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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た
07
 学校に帰ると、まずは高居先輩に医者から貰った紙を渡した。昔からの先輩の足の主治医みたいなものらしく、先輩がコーチをしていることを伝えたら、事細かな注意事項などを渡されたのだ。それを、先輩に渡すように、と。
「今日は休みだな。明日の朝から俺も朝練に出るから」
「でもそれは……」
「おまえに口答えが出来る権利があると思ってるのか」
 高居先輩はそう言って、俺の頭を軽く叩いた。俺は仕方なく頷いた。
「大庭にも話しておくから、当分、部屋は一階だな」
「え……でも、エレベーター……」
「少しでも動かさない方がいい。おまえ、競技会がいつかわかってるのか?」
「はい……」
 なんだか、高居先輩の容赦なさぶりがひどくなっている気がした。
「それと、日常生活だよな。俺が世話を見ても良いんだが……」
「先輩?」
「学年違うからな」
 寮も違います、と俺は言おうと思ったが、そんなことは関係ないといわれそうで黙っていた。
「友達に頼みます。哲平なら多分……」
「ああ、西嶋か。そうだな」
 哲平もいい加減有名だ。三年にも知り合いが多いのは知っていたが、高居先輩も知っているとは。
 それにしても、骨折したわけでもないんだけど。
 俺は大きなため息を吐きつつ、部屋に戻った。
「それで、どうして先輩が来るんです?」
 一階にある予備部屋に無理やり入ることになった俺は、簡単な荷物といえどそれさえ哲平に運ばせて、ベッドに縫い付けられた。足も痛いわけではなく、体調が悪いわけでもないので、ひどく不本意だ。
 そこに、ひょいっと顔を出したのは深山先輩だった。しばらく、といっても一週間ぐらいだが、哲平が同室になると思っていたのに、なんと先輩が一緒に住むのだと言う。
「だって、俺の所為じゃん」
「違うでしょう?先輩は何も悪くないじゃないですか」
 どうして自分の所為だなんて言うのかわからなくて俺が困ったように叫ぶと、でもねえ、とのんびりとした声が返ってくる。
「元はと言えばまあ、俺も悪いし……」
 少しも要領を得ない。先輩は巻き込まれただけだ。
「いいだろ別に」
「よくないです」
「なんで?俺じゃやだ?」
 穏やかで、どちらかと言えば美人の部類の先輩が可愛らしく首なんて傾げて見せるのは絶対にずるい。嫌だ、なんて言えるわけがない。
「だって先輩、東の寮長でしょう?それにあの植物園、どうするんですか」
「別に東寮なんて目の前じゃん。それに一週間だし」
「でも!」
「はいはい、大人しく寝てろ。飯も持ってくるから」
 何もそこまで、と思ったが、俺はぶつぶつ言いながら不貞腐れたように布団にもぐりこんだ。その耳に、だって俺が嫌なんだよね、と深山先輩の呟きが聞こえた気がしたが、疲れていたのか、俺はすぐに眠りに引き込まれていった。


 先輩との共同生活は、なかなか快適だった。俺を動かさないようにと気を使ってくれているのだが、それを忘れそうになるほどさり気なかったし、勉強までついでに教えてもらった。足の湿布の張り方も高居先輩に教えてもらったとかで、自分でやると言うのにいつも取り上げられては先輩が楽しそうに張り替えてくれた。
 東郷との対決は負けたはずなのに、俺はこうして結局深山先輩とも高居先輩とも以前と同じように接していた。それはあのとき言ったように、多分に先輩方のほうに言った方が早いことだとしても。
 足の腫れも、三日もすると大分引いて来た。これなら、一週間でとりあえず走れるようになるだろう。あとは癖のようにまた挫かないように気をつけなければならない。
「高居先輩、ちょっと用事があるとかで遅くなるって」
 走れない間、俺は上半身を鍛えるべく、筋トレばかりをしていた。それに付き合うのはもちろん高居先輩で、俺の練習は先輩が来ないと始まらない。
「東郷……」
