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遠景涙恋
第六章 夜香
06
シリスは、寺院の冷えた部屋の中で、シャリスの話をじっと聞いていた。首都の民の中で、宮殿に避難しなかった民の一人で、ずっと寺院にいたのだ。
「それで、我々にその者の居場所を言えと?」
蝋燭の炎が揺れていた。共もつけずに現れたシャリスに、シリスたちは驚いたものだが、目の前ですっと背筋を伸ばして少しも自分たちを恐れていない若者に、今では感嘆の思いさえ抱いていた。
いくら穏便さを前面に出している組織だといっても、カハラムに対抗していることには変わりない。シャリスは所謂敵陣に一人乗り込んできたようなものなのに、少しも臆していなかった。
「我々が、その居場所を突き止めていないとお考えですか」
シャリスの顔に微笑みが浮かんだ。それに、シリスたちは顔を見合わせた。場所は掴んでいるというのだ。それならば、なぜ。
「シリス様たちのお考えを聞きたい。一体、どうなさるつもりなのか。このまま、リーフィウ様に任せる、おつもりなのか」
真っ直ぐに見つめてくる目は、蝋燭の火がその中で揺れてなお、鋭く静かだった。
若造だと、思ってはいけないのだ。カハラム国王軍は、カハラム師団とは違う。
寺院に居ながら、外の戦闘の様子を見ていたシリスは、その違いをしっかりと見ていた。師団は、戦闘後にヤーミン兵の衣服を剥がしたり、まるで腹いせのように死んでなお剣で襲い掛かる者もいた。その点黒服の国王軍は、淡々と死体を集め、簡単ながらきちんと弔っている。敵だとしても、お互いに兵であることへの敬いを忘れていないのが国王軍なのだ。
それに、あのリーフィウの身代わりとなった青年。
フェイからの報告で、それがカハラム兵だと知ったときは、シリスは戸惑ったものだ。なぜ、そこまでするのか―――確かに、元ルク王子は外交カードとしての利用価値も高い。だが、それならばルク民の中から身代わりを出しても良かっただろう。
最後の判断として、切り捨てる。
そうなったときに、ルク民ではカハラムにとって問題は多い。ルクの民たちの反感を買うのは必須だ。そこまで考えたのか……だが、キーファの噂から、それは考えすぎの気もした。
「そう言えば、あの身代わりとして捕らえられた青年は……?」
ふと呟いたシリスに、シャリスが目を細めた。質問をはぐらかされたと思ったのだ。
「いえ、ふと思い出したのです。質問には、答えましょう」
「彼はリーフィウ様のご尽力もあって、無事に」
「リーフィウ様の?」
シャリスは、地下水道の話をした。リーフィウは一時ここに身を寄せており、フェイとの関係からも、彼らに話しても大丈夫だろうとシャリスは判断したのだ。案の定、シリスはその存在を知っていた。
「リーフィウ様が……」
「彼は、とても優しい方です。そして、強い。今回のことでも、決して間違った判断はなされないものと思っております」
そうでしょう、とシリスはため息をついて、小さな椅子の背に寄りかかった。
「そうなったら、一番傷つくのはリーフィウ様でしょうな」
こくりとシャリスが頷いて、シリスはもう一度、ため息をついた。
「私には、キーファ王も十分に優しい方と思えますが」
シャリスがここへ来た理由をようやく悟って、シリスは緩く頭を振った。
リーフィウに責を負わせぬよう、彼に裁きをさせたくはないと言う。だが、敵であるカハラムに手を掛けられる屈辱からも逃げられるよう、シリス達に裁きを譲る。リーフィウが自らの責を負う覚悟をしたのもそのためだから、これはかなり慈悲深い申し出と思われた。
「ええ。王は、優しい方です」
シャリスが柔らかく笑い、シリスは覚悟を決めた。
「わかりました。彼らのことは、私が責任を持って片をつけます。最良の方法が取れずとも、リーフィウ様には、自害の報告をするつもりですので、そちらもそれで」
その答えに、シャリスは満足そうに頷いた。ふと、シリスは疑問に思っていたことを聞いてみる気になって、立ち上がったシャリスを少しばかり引き止めた。
「なぜ、そこまでリーフィウ様のことを……?」
彼らのしていることは、決して外交カードとしてだけのリーフィウの価値を認めているのではない。彼を傷つけたくないのだと、それが一番の目的なのだと思われた。
シャリスは一瞬首を傾げ、それから苦笑した。
「さあ、わかりません」
「わからない……とは?」
「私がこうしてここにやって来てお願いしたのは、それが、王の意向だからです。我々の王は、多くのことを望みません。ですから、我々は、出来るだけ王の意向に添えるようにしたいと、常々思っております。王がどんな人間であるか、知っていますから」
それは決して納得の出来る答えではなかったが、これ以上きいても無駄だと言うことは、シリスにもわかった。
「カハラム王は、良き宰相を持って、政治はそちらに任せきりで遊び惚けている―――その噂は、どうやら間違っているようですね。ただし、良き側近を持っていることには変わりない」
シリスのその言葉に、シャリスは何も答えなかった。ただ、微かに笑っただけだった。
