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サイレント・ノイズ 第五話
――盗マレタ声――

  05

 ふと目が覚めて、横になったまま窓から外を眺めると、まだ夜は明けないようだった。月明かりのない地下の夜は暗い。でも、常に赤外線つきのコンタクトをつけているユーリにとっては、それが夜の景色になっていた。物体の輪郭が、はっきりとわかる。
 自分は死ぬまで、本当の闇は見ることが出来ないのだろうか。
 ユーリはじっと見つめていた窓から視線をそらして、目を閉じた。闇を見る日は、近いかもしれない。きっと、そう遠い日ではないはずだ。
 ――いや、近くあって欲しい。
 ユーリは知らずため息をつきながら、目を開けた。こんな風に眠りの浅い日がずっと続いていたが、それが終わる日が来るとは思えなかった。終わる日は、永遠に眠る日になるだろう。
 枕の下にあるナイフの冷たさを思い出しながら、ユーリは天井を見つめた。何人もの人の血を吸って輝く、忌まわしいナイフだ。でもそれを、ユーリは持ちつづけていた。それが、自分に対する罰なのだとでも言うように。
『どれだけ洗っても、どれだけ擦っても、どれだけ磨いても、消えないんだ。この血の痕は、このナイフからも、この手からも』
 そう呟いた、幼馴染の言葉を思い出す。小さい頃から、気付いたらこの組織の中にいた二人は、同じような道を辿っていた。ナイフや銃の使い方を一緒に教わり、初めてそれらを使ったのも、同じ時だった。そして――初めて人の命を奪ったのも。
 あの頃は、無邪気だった。人の命を奪うことの重大さにも、気付かずに。
 いや、気付かせてもらえなかったのだと、思う。それが自分たちの仕事で、そうやって生きていくしかなかったのだから。動物が狩りをして、食料を手に入れ、生きていくのと同じだと、そのときは思っていた。
 でもそれは違うと、ユーリを裏切ったあの幼馴染は言った。そう言って、自分を置いてこの組織を出てしまったのだ。
 白い天井に、真摯な眼差しが浮かび上がる。行こうと、言われた。それに頷かなかったのは、自分だ。ここを出て、生きていくことができるとは思わなかった。実際、彼は組織の者たちが懸命に探している。見つかった時点で、すぐに殺されてしまうだろう。今でも生きていると言うのが、ユーリには信じられなかった。確かに腕のいい奴で、度胸も、チャンスも持っていた。
 自分は、待っているのだろうか。
 彼が現れるのを。
 殺さなければいけない、その幼馴染が、自分の目に映ることを――。
 ふいに廊下が騒がしくなって、ユーリは起き上がった。常に電気のついているはずの廊下が、暗い。停電だろうか。そんな情報は入っていなかったはずだ。
 今回は、次の仕事先が近い、と言うだけでこの屋敷にいるユーリは、あまり関係がないと思いつつ、それでも気になって、着替えて部屋を出た。ぱたぱたと足音がしている。それからすぐに、煌々とした明かりが、白々しく廊下の壁を照らした。


「指紋とか瞳の識別とか、全然関係ねえじゃん……」
 何がどうにかするだって?と、カイが呆れた顔をするのを、ファンは声を出さずに笑っていた。時間か近づいたから、とカイが連れて来られたのは、ハウスの隣の家だった。そこは一般家庭の家のはずだが、いいから、というファンに引っ張られて、裏庭に忍び込んだのだ。それからおもむろに、ファンはきょろきょろと辺りを見回すと、ここだな、などと言いながら、その裏庭の一角に持っていたナイフを突き刺して、ブロックを持ち上げた。この家も金持ちなのか、裏庭には一面に芝生が生えていて、ブロックがあることなどわからなかったカイは、呆気にとられた。
 ファンがそこからひょいっと中に入ってしまったのを見て、カイも慌てて後に続いた。中はそれほど広くなく、はしごを降りた先では、両手両膝をついて這って進まなければならなかった。それから、ぼんやりと明かりが見えてきたところで、ファンが止まった。その数分後に、その明かりが不意に消えると、ファンは目の前の格子を外して、続く部屋の中に入ったのだった。そこは部屋といっても、倉庫のようなもので、なんだか色々なものがごちゃごちゃと置いてある。どうやら、排気口のようなところから二人は出てきたらしい。
 そこで思わず、カイは最初のセリフを呟いてしまったのだ。
「たぶん、すぐに電気は復旧するから、さっさと二人を探そうぜ」
 ファンはそう言うと、薄っすらと扉を開けて、外の様子を伺っている。それから、目でカイを促すようにして、そろそろと右に歩き出した。
 まるで、どこに二人がいるかなど、わかっているようだとカイは首を捻る。内部事情に詳しい気がするし、罠だったら恐ろしいが、今のカイにはファンしか頼れる相手がいなかった。
 ファンは慎重に、廊下を歩いている。ファンの説明に寄れば、この地下室には、小さな部屋がいくつかあるはずだった。突き当たりにきて、ファンが立ち止まる。
「外に二人、中に一人かな」
 そう呟いて、おもむろにブーツの内側から銃を取り出したファンを見て、カイは一瞬声を上げそうになる。
 おいおい、なんだってそんなもん持ってんだ、こいつは。
 閉鎖空間のこの国での、銃刀法は厳しい。といっても、そう言うものの進化は激しく、小型の空気銃などもあるから、闇では当たり前のように売買される商品ではある。でも、ファンはカイと同じ年頃の少年だ。そうそう簡単に、銃など手に入れられるだろうか?
 そんなことを考えているうちに、行くぞ、とファンに言われて、カイは慌てて後に従った。扉の前に二人、男が倒れている。
「死んでないよ。気を失ってるだけだ。もう、殺さないって決めてるから」
 一瞬立ち止まったカイに、早口の小声で、ファンがそう言う。
 ――もう?
 カイは思わず眉根を寄せたが、今はそんなことを質している場合ではない。ファンの後ろで、カイは壁にぴったりと背をつけた。扉はスライド式になっているようで、ファンが足でそっとその扉を蹴るように開ける。そのまま、微かな空気音がしたと思うと、どさりと何かが倒れる音がした。
「いた。リュウだ。連れて来て」
 ファンがそう言って、顎でカイに中に入るように促す。自分は入り口で、見張るつもりらしい。カイはするりと中に入ると、リュウを見つけたが、ありえない向きに向いている足と手を見て、瞬間、声を失った。
「リュウ、わかるか?」
 それでも、急いがなくてはいけないとわかっているから、カイはそっとリュウに触れる。
「……カイ?」
「助けに来た。歩ける?」
「関節が外されました。綺麗に外されてるから、元に戻せばなんとか歩けるかもしれません」
 げ、とカイが呟くと、リュウが弱々しく笑った。カイは仕方なく、そっとリュウの足を持って、以前リュウに教わったように、関節を戻す。
「……っ。下手ですね」
「師匠が悪いんだろ」
 状況に不似合いな軽口を叩きながら、それでも、なんとか動いたリュウを見て、カイはほっとした。
「エリカは?」
「これから」
 入り口から、早くしろ、と声がかかって、カイはリュウに肩を貸す。リュウは肩は自分で元に戻したようだ。
「彼は?」
「リュウに助けてもらったことがあるとかで、手伝ってくれてる奴」
 カイのその言葉に、リュウは目を細めてファンを見ようとしたが、ファンが顔を逸らして歩き出したために、その顔を見ることが出来なかった。
「エリカはこことは対角線上の部屋にいるはずだ」
 ファンはそれだけ言うと、どんどん歩いていった。


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