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遠景涙恋
第十二章 送舟
05
数ヶ月ぶりに会ったシャリーアは、随分大人びていて、リーフィウは眩しそうに目を細めた。だが、それは同時に、シャリーアに無理に背伸びをさせたということでもあって、自分の不甲斐なさを確認することでもあった。
それでも「兄さま!」と叫んで飛びついてきたシャリーアは、確かに自分の妹で、まだ子供だとリーフィウはその細い身体をぎゅっと抱き締めた。
「良かった。元気そうだな」
「兄さまも……」
そっと髪を撫でると、じわりとその目に涙が滲んだ。随分と伸びた髪に、会えなかった月日を思い知らされる。
「こら、泣くなよ。……淋しかったか?」
「うん。でも、みんな良い人だったから」
「ラシッド様もいたし?」
不意打ちのように言うと、言われたシャリーアは恥かしそうに微笑み、その後ろにいたラシッドが赤面するという、面白いものが見られた。イーザとシャーナの侍女たちは、その光景に笑いを堪えた。
「今日は、キーファ王はいらっしゃらないのね?」
反撃ではないが、シャリーアがそう言うと、リーフィウは「忙しくしていらっしゃるから」と微笑んだ。その笑みに、シャリーアはほっとする。どうやら、二人も上手くいっているらしい。
それから二人は、お茶を飲みながら喋りつづけた。シャリーアは元々おしゃべりだったが、リーフィウはいつもの倍といって良いほど良く話をしている。それに、妹ということでかなり砕けた口調で、イーザもラシッドも内心驚いていた。
これは、見られなかったキーファが悔しがるだろう。
ラシッドなどそうにやにやしていた。
「裁縫の腕はどう?花嫁さんはそれくらいはできないと困るよ?」
「わかってるわよー。これ、私が縫ったんだから」
シャリーアが掲げたのは小さな香油入れだった。へえ、と手にとると、リーフィウはそれを裏返したりしている。
「あ、だめっ。じっくり見ちゃ駄目」
型はシャーナに取ってもらったし、途中途中で修正してもらったから、それほど酷い出来ではない。でも、細かく見られれば不器用さなど一目瞭然だ。
シャリーアがぱっと袋を取り上げて、手の中に隠す。それをリーフィウが可笑しそうに笑った。
「兄さまこそ、剣の修行をしているんでしょう?どうなの?すぐに疲れちゃうんじゃない?そもそも剣なんて持ってられるの?」
シャリーアが何倍もの反撃をしてくるのは、照れているときだ。リーフィウはお茶を一口こくりと飲んだ。
「体力がないのは認めるけどね。でも少しは筋肉がついてきたんだよ?」
ほら、と腕を差し出されて、シャリーアは「筋肉?!」と声を上げた。それほど、この兄に似合わないものはないと思っていたのだ。
それに。
以前ならシャリーアがあの調子で攻撃すれば、すぐに怒ってムキになってさらなる反撃の応酬が始まるはずが、どこかさらりとかわされた気がする。
「嫌だわ。本当ね」
ぬっと差し出された腕をつんっとついて、シャリーアは呟いた。服に隠れているときはあまり変わっていない気もするけれど、こうして中身を見せられると、確かに少しばかりしっかりとした腕になっていた。
「嫌って……」
リーフィウの苦笑が零れた。
「だって、似合わないんですもの」
シャリーアがお菓子をちらりと見ると、すっとラシッドがその菓子皿を差し出した。それににっこり笑って、その中から一つ、平らな焼き菓子を取る。それを、リーフィウが幸せそうな顔で見ていることにはラシッドは気付いていない。
「筋はいいとハリーファが言っていましたよ」
「あら。キーファ王が指南役を買って出てくれたのではなくて?」
「王はザッハ殿の稽古をつけているんだ。とても、凄いよ」
リーフィウが微笑む。最近は稽古どころではなくなっただろうが、一ヶ月前だって、二人が稽古をしていると目を奪われた。二人が剣をあわせているところは、本当に美しかった。少し、妬けるぐらいに。
「まあ、そろそろザッハの稽古も終わるでしょう。そうしたら、王が……と言いたいところですが、わかりませんね」
「ええ。それこそ忙しいでしょうから」
キーファはもう傀儡の王ではない。疲れた昨晩の様子を思い出してみても、自分の剣の稽古になど付き合っていられないだろうとはリーフィウにも察しがつく。
ふと、自分は一体どうなるのだろう、と思った。最近、そのことばかりを考えている。キーファの傍にいたいが、捕虜としているのは、多分自分が耐えられなくなる。欲張りなことだと思っても、ただ傍にいるだけでは、きっと自分が駄目になる。ラシッドは実権を握ったキーファを支え、そのラシッドをシャリーアが支えていくだろう。では自分は。
ゆらりと手の中で、花茶が揺れる。そう言えばと思い出して、リーフィウは顔を上げた。
「あの、ラシッド様。キーファ王から聞きました。シャリーアの身柄は今後、ラシッド様に全て委ねられたと。ふつつかな妹ですが、どうぞよろしくお願い致します」
次にラシッドに会ったら言おうと思っていたのだった。言われた方は驚いて、一瞬動きを止めていた。
「ああ……リーフィウ殿。ずるい……」
そして零れた言葉は不可解なもので、リーフィウは頭を抱えたラシッドに首を傾げた。シャリーアも隣で呆れたような困ったような表情をしていた。
「あの……?」
「私から言おうと思っていたんです」
