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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た
08
 その騒ぎは結局、重藤先輩が東を代表して襲った奴らを殴り、―――と言っても、ノートでぱこぱこ叩くと言うものだった―――さらには姫を公式に引き受けると宣言してご褒美を与えるという、見事な裁量を発揮して収まった。姫と言うのは、そう言う人のことを言うのだと、改めて思い知らされた感じだ。
 ときどき、たった一つしか違わないはずの先輩達の器の大きさを、こうして思い知らされる。例えば樹先輩だって、はっきりと目に見える形ではないとしても、寮長としての器は確かにあるのだとわかる。高居先輩も言葉はきついときもあるが、先輩に任せれば大丈夫だと、俺は安心しているところもある。そう思わせる何かか、先輩達にはあるのだ。
 ようやく騒ぎが解決したところで、海田統括が九重時間の発動を知らせて、中庭と校舎内は大騒ぎになった。あと三十秒以内に教室に着かなかったら、先生たちは嬉々として膨大な課題を出してくれるに違いない。
「次なんだっけ……?」
「数学っ」
「げ。俺当たるんじゃなかった?行きたくねー」
 俺が呟くように言ったら、後ろからじゃあさぼろう、と声が聞こえた。思わず振り向こうとすると、襟首を掴まれた。
「西嶋、ちょっと借りてく。適当に言っといて?」
 樹先輩が嫌に楽しげな口調で言った。哲平は一瞬あっけに取られながらも、こくこくと頷くと、再び走り出した。
「先輩、自分で歩きますって。苦しい」
 蜘蛛の子を蹴散らすように、とはこういう感じなんだろう、と言うほどあっとう間に生徒たちはいなくなり、俺は先輩に靴箱まで連れて行かれた。先輩は自分の靴はもう持っていて、どこに行くのか聞くと、植物館だと言う。
 L棟の裏玄関からは、体育館への通路がある。そこから植物館へ向かったのだが、その通路の左手には職員室がある。木々に多少は阻まれて見えにくいと言えども……先輩は堂々と歩きすぎる気がした。
 そこから武道場の間を抜けて、駐車場を通り、部室の間を通り抜け、植物館に辿り着くまで、先輩は何も言わなかった。鍵を開けてそこに入った途端、ふうっとため息が聞こえた。目を閉じて、深呼吸をしている。
「日が出てるから暑いな」
 それからそう言って、窓を開け始めた。俺もそれを手伝っていると、坂城、と呼ばれた。先輩が、ベンチで手招きをしている。いつの間に用意したのか、手にはパックのウーロン茶とコーヒーを持っていた。
「どっちがいい?」
「先輩は?」
「俺はどっちでもいい」
 そう言うので、俺はコーヒーを貰った。ベンチに腰掛けてそれにストローを刺したところで、こてり、と先輩が肩に頭を載せた。
「樹先輩……?」
「やっと終わった……」
 ため息のように呟かれて、俺は一瞬何のことかと思ったが、すぐに先刻の騒動のことを思い出した。そういえば、寮長だったんだ、この人。春姫騒動で大変だっただろうに、自分の寮の生徒でもない俺の世話をしてくれたりして。
 印象が違う、と最初に思った俺の考えは合っていて、色々な人に聞いてみても、やっぱり「深山寮長」と言う人はとても優しく、穏やかで、……という意見が大半だった。確かにその面があることも否定しないが、そこに強引さなどない。他人のことは引き受けるくせに、自分のことは決して他人に任せたり頼ったりしない。
 俺も時々は手伝うが、ほんの少しだし、ただの力仕事だ。一体先輩は、誰にも甘えないのだろうか。
 いや、俺が知らないだけかもしれない。
「疲れました?」
「んー?ちょっとね」
「終わる前に言ってくださいよ。そしたら、少しは力になれたかも知れないのに。俺ばっかじゃ悪いです」
 こうして先輩の頭の重みを引き受ける人が、俺以外にもあるのかもしれないと思ったら、なんだか悔しかった。もっと甘えて欲しい、と思った。
「おまえばかりって?」
「俺ばっかりでしょ?俺ばっかり先輩にお世話になって……」
「だから、世話してない」
「でも、先輩には色々助けてもらってる」
「そんなことないだろ」
 先輩が、ゆっくりと頭を離した。その重みが消えるのが、淋しかった。
「俺は陸上のこととか何も知らないし。高居に比べたら何の役にも立たない」
 じっと注がれた視線が、ふっと外れた。窓から入ってきた風がその髪を揺らして、淋しそうな、哀しそうな目が一瞬見えた。
「そんなの、当たり前でしょう?樹先輩と高居先輩は違う。でも、樹先輩のおかげで、俺は色々復活できたし、安心できた」
 先輩が、ゆっくりと顔を上げた。それから、先輩の方に身体を向けていた俺の肩に、今度は正面からことりと頭を預けてきた。ふわりと髪が顔にかかって、くすぐったい。
「ほんとに?」
「本当ですよ。じゃなかったら、こんな恥ずかしいセリフ、わざわざ言いません」
