と藤吾が社長から言われたのは、映と喧嘩のような気まずい日曜を過ごした次の日のことだった。暗い気持ちで出勤した藤吾に、梶原が言ったのだ。
「え?」
 週始めの月曜日は、現場に行く前に必ず会社に寄らなければならない。そこで一週間の予定の変更がないかなど、連絡事項を受け取るのだ。
「新しい部屋、探してるだろう?ウチの別会社で不動産もやってるからな。条件言ってくれれば、いいところ探してやるぞ」
 梶原は社長なのに、気楽な口をきく。それでも威厳があるのは、さすがだと藤吾はいつも思う。
 それにしても、どうして社長が部屋探しのことを知っているのだ。自分だって、映が動いていたのは、昨日知ったと言うのに。
 藤吾が悩みだしたのがわかった梶原は、ふっと口元で笑った。
「細かいことを気にするな。……ああ、そうだ。もう一つあった。おまえをこの間助けたって言う、佐谷さんだったか。一度挨拶しておきたいから、今度一緒に食事をしよう」
 にやり、と橋野が見たら呆れるようなほどの楽しそうな顔で、梶原が笑った。藤吾は立て続けに思っても見なかったことを社長に言われて、パニックになっていた。
「来週辺りで、都合の良い日を聞いておいてくれ。ついでに、食事は何が好きなのかも知りたいな」
 梶原は、その「佐谷」と言う男が、藤吾の友人だとは思っていない。藤吾が男しか愛せないとは、最初からわかっていたのだ。好みからははずれるが、どことなく放って置けなくて入社させたのは、少しばかり下心もあった。
 藤吾はきっといい声でなくだろう。この大きな身体で、恥ずかしがって赤くなられたら、楽しいだろう。そんな、本人が聞いたら卒倒しそうなことを、梶原は考えていた。
「え、あの、でも」
「週末でも構わないから。明日にでも返事を聞かせてくれ」
 梶原が藤吾に、断る隙など与えるわけがなかった。藤吾はいつものように、はあ、と言ったきり、肩を落とすしかない。その上梶原は、とんでもないことを言った。
「そうだ。そのときに部屋のことを詳しく聞いてやろう。橋野も一緒に連れて行けばちょうどいい」
 何が丁度いいのか、藤吾にはさっぱりわからなかった。それより。梶原と橋野に組まれたら、藤吾などどうしていいのかわからない。それで部屋のことなどを聞かれても、誤魔化しきる自信など、全くなかった。
 望みは、映がこの話を断ってくれることだった。でも、もちろん、映は断りなどしなかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて、金曜の夜にでも。藤吾はそのまま俺のうちに泊まりだな?」
 映は不敵な笑いを浮かべて、そう言った。この招待がどんな意味なのか、履き違えることなどないのだ。
 これは間違いなく、藤吾の相手の品定めだ。橋野の様子を見ていれば、会社でどれだけ藤吾が可愛がられているかわかる。それに、映はあれから少しずつ藤吾の会社のことを聞いていた。怖がりの藤吾がなぜ、警備会社に入ったのか、そのいきさつも。
 自分のどこを気に入ったのかわからない、と藤吾は言っていたが、映にはわかる。
 強がる人間には、藤吾のような人間はどこか安心する。甘えさせているようで、守ると言うことで甘えているのだ。
「で、でも、ウチの会社ってその……」
「元、やくざ、だろ?でも今は健全な会社運営をしているなら、別に普通の会社と変わらねえよ。それに、藤吾も社長さんや橋野さんを尊敬してるんだろ?」
 信じているとか、頼っているとかは、意地でも映は口にしたくなかった。馬鹿な対抗心だと思っても。
「そうだけど……」
「それとも、俺を紹介したくない?別に、正直に恋人って言わなくてもいい。友人でも、いいからさ」
 臆病な藤吾に、カミングアウトしろというのは酷だと映は思っていた。だからどれだけ大声で主張したくても、映は我慢することにした。
 それが代償だと言うのなら、それでもいい。
 藤吾がずっと、傍にいてくれるなら。それで、良かった。
「そんなことないっ。そうじゃないんだ。でも、えっと、恋人って言う勇気も俺にはないっていうか……」
 藤吾が必死になって言うので、映は思わず頭を引き寄せて、その唇に口付けた。デザートに食べた桃の、甘い香りがした。
「大丈夫。ちゃんと立派な友人を演じて見せるから」
 映は、そう微笑んだ。でも、その笑顔に、藤吾は胸が痛んで、何も言えなかった。


 食事会は藤吾の困惑と不安を他所に、それでは金曜日に、と簡単に決まってしまった。場所は、余り気取らないところがいい、という映の希望で、梶原が料亭の個室を取った。個室なら、気取る必要はない、と言うのだ。
「佐谷さん、ローエにお勤めじゃないですか?」
 仕事ではないから、と互いに名刺を出さなかったのだが、映がアパレル系の会社に勤めている、と言ったら、橋野が少し何か思い出したような顔をした。
「そうですが……なぜご存知なのでしょう?」
「いえ、取引先のビルにローエ本社が入ってらっしゃるビルがあるものですから……そちらに入っている会社の重役の方々の名前と顔は記憶するようにしておりますので」
 そのビルは若手の急成長した会社が多いせいか、深夜などに、急な用事で会社に来る重役達は結構いるのだ。警備上の都合にしても、効率の問題だとしても、その顔と名前を覚えていて損はない。