はあっと大きなため息を吐いてから、不意打ちだものなあ、とラシッドは立ち上がった。そして、坐っているリーフィウの傍に来て、すっと片膝をついて頭を下げた。
「どうか、シャリーア殿を私に頂きたい」
それはカハラム軍人の最上の挨拶の形で、リーフィウは慌ててラシッドに立つようにと手を差し出そうとした。だが、ふと思いとどまってすっと立ち上がると、ラシッドのがっしりとした肩に右手を置いて「二人に幸あれと。みなの願いのもとに」とリ語で歌うように言った。もちろんラシッドはその意味はわからなかったが、微笑むリーフィウにもう一度、頭を下げた。隣から、シャリーアが解説をした。
「ルクでは、殿方が娘を貰いに行ったとき、その了承の印として家長がそうやって言うのです。ちなみに、左手が差し出されたら、了承しない、ということよ」
そう言いながら、シャリーアもすっと立ち上がって、ラシッドの隣に両膝をつき、右手で左手を隠して胸元に当てた。そして僅かに頭を下げる。
「娘が同じ気持ちならば、そうやって娘も許しを請う」
リーフィウが言って、また同じリ語の言葉を繰り返した。
「シャリーア。幸せにおなり」
ふわりとその小さな頭を抱くと、こくりとその頭が動いた。見上げてきた目は潤んでいて、泣き虫め、とリーフィウが笑う。
ラシッドはどこかものすごくほっとしたように大きく息を吐いた。それにシャーナたちがくすりと笑う。
「素敵な儀式ですのね」
「儀式というほどのものでもないのですが……」
だが、脈々と受け継がれていっているものでもある。それを、父ではなく自分がしなければならなかったことにリーフィウは妹の不憫さを思ったが、目の前で幸せそうに笑っているシャリーアを見れば、これでいいのだと思った。
再び布団に坐って、ラシッドは「それからもう一つご報告が」と言った。
「実は、一度故国に帰ろうと思っているのです」
「コクスタッドにですか?」
「はい。それで……」
珍しくラシッドが口篭もって、ちらりとシャリーアを見た。言い辛いというより、気乗りがしない様子だった。
これは、言うことの予想がつくというか。
「ねえ兄さま、私も行っていいでしょう?」
やはりそうか、とリーフィウは呆れた顔をしてシャリーアを見た。
「シャリーア、コクスタッドまで何日かかるかわかっているのか?」
「知ってます。教えていただきましたもの。ひと月半です」
「それは、旅慣れた人間の話だろう?おまえが行ったら……」
「でも、見てみたいのですもの」
私の夫となる方の故郷ですもの、とシャリーアはにっこりと笑った。そうやってラシッドを説得したに違いない。この見た目よりずっと純情な副隊長は、夫という言葉だけでほんのり顔を赤くしている。
「足手まといで、ご迷惑になるだけだと思うよ、シャリーア」
リーフィウの言葉に、まあ、と姫君は頬を膨らませた。
「私が馬に乗れることは兄さまも知っているでしょう?」
「でもね、お菓子もなければいつもふわふわの寝台で眠れるわけでもないし……」
兄さま、と凛とした声でシャリーアが遮った。
「子ども扱いはおよしくださいませ。私、妻になるのですから」
あー……と、リーフィウは頭を横に振るしかなかった。ラシッドはもう何も言うまい、としているし、シャーナもイーザも楽しそうに事の成り行きを見守っているだけだ。シャリーアは勝ち誇った顔で微笑んでいる。
「あの、ラシッド様はそれで……」
ほぼ諦め気味のリーフィウの声に、ラシッドは苦笑した。
「私の方は、構わないのです。ただ、確かに長旅ですので、心配なだけで……」
「音は上げません。我侭も……言わないように努力いたします」
その言いようには、侍女たちが顔を下に向けて笑っている。
「カハラム国境までは、宿なども比較的良いものが取れると思います。その後は小さな村や集落を点々としていきますし、行程の三分の二ほどからコクスタッドまでは、野宿になると思うのです。何しろあの辺りは草原が続いていますし……。ですから、最後はなかなか辛い旅となると思うのですが……」
「ラシッド様!そのお話は聞きました。ですから、私も音は上げない、と言いました」
こうなると、シャリーアはこちらが「うん」と言うまで行くと言い張るだろう。そして多分、許可が出なくても、出発日には支度を整えて馬に乗っていることだろう。
リーフィウは深々とため息をついた。わが妹ながら、頑固なものだ。そして、その頑固さで、自分が言ったことの責任もきちんと取ると言うことを、兄は知っていた。
「シャリーア、途中で後悔しても、簡単には帰って来れないよ?」
しぶしぶとそう言うと、シャリーアはにっこりと笑った。恐ろしいほどの天真爛漫な笑みだった。
小さな姫君たちは、ときどき子悪魔に変身する。ルクの宮廷で苦笑交じりに言われていたことを、リーフィウは思い出した。
「わかっています。大丈夫ですわ、兄さま。心配なさらないで。何しろ、ラシッド様が一緒ですもの」
これは、後悔するのはラシッド様なのかもしれない。
リーフィウはそう思って、どことなく同情的な目で頑丈な体躯のカハラム国王軍副隊長を見た。
だが、当の本人は、可愛らしい姫君の笑顔と言葉に顔を赤くして、どこか嬉しそうにしているのだった。
リーフィウは吐きたくなったため息を飲み込んで、どうか気をつけて、と呟くしかなかった。
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