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椿古道具屋 第二話

少年の神さま 05


「それで、凪? どうだったんだよ」
「どうって?」
 相変わらず凪はそっけない。史朗は病院の自動ドアを出たところで、前をいく凪の肩を掴んだ。それがどうにか自分の目線の下だというのが悔しい。
「だから、亮一君のお母さん。やっぱり憑かれてたんだよな?」
 凪は軽く頷いた。だがそれ以上は何も言わず、肩を軽くゆすって史朗の手を外すと、バス停に向かって歩き出した。
「待てよ。他に何か気付いたことないのか?」
 史朗は慌てて後を追った。肩を並べたところで、凪がちらりとこちらを見た。だが、やはり口は開かない。
「手嶋さんにあんなに愛想良く挨拶したくせに、その後はまた黙ってるし。喋ったと思ったら人形のことだろ? あ、もしかしてあの人形? 招き猫じゃなくて、あの人形が亮一くんのお母さんに憑いて――」
 興奮して捲くし立てたところで、口を大きな手で塞がれた。目の前には、凪の顔がある。
「声がでかいよ、史郎」
 耳元で囁かれる。途端、背筋にぞくりと震えが走った。史朗は慌てて、後ずさった。バス停はすぐ近くで、すでに数人が並んでいる。確かにあまり大きな声で話すことではない。だからって、口を塞がなくたっていいだろう。手のひらの感触とか、体温とか、かすかな匂いとか、何かこう、むずむずしてしまう。思い出してはいけないものを思い出してしまいそうになる。特に、少し高い凪の体温は――。
 ――ああ、もう!
 史朗は頭をくしゃくしゃと混ぜた。たかが口を手で覆われただけなのに、何を考えているのだろう。頭を振ると、隣からくすくすと笑い声が聞こえてきた。
「百面相だな。何を思い出してた?」
 史朗の顔が、かーっと熱くなった。思い出してたって、なんでわかるんだ? と史朗は思わず自分の顔を触った。
「べ、別に何も思い出してなんかないっ」
 史朗はふいっと顔を背けて、早足でバス停へ向かった。と言っても、十数歩で着いてしまう。凪が後ろで堪えるように笑っているのがわかった。全く癪に障る。
「人形に目をつけたのは正解だよ。穴、開いてたから」
 史朗に追いついてバス停に並んだ凪が、小声でそう言ってきた。思わず後ろを振り返ると、凪は小さく頷いた。
「あのガキがずっと持ってたから、ちゃんと確かめられなかったけど。でも、そうだと思う」
「手嶋さんの話だと、古いものみたいだし。そうか。あっちか」
 史朗は肌白で切れ長の目をした人形の顔を思い浮かべた。そう言えば、あのまっすぐ見つめるような目も、亮一に似ている。わりとリアルな人形だったな、と今さら少しばかり背筋がぞっとした。
 バスが来て、二人はしばらく会話を止めた。夕方のバスは混んでいて、内緒話ができる状況ではなかった。
 駅前のバス停まで、車内は混んでいた。そこまでずっと、途中で乗ってきた女子高校生らしき二人組が、凪のことをちらちらと見ていた。本人は平然としたもので、そんな視線は全く無視していた。最初に「神鳥さんじゃない?」と名前が聞こえてきたときでさえ、ちらりとも視線を向けなかった。
 ――慣れてるってことか。
 凪らしいと言えば凪らしい。敢えて無視しているのではなく、本当にシャットダウンしているのだろう。昔から凪は、自分に興味がないものは完全に無視していた。女の子たちが傍らで一所懸命遊びの誘いをかけても、本を読み続けられるのが凪だ。痺れを切らした女の子が肩を叩いたり、本を閉じるなどの邪魔をしてようやく「何?」と顔を上げる。
 そう言うところは、どうやら変わってないらしい。そう思ったら、悔しいとか羨ましいとかの気持ちは、どこかに行ってしまった。逆に、なんとなく嬉しくなってしまう。
「何、史郎?」
 ふいに頬を指で掴まれた。何をするんだと顔を上げると、「笑ってるから」と言われた。ぐらりとバスが揺れて、指が離れていく。車内はだいぶ空いて来ていたが、二人は立ったままだった。
「いや、凪は変わらないなって思って」
