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君を愛する理由(わけ)などいらない。 第二話
05
例えば、お風呂上りの上気した顔や、ビールに酔ってとろんとした目や、そう言うものがどれだけ真崎を煽るか、藤川はわかっていない。酔うとぱたりと眠ってしまう、その無防備さに、真崎が深いため息を吐いていることも、知らない。
なぜ真崎がこの部屋を出て行くことを、あれほど嫌がったのか、その理由を聞くことを、真崎は怖くて出来ないでいた。そんな、中途半端のままの空気の中で、真崎は追い詰められていく自分を持て余していた。
藤川は相変わらず何も言わず、以前と同じようにあの部屋の中で過ごしている。ただ、小さな変化は確実にあった。
真崎は誰かを部屋に連れ込むことはしなくなり、藤川は、その真崎が誰かの部屋で夜を過ごしてくると、翌日にどこかもの問いた気な視線で真崎を見るようになった。
居たたまれない、と真崎はその視線に、いつも思う。
それは、責めているでもない、でも真崎はどう答えたらいいのかわからない視線だった。
問い詰めてみなさいよ、と智耶子は言った。でもそれをしないのは、真崎はどこか怖いからだ。
藤川が自分を大事に思うのは、友情からだ、と真崎は思っている。今までそんな友人がいなかった藤川は、真崎と言う友人を失うのが怖いのだ。だから、何も言えないでいる。言ってしまえば、今の関係が崩れることはわかりきっている。
真崎は、酔っ払ってばたんと後ろに倒れて眠ってしまった藤川に、布団を掛けた。しばらくすれば起き出して、這うように自分のベッドに向かうのはわかっていたが、真崎はそれを待たずに、携帯を持って部屋を出た。雨が降ったあとの湿った空気が、夜気をとても冷たくしていて、真崎は首を竦めながら携帯で適当に電話を掛ける。こんな時間の真崎からの電話の意味するところなどわかっている友人は、苦笑一つで迎えに行こうと言ってくれた。
温かい手も、柔らかい唇も、自分を貫くものさえ、藤川ではないと真崎はちゃんとわかっている。わかっているから切なく、そしてきっとずっと得ることのないそれを欲している自分が、どこか哀しかった。何度求めても、疲れ果てて眠っても、真崎は少しも安らぎを得ない。そして、そんな夜を過ごすたびに、本当に自分が欲しいものが何であるのか、わからなくなってしまうのだった。
途方にくれた顔の藤川、というのをあまり智耶子は見たことがない。だから、珍しいものを見せてもらった、と内心で呆れつつも思っていた。
「情けない顔してるわねー」
そう言うと、だってさ、とますます困惑しきった顔をする。大体、それでどうして自分を訪ねてきてしまうのか、と智耶子は思うが、藤川だから仕方がない。
「相談料にコーヒー奢って」
智耶子がそう言うと、藤川はもちろんと頷いて、自販機に小銭を入れた。
「で?何に困ってるの?」
屋上への階段を登りながら、智耶子が後ろからとぼとぼと付いてくる藤川に声をかけると、縋るような目をされた。
「わかんないんだ」
智耶子は思わず、ため息を吐く。それから、やれやれと首を振りながらかちゃりとドアを開けると、屋上に入っていった。
「藤川にわからないなら、私にわかるわけないじゃない」
「そうなんだけど」
風の来ない、給水塔の陰に二人で坐る。昔は良くここで、じゃれ合うようにキスなどしてみたものだった。
「気持ちより、セックスの方が確かだって言うんだ」
しばらくの沈黙の後、藤川がそう呟いた。智耶子は缶コーヒーを飲みながら、真崎の言いそうなことだ、と思った。
「それで?」
「そんなの、違うだろ?」
そんなことを聞かれてもねえ、と智耶子は心中ため息をつく。胸の中が、ため息で一杯になりそうだった。
それでも、遊びで抱き合うことの出来ない藤川のセックスなら、確かかもしれないな、と智耶子は思った。
「真崎にとっては、そうなのかもね。でもじゃあ、確かなはずの藤川の気持ちは?」
意地悪だろうか、と思いながら子供でもあやすような口調で智耶子が言うと、藤川は途端に困った顔をした。
「それが、わからないんだって。チャコのときは、すごくすごくはっきりしてたんだ。なんかね、もう強烈に好きだなって思ったんだ。でも、真崎はわからない。誰かの家に泊まってきたりするとさ、すごく気になったり、出て行くって言われたときも、絶対嫌だって思った。泣きそうな顔されるとさ、ってあいつは泣かないけど、すごく困るし。でもさ、友達だから、かもしれないじゃん?」
ぽつぽつと、藤川は自分の靴先を見ながら言う。それを智耶子は横目で眺めた。そんな独占欲じみた気持ちが友情なら、子供っぽいことこの上ない。ただ藤川は、こうやって少しずつ始まり、穏やかに進んでいく恋もあるのだと、知らないのだ。
そんな恋を、自分としていたら、もっと未来は違ったのかもしれない。
そんな仕様もないことを考えた自分を、智耶子は笑った。違ったからこそ、あれは二人の恋だったというのに。
「それなら、確かめてみればいいのよ。杏ちゃんのときみたいに、ね」
智耶子がそう言うと、藤川はばつの悪そうな顔をして、真崎みたいなことを言うなよ、と口を尖らせた。
「セックスの方が確かだから言うんじゃないわよ。藤川の元彼女だから言うの。藤川に抱かれればわかるもの。どれだけ、愛されているか、なんてね。たぶん、抱いてる本人よりもちゃんとわかってるわよ。だから、真崎に確かめてもらえばいい」
智耶子の言葉に、藤川は「そんなあ」と情けない声を出した。
「それとも、そもそも抱きたいって思わないわけ?」
「う……考えたことない」
というより、考えないようにしている、と言うほうが的確なのだろう、と智耶子はその藤川の表情から読み取る。
「じゃあ、考えてみればいいじゃない」
「チャコ……意地悪だね」
そう?と微笑みかけて、智耶子はじっと藤川を見つめた。いい加減、諦めたら良いのに、と思う。
「だってさ、い、痛そうじゃない?」
そうやって見ていたら、しばらく考え込んでいた藤川が、そんなことを言い出した。そう言う問題じゃないのだが、どうして肝心なところでずれてしまうのだろう。
「私にわかるわけないでしょ。それなら真崎は十分先輩だから、本人に聞けば?それとも、真崎の相手にでも聞く?」
「嫌だよ」
むっとした表情は、しっかり嫉妬を表している、と智耶子は半ば呆れを通り越して感心した。
「それにね、きっと大丈夫よ」
「大丈夫って……」
「愛があれば、きっと平気」
にっこりとそう智耶子は笑いながら、自分のセリフに呆れてもいた。でも、恋愛至上主義の藤川には、これが一番効くだろう。
実際藤川は、智耶子の慈悲深い微笑を見ながら、問題が大きくずれたことなど気にもせず、「そうなのかな」などと言っていた。
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