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どうしてイズルに惹かれたのか、何度か考えたことがある。最初は、生意気な奴だと思った。痛いところをつかれて、馬鹿にしているのか、と言ったりもした。イズルと弟の実を送っていけと社長に言われたとき、正直少し面倒だと思った。でも、そんなことをおくびにも出さずに笑って請け負った俺のことを、イズルは見抜いていた。
サービス、と自分の好意を言われて、怒った。でも、そのあと、イズルは自分も同じだから、と言ったのだ。その目があまりに遠くて、諦めきっているようで、痛々しかった。そして、そう言ったその口で、その目で、よき兄として優しく弟を扱うところを見て、興味が湧いたのだと思う。
あの遠い目で、イズルはでも、しっかりと真実を見ている。そして、俺が俺であることを許してくれる。
俺が酔って寝ると、イズルは苦笑しながら隣にいてくれる。いつもなら誘わない限り横になど寝てくれないくせに、そのときだけはするりと横に滑り込んできて、俺に腕を回されても振り払わない。
イズルはわかっている。俺が酔うときは、何かを忘れたいときだと。どこか我慢が効かなくなって、「藤原東」を保つ何かを握りつぶしてしまいたいときだと。
あの優しい手に、俺はいつも縋っていた。たぶん、途方にくれた子供のように。だから、イズルは俺の手を離せなかったのかもしれない。
「ずいぶん深刻な顔してるなあ。まあ、公演も近いし、せいぜいごたつきまくれ」
「どう言う意味ですか……」
「俺としては、できれば公演中に脱皮して欲しいわけだ」
鬼、と思ったが言わなかった。目を細めるその姿は本当に楽しそうで、ため息を吐きたくなった。
いつから俺は、これほどイズルに依存していたのだろう。
そして、それは決してイズルと同じ度合いではなくて。
「脱皮、ですか……」
「生まれ変われ、とは言わないけどな。少しでも何かが剥がれたら俺としては成功だな」
一体、誰のために公演をしているのやら、と思うが、そう聞けば自分の楽しみだと言って憚らないだろう設楽の性格は把握していて、俺はそれについては何も言わないでいた。そのかわり、ではないが、少し首を傾げた。
「剥がれたつもりだったんですけど」
少なくとも、以前とは違っている気が自分ではしていた。
「違うな。それはもう剥がれていたものを、出してきただけだろう?俺が剥がしたわけじゃない」
言われて初めて、なるほど、と自分の事ながら思った。イズルによって剥がれた部分を、今回の舞台でお披露目したと言うわけか。だから怖くもなかった。
「設楽さん、怖いなあ」
「なんだよ、今更」
俺が笑うと、設楽もにやりと笑った。
「まあ確かに、最初のセリフがセリフでしたから。この人、怖いなあって思いましたよ……そんなに、無理しているように見えました?」
以前の俺だったら、という例のセリフだ。
「いや、無理な感じはなかったけどな。ただ俺は、ほんとにデビュー当時のおまえを知ってるから、もしかしたら、と思っただけだ。良い男に化けやがって、って思ったぐらいだ」
くくくっと笑う設楽にどこか居心地が悪い。誉められているのか貶されているのかわからない。
「俺も、無理だとは思ってなかったんですけどね」
無理とは言わなかったが、今の俺を見て素ではないと看破したイズルは、やっぱり凄いのかもしれない。あまりテレビなどを見るほうでもないようで、最初に会ったときも社長の言葉に俺が無表情になったのを見たからわかった、と言っていた。
不可抗力じゃないか、と思う。
そういうイズルを手離せないと思うのは、仕方のないことじゃないか。
「自分じゃ無理だと思ってなくても、無理してる、だから甘えろって言ってくれる人間がいたら、甘えたくなるもんだろう」
「それをわかっていて、この「誰でもない男」にはその手を差し伸べないんですね」
「……さあ、どうなんだろう」
設楽は笑ったようだった。目は舞台を真剣に見ていたから、俺にはそう言う風に見えたのだけなのかもしれない。
