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ゲーム
2nd.stage
05
一度、電話をしてから訪れるべきかもしれない、とサキは思ったが、そんなことはできないとわかっていた。電話で済ませられる話ではないし、だからと言って一度声を聞いたら、冷静に次の約束を取り次ぐなんて事が自分に出来るとは、到底思わなかった。
ヨシュアのフラットは、静かで緑豊かな小さな公園の近くだった。自分の家から路面電車一本で十五分ほど走ったところに、こんな場所があったとは、とサキは驚いていた。最も、サキは大学と部屋との往復の毎日で、休日は部屋でのんびりしているか、クリス辺りに連れまわされるか、といったところだったから、自分が住んでいるこの街を良く知っていたわけでもなかった。
立地はいいがこじんまりしたフラットに、サキは少しばかり自分の目を疑った。ヨシュアの家の経済状況を考えれば、もっと立派な部屋に住めるはずだと思った。実際、同室になってすぐの頃に一度だけ、実家に連れて行ってもらったことがあったが、とてつもない広さに、サキは言葉が出なかったほどだった。
テストも無事に終わり、夏休みが始まっていた。初夏の気持ち良さよりも、強い日差しがうっとおしい程になってきたこの頃では、目の前の木々の木陰は、とても魅力的だった。ここまでやってきたものの、いまだ躊躇を捨てきれないサキは、その木陰で少しだけ休むことにした。
小さな公園は静かで、大きな幹に寄りかかると、心地よい風にうとうととしてしまう。
そうやってうとうとしているうちに、ふいに影がさして、サキはぼんやりと目を開けた。その目に青空が映って、ああいい天気だなあと思ったとたん、がばりと身を起こした。青空だと思ったのは、瞳だった。
「気持ち良さそうだな」
身を屈めて、サキの顔を覗き込みながらくすくすと笑っているヨシュアに、サキは何も言えずに、ぼうっとその顔を見ていた。随分と大人っぽくなったのに、笑った顔は変わらないな、と思う。それから、何か言おうとして、自分がひどく喉が渇いていることを知ったサキは、思わずそう呟いていた。
「うちで、何か飲むか?」
少しだけ躊躇しながら聞いたヨシュアに、サキのほうは戸惑うことなく、頷いた。
こじんまりとしたフラットは、中もやはりそれほど広くはないが、剥き出しの古い柱がいい味を出している、シンプルな部屋だった。部屋の大きな窓からは、先ほどの小さな公園が見える。
「水か、ガス入りの水くらいしか冷えてるのないんだけど」
ヨシュアがそう言いながら、自分にはガス入りの水をコップに入れていて、サキもそれでいい、と答えた。ほとんど家具のない部屋に、大きなソファーが置いてある。座って、と言われて、そこに腰掛けたはいいが、大きすぎてなんだか落ち着かなかった。ヨシュアは部屋の隅からクッションを引っ張ってきて、そのサキの前に腰掛けた。
「いいところだね」
さんざん考えてきたと言うのに何を言ったらいいのかわからず、サキはそんな感想を述べた。それに、ヨシュアが「うん、気に入ってる」と笑う。穏やかで優しい、変わらない笑顔に、サキは胸が締め付けられる思いだった。良かった、と思う。この笑顔を、消してしまわなくてよかったと。たとえ自分に向けられるのではなくても、誰かのための笑顔だとしても。
「サキ……?」
一言言った切り黙ってしまったサキに、ヨシュアが不安そうに呼びかける。久しぶりに呼ばれた自分の名に、サキが一瞬目を閉じる。
ヨシュアは、目の前のサキが幻で、ふいに消えてしまうのではないかと思っていた。ぼんやりと眺めていた窓から見えた、さっきからずっと自分が思い描いていた顔。まさか、と思いながらも、何度もフラットを見上げる顔は、確かにサキだった。それでも信じられず、木陰に座り込んだところで、確かめるだけでも、と公園に向かったのだ。
どうして、と聞こうと思った言葉は、水と共に飲み込まれた。聞いて、答えを得るのが怖かった。
「俺、ずっと聞きたいことがあった」
ふいにサキがそう言って、ヨシュアを見つめた。静かな茶色い瞳が、自分を映している。それが、ヨシュアには信じられなかった。
「俺は、ずっと言いたかったことがある」
掠れるような声でヨシュアは答えた。今更だと詰られても、言っておきたかった。
「俺は、サキが好きだった」
静かだった瞳が揺れた。驚きに、大きく見開かれて、震えるように。
「同室だってわかったときは嬉しくて、サキの隣にいられるのが嬉しくて、サキの迷惑なんて考えてなかった。でも、大切にしたいと思ってた。触れたくて、抱きしめたくて、しかたがなかった。でも、大事に、大事に、したかった。それなのに」
ふいにヨシュアは息をついた。
「それなのに、誰かがサキに触れたかと思うと、俺の所為なのに、我慢がならなかった」
ヨシュアの青い瞳が、じっとサキを見つめていた。今にも逸らしてしまいそうになりながら、それでも必死に、サキを見ていた。
「……ごめん。傷つけたかったわけじゃない。本当に、傷つけたかったわけじゃないんだ」
許しを乞うことは、間違っている。ヨシュアはそれでも、それしか言えなかった。
「俺だって、傷つけたかったわけじゃない」
サキがそう言って、ぐっと手を握った。ああ、そんなに力をいれて、自分を傷つけないで欲しい、とそれにすらヨシュアは思う。
「でも、あの時俺はあれが本物だって知っていた。わかっていた。それなのに」
「サキ」
もともと白いサキの手が、どんどん白くなっていくのが耐え切れずに、ヨシュアは思わずその手の上から自分の手を重ねていた。
「あれは、俺が仕組んだことだ。サキは、何も悪くない」
「それでもっ」
「ごめん。ごめんな。俺の身勝手で、ごめんな」
ヨシュアは何度もそう言って、謝った。サキが優しいことを知っていて、あんなことをした自分が、許せなかった。
「どうして、あのとき逃げなかったんだ」
サキはずっと聞きたかったことを、ようやく聞いた。銃口を突きつけてなお、澄んだように青かったヨシュアの瞳。
「終わらせたかった。消えたかった。消して、しまいたかった」
サキを傷つけつづける自分を。それを、サキに託した愚かと言うにも愚か過ぎる、自分。
あのとき、自分達は狂っていたのだとサキは思う。ゲームの熱狂と、夜毎の狂気と。そのなかで、狂ってしまったのだと。
「良かった」
サキがふいにそう言って、目の前のヨシュアに抱きついた。そこにいると言うことを、確かめたかった。
「良かった」
もう一度、サキがそう言うのがヨシュアの耳元で聞こえた。
―――良かった。消さなくて、消えてしまわなくて、良かった。
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