 なんだか頼りなさそうな先輩を、思わず抱き締めたくなって、ぐっと拳を握った。それで、唐突に自分の気持ちを知る。
 ああ、俺は、この人のことが好きなのだろうと。


 その夜に部屋に帰って食事を済ませると、俺は鼎と哲平、それから東寮のはずの長柄に拉致され、自分の部屋に連行された。周りが何事かと見るくらいには、派手な連れ戻し方だったのだ。
「おまえらなあ。そんなことしなくても、飯の後はいつも部屋に戻るだろ」
「俺たちの姿見て逃げようとしたくせに」
 哲平がドアを閉めて、鍵まで掛け、逃げ道を塞ぐように立つ。鼎も長柄も、俺から手を離そうとしない。
「おまえら揃って悪人面してるからだろ。誰だって逃げたくなるって」
 長柄と哲平が揃ってるだけでも、俺は遠慮したいのだ。そこに鼎まで加わって、身の危険を感じない方がおかしい。
「少しは身に覚えがあるってことか」
 長柄がにやにやとそんなことを言う。あの一時限目の休み時間のこともそうだが、その後樹先輩と授業をサボったのも、きっと哲平から聞いているに違いない。
「別にないよ。何なんだよ」
 ようやく坐らせて貰えて、それでも両腕はがっちりと掴まれたまま、俺はため息を吐き出した。何しろ、樹先輩への気持ちを自覚したばかりなので、あまりその辺りに触れたくない。
「で?いつからだよ」
「何が」
「とぼけるなよ」
 鼎がにやけた顔で俺の顔を覗き込む。俺はそれを睨んでから、まじでわかんねーよ、と吐き捨てた。突然いつからか、なんて聞かれたって答えられるはずがない。話は順序立てて欲しい。
「だーかーら。深山寮長とはいつから付き合ってんの?」
 長柄が反対側から顔を覗き込んできた。俺はその言葉に、思い切り眉根を寄せた。
「何だよそれ。いつからそんな話になってんの?」
「それを今聞いてんだろ」
 哲平が正面で呆れたようにため息をついた。
「聞いてるって……おまえら勘違いしてんな」
「勘違い?」
「そうだよ。俺、樹先輩と付き合ってない」
 言った途端、ものすごく白い目に囲まれた。
「どの口がそんなことを言うんだ?別に俺たちに隠すことないだろ?」
 哲平が、そう言って俺の口を引っ張る。両腕を掴まれている俺は、抵抗しようがない。せめてもと思い切り睨んだが、哲平にはそんなものは効かないようだった。
 冗談じゃない。そうだったらどれだけ嬉しいか。
 俺があの人を、抱き締めていいのだったら。
「隠してるわけでも嘘でもねーよ。哲平てめぇ、覚えてろよ」
 口から手が離された途端叫んだ俺に、哲平が目を眇めた。
「だってカズ、樹先輩って名前で呼んで……」
「それはっ。そう呼ばないと本人が怒るから」
「なんで怒るわけ?」
「俺が知りてーよ。本人に聞いて来い」
 いい加減切れ気味の俺を、ようやく二人は離し、それから三人で顔を見合わせた。
「どうよ?」
「いや、本当だろ」
 哲平の言葉に、さっきからそう言ってる、と俺は叫んだが、三人に無視された。
「じゃあ、どういうこと?」
「こいつが鈍いんだろ」
「坂城って、そう言うところがまあ可愛いと言えば可愛いけど」
 よりにもよって鼎がそんなことを言い、俺は近くにあったクッションを投げた。しかしさすがテニス部。見もしないでそれを受け止める。
「ちょっと寮長が可哀相になってきた……」
「だよな」
「なんで樹先輩が可哀相なんだよっ」
 俺が叫ぶと、どうでもいいけど、と全く面白くない言葉が返ってきた。
「どうでもいいけどさ、それ、頼むから東寮生の前で言うなよ」
「俺だって怖いよっ。そんなに自分が器用だとは思ってないからな。だから嫌だって言ったのに……」
 この点について哲平に悪態をついても仕方ないのだが、怒りついでに八つ当たりをさせてもらう。
「これって……カズはどうなわけ?」
 長柄の言葉に、三人が俺のほうを奇妙なものでも見るような視線で見た。
「いや。俺はてっきり脈ありかと……」
「高居先輩は?」
「違うと思うんだけどなあ」
 俺を尻目に、そんなことを言っている。俺は苛々して、立ち上がった。悔しいことに、この三人に揃われると、なかなか勝てない。
「おまえらいい加減にしろ。人のこと弄びやがって」
「いや、別にそうじゃないよ。俺たちはおまえを応援しようと……」
「なんだよ、応援って」
「いや、うーん。なあ」
 哲平が、珍しく歯切れ悪く伺うように俺を見た。俺はなんだか嫌な予感がして、目を眇めた。
「おまえはさあ、深山先輩のこと、どう思ってるわけ?」
 これだよ、と俺は硬直した。今、一番聞かれたくないことだ。
「おまえらには、関係ないだろうっ」
 俺は思い切り八つ当たりをして、自分のベッドに向かってずんずん歩いていくと、布団の中に頭からもぐりこんだ。もう絶対、話など聞くものか、と思う。
 そこに、なんだか呆れたような三人のため息が聞こえた気がしたが、そんなものは気のせいだと、俺は固く固く、目も耳も閉じたのだった。



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