1-05 01 * 03 04 05 



サイレント・ノイズ 第二話
――偽リノ夜――

02

 そこは、ノスタルジックな雰囲気を醸し出す、小さな喫茶店だった。何を基準として、ノスタルジックというのかわからないが、確かな懐かしさがあるのだ。そんな店の店主――アルフォンス――が、若いというのもどこか不思議だ。
「ウィスキーをシングルで」
「ラルフ、まだ酒を出す時間じゃないよ」
 アルフォンスは二十代前半なのに、いやに落ち着いた物腰をしている。人の話を聞くのが上手くて、店はいつも程よく繁盛していた。夜は、細腰で美貌の店主を目当てで来る客も多い。
「いいじゃないか。飲みたい気分なんだよ」
「何があったんだ?最近、相手にされないって、色々なところから俺に苦情が来るんだけど」
「……別に何って訳じゃないんだけどさ」
 ただ、そんな気分ではないのだ。ラルフは前に出されたコーヒーを、仕方なく口に含んだ。
「まぁ、今まで遊びすぎだったからな。いい傾向だろうけど。頼むから俺のところに苦情がこないようにしてくれないか」
「誰もお前に苦情を寄せろとは言ってないさ」
「ラルフ……」
 ラルフは遊び相手の誰にも、自分の居場所を決して教えない。落ち合うのは大抵この喫茶店だから、店主にラルフのことを聞くのは、自然なことだった。
「誰かできたのか?」
「何が」
 アルフォンスが、にやりと笑う。ラルフはそんなんじゃない、とため息をつきながら首を振るが、まぁ、当たっている部分もある。
 ――シュリ
 もう一度、抱きたいと思う。いや、もう一度、会いたいと思う。
 らしくないと、自分でも思う。
「ラルフ?」
 アルフォンスが、ラルフの頭をくしゃりとかき回す。
「アルッ。おまえ、やめろって言ってるだろー」
 アルフォンスは癖のように、ラルフの髪をくしゃりと触る。なんでも昔飼っていた犬の名が、ラルフというのだそうだ。薄茶の髪の色も似ていると、にこにこと言う。
「犬じゃねぇっていつも言ってるだろう」
 嫌そうにそう言うが、顔はひどく困っている。アルフォンスは、それを嬉しそうに眺めながら、もう一杯コーヒーを淹れた。いつもならブラックなのに、その手が砂糖を入れ、クリームを垂らす。ラルフがそれを、嫌そうな目で眺めていた。アルフォンスは逆に楽しそうな顔をしている。
「アル……砂糖入れすぎだよ」
「全部飲めよ。今回は大きいな」
「あまっ」
 一口飲んだだけで、ラルフはカウンターに顔を突っ伏した。まったく、虐めるためにこんな飲み物を合図にしているのだ。とことん、性格が悪い。違う飲み物にしようと提案しても、絶対に聞き入れてもらえないのだ。これが夜なら、アルコール抜きの、甘いジュースがカクテルとして出てくる。飲みきらないと、必要な情報がわからないようになっているのだ。
 ――せめて、アイスコーヒーにしろよ……
 そう思うが、即却下されるのは分かっているので、言わない。もしくは、全てを話せと言ってくるだろう。
「糖分は頭の活発な働きに必要なんだぞ?栄養分をやってるんだ。ありがたく飲め」
 アルフォンスは勝手なことを言う。別に甘い食べ物はそれほど嫌いではないから、そっちで取ればいいだけの話じゃないか。
 冷まして一息に飲んだカップの底には、22という数字。差し出された水をまた一息に飲んで、ラルフは立ち上がった。
 ごちそうさま、と言いながら払う料金には、先刻の甘いコーヒー代は含まれていない。甘すぎて、不味いから。ラルフはそう言って払わないのだ。
「気をつけて」
 少し不安そうな、緊迫した声に、ラルフは軽く手を上げて答えた。  0区域東区。