どうなんだろう、とは、一体、どういうことなのだろう。
暇なら来い、という珍しい人からの誘いに、俺は無理やり時間を作ってその店に向かった。鷲見は俺の知る限り、イズルと最も近い関係の人間だった。
ear shotに行くのは久しぶりだ。イズルと会わないと事務所と約束をして以来だから、もうひと月近く来ていない。それでも、そこは何の変わりもなかった。ただ、イズルがいないだけで。
「一ヶ月休みが欲しいって言うから、やっただけだ」
鷲見は奥のソファーに俺を坐らせ、自らカクテルを持ってきた。イズルがいない分の穴埋めを雇ってはいないらしい。
「一ヶ月?」
「ああ。夏休みに合わせて静己と一緒に旅をしてる」
静己というのはイズルの父親のことだ。知りたかったことを何の拘りもなさそうに話されて、俺は少し面食らった。
「……静己から苦情が来たんだ。可愛い息子を誑かした色男はどうしてるんだって」
随分な言い方だ、と思ったが、立場の弱い分、俺は大人しくしていた。
「誑かせるぐらいなら、良かったかもしれない」
「おい」
「俺ね、余裕がないんだよ、鷲見さん。イズルのことに関しては、全然余裕がない」
はあっとため息をついて頭を抱えた俺を、鷲見が珍しいものを見るような目つきで見た。
「……一度、確かめないといけないと思ってたんだ」
何を、と俺が顔を上げると、仕方がないとでもいうような、なんだか居心地の悪くなるような顔をした鷲見がいた。ずいぶん会っていない、親の顔を思い出した。
「静己とは高校時代からの付き合いだ。だからイズルは、俺の息子も同然で、ずっと可愛がってきた。なかなか、懐かなかったけどな。あの子は優しい子だ。いつでも自分のことより他人のことばかり考えている、損な子でもあると思う」
鷲見が見たこともない柔らかい顔をして、ふっと息をついた。
「イズルの親のことは知ってるのか?」
「……別れたということは」
「あれも、ひどいと言えばひどいもんだったんだ。あればかりは俺も静己から話を聞いて、思わずあいつを怒鳴ったくらいだ。あんな風に辛い思いを、息子にさせるんじゃないってな」
俺はその「辛かった」内容を知らない。イズルは父親を尊敬している、と洩らしたことがある。辛かったと、思っていないのかもしれなかった。
それでも、疵になっていたのかもしれない。それを、俺は少しでも癒せたのだろうか。
「それで少しでも俺に甘えてくれれば、俺だってべたべたに甘やかしたものを……あいつはちっとも甘えやしない」
俺はじっと鷲見を見た。イズルが甘える場所を、俺以外の人間に譲る気はなかった。ただ、イズルがどこまで俺に甘えているかと言われれば、言葉に詰まってしまう。
「東もまだ、俺の目からしたら合格点じゃないな」
自信なく思っていたところでそう言われてしまうと、俺は唇を噛み締めるしかなかった。
「まあ、道のりは長い。俺の見ている限り、イズルが甘えるのは静己だけだ」
にやりと笑った鷲見は、カクテルをくっと飲み干すと、俺を品定めするような目で見た。
「厄介な相手じゃないか。おまえなら、もっと面倒じゃない相手がいるんじゃないのか?」
例えば、間宮みたいな。
そう付け足した鷲見の口調は皮肉以外の何でもなく、俺は悔しさにカクテルを煽った。
非難されても、仕方のないことだ。俺は自分たちを、守ることが出来なかった。
「からくりはわかってる。間宮の事情も、俺は知ってる。だが、俺はおまえに同情できない。おまえ達のプライバシーのなさに同情するのも、イズルが関わっていなければの話だ」
「鷲見さん……?」
「俺は案外地獄耳なんだ。おまえ達の写真、見たよ」
その写真が、俺とイズルを映したものだと言うのはすぐにわかった。それから、俺ははっとして思わず鷲見を見た。
「静己にそれを見せた。おまえが守れないなら、俺とあいつで守るしかないからな」
「守る。守ってみせる」