ヤーミンの残党一掃と、ナーヴァのルク島脱出を密やかに確認したカハラム軍は、最後の大きな戦闘から一週間が経ってようやく、ルク民の避難勧告を解除した。
一ヶ月以上の篭城から解放されたルク民は、今回は誰も戦闘による犠牲者が出なかったこともあって、家々が荒らされ壊れていても、前回よりはずっと明るく活気を失わなかった。急に賑やかになったその大きな通りを宮殿から見ていたリーフィウは、その様子にほっと肩を下ろした。荷馬車に括りつけられて運ばれたあのとき、街はまるで活気がなく、死んだようだったのを覚えている。
ふいに隣に人の気配を感じて、リーフィウは顔を上げた。
「明日の早朝、港に向かうことになりました。リーフィウ殿は、本当に……」
急な出発だった。だが、国王軍にとって、ここは決して居場所のいいところではないと、リーフィウも聞き知っていた。タシュラル宰相の影響力が強いのだ。
「はい」
リーフィウはそれだけ言うと、口を閉ざした。ラシッドがどこか心配そうな目で見ている。
兵たちにも出発のことが知らされたのか、宮殿の庭には準備で沸き返る兵の姿が見えた。長い船旅に向けて、食料や酒の確保がなされている。特に凱旋帰国となる復路では、酒は重要なもので、街の酒屋が荷馬車を引いてやってきていた。その長を代表に、国王軍の人間は酒好きなのである。
「正直に申し上げれば、来ていただけるのはありがたいのです」
ふいにラシッドの声がした。リーフィウは沸き返る庭を見ながら、ふっと笑った。
「ありがたい、とは……私はただの荷物となるだけです」
「荷物?誰がそんな……」
「一度何も言わずに解放されたと言うことは、捕虜としての価値ももうないということでしょう。もちろん、ルクに残っても、反乱軍を率いる力もない。カハラムにとって、私はどうでもいい人間だ」
あまりのいいように、ラシッドはまじまじとリーフィウを見た。
「本気でそんなことを考えていらっしゃるんですか」
リーフィウは、下を見たままくすくすと笑った。
「本気も何も……事実を申し上げただけです」
「リーフィウ殿。そんなことを言うのは、色々な人に対して失礼です」
ルクの民たちにも、自分たち国王軍にも、そして、何よりキーファに。
リーフィウ自身がそんな風に卑下したら、大事なものを大切に、傷つかないようにと力の限りを尽くしているキーファの気持ちは、何処に行ってしまうのだろう。
ふとリーフィウが顔を上げた。それはとても心細そうな目で―――ラシッドははっとした。
何よりも、今の自分の立場を不安に思っているのは、リーフィウ自身なのだ。怒っては見たものの、リーフィウの言うことに真実もある。このまま彼をルクに残しても、それは脅威にはならない。彼は確かに人々を集める力はある。だが、キーファのように先頭に立って引っ張れる人物ではなく、守られる人物だ。それでは、本人が苦しくてたまらないだろう。そして、カハラムでの彼の位置もまた、曖昧なものだ。
それもこれも、キーファが悪いのだ。
ラシッドはそう思って、小さく吐息を吐いた。
「相変わらず、キーファ王とは、話はしていらっしゃらないのでしょうか」
突然の話の展開に、リーフィウがはっとして、揺らしていた瞳を恥じるように顔を伏せた。
そんな目は、自分に向けるべきではない。どうせなら、あの不器用男に向けてほしいものだ。ラシッドはそう思いながら、安心させるように微笑んだ。
「今回のことは、何と?」
「……捕虜としてならば、連れて帰れると」
またあの馬鹿は、とラシッドが悪態をつく。どうもラシッドは、ただの副官という間ではないのだとリーフィウは思った。
「まあ、確かに、元々そう言う契約みたいなものだったから……あなたがその立場で居ることが一番安全なのでしょうが」
「元の契約ですか?」
「ええ。ルクの攻略のときに、捕虜は王が貰い受けること。それをどうにか約束させたのですよ」
奇妙なことだった。王という立場ならば、そんなことは当たり前のことではないのだろうか。
「それが、カハラムでは違うんですよ。何しろ、実権は王にはないのですから」
え?とリーフィウが目を開くと、ラシッドはこくりと頷いた。
「リーフィウ殿がカハラムに一緒に来てくださるというのならば、そのことについて、少しお話をしましょう。キーファ王の、立場に付いて」
そう言って、ラシッドは宮殿の庭に視線を移した。まだ、賑やかな準備は続けられている。準備をしているのは国王軍ばかりで、師団はまだ島に残るようだった。そう言えば、彼ら二つの軍が話をしているところを、全く見なかったとリーフィウは思った。
思ったより、カハラムの中は複雑なのかもしれない。
「実際、私も最初にカハラムに来たとき、驚いたものです」
ラシッドがそう言った。それから、長い話になるだろうから、どこかでお茶でも飲みましょう、と誘ってきた。
リーフィウはそれに頷いて、そっと窓際から離れた。
それを聞いたら、カハラムに行く以外の道はなくなるだろうと思いながら。
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