たった一つ欠けたパズルの破片を持っているのは君だろう?
07
一階の三年の教室があるL棟まで降りていくと、今度は西寮の寮長の大庭に呼び止められた。でも、今回は俺。
「ああ、やっと捕まった。じゃない。俺の監督不届きで、悪かった」
大庭はそう言うと、頭を下げた。それに俺は慌てて、やめろって、と肩に手を乗せて頭を上げるように頼んだ。
「助けてくれたのも西の奴らじゃないか。それに、俺が油断してたのも悪いし」
大庭はラグビー部の部長らしく、がっちりとした体型によく日焼けした顔がのってるんだけど、それが本当に申し訳なさそうに小さくなっていて、俺は困ってしまった。
「こいつもこう言ってるし、瓜生のほかにお前も罰を出したって聞いてるぞ?それより、何か大変なことになってるって聞いたんだけど」
げげげ、と俺は呟いた。寮罰も出たって事は、あいつらしばらく日曜休日がないな。俺を襲ったばかりに可哀相に。
大庭は広の言葉に、そうだった、と言って食堂に行くからと促した。このまま二限もさぼりなのだろうか、俺達。
食堂に行くと、大庭は二階に上がっていった。二階といっても、一階のテラス側は吹き抜けになっているから、その半分しかない。つまり、ベランダみたいな感じで、一階の一部を下に覗くことが出来る。でも、二階には廊下に出る扉がないために、壁際は密室性が高くて確かに話をするにはいいかもしれない。ただし、食堂は昼休みまで開かないはずだ。それも、両寮長、運動部統括の他に、文化部統括、生徒会長、生徒総代といたら、開かないはずの食堂のドアだって簡単に開くんだろうと俺は納得した。
「あ、重藤っ」
俺を見て、深山が叫んだ。きっと探してたんだろう。昨日の今日で、心配をかけたかも。
「どこ行ってたんだよ。心配してたんだぞ」
やっぱり、と思いながら俺はごめんと手で謝った。
「重藤もいるならちょうどいいか。おい、時間ないから始めるぞ」
会長の佐々野がそう言って、突っ立ってる俺達に座るように促した。みんながいるのは丸テーブルで、ちゃっかりコーヒーまでのってる。
「始める前に、悪いんだけど今回の経緯を詳しく話してくれないか。昨日の時点では、瓜生が始末をつけて、決着してたんだよな?」
広がそう言いながら座った。そうだった。昨日のことは一応終わったはずだったんだ。
「俺としてはお二人さんが授業サボって何してたのか知りたいところだけど、それはあとでゆっくり聞こうか」
そう言って話し出したのは文化部統括の宮古だった。何って、話してただけだよ。
「確かに、昨日の時点では、一応決着がついたんだ。ところが今朝になって、そっちのおひーさんの首に派手な跡がついてて、それがまたあいつらの仕業って言うから、ことが大きくなったんだ」
宮古がちらりと俺を見て、俺はそう言えば絆創膏を剥がしたままだった、と思い出して思わず手でそこを覆ってしまった。
「それで、だ。ちょっと確かめときたいんだけど、それ、本当にあいつらが付けたんだよな?」
佐々野がそう言って見たのは、俺じゃなくて、広。それを見て、俺は深くため息をついた。みんなわかってたってことか?深山も広の仕業じゃないかって言ってたし。
「残念なことに、オリジナルは」
広は苦笑しながら、そう言った。それに、みんながなるほど、って頷いて、俺は心中で、納得するな、わかるな、と叫んでいた。
「抜かったっていったら、抜かったんだよなあ。朝見たとき、俺はてっきり海田の仕業だと思ったんだ」
そう言って頭を抱えたのは深山だった。隣で、瓜生が「そう思っても仕方ないだろ」などと言っている。
つまり、広の仕業だと思って深山は今朝、俺をからかった。ところが広とついさっきまでは「お友達」だった俺は、それが奴らの仕業だって騒いだ。それをまだ寮の食堂にいた連中が聞いていて、騒ぎ出したってことなのだろう。深山はその時点で、まずいって言ってたもんな。
