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コレガ僕ラノ進ム道

11
 あの、これ、と渡されたパンフレットに、映は読んでいた雑誌から顔を上げた。今は夏真っ盛りだが、秋冬用の宣伝媒体を考えているところだった。
「これ……」
「うん、橋野さんが、良く見て検討しろって……見学も連絡すればすぐ出来るからって」
 渡されたパンフレットを、映はぱらりと捲った。飲んだ席での約束だと言うのに、律儀なものだと映は感心する。あのとき言っていた、梶原関係の不動産のパンフレットだった。薄いものが何冊か合って、その中には知っている物件もある。それに、賃貸だけではなく、売りに出している物件もあるようだった。
「藤吾は、見た?」
「うん、ちょっと」
 探るように映が見ると、藤吾はもう諦めたのか腹を括ったのか、嫌がっている様子はなかった。少なくとも、あのとき不安は取り除けたのだろうか。
「どこか、良さそうな所あった?」
「え、あ、うん」
 そう言って藤吾は、ソファーの上、映の隣に坐って、中から一枚のパンフレットを取った。
「駅まで五分、完全管理か」
 間取りも、ダイニングキッチンに部屋が二部屋、バストイレと、こじんまりとしているが、無駄のない作りは、確かに藤吾の好みだろう。
 こういう慎ましさのようなものも、映の好みだった。
「家賃は、なんか少し優遇してくれるって話なんだけど……あとここ、隣公園だから」
 窓を開けると、緑が見えるだろうことが藤吾の心をくすぐった。
「ああ、本当だ。そうだな……見に行ってみるか、今度」
 映がそう言うと、嬉しそうに藤吾が笑って頷いた。それに映も笑って、身体を伸ばしてキスをする。藤吾は驚いて顔を赤くして、固まっていた。
「藤吾と一緒に住めるなんて、夢みたいだ」
 それは自分のセリフだ、と藤吾は思いながら、でも、一緒に住んだらこのスキンシップは一体どこまでいってしまうだろうと、ちょっと考えてしまった。


 結局、見学に行ったその日に契約する勢いで、二人はその部屋が気に入った。窓から見える公園の緑は確かに安らぐし、ダイニングキッチンもバストイレも、映が想像したより広かった。その上、男二人で住むと言うことについて、嫌な顔もしなければ何も言わなかった管理人も、藤吾を安心させたようだった。
 映にして見れば、先に藤吾ありき、なのだ。藤吾さえ気に入れば、自分は全く問題がない。住居と言うものにそれほどこだわりがなく、今のところも長く住んでいるが、それは特に不便もなければ引っ越すのが面倒だったというだけの理由だ。社長で友人の瀬戸口など、何度も「もっと良いところに住めよ」と言ってたぐらいだ。
 瀬戸口にして見れば、まだ「質素」とでも言えるマンションだろう。だが、駅まで五分、その間にスーパーもコンビニもある。そして、藤吾がいれば、映には十分だった。
「で?来月には越すのか」
 久しぶりのザングで、映は一人飲んでいた。相変わらず声を掛ける輩もいたが、あまりに素っ気無い映の対応に、今は誰もが諦めているようだった。
「それがねえ、俺一人なんだよ。藤吾は契約上再来月になんないと前のところ出られないって」
 すぐにでも二人で暮らせると思っていた映は、それを聞いて心底悲嘆に暮れた。たかが一ヶ月。でも、その間に一体どれぐらい会えるだろう。
「それで機嫌が悪いのか」
 いつも酒の飲み方は豪快だが、今日はそれに仏頂面がついている、と藍川は苦笑した。本音では、多少心配でもある。この二人の、急速な熱の入りように。
 見ているこっちが馬鹿らしくなるくらい、二人は思い合っている。でも、そこに仄かな不安が混じっていることを、藍川は長らくの人間観察経験からわかっていた。つまり、二人の熱々ぶりは、どこか危うく心許ない。互いに不安だからこそ、縛り付けあうように求め合っている感じで―――お節介だとわかっていても、心配だった。
「まあでも、そんなこと言って、どうせ通いになるんじゃないのか?」
「書類上はどうでも、俺はさっさと引っ越して来いっていったんだけど、あれで藤吾、頑固と言うか生真面目と言うか」
 けじめのつかないことはしたくない、と言うのだ。それでいて、家賃はきちんと払うと言うのだからおかしい。
 梶原関係だからか、家賃は相場に比べればずっと安かった。二人で割ったら、映など今のところより随分少ない金額になる。だから一ヶ月ぐらい一人で払っても何の問題もなかったのだが、藤吾はそれも嫌がった。
 そこで強く言えないのは、藤吾が映が小さい所だとはいえ会社役員をしていることに、どことなく恐れをなしているようなところがあったからだ。また、釣り合わないだの言われたくはなかった。
「それが藤吾君のいいところじゃないか。……そう言うこと、少し必要かもしれない」
 藍川が呟くように言う。映は何も言わず、ぐいっとロックを飲んだ。
 藤吾は、自分のことをそれほど思っていないのかもしれない。
 どこか強引にあの手を取ったのは、映も自覚していた。そして、それを手放せずに、映がぐっと握り締めて引き摺っているのだ。
 藤吾は優しいから、それに戸惑いながらも、付いて来てくれているのかもしれない。
 藤吾から、手が伸ばされたことなんて、ないかもしれなかった。


