01 02 04 * 05 06



サイレント・ノイズ 第六話
――錯綜スル夢――

03

 五年前、祖父が亡くなったときのことを、カイは未だに夢に見ることがある。
 色のない廃墟の中を、ただひたすらに祖父を探しまわる夢だ。そうしてやっと見つけたと思ったら、祖父は瓦礫の下に埋まっている。その瓦礫を取り除こうと、カイは必死に一つ一つの石を持ち上げては捨てるのだが、山と積まれた石は、取っても取ってもなくならない。大きな瓦礫の山を前に、カイは途方にくれるしかない。
 しばらく見なくなっていたその夢を久しぶりに見たのは、昨日のことが原因だとカイにはわかっていた。
 ウォルター。
 その名を呼ぶことは、滅多になかった。
「じいちゃん……」
 弱音を吐かないと決めてから、縋るようにその言葉を言うことを自らに禁じた。ただただ、ひたすらに優しく厳しかった、そのことを忘れずにいようと誓って。
 外はまだ暗く、時計を見ると、明かりがつくまであとたっぷり二時間はありそうだった。レベル20区域以下は、徐々に日が昇るような明かりのつき方はしない。時間になると、どこかでスイッチが入れられるように、天井に明かりがつくのだ。月明かりもない、闇の中でしばらくぼんやりしてから、カイは端末の前に座って、キーを打ち始めた。
 祖父は、カイのもとに骨になって帰ってきた。テロに巻き込まれて、瓦礫の下敷きになって亡くなったのだと、メイが言った。原型を留めないほど、ぐちゃぐちゃになったその顔を、見ることは止められた。でも、カイは見ておかなくてはならないと、白いシーツを捲った。
 怒りか、悲しみか。
 身体が震えて、しかたがなかった。涙は、出てこなかった。ぼやけた目で見たくなかったからだ。
 自分はろくな死に方をしないだろう、と祖父は言っていた。そのときも、政治がらみの情報を手に入れようとしていたのだろう。危険なことをしているのは、わかっていた。
 祖父は、爆弾テロに巻き込まれたのか、それとも殺されたのか――
 カイはずっと、真実を探している。
「記憶研究のウォルター教授……A級データか……政府のお抱え研究者ってところかな」
 研究者として好きなだけ研究し、それで暮らしていこうとしたら、今は政府に雇われるのが最もいい。とくに日本人ではないウォルター教授にとっては、政府のお抱えになれたのは、幸運だったと言うべきだろう。
 何重にも保護された情報を、カイはパズルを解くように追い駆けた。A級データへのアクセスが知られれば、カイは明日にでも政府に捕まって、もう二度と帰ってこられないかもしれない。そう思っても、ゲーム感覚でアクセスすることを、カイは軽率だとは考えていなかった。何かを得るためには、何か犠牲を払わなければならない。そういうことも、よく知っていた。
 ようやくデータに辿り着いた頃には、外は明るくなっていた。たっぷり二時間は画面に向かっていたことになる。カイはそれでも急いで画面上の文字を目で追い駆けた。
 ウォルター・J・スミス。
 顔写真はない。このファミリーネームは、今はほとんど使っている人がいないために、カイは自分のものも知らなかった。その後にずっと、ウォルター教授について詳しく書かれたリストが並んでいる。
 ふと、カイの目にとまる数字があった。五年前の六月。忘れもしない、祖父の命日に、このウォルター教授も亡くなっている。
 偶然だろうか?
 カイは隅々まで目を通したが、他に気になるところはなかった。大体、政府筋の情報にしては、量が少ない。
 ――というより、トラップか……
 ふいにそう気付いて、カイは小さくため息をつきながら椅子の背に大きく寄りかかった。たぶん、本当の情報は、違うところに隠されているのだろう。前に一度、A級データはいくつもある、と聞いたことがあった。
 カイはしばらく画面を睨んでいたが、意を決して再びアクセスを開始した。なんとか、本物のデータを手に入れたい。それはもう、情報屋の意地のようなものだった。
「あっ……くそっ」
 突然画面が暴走して、カイは慌てて回線を切断したが、画面は勝手に動くことをやめず、やがて動きを止めると、今度は真っ黒になって、一切反応を示さなくなった。完全に、破壊されたのだろう。
 やはり、政府コンピュータへの侵入は、一筋縄ではいかないのだ。こんな事態になってしまうときのために、カイは自分が集めたデータの入っていないコンピュータを使ったのだけが幸いした。
 隠されれば、見つけたくなる。
 このままカイが引き下がるわけがなかった。