 藤吾はその橋野のプロ根性にも感嘆したが、映が重役だと言うことに驚いていた。同じ年ながら、人の上に立っているのだ。それも、ブランドなどに弱い藤吾は知らなかったが、ローエは今、若者達に絶大な人気を誇る服飾メーカーなのだという。映は「友人の会社を手伝ってるって感じだよ」と言っていたが、それほど大きいとは藤吾も思っていなかった。
 ひとしきり、場は接待のような雰囲気になっていたが、梶原もそして映も、当初の目的を忘れたわけではなかった。梶原はじっくり映を品定めしてやろうと思っていたし、映はなんとか牽制しようと考えていた。そしてその横では、藤吾が少し考え込むように黙り込んでいた。もともと喋る方ではないから、梶原も映も、自分たちのことで手一杯で気付いていなかったが、橋野はその思い詰めたような藤吾を心配そうに見ていた。
 藤吾を手塩に掛けて育てたと自負する橋野には、今の藤吾の心情など手に取るようにわかる。また、自分には映はもったいない、とでも思っているのだ。見ていると、映が藤吾に所謂「首ったけ」だというのはわかるが、当の本人はそれを疑っている。重役なんて言っちまったのは間違いだったなあ、と橋野はこくりと酒を飲んだ。
「藤吾、どうした。おまえ全然飲んでねーな」
 隣で狐と狸の化かしあいのようなものを始めた二人は放っておいて、橋野が藤吾に話し掛けると、藤吾が泣きそうな顔をして橋野を見た。あーあ、と思う。これだから、こいつを放って置けないのだ。
「飲め。とりあえず、飲んで色々な悩みは置いておけ。それで、後でじっくり佐谷さんに可愛がってもらえ」
 とんでもないことを言った橋野に、藤吾は持っていた猪口を落としそうになり、隣でにこやかな攻防戦をしていた映は、噴出しそうになった。
「は、橋野さん……?」
「全くなあ。おまえもどうしてこう、腰を引いちまうかな。どうせろくでもないこと考えてたんだろ。んなこと考える前に、自分から誘うとかして嵌めちまえよ」
 恐ろしいことを言う。藤吾は酔いではなく顔を赤くして、目を見開いていた。その頭を、橋野がよしよしと撫でる。
 まさか、あの橋野が酔ったということはないだろう。酒豪ぞろいの梶原警備に於いて、トップを争うような橋野だ。大体、いつもに比べれば、まだそれほど飲んでいない。
 藤吾の隣で、映がむっと顔を歪めたのが橋野にも、梶原にもわかったが、その手はなかなかどかなかった。その上、藤吾は赤くなったまま泣きそうな顔をしている。
 一体どうして、橋野に二人の関係がばれているのだ。ばれているだけならまだしも、その役割までわかってしまっているのは、どうしたことなのだ。
「ろくでもないこと?」
 映が、精一杯感情を抑えた声で呟いた。藤吾が、びくりと震える。それに、橋野がさらにまた宥めるように頭をぽんぽんと叩いた。
「そう言えば、二人は部屋を探してるんですよね?」
 それから、映の機嫌など全く気付かないかのように、そうにっこりと笑った。ようやくその手が藤吾の頭から外れて、映は深く息を吐いて頷いた。
 藤吾の上司だ、と言い聞かせていたのだ。危うく、その手をどかせと、掴みかかるところだった。
 それにしても、どうしてそのことを橋野が知っているのだろう。気が乗らない風だったのに、藤吾が話したのだろうか、とちらりと藤吾を見ると、まだ赤いまま少し放心したように固まっている。
「うちというか、うちの親会社には不動産部門もありましてね、何かお手伝いできるんじゃないかと思ったんですが」
「はあ……でも……」
「藤吾が煮え切らない答えでもしてますか?」
 橋野の、その藤吾のことなら何でもわかっている、と言った口調が悔しくてたまらなかったが、その通りなので映はちらりと藤吾を見てから、頷いた。本人が答えられる状況ではないのだ。
「こいつのそういうところは、いつまで経っても治らないからなあ。どうせ嫌なわけじゃないんだ。強引にでも一緒に住んだらいい。なあ藤吾?別に嫌なわけじゃないんだろ」
 梶原より、余程この橋野の方が手ごわい、と映は思った。藤吾が懐いているだけはあるのだ。
「え、あの……」
「どうせ、俺が一緒に住んでもいいんだろうか、とか、迷惑じゃないんだろうか、とか考えてたんだろうが」
「迷惑なはずがありません」
 映は間髪入れずに言っていた。そんなことを藤吾が考えていたなら、非常に心外だ。思わず、手元の猪口をぐいっと煽る。それに、橋野が間を空けずに酒を注ぎいれた。
「だとよ、藤吾。迷ってんじゃねーよ」
 言った橋野に、隣の梶原がくすくすと笑い出した。何事かと、映の片眉が上がる。
「橋野、おまえ、相変わらず藤吾には過保護って言うかお節介って言うか……」
「社長、それ、どっちも誉め言葉じゃないんですけどね」
「誉めてないからな。ウチの大事な大事な藤吾を、そうあっさり他人の手に任せようなんて、感心しない」
 何が「ウチの」「大事な大事な」なのか。映は、藤吾は俺のものだと抱きしめたい衝動に駆られた。
「しゃ、社長……」
 もはや藤吾は、涙目だ。ああだから、そんな目でこの男を見るんじゃない、と映は思わず、テーブルの下で藤吾の手を握り締めた。藤吾がぎょっとして映を見たが、そんなものは無視した。
「私では、相応しくない、と?」
「どうだろう。今の感じでは、藤吾は不安がっていると見えるけれどね」
 梶原の言葉には、映は反論できない。事実、藤吾は不安なのだろう。橋野の、言うように。
「そ、それは、違います」


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