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あふれ出る言葉など何の役にも立たない

07
 一難さってまた一難。
 いや、別に前の悩み事は難だったわけではないか、と芳明は思ってから、どちらも同じことだ、と一人ごちた。とりあえず、前の悩みは解決したのだ。問題なのは次の悩みなのであって。
 いくら悩める年頃なのだとしても、そうそう休みなく悩み事を作り出してくれなくてもいいのに、と思う。いや、これは悩みと言うより、やはり一難、だろう。
「なんで俺なんですか?」
 と訊いたら、その背の高い威圧感がやたらとある先輩は、入寮式でね、と言った。
「入寮式?」
 自分は別に何かしたわけではない。そう言う意味をこめて眉根を寄せたら、微笑まれた。怖いのに、いやに優しさを感じる笑顔だった。
「表に出たくない、とは聞いていたけど、そこまで惚けなくてもいいだろう?最も、これは完全な裏仕事だし」
 何が裏仕事だ、と芳明は内心毒づいた。このお祭り騒ぎ好きな九重生にとって、「裏」と付くものほど魅力的なものはないのだ、と入学一ヶ月もしない頃に芳明にもわかっていた。
 裏校則に裏ルール、裏行事に――裏の玄武。
 時には楽しいが、それは自分が傍観者であるからだ。巻き込まれたくはない、と芳明は思う。
「惚けるって何ですか?俺、大人しかったでしょう?」
 実際、入寮式のときには芳明は大人しく、さらに言えばほとんど部外者同然の態度だったはずだ。……彼らの目があるところでは。
「だから指名したんじゃないか。裏でこっそり人を操って、知らない振りをする。ぴったりだ」
「人聞き悪いですね」
「だいたいあの遊びはね」
 と、背が高い上に嫌味なくらい男前の先輩は、にやりと笑った。芳明の抗議はさらりと聞かない振りを決めたらしい。
「このためにある、と言ってもいいんだ。まだ入ってきたばかりの中から選ぶのは大変だから」
 それは確かにそうだろう。わけもわからずに、決められるものでもない。
 ――総代なんて。
「でも、俺は嫌です。だいたい、指名される理由がわからない」
「意外に往生際悪いな。諦めな。あのからくりを見破ったのも、予防線を張ってプレートを隠し持つことを提案したのも木田だって、知ってるんだ。教えてくれた奴も、おまえならぴったりだって言ってたぞ」
 男の言葉に、あの裏切り者、と芳明は呟いた。あれだけ言うな、と言ったのに。
「それに悪いが、これ、拒否権がないんだよ」
 じゃなかったら俺もやってない、と言った男に、芳明はだったら指名するな、と呆れたため息を吐いた。