 その日、先輩が遅れることを告げに来たのは東郷だった。そればかりか、一緒に筋トレをするという。あの一件以来、俺たちは話をしていなかった。
「先輩にどうすれば足に負担をかけないのか聞いたから、大丈夫だと思うんだけど」
 東郷はそう言って、今日の筋トレの練習メニューを俺に差し出した。それから、鉄アレイを持ってくる。
「足、まだ痛いのか?」
 じっと注がれた視線に、俺はどこか無意識にその足を引いた。
「いや、もう大分いい」
「そっか。良かった」
 東郷はそう言って、鉄アレイを俺に渡した。それを持って、しばらく二人で、無言で腕を振っていた。
「あのとき」
 荒くなり始めた息の下で、その腕の速度を落とさずに東郷が呟いた。
「付き合ってもらって悪かったな」
 ああやっぱり、と俺は思った。東郷は、あの対決が自分にとってどんな意味を持つのかしっかり把握していたのだ。わかっていても、やらずにいられなかった。
「いや、俺もあれですっきりしたっていうか、わかったから」
 俺も苦しい息の下で呟く。
「わかった?」
「俺がスランプだったのは見ててわかっただろ?どうして走るのか、わからなくなっててさ」
 走っているときそのままに、二人で腕を規則的に振る。そうしていると、足が動きたいと主張しだす。
 ああ、早く走りたい。あの真っ直ぐな道を、駆け抜けたい。
「どうして走るのか……」
「単純なことだ。好きだから。だから走る。そんなことを、俺は忘れててさ。だから、それを思い出させてくれてありがたいくらい」
 そう言った俺に、東郷は腕を止めて、ぽかん、という形容が似合うほどに目と口を開けて俺を見た。
「坂城って……人良すぎだろ」
「ああ?誉めてくれてるって思っとくよ」
 がっくりと、アレイを持ったまま東郷が首を項垂れた。
「あーあ。全く。これかよ、年上キラーの謂れは」
 ぶつぶつと、そんなことを言っている。おまえまでそれを言うな、と俺がアレイを振り上げて見せると、わー、と逃げた。その慌てぶりに、思わず吹き出す。
 それに抗議をしながら、でも、東郷も思い切り笑っていた。


 一週間して足も治ると、俺は自分の部屋に戻ることになった。たった一週間なのに、懐かしいと思うのだから可笑しい。
「あーあ。早かったなあ」
 心持ち残念そうな口調で樹先輩がそう言って、コーヒーを渡してくれる。食事は未だ部屋に運ばれて来て、それを片付けた先輩は俺にコーヒーを淹れてくれるのだ。
「ほんと、お世話になりました」
 俺がそう頭を下げると、ぺしりと叩かれる。また敬語が嫌だとかなんとか言うのだろう。それを一週間やり続けられ、俺はとうとう根負けして「樹」先輩、と呼ぶようになった。でも、敬語は勘弁して欲しい。俺の立場ってものも考慮して欲しいのだ。
「世話した覚えないし」
「でも、助かりました、本当に」
 何しろ、穏やかなこの先輩と一緒にいると、毎日何か嫌なことがあっても、朝にはすっきり回復する。手が早くてぺしぺし叩かれたのに、どうしてこの人はこんなにほっとするような安心感があるのだろう、と不思議でたまらなかった。
「淋しくない?」
「え?」
 ふいに聞かれて、思わず聞き返してしまった。先輩は困ったように目を伏せて、なんでもない、と小さく言った。
 本当は、聞こえていた。
 ただ、びっくりして、聞き返してしまっただけだ。
 先輩との日々は楽しかったし、あの安心感がすぐ傍になくなるのだと思うと、正直淋しい。でも、本当に淋しいのは、先輩なのだろうか、と俺はその顔を見ながら思った。
 でも、もちろん、そんなことは聞けはしなかった。


 どうやら俺の問題が一段落して、記録も計るようになり、ようやく落ち着いたと思った頃だった。三年の「東の春姫」が襲われると言う事件が起きた。春姫とほとんど全校生徒が認識している重藤先輩はでも、実は公式に姫を引き受けてはいない。そのことで、樹先輩が苦心していることも、生徒たちがだんだん面白くないと思い始めていることも、俺は知っていた。
