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あふれ出る言葉など何の役にも立たない
08
「ぜーったいそう言うと思ったんですよね」
放課後の部室で、基一はそう言ってため息をついた。目の前の宮古は、「久々に面白いことになりそうだ」とにこにこと嬉しそうに笑っている。
「なんだ、やる気ないな」
「当たり前でしょう?俺はあくまで傍観者が好きなんです。それなのにホウメイの奴……」
言えば、宮古はのる。そして、基一も否応なく騒ぎに巻き込まれる。そんなことはわかっていて、芳明は基一にあの提案をしたのだ。本人も、悪あがきだとわかっているのにも関わらず、言うなれば、基一に対する復讐みたいなものだ。
それでも宮古にこの話をしたのは、ホウメイと宮古が組まれたらもっと恐ろしいことになりかねない、と思ったからだった。
「第一、いいんですか。瓜生先輩の足を引っ張るようなことして」
基一がそう言うと、だから面白いんじゃないか、と宮古は恐ろしいことをさらりと言った。
「あの瓜生がだよ、困るならそれを見てみたいじゃないか。それに、対決はいつも東西と相場が決まってるからね。たまにはそれこそ傍観者の南を入れてもいいんじゃないか?」
その自分も南寮じゃないか、と基一はため息をついた。困るなら、自分が一番困る気がする、と思うのは被害者意識だろうか。自分で芳明のことを瓜生に振っておいて、こんな記事を出したら、何を言われるかわからない。
「やっぱ、やめません?」
「水野、ジャーナリスト魂が足りない!」
宮古はそう言って、嬉々として指示を出していた。
そしてそれは、翌日の校内掲示板に、大きく張り出されたのだった。
その後すぐに、宮古による芳明のインタビュー記事の載った号外が発行されて、校内は一時騒然となった。総代の拒否権がないことは二、三年生はもちろん知っていたし、一年は自分達の総代が誰になるのかわかったことで、芳明のいる一年A組は見物者が後を絶たない。
インタビューで芳明は、自分が総代に選ばれる理由がわからない、と徹底的に惚けた。宮古はその理由などわかっていたが、もちろんインタビューそのものしか載せていない。
そもそも、芳明があの入寮式のからくりを解いて取り引きを考えたと言うのは、基一、右、圭一の三人しか知らない。一年の中には、実際に先輩と取り引きをした基一が中心人物だと思っているものも多かった。
「だから、俺がやっぱり一番困るんじゃないか……」
全てを知っていても、宮古の許可がなければ基一はそれを記事にもできない。もちろん、あれは芳明がみんなやったのだ、と言うことも出来ないのだ。圭一は巻き込まれたくない、と苦笑していたし、右はあまり状況がわかっていない上に、芳明が嫌ならとその味方をする。
寮の部屋の机に突っ伏して、はあ、と大きなため息を吐いたところで、圭一に頭をぽんぽんっと叩かれた。
「えらいことになってきてるな」
「ほんっと、板ばさみ」
ことり、と置かれた日本茶に礼を言って、ずずっとそれを飲む。なんでも圭一の実家がお茶屋だそうで、いつも美味しい緑茶があるのだ。
「それだけじゃないぞ、聞かなかったのか?」
何を、と眉根を寄せた基一に、圭一は苦笑した。いつもならどんな噂も聞き逃さない基一が、その当人となったら知らないのだから可笑しい。
「総代は、水野基一にって話」
「はあ?」
基一には寝耳に水の話で、思わず間抜けな声を出した。
「一年の中でね、本人嫌がってるんだし、どうせならおまえにって言ってる奴がいるんだよ。あの入寮式のことを引き合いにしてさ」
圭一は苦笑したままそう言った。それに、いよいよ祭りの渦中に放り込まれたのか、と基一はまたもや顔を机に突っ伏した。
