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眩しさに目を細めた先にだって、見えるものがあるだろうと言う


08
 失いたくない。
 その気持ちと、好きだという気持ちと。俺は板ばさみになって、とうとう浅木が部屋に来ることを断ってしまうまでになった。もちろん、完全にではなく、ときどき、ほんとうにときどきではあったけれど、大きな変化であることは自分でもわかっていた。でも、そうでもしなければ苦しくて堪らなかった。距離をおこう、そう思った俺はきっと間違っていない。
 もっと早くに気づいていれば、もっと自然にできたのに。もう、遅い。傍にいて欲しいのに、その気持ちは浅木と違う温度で。
 それが、苦しくて堪らなかった。
「宿題?手伝おうかって言いたいところだけど、おまえのほうが出来るからなあ」
 笑った浅木の顔を、見られなかった。
 俺のほうが出来るなんて嘘だ。浅木は得点上位者の常連だって聞いている。
 俯き加減の俺の頭に、浅木の大きな手がふわりと触れた。
「光己、本当に眠れてる?駄目だったら、いつでも呼べよ」
 優しい、浅木。でも時にはそれが残酷な時だってある。
 こんな弱い自分は嫌なのに、浅木のくれる優しさがなくなるのを怖がってもいる。
「大丈夫。まじで。最近は薬なしでも眠れるし。……浅木のおかげだな」
 俺が笑うと、浅木もほっとしたように笑った。
 胸が、ちくりと痛む。
 嘘だ。浅木が自分の部屋に帰るようになってから、薬なしで眠ったことなどない。
「俺は何もしてないさ。でも、ちょっとやつれたんじゃないか?」
 心配性だな、相変わらず。
「俺が南なのがなあ……こっちに引っ越してこようかな」
 呟きに、ぎょっとした。それは困る。傷が見られたくないのはもちろん、そんな近くにいたら、俺はどうなるかわからない。
「なんだよ、その嫌そうな顔」
「いや、別にそういうわけじゃないけど。南って快適なんだろ?もったいないじゃん」
 俺が誤魔化すようにそう笑うと、浅木はじっと俺の顔を見て、小さくため息をついた。
「何だって言って、八潮会長には負けるって事か」
「なんでそこで八潮が出て来るんだよ」
 思いがけない名前に、またしてもびっくりした俺は、今度こそ不機嫌な顔をしただろう。
「最近、俺、光己の困ったような顔しか見てないなあと思って。八潮先輩の前では結構無防備だろ?おまえ」
 この間見かけたんだ、と浅木は言った。無防備と言われても、俺には良くわからない。昔からの付き合いで、そんなこと考えたこともないのだ。
「そうかな」
 曖昧な俺の答えに、浅木がもう一度小さなため息を吐いたのがわかった。
 心配してくれているのはわかってる。
 でもだから、これ以上誤解も期待もしたくない。
 失いたくないんだ。
 俺は、自分の「好き」という気持ちより、浅木がそばにいることを選んだ。
 それは、とてもとても胸の痛いことではあったけれども、傷ついて弱ってしまった俺には、必要なことだった。まず、この闇から、抜け出したかった。それは、とても切実な願いだった。


