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サイレント・ノイズ 第六話
――錯綜スル夢――

06

「さて、どうするか。カイの挑発に乗るか……」
 カイが去って、ジェイクが煙草を巻きながらそう呟くと、ウォンが冷たく言い放った。
「どうせ乗るんでしょう」
「ウォン?」
「どうするも何も、ジェイクがカイの挑発に乗らなかったこともなければ、頼みを断ったこともない。こっちの仕事なんか放り出して、調べるんでしょ?」
 ひどく皮肉な口調に、ジェイクは眉根を寄せた。それから、にやりと笑う。
「もしかして、妬いてる?」
「……っ。そんな今更」
 ウォンは努めて冷静な振りをして立ち上がると、すたすたと歩き出した。
「おい、ウォン」
 ジェイクの叫びなど、無視する。ジェイクは軽く舌打ちすると、座っていたソファーからひょいっと立った。
「待てよ、ウォン。おまえ、夜は一人で歩くなって」
 そう肩を掴むと、ひどく冷たい視線が返ってきた。
「僕は、どこかの誰かさんと違って浮気性じゃないからね、大丈夫」
 一瞬、ジェイクは黙り込んだ。その間がウォンを余計怒らせることを、ジェイクも知らないわけではない。ウォンはまた、ジェイクの手を払って歩き出した。
「大丈夫って……おまえ、周りの視線わかって言ってるのか?」
「それは僕の所為じゃない」
「ああ、違うよ。おまえの所為じゃない。そりゃあ」
 ――俺の所為だろ?
 夜毎の成果――そうのたまう男に、ウォンは長いため息をついて頭を振った。どうして自分は、こんな自信過剰男を好きなんだろう。自分で自分が、不思議でならなかった。
「なんか、カイにあげたくなってきた……いらないって言うだろうけど」
 ウォンの呟きに、ジェイクが一瞬、硬直したのがわかる。
「仮にあいつが良いって言っても、俺は大人しく貰われていく気はないからな」
 唸るようにそう言うジェイクの声が、ウォンを微笑ませる。
 わかってる。
 二人はライバルなのだと、わかってる。
 でも、少しぐらい妬いてみたって良いじゃないか、と思うのだ。


 ――見事に消されてんな。
 葵のことを調べてみようと幹部候補生のデータにアクセスしてみたが、葵という生徒がいた形跡が全くない。授業に関することはもちろん、一般生活に置いてのデータもかなり細かく記されているのに、葵はどの生徒のデータにも現れず、当然のことながら、本人のデータもなかった。
 葵が嘘をついているとは思わない。大体、他のどのデータにも葵は「いない」のだ。両親さえもみつからない。どう見ても純血日本人に見える葵のデータがないと言うのは、おかしい。
『なに?』
 交信ランプの点灯に相手を確認したカイは、ずっと画面を見ていたせいで凝り固まった身体をほぐしながら応答した。
『相変わらずだな。少しは嬉しそうな声出せないのか?』
『……やあジェイク、久しぶりだな。どうしたんだよ』
『声だけ嬉しそうにしてみても、顔が嫌がってるんだよ……』
 ジェイクのため息に、カイが笑った。
『何かわかった?』
『ほーお。俺から無料で情報貰おうって奴がいるとはな』
『ジェイクって太っ腹』
『おだててもやんねーぞ。そっちの持ち駒出せ』
 持ち駒ねえ、とカイが何か思い浮かべるように視線を上に動かす。
『ジェイクはさ、エリカとリュウのことは知ってるんだよな?』
『知ってるよ。リュウの妹だろ?』
『じゃあ、エリカがどこでどんな実験されていたのかは?』
『どんな、っていうのは想像出来るさ。うちのボスが興味持ちそうなことだ』
『はは、確かに。それを放っておいてるのも不思議だな……』
『で?』
『エリカはもともと、国立第八研究所にいたらしい』
『第八?七までしかないだろ、確か』
 考え込むようなジェイクに、カイが肩をすくめた。
『そのエリカを連れ出したのが、その研究所職員だったウォルター教授だ。葵の今回の逃亡の原因でもあるらしい』
『ウォルターって……』
『同じ名前、なんだよな』
 手駒は見せたぞ、と言う風に両手を開いてみせると、ジェイクが握りこぶしで唇を何度か叩いているのが見えた。考え事をするときの癖だ。それから、ふと動きを止めると、呟いた。
『その同じ名前のウォルターが、リュウにメイを紹介した、としたら?』
『じいさんが?』
『五年前、たぶん、エリカがリュウのところに戻ってきた直後だ』
『ちょっと待てよ。梅花とは三年前からだってリュウは言ってたぞ』
『俺もメイにそう聞いたよ』
 二人して、嘘をついている、ということだろうか?でも、もし五年前なら――
『同一人物、か……?』
 情報屋ウォルターと、研究所職員のウォルター教授。偶然と言うには、接点が多すぎる。そして、隠され過ぎている。
 そう思って、でも、とカイは頭を振った。馬鹿なことだ。
 ――自分は生まれたときからずっとじいさんといたじゃないか。ずっと二人で、二人きりで、生きてきたじゃないか。俺は、それを覚えている――。
 ふと思いついて、カイは自分の心臓がどきどきいっているのがわかった。
 そんなはずはない。それこそ、馬鹿みたいなことだ。
『カイ?どうしたんだ、急に怖い顔して。あのな、おまえ、これ以上この件に関わるな。俺はおまえを敵にしたくないし、死んで欲しくもない』
 ジェイクが何か言っている。でも、カイはそんなことは聞いていなかった。
 祖父と自分を繋げていたのは、記憶だけだ。ずっと一緒だったと思っていた。でも、祖父がカイに独立を促し始めて、色々な人に紹介されだしたのは、やはり五年前のことじゃなかったか?そして、それからすぐに、祖父は死んだ。五年以上前の記憶に出てくるのは、本当に少ない人たちだ。梅花のメンバーである、キースとメイを含めても――
 覚えている。それだけで、自分は二人を違う人物だと思っていた。でも、ウォルター教授の専門が、記憶操作なのだとしたら――?
 知らず自分を抱きしめるようにしたカイは、自分が震えていることに気づいた。


