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眩しさに目を細めた先にだって、見えるものがあるだろうと言う


07
 眠くなってきた、と俺が言って、床に座布団を敷いて座っていた浅木がちょっと不思議そうな顔をした。髪を撫でられているわけでなく、抱かれているわけでもなく、そう言うのは、たぶん初めてだから。でもそれに、俺は気づかない振りをした。
 ごめん、寝るわ、と言った声が、震えていないことを祈る。
 浅木は何か言いたそうに口を開いて、でも閉じてしまった。俺が布団に潜り込むと、諦めたように立ち上がって、ふわりと俺の頭を撫でて、おやすみ、と言った。
 ぱたん、と音がしてドアが閉まったときに、俺は泣くかと思った。
 自分で決めたことだ。
 その腕もぬくもりも失うかわりに、浅木を失わないために。
 その夜、とても久しぶりに、薬を飲んで俺は眠った。
「栖坂、ちゃんと眠れてる?」
 何日か同じ事を繰り返して、浅木が思い切ったようにそう聞いてきた。俺は笑って、眠れてるよ、と答える。
 もちろん、嘘だ。正確には、薬を飲んで眠っている。ときどき、明け方に嫌な夢で目覚めるときもある。
 浅木がじっと俺を見ている。部屋のぼんやりとした明かりが、その顔を一層彫りの深いものにしていて、俺はどきっとした。心の底の底まで覗かれているようで、必死で笑った。
「大丈夫だよ、案外心配性なんだな」
 浅木は優しい。孤高の狼なんて恐れられているようで、実は結構頼りにされていることを俺は最近になって知った。二、三年同士の喧嘩があったときに、助けを求められたりするんだ。もし浅木がもっともっと社交的だったら、こいつの周りに人は絶えないだろうと思う。
「……心配だよ。光己のことはいつだって心配だ」
 名前で呼ばれて、俺は一瞬聞き間違えかと思った。顔を上げたら、困ったように笑った浅木がいて、俺の心臓は暴走し始める。
 頼むから、心臓に悪いことは言わないで欲しい。
 危なっかしいのは、まあ、自覚してるし。実は八潮に似て、浅木が世話好きなのも知ってる。
 放って置けないんだろうなあ。
 そう思うことは、少し哀しい。そして、そういう風にしか浅木と関われなかった自分が、とても情けなくて悔しい。
 強くなりたいと、願っていた。
 それは、今でも、同じ願いだ。
「優しいよな、浅木は」
 たぶん、誰にだって。こんな風に傷ついた人間を放って置けないんだ。
「……優しくなんか、ない」
「浅木?」
 思わぬ真剣な声に問い返した俺に答えず、浅木は何かを耐えるように、じっと窓の外を見ていた。
 ああ、浅木にも、闇は在るのだ。俺には、知らない闇が。
 ふっと俺の視線に気づいて、浅木が笑った。俺の好きな、あの柔らかい笑顔で。
 それだけで、俺の闇は遠くなると言うのに、俺は浅木の闇に触れることさえ出来ない。それがなんだかすごく哀しくて、切なかった。