絞りだすように言いながら、俺はその説得力のなさと情けなさに頭を抱えるように両手で掴んだ。守りたかった。どんなことをしてでも、守ってやろうと思っていた。
「どうやって?」
鷲見の静かな声が重かった。俺は、守れなかったのだ。今更何を言っても、それは変わらないことだった。
「俺は、実際におまえを追ってる記者に会ってるんだ。確信はなくとも、何か勘付いている風ではあった。決定的なものさえ撮れれば、見たいなことを言っていたからな」
その話は、聞いていない。俺が眉根を寄せて顔を上げると、鷲見が厳しい目で俺を見ていた。
「事務所は知らないだろう。だいたい、槙に写真を渡したのは俺だ」
「え?」
「おまえ達の出方を見たかった。いや、おまえの、というべきか」
それならば、最悪の結果だったと言えるだろう。俺は、結局間宮とのことで誤魔化すという手段をとったのだから。
あれが俺の意思に反することだったとしても、関係ない。俺の意思など撥ね付けられてしまうと言う現状が、問題なのだ。
「間宮との話、あれも俺が少し槙に粉掛けたんだ」
「鷲見さんが……」
「間宮の相手は俺も知ってる奴で、切羽詰ってたからな。どうかと思ったんだが」
俺は鷲見の力を過小評価しすぎていたようだと気付いた。元業界人なんかじゃない。鷲見は今でも、あの世界に確固たる地位があるのだ。
「イズルが、あそこまで臆病とは思わなかった」
鷲見はそう言いながら立ち上がると、カウンターに向かって行った。バーテンの岸さんからグラスと氷、ボトルを受け取って、また戻って来た。
俺は鷲見の言った言葉を頭の中で反芻していた。
イズルが、臆病――。
「逃げてるんだ」
鷲見がグラスに氷を入れながらため息混じりにそう言った。そこに、なみなみとウイスキーを注ぐと、からりとかき混ぜて、俺の前にグラスを置いた。
「静己が言うには、イズルはただ逃げてるだけなんだそうだ」
イズルのどこか遠くを見るような目が浮かんだ。ときどき、俺といるときに見せるあの諦めたような目。イズルは決して、俺に執着はしない。
鷲見は自分にも同じようにロックを作ると、ごくりとそれを飲んだ。
「あいつはいつでも逃げ場を作っている。そして、ぎりぎりになる前に、さっさと逃げるんだ。俺が、そういう風にしてしまった」
名瀬さんの言葉なのだろう。鷲見が何かを読み上げるかのようにそう言った。
「逃したつもりは、ないんですけどね」
俺がそう言うと、鷲見が少し驚いたように目を見張った。
「逃げられる、というか、簡単に身を引かれてしまうだろう怖さは、ずっとありました。でもだから、手を離すつもりはなかったんです」
今でも、まだ捕まえるつもりなのだと言うと、鷲見はやれやれと言った風に笑った。それからごくりとウイスキーを飲む。
「なんだ、わかっていたのか」
「だから、余裕がないって言ったでしょう?」
俺が苦笑すると、鷲見もまた笑いながら頭をふるふると振った。
「……くそう。せっかくおまえを追い払えるチャンスだと思ったのに」
鷲見の言葉に、俺は笑ったまま言葉は返さなかった。そんなことを、俺は許さない。同じように、俺から逃げようとしたイズルのことも、許さない。
「一ヶ月なら、もうそろそろ帰ってきますね」
「どうするつもりだ?」
「本当なら、今すぐにでも捕まえに行きたいんですけど……。待って、捕まえます」
何もかも放り出してイズルを捕まえに行くことは、今の状態をもっと悪くするだけだ。それが、俺の枷なのだ。
ごくりとウイスキーを飲むと、ふわりと芳香が漂った。随分と良い物を出してきたのだと、今になって味わう。
鷲見が煙草を取り出した。薦められたそれを、遠慮なく貰う。
いつもの自分の煙草よりきつめのそれを、深々と吸う。
「確かめたかったことって、何ですか?」
「ああ、もうわかったからいい」
鷲見はまた、あの居心地のわるくなるような目で俺を見た。そして、鷲見は確かに、イズルを実の息子のように思っているのだと思った。
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