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サイレント・ノイズ 第六話
――錯綜スル夢――

02

 がたんっと大きな音をさせて扉をあけたカイは、そろそろこの扉も修理しなくてはいけない、と思った。いや、ここを出るべきか。
 情報屋は水のようなものだ、と祖父はよく言っていた。留まりつづけていたら、腐ってしまう。とくに一人で全てをこなすフリーの情報屋は、定住してはいけない。ねぐらが割れるだけで、大損をしてしまう可能性が高いからだ。
 誰も、守ってくれるものなどいない。
 カイが本格的に仕事を始めたのは十歳の頃で、留守に誰かが来てデータ類を盗み出そうとしたら、全てに油をかけて火を放つように言われていた。さらに、小型の手榴弾を渡されていて、それを使ってコンピュータを破壊するように、とも言われていた。最初に教わったのが、情報の消し方だったのだ。以来、カイは愛着の持てるものは一切持たないようにしようと誓った。ためらわずに、全てを壊さなければならないからだ。それなのに、カイはこの廃墟のねぐらを気に入っていた。周りには誰もいない、あまり安全とは言い難い場所なのだが、もう一年近く住んでいた。その家を、知るものは誰もいない。あの梅花のメイやジェイクでさえも、知らないはずだった。
 寂しくないかと、ウォンに聞かれたことがある。正直に言えば、ときどき寂しいと思うこともあるが、そう言うときは街に出るし、情報屋である限り、仕方のないことだと思っていた。
 祖父との思い出があれば、それでいいと思っていた。それだけは、きっと褪せない。どんな大切な情報を忘れても、それだけは忘れないと、カイは思っていた。
 部屋についてコンピュータの前に座ると、カイは少し考えてから、葵が話したウォルター教授について調べてみることにした。
『ああ、やっと繋がったな。お前、携帯端末のアクセスナンバー変えただろう?』
 画面が立ち上がってすぐに現れたのは、ジェイクだった。
「あれ?言わなかったっけ?」
 カイはとぼけてみせたが、普段から携帯端末に通信を受けるのを嫌っているのを知っているジェイクは、それが確信犯だと疑っていなかった。
『今度教えろよ。なんかあったら困るだろう』
 ジェイクはそう言うが、カイは別に組織の人間ではない。何かあって、自分一人で対応し切れなかったら、それまでだ。それをジェイクはつれないというが、カイはいつも笑って誤魔化していた。梅花に甘えている部分があることは否定できない。でも、一匹狼でいることを諦めることは出来なかった。
「それより、何の用?」
 リュウの診療所を出た頃にはすっかり夜になっていた。葵はそのままそこに泊まらせてくれるなら、と言うので、入院患者用の個室を教えてやった。あの診療所は、もう持ち主が戻ってくることはないだろう。ただし、気をつけなければ、闇組織から狙われると言ったのだが、葵はそれでも構わない、と言った。
 カイは立ち上がって持ってきたカプセル食をウイスキーの水割りで流し込みながら、画面越しのジェイクを見た。
『こっちはお前が気にしてた情報を持ってきたって言うのに、冷たいな』
「俺が気にしてた情報?」
『ファンのことだよ』
 その名は確かに、ずっと気になっていた名ではあった。ふっと現れて、リュウやエリカの救出に大いに手を貸して、そのまま敵陣で別れてきてしまった、少年。彼が無事でいるのかどうかだけでも、カイは知りたいと思っていた。
「優しいねー、ジェイクは。それとも暇なの?」
 カイは笑いながら、水割りをがぶりと飲む。
『相変わらず口は減らねーな。お前がリュウ先生のことで忙しいのはわかってたからな。こっちも忙しい合間を縫って、調べたんだよ』
 ジェイクはそうにやりと笑ったが、実際には、片手間になったのは他のことで、ウォンが聞いたら厭味の一つも言いたくなっただろう。その笑うジェイクの顔左半分の画面に、その調査結果が現れた。
「うーん。やっぱり元コバルト60の組織員か……」
 半透明の緑色の画面に次々と現れる文字を追いながらカイが呟くと、ジェイクが気付いてたか、と言った。
「まあ、薄々ね。やたら内部に詳しいし、最後に会った奴とは知り合いだったみたいだしね」
 ひどく、つらそうな顔で叫んでいた、少年の顔を思い出す。
『それがユーリだ。コバルト60きっての暗殺者だよ。ファンも同じだけどな。で、二人仲良く逃げたらしいぜ』
「逃げ切れるもんなのか?」
 思わず言ったカイに、ジェイクが肩をすくめて首を傾げた。
『今のところ、二人が殺されたって情報はないけどな。奴らのことだ。わからない』
 ジェイクの言うとおりだった。二人を、まるで存在していなかったかのように消すことも、あの闇組織にならできる。カイは画面から顔を逸らすと、グラスを持って立ち上がった。
「わかった。ありがとう、ジェイク。あー……どうしてる?」
 画面横からちょっと顔だけ出すと、相変わらず殺風景な部屋だな、とジェイクが笑った。
『元気だよ。帰りたい、とは言ってるけどな』
 それは、言っている本人も無理な話だとわかっているだろう。カイ自身、先刻のリュウの診療所からずっと、後をつけられて、まくのに手間がかかっていた。葵は大丈夫だろうか。
「ああ、聞きたいことがあったんだ。そのうち行く」
 リュウもエリカも、あのままずっと籠の中にいなければならないのか。カイとジェイクは通信を切ると、互いにどこかを睨んだままだった。