 細い細い月が出ていた。中庭に降りていかなかった俺の部屋に、浅木が珍しくやって来た。最近では、忙しいと理由をつけて降りていかなければ、浅木は一人で月見をしていたはずだった。控えめなノック音に、俺は驚きながらも、嬉しさもあって、浅木を部屋に招きいれた。
「悪いな。コーヒー持ってきたんだけど……邪魔だった?」
「いや、一息入れてもいいかも。サンキュ」
 現金なものだ、と自分でも思う。会いたくないと言うより、今の自分の気持ちでは会えない、と思っていた俺には、浅木自らの訪問はなんだかくすぐったかった。
「頑張り過ぎてんじゃないのか?目が疲れてる」
そう言って俺を見る浅木から、目を逸らす。大丈夫だよ、と言うと、眠ってる?と返された。俺が、子供じゃないんだから、と苦笑すると、浅木がふうん、という風に笑う。
「目、瞑れるようになったのか?」
 ちょっとからかうような口調。俺はそれに少し落ち着いて、笑い返した。
「瞑れるよ。ほら」
 俺はそう言って、実際目を瞑って見せた。本当は、一人じゃまだ怖いときもある。でも、浅木がいるってわかっているから。
 な、大丈夫だろ、と目を開けようと思ったら、唇に生温かいものが触れた。それからそのまま、ソファーに座っていた俺は、横に倒された。
「あさ……ぎ?」
 唇が離されて目を開けたら、目の前に浅木の顔があった。黒い目の中、俺が映っている。俺はなんだかわからずに、目を瞬いた。
 キス……された?
 浅木の手が伸びてきて、俺の髪をそっと撫でる。知っているその感触に、俺は思わず、目を閉じた。その隙に、また口付けられる。
 さっきとは違う、触れられるだけじゃない、キス。下唇を唇で挟まれるようにされて、舐められて、思わず開いた口の中に舌を入れられて。混乱していた俺は、されるがままで。やっと離されたと思ったら、その耳元で囁かれた。
「抵抗しないなら調子に乗るぞ」
 その低くてよく響く声に、背筋をぞくっとさせながらも、俺はなんとか手を突っ張ってその身体を離した。浅木はわりとあっさり身を引いたけど、両手を俺の顔の横に立てて、そこからはどこうとしなかった。
「なん……で」
 俺がようやくそれだけ言うと、浅木の目が切なそうに揺れた。
「我慢、できなかったから」
「浅木?」
「ずっと、好きだった」
 じっと、見つめられて、俺は結構間抜けな顔をしてたんじゃないかと思う。でも、言葉の意味をようやく理解して、その途端全身真っ赤になるのがわかった。
「うそ……だろ」
「嘘?ひどいな、こっちはかなり切羽詰って必死なのに」
 片眉だけ上げるその表情がかっこよくて、俺は見惚れそうになる。多分、与えられる言葉にも酔って。
「せっかく話をするようになって、傍にいられるようになって、薬の代わりでも抱き枕でも、なんでも良いと思ってたのに、それを拒否されて」
 浅木の声はそれはそれは切なそうで、俺は信じがたい思いでその声を聞いていた。なんだかとても寂しそうなその目に、思わず手を伸ばす。さらりと触れると、浅木が目を細めた。
「いつ、から?」
「……掲示板の前で見てから」
 そんなに、前から?じゃあ俺、悩む必要なかったってこと?何も諦めなくて良かったってこと?
 その腕とか、ぬくもりとか、優しい手とか。
「光己」
 呼ばれて、俺は微笑んだ。なんだかとてもほっとして。
 それから、答えるかわりに、浅木の首に腕を巻きつけて、口付けた。
 なんだかとても、可笑しかった。


