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眩しさに目を細めた先にだって、見えるものがあるだろうと言う


06
 報道部の連中の好奇の視線ももろともせず、浅木は俺の腕を持ったまま屋上に連れて行った。報道部は最上階の四階にあるから、屋上まではすぐだ。夕暮れの屋上は少し肌寒く、俺は首を竦めた。
「ああ、ちょっと寒いな」
 浅木はそう言った切り、赤く染まる西の空を眺めていた。俺もその横に立って、遠い空を見ていた。木々に阻まれて、街は見えない。それで、なんだかここは、本当に別世界のような気がした。三年間だけの、別世界。
 ああ、でも俺は、最近来たばっかり新参者で、残りも一年半しかないんだよな。
 そう思うと、なんだかもう寂しかった。一年から入ればよかったと、ちょっと思ったりして。
「なあ、あれ流れて良いって、本気か?」
 俺はさっきから気になっていたことを口にした。どう考えても、あれは俺が悪い。人の腕の中で寝ちゃったなんてなあ……
「なんで?」
「だっておまえ……騒がれんの嫌いだろ。それにあれ、俺の所為だし」
 俺がそこまで言うと、浅木が視線をこちらに向けて、ちょっと寂しそうに笑った。俺はそれに、どきりとする。西日が当たって、いつもの浅木の顔と違う気がした。そう言えば、明るいうちにしゃべったことなんてない。
「なんでおまえの所為?どっちかって言うと、俺の我侭だし」
 俺が訳わからない、という顔をしたからだろう。浅木はにっこり笑ってこう言った。
「離れがたかったのは、俺の方だってこと」
 え?ええっ?
「牽制も出来るしな」
 何に?そう問い掛けたのに、浅木は笑っているだけで答えてはくれなかった。
 何か今、とっても浅木がわからなくなってきてる気がする。
 わかっているのは、なんだか恥ずかしくて、俺の耳まで真っ赤になってるって事だけだ。それが西日に隠れてくれますように、と俺はずっと祈っていた。


 結局、宮古先輩はあの記事は出していない。少しも噂になっている様子がないから、報道部の中で緘口令でもしかれているのかもしれない。それがどういう意図の元なのか俺にはわからなかったが、とりあえずほっとした。
 やっぱり、浅木に迷惑はかけたくなかったし、説明を求められても説明できることじゃなかったからだ。眠れなくて、浅木に泣きついて、泣き疲れてその腕の中で眠りました、なんて口が裂けても言えない。
 その変わりというわけではないけれど、俺は八潮のところへ行って、「お達し」を解除するように伝えた。
「誰から聞いたんだ?」
 八潮は書類に目を通しながら、ちらりとこちらを伺っている。俺が首を竦めると、どうせ宮古辺りだろ、と笑った。わかってるなら最初からいいましょうね、八潮くん。
「何?さらに俺の耳には入れないこと、なんていうオプションまでついてたとか言うなよ」
 それについては、今度は八潮がとぼける番だった。八潮はどうやら忙しいらしく、手を止めずに俺の相手をしてくれている。それでいいと、俺が言ったんだけど。
「せっかく遥々遠くから可愛い従兄弟がやってきたって言うのに、ちょっと位世話したっていいだろう?」
 八潮のこれは、ようは拗ねてるんだろう。向こうであったことを一言も言わず、頼らない俺に、ちょっとばかり。ひどいことがあったことは知っているのに、どうしようも出来ない自分が、歯痒いのかも知れない。
 いくら俺を苛めるのが役割みたいになってても、今の俺じゃ苛めるに苛められないからなあ。危なっかしくて。
 それにしても、少しだけおかしい。
「八潮、何かあった?」
「……何かって?」
 じっと見ると、見返された。こういうときの八潮は絶対何もしゃべらない。そして、しゃべりたくないなら聞かないのが俺の精一杯の思いやりだ。
 こんな風に、苛めと優しさのぎりぎり境界線みたいなことをするときは、八潮が何か悩んでいるときだ。それが原因で、八つ当たりのようになりそうな苛めに、普段は裏の裏の裏ぐらい読まないと入っているとわからない優しさが、表に出てくる。八潮なりの、俺へのSOSだと思っているんだけど……言わないんだよな、大概何も。
 だから俺は、こういうときはちょっとだけ素直になってやる。心配するな、俺はおまえの味方だって、これもまた直球じゃない言い方で言ってやる。まるで、からかっているように。
「頼りにしてるって、言ったじゃん」
 俺がそう言うと、八潮は手を止めて、俺のほうを見た。
「八潮はさ、最後の砦だから」
 俺がそうにっこり笑ったら、生徒会室の空気が一瞬止まったような気がする。まあどうやら八潮はここでは王様みたいなもんだから、俺みたいな口の利き方しないんだろうなあ……みんな。ということで、俺は気にすることなく、早々に部屋から退出した。
 お達し解除な、と念を押すことは忘れずに。