「俺が迂闊だったってことか」
俺がそうため息をつくと、それも違うよ、と佐々野が苦笑した。
「ある程度、起こるべくして起こった、ってところもあるんだ。春は忙しいから、あんまり対決とかしないだろ?そうすると、九重の血が騒ぐって言うか、まあ新しい東西組織の力試しをしたくなるって言うか……」
確かに、新学期が始まって以来、まだこれといって対決していない。それにしても最初がこれでいいんだろうか。どうせならもっとお遊びなことで始めを飾ったらいいのに。
俺がそう言うと、それがベストだから、なんとかしたいんだけどね、と佐々野が言った。
「ようはさ、西の手討ちみたいになったのが気に食わないんだよ。うちの奴らは。だから、一回きりでいいから、決闘させろよ。それでこの件は本当に終わりにする」
深山のその言葉に、俺はそうか、と思った。それなら簡単なことだ。そう思って、俺が口を開こうとした瞬間、下から叫び声がした。
「おいっ。大変だ、奴ら勝手に始めやがった」
その声に、みんな一斉に立ち上がった。手すりに一番近い大庭がすぐに下を覗いて、どこだ、と叫ぶ。
「中庭っ。たまたま会っちまって」
おいおい、ど真ん中でやるなよ、と俺は思いつつ、みんなと一緒に階段を下りて、食堂を出ると、中庭に向かった。廊下が中庭を囲むようにぐるりとあって、全面ガラス張りになっているために、食堂を出てすぐ、中庭に人だかりが出来ているのが見えた。
執行部連中が中庭に降りると、人だかりは勝手に道を開けて通してくれた。その真ん中、どうやら昨日の連中と、西の奴ら、それから東の連中の何人かが睨みあっていた。学年はばらばら。でも、二年生が多いのは、佐々野の言ったことを思い出させた。東西対決の力試しを一番したい時なんだよな、二年って。三年はもっと遊びに力を入れるし、一年はまだわからなくて右往左往している、というところだろう。
「さて、誰の許可を貰ってこんな騒ぎを起こしてんだ」
こういう生徒同士の諍いを収めるのは、総代である瓜生の役目だ。背が高くて綺麗に筋肉をつけたしなやかな身体に、鋭い眼光は、それだけで総代の役目を果たす。その瓜生の睨みに怯みながらも、中の一人が口を開いた。
「俺達、昨日のことに納得できないんです」
「俺の処分が甘いと?」
「いえ、処分には満足してます。でも、このままじゃ東の面子に関わります。侮辱されて、何も出来ないなんて」
なんて立派な騎士精神だろうね、と俺は人事のように思った。まあ、仮にもやられた俺は、東の姫だからなあ。まだ公式に引き受けることは言ってないけど。
「おまえらの気持ちもわからなくはないけど、こっちは寮罰も与えてる。それを無視されたら、今度はこっちの顔が立たないだろ」
そう言ったのは、西の一人だった。それが昨日俺を助けてくれた中の一人だと気付いて、その隣四人がどうやら広の教えてくれた生徒なんだろうと俺は思った。
俺は両者を見比べて、小さくため息をついた。両方の言い分はわかるが、面子とか顔とかなんだって言うんだ。そんなことを考えてる暇があったら、もう二度と手出しされないように、秩序が乱れないように、精進して欲しい。大事なものを守るって言うのは、そういうことだ。
俺は小さく息を吸って、前に出た。視界が広まって、二階や三階の廊下からも生徒が覗いていることに気付いた。先生、ごめんなさいって感じだ。
視線が、俺に集中する。でも、呆れと怒りと、ちょっとばかりの姫の自覚に、俺はそれに構わずに、まずさっきの生徒の前に歩み寄った。名前を確かめると、確かに渡された紙の中の一人で、俺は彼らににっこり笑ってお礼を言った。そうしたら、みんなちょっと顔を赤くして俯いてしまった。それを見ながら、まだまだ可愛いなあ、二年生って、と俺は思わず笑った。