 唐突な史朗の言葉に、凪は肩をすくめただけだった。それから、坐ろう、と席を指さす。二人掛けの席が、ちょうど空いたところだった。二人が降りるまで、まだあと十五分はかかる。
「それにしても人形、どういうことなんだろう」
 駅を過ぎると、バスは住宅街へと入って行く。二人が通った中学も途中にあって、懐かしい。でも、あの頃はこんな風に肩を並べてバスに乗ったことはなかったな、と史朗は頭の片隅で考える。
「亮一君はすごく大事そうにしてたし。母親だって服作ったくらいだろ? なんで憑かれちゃったんだ?」
 椿屋にいる神様たちの話によれば、人間が自分勝手なことをするなど、何かしら悪いことをしなければ荒魂になって憑くことはないはずだ。母親が、一体何をしたのだろう。
「さあね」
 凪の答えは相変わらずだ。一体、本当にわからないのか、答えるのが面倒なのかちっともわからない。それでも史朗はめげずに話し続けた。凪はこういう人間で、聞いていないわけではないと知っている。
「それに、亮一君だよ。一言も喋らなかったよな。あれもお母さんのことと関係しているのかなあ」
 出かけるときは晴れていた空は、雲に覆われて暗くなって来ていた。夜には雨になりそうだ。史朗の心の中も、どんよりと重い。
「なんか人形と二人の世界にいるって感じだったよな。あれ、大丈夫かな」
 凪は何も言ってくれない。結局、その後はずっと沈黙が二人の間を漂っていた。


 二人がバスを降りたのは、椿屋の近くだった。一応は神様たちに、今日のことを報告するつもりだった。だが、凪は椿屋に行くのとは違う道を歩き出した。
「凪? どこ行くんだ」
 あそこ、と無言のまま指差された先は、不動産会社だった。
「手嶋さんが勤めてるとこ? なんで?」
 凪が答えるはずがなく、すたすたと歩いて行ってしまう。そして躊躇もせずにドアを開けたかと思うと、「いらっしゃいませ」と愛想よく出てきた人間に、「江藤さんはいらっしゃいますか」と言った。
 江藤……聞いたことがある名前だと首を傾げた史朗は、すぐにそれが手嶋に椿屋のことを教えた人物だと思い出した。祖父がテディーベアの荒魂を祓った人の旦那さんだ。
 江藤はすぐに出てきた。だが、客と言うには若い史朗たちに戸惑ったようだった。
 例の如く、凪はちらりと史朗を見て黙っている。勝手にここに来たというのに、必要以上のことは喋りたくないのだ。
「あの、突然すみません。俺、椿史郎と言います。近くにある、椿古道具屋の孫です。こっちは俺の幼馴染です」
 そう言うと、江藤は「ああ、あの椿屋さんの」と頷いた。それから応接セットの椅子に坐るように促されたが、凪が「少し出られませんか」と言うので、外に出ることになった。
「椿屋さんには本当にお世話になったよ。お祖父さんは元気かい?」
 三人は、向かいのファミリーレストランに入ることにした。江藤と凪はコーヒー、史朗はコーラを頼んだ。
「祖父はこの冬に亡くなりました」
 そう言うと、それは知らなかった、と江藤が驚きながらお悔やみを述べた。
「じゃあ、お店の方は……?」
「今は閉まってます。誰も古道具のことなんてわかる人間がいなくて」
 そうかあ、と江藤は残念そうに溜息を吐いた。
「まあ、俺も骨董って言うの? 全然分からないけどね。うちの奥さんのことでいろいろして貰ったとき、お礼はいらないなんて言うからさ、何か買おうかとも思ったんだけど、あそこ、値段がないだろ? 怖くてどれにしようか決めかねてたら、お祖父さんに『ここにあるものは、どれもみなしかるべき人物に貰われることになっておる。義理で買うと言われてもやらん』って言われちゃったよ」
 江藤はどうやらなかなか気さくな人物であるようだ。笑った顔は人懐っこい。
「はあ、祖父が言いそうなことです」
 飲み物が来たところで、ところで用件は? と江藤が訊いてきた。史朗は凪を見た。自分の出番はここまでだ。
「この間、あなたの会社の手嶋さんが椿屋にいらっしゃいました」
「ああ、手嶋、結局行ったのか。何も言ってなかったけど……。あ、でも椿屋さんが亡くなってたんじゃわからなかったか」