 ここは民間の家も多い。何もこんなところを狙わなくてもいいじゃないかとラルフは思った。どうせなら、官庁とかにすればいいのだ。ただそれは、非常に難しく、リスクを伴う。だからこそ、過激派もそこには手を出さないのだ。
 でも、もしそれに成功すれば、連合軍の英雄になれる。
 だから若手の兵士には、希望する者も少なくないのだ。
 ――あなたのようになりたい
 まだ何も分かっていないような、少年のような男たちにそう言われても、ラルフは苦笑するだけだった。そして、やめておけとただ一言忠告する。
 五年前、国の会議場が爆破されると言う事件がおきた。正面玄関での爆破は、会議の会場時間を狙って行われたため、爆弾テロとしては大きな事件となった。
 その爆弾を仕掛けたのが、ラルフとその弟のアレックスだった。
 まだ十代だった二人は、異常なほどの正義感と、憎しみに燃えていた。国の役人によって殺された両親の、仇を討とうと。それは事故だった。でも、飲酒によるその事故を、加害者は隠し、両親の運転ミスとして処理をした。そのことを、二人はどうしても赦せなかったのだ。
 ただ一言、謝ってくれれば――
 いや、それでも変わらなかったかも知れないと今では思う。突然失った幸福の代わりに、憎しみが必要だったのだろうと。
『あの男だ。あの男がきたら、このボタンを押す』
 二年間、練りに練った計画だった。上には反対され、それでも諦めなかった二人は、綿密な計画を何度も立て、二人で実行に移したのだ。
『こんな国や役人たちを野放しにしてはいけない』
 当時、そして今でも、それは合言葉のように連合軍の中で囁かれている。体のいい言葉だ。それで、人殺しまで正当化している。
 小さな爆弾の殺傷能力は、想像を遥かに越えている。一瞬の閃光の後、会議場前は地獄図のような光景が広がっていた。
 血まみれで倒れている、人。片足を飛ばされて、うめいている人。ぽっかりと丸く、空虚に広がったようになった玄関前には、何もなかった。でもその傍らで、泣き叫び、うめく人々がいた。
 今でも、忘れられない。
 母親を探して、血まみれで泣いていた少女がいた。その子の叫ぶ声が、耳の奥にこびりついている。
 ――ママー、ママー、痛いよー
 少女は、自分と同じ、薄茶色の髪をしていた。近くで転がっている塊が、母親だったのだろう。それは見るも無残な、肉塊と成り果てていた。人とさえも、判別できぬほどに。
 自分のしたことの恐ろしさに、ラルフはそのときになって初めて気づいたのだ。
 たった一人に憎しみをぶつけるために、多くの犠牲者を出したのだと言うことに。
 そして――
 ふらふらと帰った連合本部は、会議場爆破のニュースに静かに沸き立っていた。仲間から、よくやったな、と称えられ、普段は話すことも出来ない幹部からも、賞賛の言葉を貰った。
「おい、アレックスは戻ってないか」
 全てを上の空で聞きながら、ラルフは弟を必死で探した。爆破後三十分以内には、本部に戻るという約束だったのだ。あの混乱に巻き込まれても、三十分あれば充分帰ってこられたはずだ。
 それなのに、アレックスの姿は、どこにもなかった。
「いや、見てないよ。それにしてもでかい事をしたなぁ」
 尊敬のまなざしで見られて、ラルフは慌ててトイレに駆け込んだ。緊張でほとんど何も食べていなかった胃の中身を全て出しても、吐き気は去らなかった。
 そして、アレックスには、二度と会うことが出来なかった。
 アレックスもまた、あの場所で、粉々になっていたとわかったのは、それから数日してからだった。

 憎しみは、消えることなく、悲しみにかわった。
 ラルフは、最後の肉親を、亡くした。
 その手で、抱きしめることもできない程に、粉々にしてしまった。


1-05 01 * 03 04 05