椿古道具屋 第一話
懐中時計の神さま 06
それから、史朗は自分に神様が見えること、たぶんその所為でここを虎之助から相続したこと、そして千織がこの時計を持ってきたこと、その時計を見て神様たちが千織の命が危ないといったこと――とにかく一連の出来事を全て喋った。
「で? 俺は何だって?」
「だから、『神遣い』だよ。人間の悪い行いによって、荒ぶる神となってしまった神様を鎮める人……らしいよ」
史朗の声がふいに自信がなくなったように小さくなってしまったのは、凪の呆れたような視線を感じたからだった。
――まあ、普通は信じないよな。
史朗だって、神様が見えていなければ、絶対に信じなかっただろう。
「それで? 俺がおまえに呼ばれたのはどうして? なんか話がみえないんだけど」
「さっき言っただろ。その懐中時計の神様が、荒ぶる神様になっちゃったんだよ。それで、おまえにその神様を静めて欲しいわけ」
「おまえは神様が見えるんだろう? なんでやらないんだ」
嫌な質問をしてくる。史朗は自然、拗ねたような顔をした。
「俺には、その力がないんだってさ」
凪がふうっと溜息を吐いた。相手にしてられない、そんな溜息だった。
「信じられねーのはわかるよ。でもほんとなんだよ。早くしないと、千織ちゃん、死んじゃうんだよ」
史朗は必死に言ってみるが、凪はその幼なじみをじっと見たまま、少しも信じてくれたような顔をしなかった。
その凪の後ろで、神様たちが何やら話をしている。内緒話のようで、史朗の耳にまでは届かなかったが、中の一人、織部様がすっと史朗の隣にやってきて、耳元で何か囁いた。
「え? 凪、神様たちが、引き受けないならその邪な心のうちをばらすって言ってる」
邪な心とはなんだ、と史朗は好奇心をくすぐられた。それは是非とも聞いてみたい。何しろ、この凪なのだ。
凪の目が、すっと細められた。突然剣呑な雰囲気になって、史朗はこくりと喉を鳴らした。
続いてやってきたのは、市松そば猪口様だ。また、耳元で囁く。
「は? 俺相手に想像してることをばらすって言え? って、おまえ、何を想像してんだよ!」
少々恐怖を感じていたのは忘れて、史朗は思わず立ち上がりかける。凪は、じっとその史朗を睨んでいた。
「おまえ、わざと言ってるんじゃないだろうな?」
「は?」
「俺をからかうために、わかってて言ってんのかって訊いてるんだよ」
凪の迫力に、史朗は息を呑んだ。神様も何人か、逃げ出したようだ。
「からかう? 何わけわかんねーこと言ってるんだよ。おまえ、一体何を想像してるんだ? 俺の頭がおかしくなったって言いふらそうとか? 信じた振りしてからかって、その反応を楽しもうとか?!」
怖くて逆にきゃんきゃん吠える子犬のように、史朗は凪に噛み付いた。久しぶりに、内容はともかくまともに話をしていたのに、結局喧嘩している二人である。
「そんなこと、考えてない」
凪は少し肩の力を抜いて、ふっと息を吐いた。それから弄んでいたペットボトルの蓋を開け、ごくごくと飲む。
「凪! 何を想像したんだ」
史朗は食い下がった。だが凪は、肩を竦めて口角をあげた。
「それを俺が言ったら、その神様とやらがいるのは、どうやって証明するんだよ。切り札なんじゃないのか」
「でも知りたい。神様たちもにやにや笑ってたり、顔赤らめてたり、わけわかんねーんだよ!」
どんっとペットボトルを畳に置く。幸い、キャップは閉めていたので、中で派手にお茶が揺れただけだった。
凪は「ふーん」と片眉を上げた。
「とりあえず、信じるよ。で? 俺は何をすればいい」
とりあえず、と言う言葉にも、結局「想像の中身」が語られなかったことにも不満な史朗は、抗議の声を上げようと思ったが、そこに織部様がやってきたので、口を閉じた。
「むくれるな、史朗。こやつが何を考えていたのか、そのうちわかるじゃろ。それよりも、神馴らしの方法を教えねばならん。こやつはワシらの声は聞こえぬようだから、朱紫さまにお頼みするから、庭に出るように言え」
「朱紫さま?」
「庭の池に棲んでいらっしゃる、鯉じゃ。史朗もご挨拶せい」
凪を促して庭に出ると、確かに池の鯉がぱしゃりと跳ねた。雨上がりの夕焼けのように、真っ赤な鯉だった。
「朱紫と申します。どうぞお見知りおきを」
鯉が池の底深くに潜ったと思ったら現われたのは、小袖の着物を着た、匂い立つようないい女だった。白地に真っ赤な彼岸花の柄の派手な着物だったが、蓮っ葉な感じはしない。むしろ、上品な若奥様といった風情だった。その美女にゆったりと頭を下げられて、史朗も慌てて頭を下げた。
「虎之助の孫、椿史朗といいます。こっちは、神鳥凪です」
凪は不遜にも朱紫さまを胡散臭そうに見ていた。史朗が足を蹴ると、ようやくぺこりと頭を下げた。
「史朗さま、お久しぶりでございます。ご立派になられて……」
いとおしむような目で見られて、史朗はどきまぎした。そう言えば、幼い頃にこの池の鯉にえさをやったことがある。
「凪さまも。わたくしに口で噛まれて、泣いていたのが昨日のことのようですわ」