「あれは俺じゃないって言うのは、おまえだって良く知ってるだろ」
基一はなんだか情けなくなってきた。自分にその気はなくとも、虎の威を借る狐じゃないか、と思う。
「まあなあ。まったく、なんでホウメイはあんなに嫌がるんだか」
圭一がソファーに坐って、呟くように言った。
「とにかく目立ちたくないんだよ、あいつは。なんか家のこともあるみたいでさ。木田って、あの木田なんだよ」
「木田グループ?」
そうそう、と頷きながら、基一は湯飲みを持って圭一の前にあぐらをかいて坐った。
「色々あったみたいで、長男夫婦の息子だけど跡取じゃないらしい。ご両親も亡くなってるし」
なるほどね、と圭一は一人ごちた。あの変に落ち着いて、厭世観がときどき滲み出るのはそう言うわけか、と納得する。
「そういうことを知ってても、基一はホウメイを押すか……」
「あたりまえ。家のことなんか関係ないよ。ここに来るのはそういうこともあるだろ?ホウメイがその辺りについて何も言わないのも、家のことはとやかく言われたくないからだろうし。だいたい、目立ちたくない、って無理な話だよ」
それには圭一も賛成だ。あの存在感はとてもじゃないが隠し切れないし、その上あの右といつも一緒にいるのだ。一層のこと総代辺りになってしまったほうが面倒はないんじゃないか、と思った。
「そういうことなら、俺も少しは手を貸すか」
「何?うちはホウメイ後押しの記事は今のところ「自主規制」だよ」
宮古が面白がっているのだ。まったく、と基一はため息が止まらない。それでいて、報道の恐ろしさを知るんだな、などと言うのだ、宮古は。
「ああ、宮古先輩じゃないんだ」
「え?」
「瓜生先輩。あっちから話が来てるんだよな」
圭一が困ったように笑う。どうやら、瓜生も瓜生で受けて立つことにしたらしい。
「なんだって?」
「言ったら、それこそおまえ宮古先輩と瓜生先輩に挟まれるだろ?まあ、俺はホウメイを押してるってことだけ覚えとけよ」
「嫌な言い方だな」
「ホウメイもほとんど諦めてるんだろ?」
「みたいだぞ。俺を巻き込んで楽しんでる感じ」
「周りはしっかりのせられてるけどな」
「それが厄介なんだよな」
ぱたり、とあぐらを掻いたまま仰向けに倒れて天井を眺めている基一を、圭一は同情溢れる目で眺めた。正直な気持ちを言えば、自分が基一の立場にならなくて良かったと思うのだが、結局巻き込まれていることにはかわりない。
損な役で悪いんだけど、と瓜生は言った。でも、きっと圭一が断らないとわかっていたのだろう、とも思う。
「ま、今回はあの二人に踊らされるしかないんじゃないか?」
「二人?」
「ホウメイも瓜生先輩も、反対派が出ることはわかっていたんだと思う。ホウメイは引き受けるにしても、その厄介な揉め事は避けたかったんだろうし、瓜生先輩もそれは考えていたんだ。こんな風に解決しようとは思ってはいなかったとしても、な」
圭一の言葉に、基一がむっくりと起き上がった。やはりどこか面白くなさそうな表情をしている。
「やっぱりさあ、結局俺が一番踊らされるってこと?」
そうとも限らないが、と思いつつ、圭一はそれには答えずにお茶を啜っただけだった。
そして、このときの会話とは裏腹に、圭一が先頭に立って、形にもなっていなかった反対派が「水野一年総代推進派」として団結したのは、それから二日後のことだった。
「なんで中やんが反対派なんてしてるわけ?」
とても意外だ、という風に言った右に、芳明は苦笑した。なんとなく、からくりはわかる気はするのだ。圭一にまで迷惑をかける気のなかった芳明としては、複雑な心境だった。
「あのさ、でも、もし芳明がどうしても総代が嫌ならさ、俺も水野を押すよ?」