 どれ位考えていたのか、カイは吸っていた煙草を、すでに吸殻で一杯になった灰皿に押し付けた。
『はい』
『蘇芳?俺』
『おや、見慣れないコードだと思ったら。どうした?声だけだと、元気なく聞こえる』
 顔を見せたくなくて、カイはモニターを切っていた。そう言う蘇芳の声は変わらず心地よい響きを持っている。
『これから身体空く?』
『すぐ、か?』
『出来るだけ早くがいいな。駄目ならいいけど』
『どうした?』
『やりたい。それだけだよ』
『……色気のない誘い方だな。まあ、カイらしいと言うか』
 くすくすと笑う声が聞こえた。俺らしい?カイはそんな些細な言葉になぜか安心した。このところ、時々感じる、自分が自分じゃないような感覚に、怯えているのだろう。
『いいよ。この間のホテル、覚えてるか?』
『ああ。わかると思う』
 じゃあ、と言って回線を切ると、カイはもう一本煙草を口に咥えて、ジャケットを羽織った。
 はやく。
 とにかく早く、抱いて欲しかった。


「……ん、カイ……ちょっと待て」
 部屋に入るなり口付けられて、蘇芳は宥めるようにカイを抱きしめた。離れようとしないことにため息を隠して、気が済むまで貪られることにする。
「どうした?」
 ようやく離れた唇に苦笑しながら問うと、カイがじっと自分を見ているのがわかった。蘇芳はその目にどきりとして、首筋に吸い寄せられる振りをして視線を逸らした。
 ――何を、知った?
「なにも。発情期みたい」
 答えに、思わず蘇芳は笑う。誘い方を知っているカイに、蘇芳も自分の激情にちらりと火がついたのがわかった。
 ――何を考えてるっ。
 ――怒鳴るなよ。
 ――おまえがここまで馬鹿だと思わなかったよ。自分も危なくなるってわかってるだろ?すぐに上に報告しろ。もう一人で関わるな。
 ――……好きにしていいぞ、朱理。
 ――蘇芳っ。
 出てくる前に、朱理と言い合ったのを蘇芳は思い出した。ずるい言い方をして、逃げた。朱理が自分の単独行動を上に報告できないとわかっていて、あんなことを言ったのだ。
 ベッドにカイを寝かせながら、蘇芳はその髪を何度か撫で上げた。カイがその手に戸惑ったような目をする。
「やっぱり、不安そうな顔してる」
「誰?俺?」
 笑いながら目尻に口付けると、カイもくすぐったそうに笑った。
 わかっている。二人の関係は、そんな甘いものではないのだ。それでも、蘇芳は腕の中の存在がひどく愛しくて、仕方がなかった。
 でも、その愛しさが誰に向かっているのか、蘇芳自身にもわからなかった。
「俺が来なかったら、誰か他の奴を誘うつもりだった?」
「さあ……ね。誘っても、満足できるかわからないし。その点蘇芳は確実だろ」
 笑うカイの目元が赤く染まっている。きらきらと部屋の照明を反射する瞳は、欲情に濡れていた。
 そうやって、蘇芳を求めるのは誰なのか。
 カイなのか。
 アキなのか。
 それとも、シリルなのか。
 最初は、好奇心だった。そして、たぶん、妹の目を捜し続けたイアンと同じ期待をしていた。
「カイ……」
「どうした?ずいぶん優しいんだな、今夜は」
「いつも優しいだろ?」
 このまま、どこかに逃げよう、そう言ったら、カイはどうするだろう。
 何も知らないカイ。
 そのまま、二人で逃げられたら。
 ――朱理、俺もここまで自分が馬鹿とは思わなかったよ。


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