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風の匂い
06
 ウチの報道部は、本当に油断がならない。そして、容赦がない。
 いや、容赦がないのは部長の宮古だ。身内のスクープを、嬉々として発行するとは。
『難攻不落、不破春日に年上の恋人?!』
 そんな馬鹿げた見出しで出された九重裏月報は、それでも売り切れたのだという。一体誰が買うって言うんだ。
 載っている写真は、あの真己が送ってくれたときの写真だった。真己の顔は映っていない。(基本的に、外部の人間は顔を出さない方針だ)
 それを親だと言ってみても、意味がないことはわかっていた。顔は映っていないだけで、でも望遠レンズで撮ったらしいその写真のカメラマンは、きっと見たに違いない。それに、俺の親の車の車種ぐらい、宮古はきっと調べただろう。
「売上貢献だな、おまえは新聞部の鏡だよ」
 宮古はにやにやとそんなふざけたことを言う。
 これは極秘事項なのだが、恋愛沙汰の報道は、本当は滅多にしない。それが冗談で済む場合ならともかく、ややこしく関係をこじらせるようなことは、してはいけないのだ。これは報道部の裏部則だった。
 でも、もっとも売れるのはこう言った類の記事が載っている新聞なのも確かなことで、最終的に判断を出す部長は広い目を持っていないとならない。ときには、それが関係を進展させることだってある。そういうことをわかっていて、部長はどの記事を載せるのか、決定する。実に面倒な役だ。
 今回は、俺のことを良くわかっている宮古が大丈夫だと判断したのだろう。真己のことはあまり書かれていないし、これぐらいで俺が悩んだりすることもなければ、困ることもないのを知っている。宮古言うところの、娯楽提供の一環に過ぎないのだ。
 確かに、そうなのだが。
 俺は体育館でバスケ部を見ながらため息をついた。海田は今日も絶好調。今報道部が狙っているのは、その後輩、一年の総代をしている木田だった。同室の、時期姫候補との仲が噂される男前だ。
 送ってくれるという真己を拒否したとき。
 真己は一瞬、ひどく傷ついた顔をした。それは、俺を途惑わせるのに十分だった。
 どうして、と。
 いつも聞けない言葉が、頭の中で回っていた。
 あのキスの意味も。その傷ついた顔の意味も。
「しけた面してるな」
 いつの間に休憩になったのか、海田がギャラリー席を見上げていた。ちょいちょいと、指で呼ばれる。
 俺は面倒に思いつつ、ぐるりと回ってコートに降りた。部室に居ると宮古がうるさいから、ここに逃げ込んできたようなものなのだ。それをわかっているのだろう海田に、逆らえなかった。
「ハーフのスリーオンスリー、人数が一人足りないんだ。混ざれよ」
 ほいっとユニフォームを投げられる。バスケ部員は別にユニフォームを着ているわけではないのだが、俺は制服だった。
「お手伝いの報酬は?」
 言える立場じゃないことをわかっていて、俺はふざけてそう言ってみた。鬱々としている俺に、発散の場を与えてくれた海田に何を言っているのか。
「何も考えなくてもいい時間の提供、か」
 だから海田も、にやりと笑ってそう言う。やっぱり。ありがたいことで。
「俺としては重藤との惚気話とかでもいいんだけど」
 もちろん、報道許可付だ。
「何言ってんだよ、今の話題の人物が」
「……まさか、買ったとか言うなよ」
「いや。宮古に貰った」
 あのやろう。いらないところにまで配りやがって。嫌がらせだ、これは。
「怖い顔してるな、春日。でもそれでそんな面してるわけじゃないだろ」
 何だか知らないが、身体を動かすのはいいことだ、と海田は笑う。疲れれば、夜もぐっすり眠れる。
「……ガキじゃないんだから」
 俺はどこかで言ったようなセリフを呟いた。
 先週、ものすごく久しぶりに自分も通っていた、そして今は真己が保父をしている、双葉保育園に行った。そこで子供達と思い切り遊んだことを思い出した。
 真己がものすごくやさしい顔で、子供に笑いかけていた。
 真己にとっては、俺も同じようなガキでしかないのかもしれない、とその顔を見ながら思った。
 七年も違うのだ。ガキだろう。
 でも、それを嫌だと思う自分もいる。
 あんな風にからかわれると、ひどく腹が立って、そして哀しい。
 そのくせ、それを真己に言うことも出来ない。
「ああくそっ」
 俺は叫んで、その場でユニフォームに着替えた。どうせ男子校、女性教師はいるが、運動部を持っている教師はいない。体育館は、だからいつも男しかいない。それで、みんなその場で着替えるのだ。
「助っ人入るからよろしく」
 俺のそんな様子を見ながら、海田が笑いつつそう叫んでいた。