「俺ってこんなに我慢強いのかとびっくりしたよ」
 そう言われても俺は、絶対だめだ、を繰り返した。
 やりたい盛りの高校生の俺たちが、ソファーで重なるようにキスしてそこで終わるわけがなく、押し倒されそうになったのを、俺が必死の抵抗で止めたのだ。今は駄目、あと二ヶ月くらいは待って欲しいって。
 浅木の忍耐は認めよう。今まで抱き合って寝て、何もしなかったんだから。
 ちょっと同情するけど、これは譲れない。
「理由、言うから」
 俺が覚悟を決めたようにそう言ったら、浅木は大人しくなった。俺がちょっと怯えたのをわかったんだろう。……損な奴だ。
「言いたくなかったら、言わなくて良いぞ。今まで我慢したんだから、あとちょっと位我慢する」
 二ヶ月がちょっとなわけないって俺にもわかる。俺自身、いつまで我慢できるやら。
「いや、俺も話しておきたいし」
 そう言うと、浅木はゆっくり笑って俺の向かい側の椅子に座った。
 俺は大きく息を吸ってから、なるべく淡々と帰国前にあったことを話した。怖くない、怖くない、浅木はここにいる。そう言い聞かせながら。
「だから、傷が治るまで、身体見せるの嫌なんだ」
 俺がそう言って、息をつくと、浅木がじっと見つめているのがわかった。
「それだけか?」
「え?」
「怖いだろ、男に抱かれるの」
 当たり前、と言う感じの浅木を見ることが出来ずに、俺は思わず視線を逸らした。確かに、それもある。覚えてなきゃ良いのに、身体は何をされたか覚えてる。
「当たり前だから、気にするな。それに、俺は良いって教えてやるし」
 あーさーぎー。何だそれは。
「怖かったら、怖いって言えばいい。いくらでも聞いてやるから。怖くなくなるまで、ただ抱き締めてやる」
 たぶん、その心配はあまりないと思う。手を伸ばされて、頭を撫でられて、それが俺は怖くない。浅木ってわかっていれば、後ろから手が伸びてきても怖くない。そのことは、とりあえず今は言わないけど。刺激してもしかたない。
「というわけで、あと2ヶ月ぐらいで傷はそんなに目立たなくなるはずだからさ、それまで、お互い我慢って事で」
 そう、忘れるな。俺も男なんだ。
 抱かれる側の恐怖はあるが、例えばさっきのキスの先を望まないかと言えばそれはない。触れ合いたい、体の奥深くで繋がりたい、と言う思いは確かにある。
「それはちょっと置いといて、聞いても良いか?」
 どこに置いておくって言うんだ。浅木がまだ諦めていないと俺はわかっていたが、浅木から何か聞いてくるのは珍しいから、仕方なく頷いた。
「綺麗って言葉が駄目なのは?」
「ああ……最中に、男がずっと言ってたんだ。綺麗だから傷つけたい、とかなんとか」
 ふっと手に触れられて、俺は自分が震えていたのをわかった。浅木が辛そうな顔をして、ごめん、と呟いたのが聞こえる。俺はそれに、少し笑った。
「おまえのほうが辛そうな顔してるな。大丈夫だって」
 狼が情けない顔をしていて、俺は申し訳ないと思いつつ、可愛いと思った。
「おまえ、それなのに八潮会長のお達しを解除させるんだもんな……」
「うーん、やっぱりおまえも知ってたのか」
「俺の勘が間違ってなければ、写真も駄目だろ?」
 するどすぎるね、浅木。
「写真って言うかさ、俺の顔が駄目なの。唯一、傷つけられなかった顔がさ」
 綺麗だと言われながら、男は俺の顔を触った。手で、口で、たぶん、他のものでも。
「鏡とかで見るのも怖いっていうか、俺、自分の顔がわかんないんだ。見ても、自分だってわからない」
 笑う俺の顔を、浅木が切なそうな顔をしながら撫でた。ごつごつした、でも細く長い指が、頬を、鼻を、目を、唇を辿る。
「こんなに……」
 その先を言わない浅木に、俺は微笑むしかできなかった。
 浅木はしばらく俺の顔を触ってから、もう一つ聞きたいことがあった、とにっこり笑った。
「光己、体育休んでるだろ?運動駄目なのか?」
「あんまり激しいのはね。本当はそろそろ授業受けていいんだけど、ちょっと深い傷がまだ完璧じゃないから、痛いときがある」
 俺の答えを、ふむ、と考えるように聞いている浅木に、俺はいやーな予感がした。
「浅木……運動って……」
「大丈夫。痛いところ言ってくれれば絶対無理しない。させない」
 だからっ、駄目だって言っただろ。往生際悪いぞ。
「問題は、身体の傷だろ?ちょっと見せてみろよ」
「や、だ」
「見てみないとわからないだろ?」
 だから、それが駄目なんだって。俺でさえ目を逸らしたくなるんだ。自分で動けるようになってからは、母親にも見せてない。泣かれるから。
「いやだ」
 見せられるわけがない。
「光己……」
 そんな顔しても駄目なものは駄目。
「医者には見せるんだろ?それに、俺がそれを見ておまえを嫌いになるわけないってわかってるだろ」
 わかってるよ。でもね。
「俺がいやなの。……やっぱ嫌じゃん。好きな奴にこう言うの見られるのは」
 それも、初めてのときにさ。
 俺が俯いてぼそぼそとそう言うと、浅木が息をのんだのがわかった。
 ああ恥ずかしい。絶対耳まで真っ赤だ。
 浅木は大きくため息を吐いて、暗くするわけにも行かないもんなあ、なんて言ってる。うう、スミマセン。
「……わかった。とりあえず、今日は我慢する。でも、二ヶ月は無理だぞ」

 俺もそれは思うけど。
 もうちょっと、待って欲しい。
 今わかった。我侭なんだ俺。
 あれだけ嫌だったのに、おまえには。
 ―――綺麗って思って欲しいなんて。

おわり



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