右が生姜焼き定食を食べながらそう言う。その真意がいまいちわからない芳明が答えに困っていると、右は駄目、と二人の上から声が降ってきた。
「駄目ってなんで?」
右が顔を上げた先には、たった今話していた圭一と、基一が立っていた。空いている隣の席に、断りもなく坐るのは、ほぼ毎日のことだからだ。
「ホウメイがかわいそうだろ。同室にまで見放されたら」
圭一が右と同じ生姜焼きに箸をつけながら、そう笑った。芳明は、それでもいいんだけど、と思いながらも何も言わない。右が水野側につけば、水野支持派はもっと増えるだろう。
「なんかさ」
「どうした?」
「すっごい視線感じるんだけど」
おまえたちは平気なのか、という右に、仕方ないだろ、と芳明が言い、他の二人もそれに頷いた。右は一人、居心地の悪さに眉を顰めた。
「渦中の三人が一緒に飯食ってるんだ。俺が当事者じゃなければ、美味しいネタだったのになあ」
ため息を吐く基一はうどんを啜っている。圭一と瓜生の考えていることはわからなかったが、とにかく芳明総代を押していると圭一に聞いておいて良かった、と思っていた。
「今やすっかり報道される側、だもんな」
芳明はもう一つの定食、カツ丼をぱくぱくと食べながら苦笑した。
「俺、これに関してはノータッチを言い渡されたんだよ。今一番注目の話題なのにさあ。つまんねー」
その思考もどうだろう、と右は思いながら、どうやら自分が一番関係ない人物なのだと気付いて、どこか寂しくなった。あの入寮式のときも思ったが、この四人の中で、自分が最も何も出来ないのだ。ちやほやはされても、それだけだと思う。そう思った途端、また別の意味で居たたまれなくなった。それもあるから、自分はきっと芳明が総代にならなくてもいいと思っているのだろう。
「どうした?右」
急に箸が止まった右に、芳明が眉根を寄せた。
「なんでもない」
そう笑ったら、芳明が一層目を眇めた。それに、誤魔化すように笑ったのを非難されている気がして、右は俯いて、食べることに専念することにした。絶対に、誤魔化されてくれない芳明。総代なんかになって、遠くに行って欲しくないなどと思うのは、自分のわがままなんだろうか、とキャベツの千切りをしゃきりと噛みながら思う。
「大体さ、右が俺を支持するなんて言ったら、恨みかいそうだからパスな」
「なんで?恨み?」
「そ。右のファンにね。そう言うのはホウメイに任せた」
「なんだ?俺は恨みをかってるのか?」
「そうだよー。右の同室で、みんなにも旦那とかってからかわれてるだろ?今回の俺の支持派にも右のファンがいるはず」
そう同意を求める基一に、圭一は頷いた。それを見て、右が不機嫌に口を尖らせた。
「そんなの、俺知らない」
「心配しなくても平気だよ。ホウメイが怖くて何も出来なかった奴らが、便乗してるだけなんだから。そんな奴らは大したことは出来ない」
圭一がそう言ってみても、右は納得していないようだった。大体、二人は同室で仲がいい、というだけなのだ。残念なことに。
そう思って、自分の思考がどこかおかしいことに右は気付いた。残念、とはどういうことだろう?とますます眉根を寄せる。
「俺、怖いのか?大人しいもんだと思ってるんだけどなあ」
「体格はいいし、海田先輩ともどうやら仲が良いらしい、ってあたりでもう迂闊に手が出せないって言うかさ」
そう基一が苦笑する。人の気持ちには敏感なくせに、どうも芳明は自分に関することにはとても疎い。反対派がすぐに結成されず、燻っていたことの意味などわからないのだろうか、と思う。
「右、気にするなよ。実際、別に何もされてないんだし」
芳明が勘違いして、そんなことを言う。右はそれに曖昧に頷いた。
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