ころころと、鈴がころがるように笑う。そういえば、池に指を突っ込んで、鯉にぱくりとその口を含まれ、驚いた凪が泣いたことがある。史朗は思わずにやりとしたが、凪は「そんなことあったか」ととぼけている。
「さて、凪さまは、これで史朗さまのお話を信じたのでしょうか?」
「……俺の目に見えないものがいるのかもしれない、とは思い始めた」
素直な凪の言葉に、朱紫さまはまたころころと笑った。
「今の人間は厄介ですこと。見えなければ信じられないのですものね。まあ、仕方がないわ。でも凪さま、半信半疑のまま神馴らしをしたら危険ですわよ」
「危険?」
思わず史朗が声を上げると、朱紫さまは意外なほど真剣に頷いた。
「荒ぶる魂に、隙を見せてはなりません。馴らすどころか、喰われてしまいます」
喰われる――言葉の生々しさに、史朗は身震いをした。
「そうなれば、荒魂は増幅するばかり。周りにいる人間にも危害を加えることになるかもしれません。どうぞ、心しておいてください」
凪はしばらく考えていたが、ふっと小さく息を吐くと、頷いた。
「わかった。覚悟してやらなければならないことなんだな」
朱紫さまは、無言でその凪をみつめていた。値踏みするような、試すような視線が無遠慮に注がれる。だが凪は、じっと見つめ返した。
「よろしい。では、神馴らしの方法をお教えしましょう。とは言え、特に決まった所作があるわけではないのですが……」
それから、朱紫さまはどのように神馴らしをすればいいのか、事細かに教えてくれた。訊けば訊くほど、史朗は臆病な自分には所詮無理なことだったのかもしれない、と思った。対して凪は、顔色一つ変えずに聞き入り、ときどき頷いている。
なんでも、荒魂が人に憑いた場合、その心臓を掴み出さなければならないのだそうだ。神馴らしが出来る人物ならば、剣を刺すように、その胸を突き破って手を入れられるのだと言う。そうして心臓をつかみ出すと、やがてそれが荒魂になり、胸を突き破られた人物の傷は塞がる。実は、実際に肉を突き破っているわけでも、心臓を掴んでいるわけでもなく、御魂を掴んでいるだけなのだ。だが、荒魂が抵抗して、そう言った幻を見せるのだと言う。
「荒魂が見せる幻は、それだけではありません。掴むべき御魂が、ときには火の玉だったり、たくさんの刺が出たものだったり、汚物だったり、禍々しい顔をした異形だったり……ともかく、掴むのを戸惑ってしまうようなものになっているのです。もちろん、幻ですから、それを掴んでも火傷をしたり怪我をしたり、汚れたりはしません。ただ、力の強いものですと、本当に熱かったり痛かったりするようでございます。もちろん幻ですので、実際に火傷をしたり傷ついたりするわけではありません。神馴らしが終われば、傷も消えてしまいます」
「それで、その取り出した魂はどうすればいいんだ?」
「荒魂になった原因を取り除いたならば、また元の宿に戻すこともできます。さもなくば……」
朱紫さまは少しの間口を噤み、目を伏せた。
「黄泉に、落とすこともできます」
黄泉――、と史朗が首を傾げた。凪が「黄泉の国、つまり死者の世界だろ」と補足する。
「その、黄泉に行ったら、魂はどうなるんですか?」
史朗の問いかけに、朱紫さまは何度か瞬きをして、ゆっくりと顔を上げた。
「そこで彷徨い続けます。荒魂のまま――」
朱紫さまはひどく哀しそうな顔をしていた。
「御魂が鎮まらない場合は、そうなるのも仕方がないことでございます。荒魂のまま元の宿に戻したり、放り出したりしてしまえば、元の木阿弥。また人に危害を加えてしまいますから」
「魂が鎮まったかどうかは、どうしたらわかるんだ?」
「ご覧になれば、すぐにわかると思いますよ。なんとも暖かい、柔らかい光になりますから」
凪は納得したように、頷いた。それからしばらく、目の前の沙羅の木を睨むように見ていた。
「俺がそれをしなきゃなんない理由は何だ?」
ふいにそう言われて、史朗は戸惑った。自分に言っているのか、朱紫さまに向かって言ったのか、判断がつかなかった。
「史朗さまには、その力がないからでございましょう。お優しい史朗さま……。わたくしたちを見ることができて、話もできるのに、神馴らしはできない。荒魂の哀しさに触れることはできるのに――鎮めることはできない」
史朗はきつく唇を噛んだ。自分は、できないことだらけなのだ。
「それでも史朗さまならば、どうにか助けようとなさるでしょう。神馴らしの力がないのに、荒魂に近づくのは無謀なこと。まして鎮めようとでもすれば、一緒に連れて行かれてしまうかもしれません」
ですから、凪さま、あなたさまが神馴らしをなさるのです、と朱紫さまは言った。
朱紫さまの真っ直ぐな視線を凪は受け止めて、同じようにじっとその美しい顔を見た。まるで睨み合っているようだ、と史朗はその二人を交互に見た。
史朗にできないから、凪がする。朱紫さまはそう言っているのだ。だが、それは理由にならないだろうと史朗は思った。史朗に神馴らしができようができまいが、凪がそれを助ける理由はない。
だから、史朗は驚いた。根負けしたように凪が溜息をついて、頷いたことに。
「仕方ないな」
そう、言ったことに。