 案の定、二人が会う時間はなかなか出来なかった。映は次のシーズンへの移行に忙しく、藤吾も先輩が一人怪我をしたとかで、夜勤が多くなっていた。二人分の鍵を貰って、藤吾も新しい部屋の鍵は持っているというのに……それが使われることはなかった。
 映は副社長などと言われているが、服のデザインなどが出来るわけでもなく、社長の瀬戸口の片腕と言うわけではない。どちらかと言うと、瀬戸口の求める生地や染色家を探したりするのが主な仕事だった。テキスタイルを考えて発注するのではなく、それを元に一緒に生地を作り上げていく、というスタイルの瀬戸口の仕事は、大量生産には向いていない。それを利益に繋げるように、材料部分で奮闘するのが映の仕事だ。その上、自社生産に拘る我侭な瀬戸口の所為で、時には映がミシンを踏むときもある。ただ、映はもともと何かものを作ることは好きだったし、それが出発点だったこともあって、その作業は嫌いではなかった。
「映、引っ越したんだって?」
 その工房の進捗状況を眉根を寄せながら見ていたとき、瀬戸口がコーヒーを手に入ってきた。両手に持っているのは映に持ってきてくれたのだろう。映は一体どうやったら生産を間に合わせられるかとぐるぐる考えていた頭を止めて、椅子に背を預けてそのコーヒーを受け取った。
 副社長も社長も、名ばかりだ。ここでは役がついていようが、飲み物も食べ物も、欲した本人が用意する。そういうところを、映は気に入って入るのだが。
「ん?ああ」
 パソコンの画面から目を離して、少し目を閉じる。このまま行くと、間に合わない品物がごっそり出てくるだろう。夏物が好評で取引先が増えたのは嬉しいが、こんなことでは信用をなくしそうだと思う。自社生産のことも、もう少し考えなければならない。
「いいところじゃないか。どう言った心境の変化だ?」
 散々自分が引っ越せと言っても動かなかった映だ。その上、特にこれといって引っ越す予定を言っていなかった映の、この忙しい時期の引越しに瀬戸口が首を傾げるのもわかる。
「心境の変化……ってことじゃないけどな。まあ、環境の変化の方があったかもな」
「環境の変化?どう言う意味だ?」
 そのまんま、と映はコーヒーをずずっと啜る。瀬戸口と映は専門学校時代からの友人で、映の性癖を知っている数少ない友人でもある。その瀬戸口自身、男も女もどちらもいけるのだが。
「なんだ……もしかして、誰かみつけたのか?」
 瀬戸口の目が、面白そうにきらりと光る。映と違って華やかに遊ぶことが大好きな瀬戸口は、映の真面目な恋愛遍歴と、その趣味の特殊さに普段から呆れていたのだ。瀬戸口は美丈夫で、いまや地位も名声もある。だが、映もそれに負けていないはずなのに。
「違う……」
 そのあまりに楽しそうな様子に、映は顔を歪めて否定した。瀬戸口が関わってくると、ろくなことがないのだ。
「ふーん。じゃあなんで?」
 まったく、意地の悪い笑みを浮かべる。この瀬戸口を知っている映は、普段「先生」だの「社長」だのと尊敬と憧れの視線を寄せる弟子や社員達がかわいそうでならない。
「それとも、俺には言えない相手とか?」
「誰であってもおまえに報告する気はないけどな」
「なんだよ。俺はいつも報告してるのに」
 聞きたくもないのに言ってくるのは誰だ、と映は呆れたように首を振った。今のところ、どうやら社員達には手を出していないことだけが救いだ。
「紹介しろよ」
「そう言う相手がいるとは言ってないだろ?」
「可愛いんだろ、熊さんみたいで」
 ぶっと、思わずコーヒーを吹き出すところだった。だが、考えればすぐにわかることだ。映がザングに顔を出しているように、瀬戸口もあの界隈の店を利用している。狭い世界のことで、映と藤吾のことはすぐに広まったのだろう。
「いいじゃん。どうせ俺は熊さんの趣味はないし。紹介ぐらい。俺の大事な片腕の相方だろ?」
 片腕になったつもりなど全くないのだが、その才能に惚れたのは自分だ。映はため息を吐きながら、「そのうちな」と誤魔化した。
 紹介するつもりなど、毛頭なかった。瀬戸口は間口が広い。確かに趣味は違うかもしれないが、可愛いものや面白いことが大好きだ。藤吾を気に入らないとも限らないし、面白いからと二人の仲をかき回しかねない。
 でも、そうやって頑なに拒否したことが、かえって瀬戸口の好奇心をいたく刺激したとは、映も思っていなかった。


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