それから、昨日俺を襲ったと思われるやつらの前に立った。全部で五人。顔にまで痣があるから、すぐにわかった。みんな、どこか視線をずらして俺を見ようとしない。どうやらこいつらも、みんな二年のようだった。今年の二年は血気盛んだ。
俺はその前に腕組みをして、一人一人覗き込むように見た。あーあ、可哀相に。こいつらの痣、一ヶ月は消えないな。そんなことを思いながら、俺は口を開いた。
「あのさ、俺、すげー怖かった。目隠しされて、猿轡されて声も出なくて、手まで縛られてさ。それもそっちは多数で。力で無理やりって、すごく卑怯なんだって実感したよ」
俺がそう言うと、後ろで東の連中が殺気立ったのがわかった。それを、ちらりと見て押さえつける。
「おまえらさ、やっていい事と悪い事の区別ぐらいつくだろ?あれは立派な犯罪なんだ。暗い激情なんて誰でも持ってるけどさ、みんなそれを上手く違う方向に発散させてるんだよ。いい事と悪い事の区別さえつけば、それは間違った方向にはいかない。お前らだって、それぐらいわかるだろうが」
俺がそう言うと、目の前で俯いていた一人がばっと顔を上げて、すみませんでしたっ、と叫びながら土下座した。それに続いて、後の四人もみんな謝りながら土下座する。俺はびっくりして、思わず微笑んだ。
「なんだ、おまえら結構素直で可愛いんじゃん。これなら大丈夫だな」
そう言うと、またみんな謝るから、俺は困ってしまった。
「悪かったって思ってるならいいよ。でも、一発ずつ殴らせろ。このまま東の奴らが納得しなくても困るしな。俺も東だから、これで文句ないだろ?」
俺がそう言いながら振り向くと、後ろの連中がしぶしぶと言う感じで頷いた。俺は素手じゃ痛いよなあ、と呟きながら、近くにいた生徒のノートをちょっと借りることにした。それから、それを丸めて、ぱこっぱこっ、と五人の頭を殴った。
ちっとも痛くないことはわかっていたけど、身体的苦痛なんてなんの罰にもならない。俺は謝って、悪いって思って、二度としないと心に誓ってくれれば、それで十分だった。
はい終わり、と俺がノートをお礼を言って返すと、みんなが呆気に取られているのがわかった。東の奴らは、奇妙な顔をしている。納得、しきれないんだろう。
「みんなの気持ちは嬉しいけど、殴っても何も解決しないだろ?これでこの件は本当に終わりな。その代わり、みんなの気持ちを受け取って、いい子の東寮生にはご褒美をあげるよ」
俺がそう言うと、みんなが顔を見合わせた。俺は可笑しくなって笑いながら、ゆっくりと告げた。
「3Bの重藤千速、第86代春姫を、ここにつつがなくお受け致します。これからは、思う存分守ってくれ」
俺がそう言うと、わっと歓声が起きた。いつの間に隣にきていたのか、深山がほっとした顔をして俺の肩を叩いた。後ろから頭をぽんぽんと叩いたのは、広だろう。何やら大騒動となったこの事件は、これでようやく解決して、中庭はすっかり興奮の渦となっていたが、何しろ短い休み時間の間の出来事、そうそうその興奮に浸ってはいられない。
「九重時間発動してるぞ、あと三十秒」
そう叫んだのは広で、真後ろのその声に俺もギョッとする。幸い三年は一階に教室があるが、今中庭にいる一年は危ない。
校内に関するどんなことでも、五分だけ猶予を認めよう、というのが九重時間で、生徒はもちろん、先生もこれに従っている。だから、五分は遅れてもお咎めはない。ただし、五分を過ぎたら余程の理由がない限り、遅刻は遅刻。先生達は喜んで課題なんぞを出してくれるのだ。
広の声にギョッとしたのは俺だけじゃなく、中庭や廊下にいた生徒たちは慌てて教室へと戻っていった。俺は大きな一仕事を終えてほっとしたように思ったのもつかの間、その生徒の波の中、今度は無事教室に辿り着かなければならないのだった。
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