 男同士。
 それに驚いたのは、一年の最初だけだ。報道部に入った俺は、他の生徒よりきっと順応は早かっただろう。
 まあ、自分に関係なかった、ということもある。
 それが決定的にそれもありだ、と思うようになったのは、俺の担当、海田の所為だ。
 海田の重藤への執着と、それを見せずに守る姿勢に、俺ははっきり言ってほだされた。見ているこっちが苛々して、切なくなるぐらい、海田は重藤を大事に、大切にしてきた。だから、俺は最後には海田を応援していた。
 それが、三年の春にようやく二人が付き合い始めて。
 俺は心の底から二人を祝福した。そして、男同士でも恋愛は成り立つと、きっぱり認めた。
 それまでは、好奇心や一時の熱病みたいにしか、どうしても考えられなかったのだ。この山奥の九重だからこそ、成り立つような、危うく脆い関係。
 それはきっと、どのカップルにも当てはまるだろう。あの、海田たちだって。
 でも、それでも海田は未来をきちんと見ていた。その上で、重藤と付き合うことにしたのだ。
 そんな真剣な思いが、あること。
 それは男同士でも、女の子相手でも、変わらないのだ。
 でもだからって、自分が男を好きになるかどうかは別問題だ。
 ここのところ、真己のことばかり考えている。それは好きだからか、と聞かれたらわからないとしか言えない。
 でも、例えば昔、やっぱり真己もこの九重で彼氏が居たかもしれない、などと考えると、むかむかして仕方がない。だからキスだって、あんな風にふざけて出来るのか、なんて思えば。
 それが嫉妬だというのも、わかっている。それを認めないほど、俺はガキじゃない。
 ただ、その嫉妬の種類がわからない。
 仲の良かった「お兄ちゃん」のことを取られたようで嫌なのか。
 真己が好きだから馬鹿みたいに過去に嫉妬しているのか。
「どっちも似たようなもんじゃねえか……」
 呟いて、闇に煙を吐き出した。煙草は滅多に吸わないが、今日は異様に吸いたい気分でさっき同室の日野橋の煙草を勝手に頂いた。日野橋はまだ、食事から戻ってきていない。
「様になってるな。モデルになれよ」
 ぼんやりしているうちに、その日野橋も帰ってきたらしい。カメラを構えられて、俺は咄嗟に近くのクッションを投げた。
「おい。人の煙草くすねておいてそれはないだろ」
 日野橋は写真部の部長だ。カメラは肌身離さず持っている。俺たち報道部と違ってスクープ写真を狙っているわけではないのはわかっているが、煙草を吸ってるところはさすがにやばいだろう。
「後で返すよ。それより、撮るなよ」
 日野橋はまだカメラを構えている。俺は仕方なくまだ残っていた煙草を消して、それを取り上げに向かった。
「ああ、わかったよ。わかったから触るな」
 何よりカメラが大事な日野橋は、カメラに手を伸ばした俺から逃げる。部屋の中では撮らない、は年度始めの同室になったときに決めたことだった。
「でもマジでモデルになれよ」
「やだね。もっと向いてる奴はいるだろ」
 俺が肩を竦めると、日野橋は苦笑した。
「ここにはたくさんいて嬉しいけどな。ファッション写真でもないから、見目がいいだけじゃ駄目なんだよ」
 その点、さっきの春日はいい顔をしていた、と日野橋は言う。
「いい顔っていうのはちょっと違うか。まあでも、あんなの見せたらまたおまえのファンが増えるな」
 くくっと笑う日野橋に俺はちょっと目を眇めた。
「あれ、まさかおまえが撮ったのか?」
 望遠レンズを持っている奴など限られている。でも、てっきり身内関係だと思っていたのだ。
「なわけないだろ。だったらもっと大事にして、取り引きさせてもらいます」
 そうだよな、と俺はふるふると頭を振った。
 撮られた俺も馬鹿なのだ。報道部のことはわかっているつもりだったのに、迂闊だった。
 はあ、とため息をついたら、日野橋が、なあやっぱりモデルしろ、と言った。それから、
「おまえ、そう言う憂い顔って言うか、悩んでるような顔、似合うよな」
 と、なんとも嬉しくないことを言ってくれた。


「春日先輩」
 ふいに呼び止められて、俺は部室に向かっていた足を止めた。振り返ると、新見がいた。
「よお、おまえも部室?」
 こくりと頷いて、隣まで歩いてくる。あれから―――新見に告白をされてから―――二人で話をしたことはなかった。新見はなんでもなかったように、良い後輩を演じていた。
 それに答えるようになんでもない振りをする俺を、ときどき泣きそうな目で見ていることは、知っていたけれど。どうしようもなかった。新見に答えられない俺には、同情で優しくする権利はない。
「……先輩、あの記事。本当ですか」
 しばらく黙って歩いていたが、新見がふいに硬い声で聞いてきた。俺は一瞬、答えに詰まった。
 違うのだが。
 違うと言い切ってしまうことに抵抗がある自分を、このとき初めて発見した。
「違うよ。あれは隣のウチの人。まあ幼馴染で、兄貴みたいなもんだな」
 でも、一応報道部のスクープだから内緒だ、とふざけたように付け足す。
「すみません。こんなこと、聞く権利ないのに……」
 新見は俯いて、呟いた。
 ああ本当に、新見は俺を想ってくれているのか。
 そう思うと、なんだかこっちのほうが申し訳なくなってきた。
「新見……ごめんな」
 思わず、言ってしまう。言ってから、馬鹿なことを言ったと後悔した。案の定、新見はきゅっと泣きそうに目を歪めた。
「わり、最悪だ俺」
「謝らないで下さい。俺が惨めだ」
 新見の声は震えていた。あーあ、と俺はこのままどこかに走り去りたい気分だった。
 本当に最悪だ。
 一体、俺は何をやっているのか。


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