 赤から薄むらさき、そして深い青へと変わっていく西の空を蘇芳はじっと眺めていた。毎日変わらぬ時間、変わらぬ速度で落ちていくこの太陽を、蘇芳はどうしても本物と錯覚することができない。もう、何年も映し出されつづけた太陽だ。蘇芳たちの世代にとっては、本物だと言ってもいいはずなのに、どうしてもそう思うことが出来なかった。「本物」の太陽など、見たことなどないというのに。
 ――カバーフィールドの研究員になったら、外に出る機会を得るかもしれないでしょう?一度でいいから、本当の世界を見てみたいんです。
 そう切なげに笑った、少年を思い出す。カバーフィールドの外が本当の世界だと言うのなら、今のこの世界は、偽者だと言うのだろうか?
 少なくとも、あの少年にとっては、嘘にまみれた世界だっただろう。蘇芳には、少年がこの世界を信じられなくなったのも、わかる気がした。消される過去、与えられる記憶。何が真実かなど、蘇芳にだってわからなかった。
『珍しいものが手に入ったんだ。飲まないか?』
 来客を告げる機械音があってモニターを見ると、朱理だった。手に、日本酒の瓶を持っている。蘇芳がドアを開けると、もう片方の手には、何やら色々なつまみを持っていた。
「なあ、お前最近山吹にあったか?」
 持って来たつまみをテーブルにならべながら、朱理が何気なく聞いたのに、蘇芳はいや、と短く答えた。そのまま視線でどうかしたのか?と問い掛けるが、朱理は会ってないならいい、と言う。
「それよりお前、気をつけろよ」
 その言葉に、何を?とでも言うような顔を蘇芳がして、朱理は大げさにため息をついた。わかっていて惚けているのだと、朱理にだってわかっている。
「まあ、上は何も気付いちゃいない。葵くんのことも、717のことも」
 コップに並々とお酒を注ぐと、朱理はそれを立て続けに二杯、ぐいっと煽った。いつもながら、日本酒を飲むのみ方じゃない、と蘇芳は思う。
「お前は何でも知ってるな」
 蘇芳もコップにお酒を注ぐと、ごくりとそれを飲んだ。
「まあね、と言いたいところだが、肝心の理由がわからない。まあ、葵くんのことは大体の想像がつくけどね」
「紫苑は元気か?」
「ああ。副作用もないし、楽しそうだよ」
 朱理はどこか哀れむように、そう言った。それからふと、自嘲気味の笑みを零す。二人のことを哀れみながら、少しだけ羨んでいる自分に気付いたからだ。朱理には、忘れてしまいたい人間がいる。出会わなければ良かったと、何度も思う。
「何を、企んでいる?」
 蘇芳が、717との接触を上に報告していないことを、朱理は知っていた。まだ、接触には早いはずだった。まず、探し出し、その上で指示が出るはずだったのだ。それを、蘇芳はきっと、見つけ出したことさえ報告していない。
「何も企んじゃいないさ」
「じゃあ、どうしてイアンを再起不能にした?」
 酒が入らなければ決して口に出せないと、朱理は思っていた。それなのに、口からは鋭い声が漏れて、自分は酔ってなどいないのだと、確認させられる。
「……あれは、俺がやったとでも?」
「いや、そこまではわからない。もともと奴は少し狂い始めていたからな。でも、少なくともお前は、イアンから717の居場所を聞き出そうとしなかった。奴が狂うに任せて。いや……」
 その必要は、なかったのか――
 居場所を聞き出す、必要など。
「買いかぶり過ぎだ。俺は偶然イアンを見つけただけだ」
 何もかもが偶然で、でも、そう言った偶然と言うものには逆らえないのだと、蘇芳は知った。会いたかった。でも、会えなければいいと思っていた。会ったら最後、歯車を回さないわけにはいかなくなる。
 イアンは、あの眼に何を見たのだろう。彼が探しつづけた、妹のサラを、そこに本当に、見つけたのだろうか。
 自分は、彼の中にアキを見つけることが出来るだろうか。
 誰からも、忘れられたアキ。
 その存在すら、消されてしまった、彼女を。
 あのとき、どうしても抱きたくなってその身体を貪ったが、蘇芳には、自分が誰を抱いたのかわからない。カイという少年を、抱いたのか。そこに、アキを見たのか。
 いや、カイという少年は、いないのだ。
「大丈夫」
 心配そうな目をしている朱理に、蘇芳はそれだけ言った。
 大切なものは失わない。
 蘇芳は、そう決めていた。


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