「基一っ」
 昼休みの貴重な時間が潰れた上に、とんでもない厄介ごとを押し付けられた芳明は、一年の教室がある三階まで一息に駆け上がると、一つしかない教室のドアを思い切り開けた。と言っても、休み時間中はほとんど開放されているドアを、思い切り叩いたといったほうがいい。
「うわっ、怖えよホウメイ」
 基一は少しも怖がった様子をせずに、そう言った。それどころか、にやにやと笑っている。芳明はぎっと基一を睨みつけた。
「よくも裏切りやがって……」
「ひでえな。本当のこと言っただけだろ?俺だって、さすがにしれっと嘘ついて、はい俺です、とは言えないって」
「だからって、俺の名前を出すなよ」
「あのね、俺が言わなかったら、あの人たちきっと大騒ぎして探し出したよ?その方が良かった?」
 基一の言い分に、芳明はそれが想像できて、脱力した。確かに、そうやって探し出して指名したほうが、断りにくい上に認められやすい。
「適当に誤魔化せよ……」
「出来る相手じゃねえって」
 基一がそう言ったところで、隣から右が、何の話だよっ、と割り込んできた。
「ホウメイが逢引してたって話。駄目だよ、だんなを放っておいたら」
「てめえ、そんな口利けるんなら、十分誤魔化せただろ」
 芳明はいつもなら「くだらないこと」で済ませる基一の冗談にも、食って掛かった。これはやばいかもしれない、と基一もさすがに舌を出す。
「それで、まさかというかやっぱりというか、断ったのか」
「意思表示はしたけどな、拒否権なしって言われた」
 まさかとかやっぱりとか、どっちなんだ、と芳明は思いながらむっとした顔で答えた。どう考えても、相手は芳明の拒否など聞く気がないことはわかっていた。
「きーち、ホウメイ」
 再び二人で話し始めたのを見て、右はむっと膨れた顔をして、二人を睨んだ。こんな自然な表情もできるじゃないか、と芳明はそれを見て内心微笑む。
 笑えなくなったことに、右が自分で思うより深く傷ついていると芳明は思っていた。だから確信もなく「大したことじゃない」と言ったのだが、これなら少しずつ戻るんじゃないだろうか、と少し安心する。
「ホウメイが、総代になるって話」
「てめえ、俺はなるとは言ってない!」
 芳明の叫びは、一気にざわついた教室の騒音に消された。どっと三人の周りに人が集まって、芳明に本当か、とか瓜生先輩と話したのか、とか口々に勝手なことを言う。そういうことがどれだけ芳明の神経を逆立てるか良くわかっている基一と右は、慌ててみんなを静めた。
「ところで、総代って何?」
 ふつふつと怒りに静かになっていく芳明に、さすがに周りも怖がってそろりとみんなが大人しくなった頃、右が基一の袖を引っ張って小声で訊いた。
「右……おまえ、わりと疎いのな」
 基一が驚いたように目を開く。芳明はすっかり目を据わらせて、じろっと基一を見た。
「右、ホウメイが怖い」
「いつもよりちょっと、だろ。いいから説明」
 どこかちょっとなんだ、と基一は思いながら、これで右の機嫌も損ねたらそれこそ恐ろしい、とため息をついた。
「右は九重の「ししん」、または「しじゅう」って知ってる?」
 聞きなれない言葉に、右は眉根を寄せて小首を傾げた。
「四神は数字の四に神さまの神。四獣は同じく数字の四に獣。これは、中国、漢代の頃に四方に配された守護神たちに由来してるんだけど、さて、覚えてる?」
 この間古典でやっただろ、と意地悪く言う基一に、右は眉根を寄せつつも答えた。
「東の青竜、西の白虎、南の朱雀、北の玄武、だっけ」
 確か資料集で絵まで見たのは昨日ことだ。基一は「はい、良く出来ました」と右の頭を撫でた。
「さて、九重ではそれとくっつけて、生徒会長を表の朱雀、運動部長を白虎、文化部長を青竜、そして総代を裏の玄武、と呼んでいるわけだ」
「なんで総代は裏なんだよ」
「総代は正式な役職じゃないからさ。事実上執行部の一人として生徒からは見られているけど、選挙もなければ、内申書にも書かれない。でも、ある意味生徒会長より影響力は高いかもしれない」
「うーん。裏番長って感じ?」
「古いなあ、右。まあ、そんな感じもあるか。でも、どっちかって言うと生徒間の揉め事の調停とかさ、裏校則の執行人って感じ」
「うわ、面倒そう……」
「それの一年総代を、ホウメイにって言うのが今年の裏の玄武、瓜生先輩のご指名なわけだ」
 何がご指名だ、と大人しくというより怒り心頭で黙って聞いていた芳明は毒づいた。
「あの入寮式の宝捜し、あれは一年総代の選考も兼ねてたんだな」
 基一がふむ、と納得したように言って、芳明はくそっと呟いた。
 わかっていたら、大人しくしていたのだ。あんなからくりがわかっても、放っておいた。それなのに、なんだか同級生が可哀相、などと思った自分がバカバカしい。宝捜しのからくり自体が伏線だったとは。
「基一」
 どうやらここの先輩達にはなかなか勝てないらしいが、そのまま受け入れるのも癪に障る。芳明はそう思って、低い声で基一を呼んだ。
「はい?」
「裏切り者は罪滅ぼしをしてもらおう」
「だから裏切ってないじゃん……で、何?」
「おまえ、報道部のホープだったな」
 ホープね、と基一は苦笑した。芳明が人を誉めるときに、碌なことはない。
「ネタを提供してやるから、きっちり書けよ?」
「何……」
「俺は絶対に総代にはならない。そう言い張ってるって、書いていいから」
「ホウメイ!」
 基一が叫んだところで、昼休みが終了した鐘が鳴る。さて、どうなるんだろう、と一年A組の連中は、内心とても楽しんでいた。


「なんで嫌なんだ?」
 放課後になって、教室掃除をしている芳明に右が話し掛けてきた。右は当番ではないために、ロッカーに腰掛けている。
「くだらない質問する暇があるなら、手伝えよ」
「やだね。俺、当番じゃないじゃん。それに、くだらなくないだろ?同室者が総代になるかもしれないんだからさ」
 総代、という言葉に力を入れるあたり、かなり嫌味だと思いながら、芳明はため息をついた。
「だから、ならないって」
「だから、なんで嫌なんだって」
 ぶらぶらと右が足を揺らしている。芳明は持っているモップを乱暴に動かしながら、ズボンの外からでもわかるその細い足を見ていた。筋肉がつかない、と右が嘆いていた足だ。
「言っただろ。俺はそういうの嫌いだって」
「ああ、きのこ類と同じにね……」
 右はそのときのことを思い出して思わず笑った。あんな嫌い方を聞いたのは初めてだった。
 その右の耳に、なんだ大丈夫じゃん、と芳明が呟いたのが聞こえて、右は顔を上げた。芳明が、モップの柄に顎をのせて、微笑んでいた。
「大丈夫。笑えてるよ、おまえ」
 芳明はそう言うと、またモップをかけはじめた。右は思わぬ言葉に、呆然としていた。
「ホウメイってさ」
 呆然、から気を取り直した右が、悔しそうに呟く。
「ホウメイって、ずるいよな」
 何が、と芳明が言おうとしたところで、ざぼるなーと言う叫びと共にモップの柄が飛んでくる。
「うわっ、汚ねえよ。モップを振り回すな」
 芳明がそう言うと、相手の生徒が「いちゃついてるおまえらが悪い」と返す。
「滝口、おまえなあ」
 くさってきてんな、と芳明が言って、滝口 新(しん)は片眉を上げた。馴染んでる来てるって言ってくれ、とにやにやしながら言う。
 この学校の「裏」伝統、とまた生徒たちが面白おかしく言っているのが、男同士のカップルごっこだ。中には本気もあるらしい、という話だったが、一年生達はまだまだ興味半分、恐怖半分、というところだった。
「俺達なんか右がいるからな。いち早く転ぶ奴がいるって言われてるんだぜ」
 芳明にタックルをしながらそう囁いた新に、右が「何が?」と割ってはいる。
「ん?右は可愛いって話」
「滝口、それ誉めてない」
「いや、誉めてるよ」
 そう言ったところで、他の生徒からサボるなっ、と苦情が入って、二人はようやく掃除に戻り、右はまた大人しくロッカーに座った。


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