 江藤の呟きに、「史朗は孫ですから。血を受け継いでます」と凪がさらりと言った。史朗はぎょっとしてその凪を見た。何を言い出すのだ。受け継いでいると言っても、半分だけだ。
「へえ。そうなんだ。史朗君にもわかるんだ……」
 江藤は感心したような目で史朗を見ている。馬鹿にしたような口調じゃないのが幸いだが、本当のことではないので居心地が悪い。
「じゃあ、手嶋の奥さん、どうだった?」
 言っていいことなのか、史朗は一瞬躊躇した。答えたのは凪だ。
「奥さんのことは、まだよくわかりませんでした。ですが、少し気になることがあって」
「気になること?」
「はい。息子の亮一君です。彼にも会ったのですが、一言も喋りませんでした」
 ああ、と江藤はコーヒーを口にした。彼もまた、躊躇している。
「彼のお母さんがあんな状態になってしまったから、というだけではなくて、他にも何か理由があるんじゃないかと思いまして。江藤さんなら何かご存知ではないですか」
 大人と喋る凪と言うのは、どうも自分と同じ年には思えない。史朗が呆れ半分、感心半分でそんなことを思っていると、江藤がゆっくりと口を開いた。
「亮一君は、お母さんがああなる前から、ほとんど喋らなかったよ」
「前から、ですか?」
 思わず史朗が訊くと、江藤はため息混じりに頷いた。
「俺もそんなに会ったことがあるわけじゃないけどね。一年くらい前から、あんな感じじゃないかな」
「その前は、喋ってたんですか?」
「もともと口数が多い方じゃなかったけど、あんなに頑なに喋らない子じゃなかったはずだよ。俺にも恥ずかしがりながら挨拶したり、年を訊けば答えてくれたりしたしね。表情だって、あんな無表情じゃなかった」
「最近会ったのは、いつですか」
 凪の質問に、江藤は少し考えてから答えた。
「三ヶ月くらい前かな。お母さんと一緒にいるところを見かけただけで、喋ってはいないけど」
「お母さんと?」
「あの頃はまだ、彼女も元気だった。元気と言っても、体だけみたいだったけど」
「どういうことですか?」
 江藤はコーヒーを飲んだりしながら、しばらく逡巡したようだった。史朗も凪も、辛抱強くその口が開くのを待った。
「俺は、手嶋の結婚式にも行ったんだよ。だから奥さんのことも少し知ってる。明るくて、姉御肌って言うか、サバサバした感じの人だった。でも、三ヶ月くらい前に見たときは、なんと言うか……」
 と黙り込む。史朗も氷の融けたコーラを飲んだ。三人が座る席の隣を、子供が駆けていった。だめよ、と母親に怒られている。江藤はその親子をちらりと見て、長い溜息をついた。
「たまたまかもしれないけどね、怒ってたんだ。亮一君が何かしたらしくて、かなり怖い顔してた。周りの人間もちらちら見ちゃうくらいには、激しかった。だから俺も声を掛けられなかったんだけど。前はあんな怒り方するような人には見えなかったんだよなあ」
「奥さんのこともよく知っているんですか」
「いや、良くってわけじゃないけど。お互いの結婚式と、あと何回か家にお邪魔させてもらったことはある。そのときも亮一君が何かで怒られたことあったけど、あんなにヒステリックな怒り方じゃなかったんだよな。まあ、藍子さんも精神的に参ってたのかもしれないけど……」
 言ってから、江藤は「しまった」とでも言うような顔をした。そういうことを見逃す凪ではない。
「亮一君が喋らなくなったことも考えると、家庭内で何か問題があるのでしょうか」
「うん、まあ亮一君にとっては辛いことだろうけど……。いや、俺がとやかく言えることじゃないしさ。あんまり詳しくも知らないんだ。それに、君たちみたいな高校生に言うことじゃないしね」
 江藤は急に、目の前にいる少年たちがまだ子供だということに思い至ったようだった。史朗は凪が食い下がるかと思ったが、隣の幼馴染は意外なことにあっさりと話を切り上げた。
「そうですか。わかりました。ありがとうございました」
 史朗にははっきり言って、何が「わかりました」なのか良くわからなかった。


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