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サイレント・ノイズ 第六話
――錯綜スル夢――

04

 葵はどこか不安そうな顔をしていたが、リュウに会えるということと、カイが大丈夫だと言い聞かせたからか、なんとかジェイクの車に乗り込んだ。どこに行くかは、教えられていない。ジェイクも、友人と紹介されただけだ。
「エリカが会いたがってたぜ。俺も、おまえが来るのかと思ってたけど」
 ジェイクが巻き煙草を作りながら、サングラスの下、様子を伺うようにカイを見た。そのカイは、いいもん持ってるじゃん、と出来た煙草をひょいっと横取りする。
「あ、おいっ」
「俺も忙しくてね」
 カイは煙草に火をつけると、美味しそうにふかした。混じり気のない煙草は、久しぶりだった。
「……何者なんだ」
 ジェイクの低い声に、カイは煙草を吸う振りをして目を細めた。何も聞いていないのだろうか。
「知らない」
「おいおい」
 実際、あまり葵のことは知らないのだ。それは、梅花も――つまりはメイも――承知のはずだった。だから、リュウの連れてきて欲しいと言う願いは、叶わないと思った。
 車の中で大人しくしている葵を、カイは盗み見た。葵からリュウに渡ったチップは、葵の手に戻った。中身を見ることはどうしても躊躇われて、結局カイは見ないままだった。
 ふと、疑問を持つ。
 リュウは本当に、治療のためだけに葵を呼ぶのだろうか。
「メイはリュウに甘いよなあ」
 ぎりぎりまで吸った煙草を踏み潰して消すと、カイはそう呟いてにやりとジェイクに笑いかけた。ジェイクが眉を寄せたのがわかる。サングラスで隠れてはいるが、まさか、と言う顔をしているのだろう。
 ジェイクは正しい。二人は、そう言う関係ではないだろう。でも、カイは「取り引き」の存在を知っている。そして、葵とウォルター教授。
「わかんないぜ、メイのことだから」
 カイはそう笑うと、呆れるジェイクを残して、自分の部屋へと急いだ。


 梅花のデータベースに侵入しようとしていたカイはふと思いついて、標的を変えた。エリカのことを狙ったコバルト60は、どこまで情報を持っているのだろうと思ったのだ。
 取り引きだから、自分と梅花の関係は言えない、とリュウは言った。でも、リュウとエリカをずっと狙っていた巨大闇組織なら、その辺りの情報を持っていてもおかしくはない。事実、コバルト60は梅花をずっと監視している。
 でも、苦労の末辿り着いた画面にカイは思わぬ名前を見つけて、しばらく画面を睨みつけてしまった。
 ――どういうことだ。
 さんざん探した名前だ。でも、こんなところで出会うとは思っていなかった。カイは、画面をもう一度ゆっくりと追う。
『エリカ
 プログラムNo.330.
 マーク、ローズ夫妻第一子。
 三歳時に両親死亡、アダム・ケイン氏に引き取られる。
 以後国立第八研究所にて不老研究の被験者。
 六歳にて成長を止める。
 (十五)歳のとき、ウォルター・J・スミス研究員逃亡の際、連れ去られる。
 数年の空白後、現在、リュウ医師と同居……』
 研究所から連れ出したのは、リュウではない。
 ウォルター・J・スミス。
 研究所職員だったウォルターは、エリカを連れて研究所から逃亡した。そのエリカが、どんな形でリュウの手に渡ったかわからない。でも、リュウはウォルターを知っている。
 ――エリカを助け出してくれた人との、約束なんです。
 確か、そう言っていた。そのウォルターのことを、葵はリュウに尋ねたいと言っていた。メイはこのことを知っているのだろう。だから、葵を梅花に呼んだ。
 一体、リュウとメイは何を隠し持っているのだろう。
 名実ともに梅花ナンバー2と言っていい、ジェイクにも言わない、秘密。
 カイは何度か唇を指でなぞってから、今度はウォルターをキーワードにデータを探した。
『ウォルター・J・スミス
 国立第八研究所元職員。プログラムNo.500元責任者。
 記憶操作研究第一人者。
 研究所逃亡後、行方不明。
 五年前の爆弾テロにて死亡確認。』
 情報は、以前政府コンピュータに侵入して得たものとあまり変わらない。でも、この国立研究所は、公的には第七までしかない。だから、ダミー情報であれだけ頑丈に守られていたのだ。
 ウォルターの研究分野は、記憶操作か……
 不老に、記憶操作。この第八研究所では、その研究全般において、人体実験がなされていたのだろう。
 自分の祖父であるウォルター。そして、研究所職員だったウォルター教授。
 共通項のないはずの二人の、たぶん唯一の共通項、メイ。
 同一人物、という言葉がカイの頭の中で浮かんでは消える。でも、そんなはずがないのは、自分自身が一番良く知っている。
 ウォルターが研究所から逃亡したのは、ほぼ6年前。その頃も、それ以前も、カイは情報屋の祖父の助手をずっとしていた。
 カイは回線を完全に切ってから、大きく息を吐いた。
 目の前には、色々な材料がそろっている。でもそれを繋げるものもなければ、肝心な何かが足りない。
 ウォルターは、なぜ逃亡を図ったのだろうか。
 人体実験という非人道的な行為に耐えられずに?
 ではなぜ、自分の研究体ではなく、エリカを連れて出たのだろう。
 聞きたい相手は、もういない。残されたものを、探し出すしかないのだ。