 姫と言う呼称がまず悪いよなあ、と俺はどちらかと言うと重藤先輩に同情組なのだが、今年は西の秋姫がいないために、先輩が引き受けないと姫不在となってしまって、つまらないと思っている生徒もいる。さらには東西対決がまだ本格的に行われていなくて、フラストレーションも溜まっていたのかもしれない。問題は、襲ったのも西の奴らなら、助けたのも西の奴らだということだ。結局東側は何も出来ず、それが不満になったらしい。
 俺はあくまで傍観者だったが、同室の鼎が助けた連中の一人だったおかげで、嫌でも周りが騒がしくなった。鼎も哲平に負けずお祭り好きで、俺はどうしてこの二人と友達をしているのかわからないときがある。
 事件翌日の一時限目の休み時間、俺と哲平は購買で哲平が愛読しているカメラ雑誌を買っていた。哲平は年上受けが良くて、購買のおばちゃんとも仲が良い。仲が良いと、普通は置かないカメラ雑誌を、哲平のために仕入れてきてくれるなんていう、融通も利かせてくれるのだ。お礼にと哲平が撮った写真は、確かにおばちゃんが良い表情で写っていたが。
「あれ。鼎たちだ。うわ。けんかか?」
 ガラス越し、中庭を見てそう呟いた哲平の声に、俺も中庭に視線を移す。確かにあまりよくない雰囲気で、鼎たちと東の奴らが向かい合っていた。
「あれ、昨日の春姫救出隊だ」
 哲平が中庭に向かいながら呟いた。鼎と一緒にいるのは、昨日重藤先輩を助けた運動部の連中らしい。その向こうに、顔に酷い痣を作っている連中も見えた。
「で、あっちが罰当たりな連中か」
「東が納得してないって言ってたけど……だからってこんなところでけんかするなよなあ」
 がらりと中庭への窓を開ける。騒ぎを聞きつけた生徒たちが、既に上の窓にも鈴なりになっているのがわかった。中庭にも、どんどんと生徒が集まってきている。
「いや、今朝になって姫様の首筋にキスマークが見つかったらしくてさ。それで東の怒り復活」
 よっ、と肩を叩いたのは、報道部の長柄だった。写真部の哲平と、いつも何やら良からぬことを企んでいる悪友だ。
「キスマーク?馬鹿だなあいつら」
「ああ。良く海田先輩に殺されなかったよな」
 長柄が物騒なことを言う。でも、確かに重藤先輩をそれはそれは大事にしている海田先輩に、半殺し位にされてもおかしくはない。
「だから、東は怒っててさー。ここのところちょっと鬱憤も溜まってるだろ?」
 それは俺とのことだろうか、とちらりと長柄を見ると、慌てたように首を振った。
「違うって。それもまあ、あるかもしれないけど。深山寮長すっかり坂城に懐いちゃってるし。でも、おまえのことだってきっかけの一つに過ぎないって」
「樹先輩が俺に懐いてるって?……なんだよそれは」
 言った途端、長柄と哲平が硬直した。突然固まった二人に、俺は首を傾げる。
「誰も聞いてないな?」
「多分……みんなあっちに夢中みたいだから」
「いつからだよ」
「知らねーよ。つい最近までは深山先輩、だったぜ」
「あれか」
「ああ、やっぱり新婚生活一週間って話は……」
 ぼそぼそと二人で言い合っている。俺は首を傾げたまま、その二人を睨んだ。
「何こそこそ言ってんだ」
「カズ、後でゆっくり話を聞かせてもらおうか」
 怒ったように言った俺に、長柄がにやりと笑いながら、ヘッドロックの要領でがっしりと腕を首に回した。俺のほうが少しばかり背が高いために、ぶら下がられるようでちょっと苦しい。
「なんだよ、苦しいって」
「そうか。とうとうおまえもなあ」
「なんだよ哲平っ」
 叫んだところで、騒がしかった中庭が一瞬静まり返った。俺はそのタイミングに驚いて回りを見渡したが、どうやら執行部の先輩方が中庭に降りて来たのが原因らしい。その中の樹先輩と、ちらりと目が合った気がしたが、すぐに逸らされた。
「おい長柄、いい加減離せよ」
 俺はまだぶら下がっている長柄の腕を掴んで引っ張った。いい加減重たい。
「あ、俺ちょっと宮古部長のところ行ってくるわ。カズ、後で話な」
 長柄はそう言って走っていってしまった。あいつも元気だ。
「なんだよ話って……」
 呟いた俺に、にっこりと哲平までが嫌な笑いを浮かべた。



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