 きらきらと降ってくる木漏れ日にばかり目がいって、本は一向に進まなかった。視線を上げた先には、同じクラスの奴らがサッカーに燃えている。
 楽しそうだな、と俺は素直に思った。身体を動かすことは嫌いじゃない。早く、この傷さえ治ったら、早くあの仲間に入りたかった。
 色々なことを、傷のせいにしてもいいと言ったのは浅木だった。俺はまだ全部を話せずにいて、でも眠れないとか、身体に傷が合って病院に行っていることは話していた。その傷のことを、頑なに、こんなのは何でもないと言っていた俺に、もっと甘えろよ、と浅木は言った。
 強がりと、強いのは違う。
 弱いところがあるから強くなれるんだ、と教えてくれた。
 少しずつ、それがわかってきたのだと思う。
 浅木の隣にいるのに、相応しい男になりたかった。それは、今まで親父や八潮に抱いてきた敵対心とは違う、もっと穏やかでありながら真摯な気持ちだった。追い越そうとか、そういうのではなく、俺が俺らしくあって、その上で相応しくあること。
 好きだから、と言うのは容易い。
 でもそれだけじゃないことを俺は知っている。それよりもっと大事なものが、あるんだきっと。
 だから、俺の恋愛感情だけで浅木を失いたくはなかった。
「居眠りか?一向に進んでなさそうだな」
 笑い声に顔を上げると、八潮がいた。確かに昼寝に最適な日だよなあ、などと言っている。
「八潮こそ、授業は?」
「自習なんだよ。課題もさっさと終わらせた俺は、校内巡回の名のもとの散歩中」
 そう言って、俺の隣に腰掛けた。それから、ほんと良い天気だな、と言いながら芝生に寝転がった。そう言うことをしても、長い手足を持つ八潮はさまになるから憎たらしい。
「八潮?」
 眠ったのかと思って振り返ったら、目が合った。端正な顔に、どきりとする。八潮の真剣な顔は苦手だ。俺がふいっと顔を逸らす前に、八潮がにやりと笑った。
「おまえも、眠ったら?起こしてやるから」
 その言葉に、俺は一瞬固まる。
 ―――知ってる?
「安心しろ。おじさんにもおばさんにも言ってないよ。でも、俺にも言ってこない辺りが腹立つよなー」
 八潮の言葉に安心しつつ、おまえだから言わないんだとは言わない。そんなことは本人が良く知っているだろう。
「その割になんだか物騒なのに懐いてるし」
「な……懐いてるわけじゃないぞ」
 それに、浅木は物騒じゃない。少なくとも、俺には全然。
「まあ、あいつも外見にそぐわないとこがあるからな。それで損をしてるとこもあるし、本来のあいつらしさを出せたのは光己のおかげかもな」
 いやに含むじゃないか。そう思って八潮を見ると、気持ち良さそうに伸びをしていた。こいつがこんな遊び好きの学校の、それも多大な期待を寄せられる生徒会の会長をしているのはどうしてか、俺にはこういうときに良くわかる。前から、知っていたことだけど。人を外見で判断せず、自分の目に自信を持っていて、有無を言わさず人を従えることができる。八潮は、そんな奴だ。
 でも、浅木のことをちゃんと見ていることに、嬉しさと嫉妬が、奇妙に交じり合う。そう言えば、同じ寮だしな。それにしても、筒抜けとは。
「ったく、ゴシップ好きだよな、ここは」
 俺が呆れ半分で言うと、八潮も苦笑した。
「みんなおまえが心配なんだよ。俺も含めて、な。それに、おまえは知らないかもしれないが、おまえが入ってくる前から噂になってたんだよ」
「げ、どんな?」
「あのな、どうせおまえはパンフも何も読んでないんだろうが、この学校に転入するってのがどれだけ大変か。編入試験、難しかっただろ?」
 言われて、俺は頷いた。通ったのは、ひとえに英語と、第二外国語として取っていたフランス語のおかげだ。九重大付は高校でもフランス語を第二外国語として課している。
 そのかわり、古典はかなり危なかったはずだ。お蔭で今も補習を受けている。
「ま、俺は通るだろうと思ってたけど。もちろん、コネも大いに必要だろうし。だから、滅多に転入生が来ることはないんだよ。それも二学期なんて中途半端な時期だったから余計な」
 宮古はどっからか写真を入手してきてたし。
 そう言った八潮に、俺は呆気に取られた顔を晒した。あの人、やっぱり怖いぞ……。
「宮古もな、悪い奴じゃないんだ。気に入られてるようだし、上手く付き合えば面白いぞ?」
 八潮はそう言うが、俺は首を横に振ってため息を吐いた。
「なあ、八潮はなんでこの学校にしたんだ?」
 俺はこれ以上自分の噂話を聞きたくなくて、話題を変えた。前から、ちょっと聞いてみたかったのだ。確か八潮は、他のもっとレベルの高い高校にも合格していたはずだ。それも、実家から通えなくはない距離の学校に。もちろん、九重大付もレベルは高いし、九重大そのものが、レベルが高い。
「……おまえと、同じ理由だよ」
 親父の母校。そう言えば、八潮はうちの親父に傾倒してたな。詳しいことは知らなかったが、自分の父親とは上手く行かなくて、親父に何度も相談していた。
 そう言うところも、なんだか親父にライバル心を持ってたんだよな、俺。八潮に頼りにされる親父に。今から考えるとちょっと馬鹿っぽいけど。俺には絶対見せない、弱々しい顔を、親父には見せるから。
「あ、赤トンボ」
 八潮がふいに空を指した。その先を見ると、確かに赤とんぼが一匹、ふいーっと空を横切った。俺はなんだか昔に戻ったようで、なんだかくすぐったい思いをしていた。




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