 俺と浅木の「お月見」は、今ではすっかり俺の部屋でしゃべることになっていた。一応、俺が中庭までは行く。そこで月をちょっと見て、その後は俺の部屋で暖かいものを飲む。夜中頃来て、一時くらいには帰っていく。一時間なんてあっという間だけど、ときどき俺は眠くなる。前に薬なしで俺が眠ったことを浅木は覚えていて、同じように頭を撫でてくれたり……最近は腕の中に抱いてくれたりする……。
 これは……ちょっと困る。恥ずかしいのもあるけど、どきどきする。どきどきするから、何とか落ち着こうと自分に言い聞かせているうちに、眠れるという奇妙なことになっている。
 でも、眠れることは確か。
 悪夢を見ないことも、確か。
 だから困る。薬が必要じゃなくなったら、浅木が必要なんて。
 たぶん、困るだけじゃない。
 ―――怖い。
 薬は、俺が捨てたりしなければ俺からなくならない。でも、浅木は違う。だから、怖い。
「栖坂?」
 声が近いのは、すぐ上から降ってきているから。恥ずかしいから俺は大概、浅木の胸に額をくっつけている。心臓の音が聞こえて、俺はそれをずっと聞いていることが多い。
「何?」
 俺は顔を上げずにくぐもった声で答えた。
「いや……何か考え事してた?」
 浅木はどうしてわかるんだろう。ちょっとの俺の変化を、的確に指摘してくる。なんだか、隠すのが馬鹿馬鹿しくなるほど。
「浅木さ、そんなだから一人でいるんだろ」
 俺は顔を上げて、話がしやすいように身体を少し後ろにずらした。
「そんなって?」
「すぐ、人の考えてることがわかるから。別に、悪いって言ってるんじゃなくてさ。でも、そんなにすぐわかったら、しんどいだろうと思って」
 まどろみの中のような、少し甘ったるい自分の声に、また今夜もこのまま眠れるだろう、と思った。
「さあ、な。でも、確かに一人のほうが楽なことが多かった」
 浅木の手が伸びてきて、俺の髪を優しく撫でた。だからっ、それは恥ずかしいって。
「なんで俺に構ってくれた?」
「月見は……二人ぐらいがちょうどいいだろう?」
 俺のこういう質問は、とにかくはぐらかされている気がする。でも俺も、それ以上追求しようとは思わない。できない、とも言うけど。
 臆病なことに、先を聞くのが怖かったりする。それで、勝手に期待したりする。
 ―――期待?
 何に?
 ふっと笑われて、俺はかあっと顔が熱くなったのがわかった。それで一息に、どうしてそうなるのかがわかってしまった。暗闇嫌いの俺のため、電気はつけたままだ。うう、ばれるよ。
 俺って馬鹿だ。何だってこんな状況で気づくんだろう。こんなに、近くにいるのに。抱きしめてさえ、くれていると言うのに。
「ごめん、眠くなってきた」
 俺はそれだけ言うと、気づかれないようにすっと息を吸って、そろりと自分の身体を浅木に預けた。どきどきする。本当は逃げ出したいくらい、どきどきしていた。
 落ち着け自分。
 本当に、びっくりすることばかりだ。
 俺が、浅木を好きだなんて。


 恋なんて、気づいたら最後だ。
 どれだけ平静を保とうと思っても、自分がコントロールできなくなることが多い。心臓は勝手にどきどきするし、目線は勝手に相手を探す。自覚したら、終わり。
 今回は、認めたら、かな。たぶん、俺にもっと余裕があるときなら、もっと早くに気づいていたはずだ。たとえば、初めて見た、月明かりの下で。
 でも、気持ちに余裕がない俺は、その気持ちを後回しにした。そして、気づかない振りをした。
 失恋の痛みは、知っているから。
 その痛みに、今、耐えられると思わないから。
 でも、だからこそもっと早くに気づくべきだったんだ。好きだって気持ちがどうにもならないことはわかっているけれど、予防線は張れたはず。
 こんなに、好きになる前に。
 失うことが怖いと、思うようになる前に。
 男同士の恋なんて、気づいたら終わりと同じだろう?アメリカにいたときに、ゲイの友達がいたけどさ。そいつだって言っていた。普通に恋するのは難しいって。
 ここでの普通って、たとえば学校の友達同士がだんだん恋愛感情になるとか、街で見かけた可愛い女の子を口説くとか、そういうこと。そう言うのが、難しいって。それなりのところに行って探すのが、一番楽だって。互いに男が好きなこと。その前提が必要なんだ。
 そうだろうな、と思う。男と女なら、たとえ友達同士でも、恋愛感情になる可能性をどっちも秘めている。でも、男同士の場合、そんな可能性のかけらもないことが多いじゃないか。だから、どちらかが友情から抜け出たら、その友情さえ、失うことが多い。
 俺はそれは出来ない。
 逃げてるって言われてもいい。
 今の俺は、浅木を失えない。



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