 鬱屈とした気持ちを晴らしに、カイは久しぶりに夜の街へ出た。ほとんど好奇心だけで、自分には何の利益もないだろう情報に、ここ数日振り回されている気がする。もちろん、自分から飛び込んでいるのだから、誰にも文句は言えない。
 考えないように、と思っても頭の中で巡るのはこのことばかりで、カイは行きつけのバーのカウンターでため息をついた。先ほどから何人かに声を掛けられているのに、その気になれず、空返事ばかりして呆れられている。
「ずいぶん悩ましいな」
 のどの奥で笑うような声が聞こえて、カイは顔を上げた。ようやく少しばかり気持ちよくなってきたところで、その相手ににっこりと笑いかける。
「あんたはいつもタイミングがいいね」
「どんなタイミングだ?」
 そう言いながら座ったのは、蘇芳だった。丁度今夜の相手を探してたところ、と言うカイに、それはそれは、と蘇芳も微笑んだ。ずいぶんラフな格好をしているが、どれも質がいい事がわかる。そのすらりとした筋肉質な体躯と整った顔、黒い瞳に時折漂う色香。それらが少しばかりこの場に浮いてしまうのは、この男の持つ品のようなもののせいだろう。
「ずいぶん下まで潜ってくるんだな。あんただったら、上でも十分相手がいるだろ?」
 カイがそう言うと、蘇芳は少し寂しそうな顔をして見せた。
「そうしたら、カイに会えないだろう?」
 流し目をする蘇芳に、カイは苦笑した。そういえば、以前会ってからもうずいぶん経つ。
 ふと、カイが何かを考えるように眉根を寄せた。
 以前、どうして蘇芳と会ったのだったか。……あの男、そう、自分を狙っていた男がいた。あの男の名前……そして、顔は?
 カイは胸騒ぎのような、ざわざわとした感触が心臓の辺りを締め付けるのがわかった。なぜ、自分はあの男のことを忘れていたのだ。自分を、狙ったと言うのに。そして今なぜ――
「どうした?」
 心配そうな蘇芳の顔に、カイははっとして、なんでもない、と取り繕うように笑った。頭が混乱しているのか、疲れているのか。
「行こう」
 ときどきこうして、自分と関係ないところで何かが起こっている気がしてならない。自分の中のことだと言うのに、自分の意志とは関係ないところで、動いている何か。
 確かな、感覚が欲しかった。誰かに全身を触れて欲しかった。その触れた場所の感覚を、全て捕らえたかった。
 カイは蘇芳の腕を取ると、急かすように歩き出した。


 今まで何人もの男に抱かれ、何人かの女も抱いてきたが、蘇芳ほど気持ちの良くなる相手はいなかった。もちろんそれは、身体的快楽と言う意味での気持ちよさもあるが、触れられて、安心して、任せきって、という精神的「気持ちよさ」もあった。
 大きな手のせいか。
 抱き合っている間中甘い、瞳のせいか。
 その硬い筋肉質な身体を触りたくて手を伸ばすと、蘇芳はその手を取って、笑いながら手首に口付ける。
 カイは甘い関係が欲しいわけではない。それでも、そこから広がる甘い痺れは心地がいい。まるで、馬鹿みたいに。
「……くそっ」
 横たわって、まだ繋がったまま、互いに荒い息を整えていたときに、カイが小さくうめいた。
「なに?」
 蘇芳がその身体をカイから離そうとすると、カイがその肩を押さえて、くるりと蘇芳の上にまたがる形で上半身を立ち上げた。もちろん繋がったままで、カイは自分で動いておいて、その深さに喉をさらして背を反らした。それから、熱い息を吐いて、その乾いた唇をぺろりと舐めた。
「なんでこんな気持ちイイんだよ」
 掠れた声に、蘇芳は目を細めて笑った。
「素直でかわいいねえ」
 蘇芳はそう言いながら、身体を起こして、カイを抱きとめる。その動きに、カイが満足そうに息を吐く。蘇芳はその様子に、思わず呟いた。
「たまには焦らしたいよな……」
「もうちょい後にして」
 それに、カイが不満の声をあげた。焦らされるのも嫌いではないが、今日はとにかく快楽が欲しい。緩やかなものではなく、激しいものが。身体隅々まで、自分の血が通っていることを確かめるために。
「……何かあった?」
「んっ……何って」
 ゆるりと腰を掴まれたまま動かされて、目を閉じる。つい先ほど果てたばかりで、まだ熱はひいていない。
「不安そうな顔してる」
 言われて、カイは大きな瞳を開いた。緑の目が、きらきらと光っている。
 それが、本当の色ではないと知っている蘇芳は、思わずコンタクトをはずせと言いそうになった。狂った男が、探していた瞳。でもそれは、今はカイのものなのだ。
 そう思った自分に、蘇芳は驚いた。
 今抱いているのは、カイなのだ。それ以外の、何者でもない。
「何かあったのは、あんたのほうじゃないの」
 ぎゅっと柔らかくカイに抱かれて、蘇芳は我に返る。
「泣きそうな顔してる」
 言われて、初めて気づいた。
「カイ……」
「ん?」
「歯止めきかないかも」
「望むところ」
 蘇芳が、カイに口付ける。本当に、泣いてしまいそうだった。


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