 昼近くまでコンピュータの前に座っていたカイは葵が心配で、廃墟になったと言っていい、リュウの診療所へ向かった。葵の傷はわりと深かったから、薬を塗りなおさなければならない。
 ウォルター教授のことは、あれからほとんど何もわからなかったといってよかった。パソコンは全部で三台、駄目にした。やっと辿り着いてもダミー情報ばかりで、カイは自分がかなり危険なことをしていることを知りながら、何度もウォルターの本当の情報を探した。
 記憶研究の第一人者であることは明かされているが、どんな研究をしていたのかは、一切公表されていない。
「おーい、いる?」
 カイが診療所に入っていくと、人気がなく、代わりに違和感があった。思わず動きを止めて様子を伺ったカイは、慎重に部屋を見て回る。葵には、昨日のうちに一応の隠れ場所を教えてあった。あまり動けるような状態ではなかったが、そうもいってられない。本人も誰かに追われているようだったし、診療所はコバルト60がしつこく狙っている。
 かすかに自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、カイは辺りを見回した。その足元から音がして、自分が教えた隠れ場所に葵がいるのだと気づく。
「よぉ、大丈夫か」
 何の変哲もないタイルの床は、同じように何の変哲もない壁のとある場所を間違わずに叩くと、パズルのように動いて開く。そのときに、間違った場所に立っていると、ぽっかりとあいた穴に落ちていってしまうから要注意だ。葵はこの面倒な仕組みをすぐに理解して、実際に使ったのだった。
「怖そうな人たちが一杯だったからさ、逃げ込んだはいいけど貧血起こしたみたいで」
 葵はカイに引っ張りあげられながら、弱々しく笑った。確かに、顔色が恐ろしいくらい悪い。安静にしてなければならないのに、あまり暖かくもない地下にほぼ一晩中いたのだから、仕方がない。
「あいつら、誰?」
 とりあえずベッドに寝かせて、暖かいものを飲ませると、包帯を取替えに掛かったカイに、遠慮しながら葵が聞いた。
「知りたい?」
 カイがちらりと葵を見て、にやりと笑う。葵は戸惑いつつも、頷いた。取引の出来ない、素直な反応に、カイが思わず顔を綻ばせた。
「俺も葵のことを知りたいんだよねー。世話してる身としては」
 はいできた、と言って、カイは薬を片付け始める。それから、俯いてしまった葵にカプセル食を渡した。
「……ありがと」
 葵は、自分のことを話すことは出来ない。無闇に言えることでもないし、言えばカイにも迷惑がかかることは分かり切っていた。
 俯いたままの葵にカイは苦笑しながら、わかったよ、と言った。自分の目に自信があるカイとしては、葵は敵ではないと思っている。でも、好奇心は抑えられないのだ。
「俺もたいしたことは教えられないけど。たぶんその怖そうな人たちは、コバルト60って言う闇組織の奴らだ」
「コバルト60……」
 聞いたことはある、と葵は思う。でも、それはあまり現実的ではなく、遠い世界のことだった。それも子供の冒険心をくすぐるような噂話としての知識しかないのだから、現実とは程遠いだろう。
「関係ない人間にまで手を出すような馬鹿なことはあんまりしないけど、葵は高く売れそうだし、気をつけな」
「は?高く売れる?」
「そう」
 カイはにっこりと笑うが、葵はその意味するところを理解するのに、少々の時間がいった。まさか、と呟くと、良い値がつくと思うよ、とカイは笑う。実際、日本人で、かわいらしい顔をしている葵なら、かなりの高値がつくだろう。
「それで、リュウ先生には会えないのか……」
「直接会うのは、かなり難しいよ。リュウは今のところ表に出てこれないし、俺が会いに行くのでさえ危ない」
 そう言うカイは、何をしているのだろうと、ふと葵は思った。自分と同じ年位にしか見えないのに、なんだかこんな状況に慣れている。でも、自分ことを何も話せない葵は、カイにその疑問を聞くのが躊躇われた。
「あのさ、じゃあ、手紙とか駄目かな」
 遠慮がちに葵がそう言うと、カイが一瞬固まって、それから大笑いをした。
「え?え?なんでそんなに笑うんだよ」
「いや、懐かしい言葉を聞いた」
 今の時代手紙なんて、と思うが、そんな言葉が普通に出てくるあたり、葵がかなりのハイクラスな人間だと改めてわかる。今や「紙」は、その質に関わらず高級品だ。
「あ、そうか。えーと、データにするからさ」
 自分が好きで、ときどき紫苑宛の手紙を書いた。葵はふと、それを思い出した。
「わかった。いいよ。請け負いましょう」
 しばらく笑っていたカイにいい加減呆れながら、葵は画面に向かって、どう書いたらいいのか考え込んでいた。


 気になって、というのが本当のところだが、できればすぐに返事が欲しいという理由で、カイはジェイクを通さずに、自分でデータをリュウのところに持っていった。久しぶりに見るリュウは顔色もよく、エリカもずいぶん元気になっていた。
「そんなことがあったんですか」
 簡単に葵のことを話すと、リュウはそう言ってなにやら考え込んだ。葵という名前には反応しなかったし、カイはウォルター教授については触れなかった。
 リュウはそのままデータを見始めて、カイはエリカと遊ぶ羽目になった。ちらちらと気になるのだが、エリカは容赦がなく、リュウがずいぶんと真剣な表情をしていることしかわからない。
「残念ですが、私ではお役に立てそうにありませんね」
 一通り見て、リュウはそう言った。それだけ?と言うようにリュウを見ると、本当に申し訳ないんですけど、と苦笑した。
「ところでその方、葵さんでしたっけ。そんな怪我で大丈夫なんですか?」
「うーん。俺が一応手当てしたんだけど、結構深いんだよね、傷が」
「連れてきていただけませんかねぇ」
 それはだめだろ、とカイが無言で首を横に振ると、メイには自分が話すから、と言う。
「カイの手当てじゃ安心できませんよ。わざわざ私のところに来てくださったと言うのに、足を切断、なんてなってしまったら申し訳ない」
 切断は大げさじゃないかとカイは思ったが、あの傷だ。確かに廃墟に近い、今や決して衛生的とはいえないあの場所では、何が起きてもおかしくはなかった。
 まったく、怪我人というとほっとけないんだからなあ。
 カイは大きくため息をついて、でもリュウの頑固さを知っている身としては、しぶしぶ頷くしかなかった。メイの許可が下りれば、という条件付で。
 カイとしては、厳しい梅花のことだから、と淡い期待を抱いていたのだ。でも、その期待はあっけなく裏切られ、翌日にはジェイクたちが迎えに行くからという連絡が、メイからカイの元に届けられた。


01 02 04 * 05 06